絵になるような出会いから数日。彼女はトレーナーと話し合っていた。書類と睨めっこしながら話すトレーナーの顔は渋い。
「うん……一通り走ってもらって適正とか見たんだけど」
「……悪い?」
憮然と、しかし何処か不安を覗かせる彼女に、トレーナーは努めて余裕を見せるように笑う。
「悪くはないんだ。ただ……」
良くもない、というのが本音だ。ダート、芝。長距離、中距離、短距離。逃げ、差し、先行、追い込み。その全てにおいて彼女は『いけないこともない』くらいの適正を見せたのだ。平均的すぎて得意もないという器用貧乏さ。これには何処から手をつけるべきか判断に悩む。
……いや、答えは決まっている。この結果を見た時、トレーナーの頭には一つの方法が浮かんだのだ。これがベテランであれば別の答えが、奇策があったかもしれないが、生憎と新人。己の実力不足を恥じるしかない。
「……君には辛い道を歩ませてしまうかもしれない。もしかしたら結果は出ないかもしれない。担当するトレーナーとしては失格だ……勝たせてあげられないかもしれない。それでも……信じてくれる?」
その言葉に瞳を閉じ、ぎゅっと拳を握る彼女は、深呼吸を一つ。そうして開かれた瞳に迷いはなかった。
「私は……勝利が欲しい。その為なら、例え何度も敗北を重ねても、私はたった一つの勝利が欲しい」
そうして方針は決まる。早速練習を開始する。しかし前途は多難だった。
ターフを走る彼女の顔が歪む。事前に説明を受けて理解していたつもりだったが、その難しさは筆舌に尽くしがたいものだった。
時間を決めて走る。それ自体は普通だ。しかし、コンマ秒以下のラグすらなく、ひたすら同じ時間に揃えて走れ、なんて難しすぎた。
コース一周のタイムを全て揃えて走り続けろ、なんて機械じゃないんだぞ、なんて言いたくなったが、それでも走る。教えられたフォームを必死になぞりながら走る。
その様子をゴール地点でストップウォッチでタイムを測りながらトレーナーは心の中で謝罪した。
自分のやり方が無茶なのは分かる。しかしこれ以上に思いつく方法がなかった。得意不得意のない彼女はどんなコースだろうと走れる。しかし、走れるだけ。強みのないウマ娘など怖くないのが事実。だから作り出さなければならなかった。
彼女に身につけて欲しかったのは、レースメーカー。その走りで場を支配するもの。僅かな時間のズレもなく走れるなら、その操作も出来るようになる。彼女が速くなるわけではない。周りを消耗させ最後に勝たせればいいのだ。
そうして、毎日走った。それだけをさせた。彼女にはそれしかさせなかった。雨の日だろうと毎日。
「〜〜ッ!!」
その合間で行われる模擬レースにも全て参加した。彼女にはレースの中での駆け引きをその身で覚えて欲しかったからだ。
しかし、それを見るトレーナーの顔は歪む。当然だ。何処に負ける事が決まったレースに挑ませるトレーナーがいるのか。それでもこれは必要だった。彼女が渇望する一つの勝利の為に必要な、幾万の敗北。挑む彼女に刺さる周りの目は、とても冷ややかだ。
「──はは……」
垂れる汗を拭いながら前を向く少女の顔には、笑みがあった。
「確かに……これは辛いな」
身に刺さるあらゆる目を実感しながら空を仰ぐ。憎たらしいまでに青い空。その先で私を嘲笑っているだろう神様ってやつを睨みながら、笑ったのだ。
確かに負けている。周りに比べ私に優れたものなど一つもない。だけど。確かに一つ一つ、踏み締めながら前に進んでいる。進めている実感があった。
「もーいいかい……」
地獄の中で、いずれ来るその日を願ってそう、つぶやいた。