『遥か先は遠く』   作:上条@そぉい!

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『未勝利戦』

 そうして続ける事1ヶ月。遂にそのレースの時が来た。控え室で、タオルを頭から被り俯く少女に、トレーナーは書類を確認しながらお互いの情報を擦り合わせていく。

 

「分かってるだろうけど、未勝利戦……ここで勝てなければ君は」

 

「分かってる」

 

 これまでトレーナーもなく、メイクデビューで勝つこともできずにいた少女は、もう崖ギリギリ。これで勝てなければ、トレセン学園を追放される。無能はトレセンに要らないということだ。そのあとは精々地方で走るくらい。二度と、ここに戻る事はない。

 その事実を前に、少女の身を包む恐怖が震えとなって表に出てくる。

 

「それでも……勝ちたい」

 

 走りたい。この先に何があるのかを見たい。その思いだけは。

 

「大丈夫」

 

 震える彼女の手にトレーナーの手がのせられる。暖かさのある手、自然と彼女の震えが止まった。

 

「誰になんと言われようと、僕は君の努力を知ってる」

 

 どんな日でも、走り続けてきた彼女を見てきた。もちろん、それでも報われるとは限らない。現実は非情だ。でも、それでも。

 

「君が重ねてきた努力の価値が揺らぐ事はないよ」

 

 誰よりも才能の差を味わってきた彼女。それでも、そんなもの知るかとかなぐり捨てて走ってきた彼女を一番見てきた。

 

「勝っておいで」

 

「──はい」

 

 そうしてレースは始まる。ウマ娘達のゲートインも続々と終わりその時がまもなく来る。

 狭いゲートの中で、深呼吸を一つする。胸の底が疼く。緊張が口から出てきそうだ。

 

『レースが間も無く始まります。未勝利バも混じるこのレース!既に気合は十分だ!』

 

『なんと言っても一番人気はナリタトップロード!新規精鋭の新人達はこの厚き壁を果たして超えられるのか!さぁ始まります!』

 

 シン……と静まる。ゲートが開く瞬間までの合間は、自分の心臓の音がやけにうるさく感じて嫌いだ。

 

『開きました!スタートです!』

 

 ガコン、ゲートが──開いた。

 

 一斉に走り出したウマ娘はそれぞれのポジションへと着く。うまく出遅れる事なくスタートできたオニノミコの位置は後方。最後尾に近い位置だった。

 走りながら、レース前にトレーナーと話した作戦を思い出す。

 

『今回一番マークしなくちゃいけないのはナリタトップロード……先行バで、今回の出場者の中じゃ隔絶した実力があると言っていい』

 

 私がまともに走った所で追い抜くのは不可能に近い。それは紛れもない事実。ならばどうするか。

 

『だから、君にはレースを支配してもらう』

 

 後方でどっしりと構えて、前を走るウマ娘達に、ジワジワと、気が付かないようにその存在をチラつかせることでペースを上げさせるのだ。

 周りのウマ娘達もトップロードを止めなければ勝ち目がないのは理解している。だから多少無理をしてでも追う。最後に追い抜くなら少しの開きが致命的だからだ。

 誰もが必死に走る。だから気がつけない。自らの足で走っていたはずのレースが、彼女に走らされている事を。

 

『さぁレースも中盤!先頭変わらずトップロード!後ろも掛かっているのでしょうか!?とても長距離とは思えないペースだぞ!?』

 

 ジワジワと侵食する毒のように、効果は現れている。その違和感に気がつけたのは、トップロードだけだった。

 

「なに、これ……?」

 

 間違いなく自分は走れている。だと言うのに、何故体はこうも上手く動かない?いつもなら息が上がるタイミングではない。

 

「──ッ!?」

 

 ハッとなり後ろを見る。間違いない。誰なのかは分からない。分からないが……これは罠だ。今私は走れているのではない。走らされているのだ。

 今までになかった感覚に、背筋が冷える。様々なウマ娘達と走ってきたが、こんなのは初めてだった。

 

『おーっと!?どうしたナリタトップロード!?急にペースを上げたぞ!?後方を引き剥がしていく!その差は3バ、いや5バ身にまで広がっていく!』

 

 選んだ選択肢は、最後の直線までの間に、できるだけ距離を稼ぐ事だった。知らず知らずのうちに削られたスタミナではこのまま走っても最後に後ろから差される。ならば、差されても問題ないほどに距離を稼げばいい。それなら例え最後に失速しても稼いだ距離があれば──

 

「くっ……!」

 

 それに歯噛みするオニノミコ。トップロードが本能的に取った選択肢は、この状況において最適解だった。こうなった時点で彼女に勝ちの目はない。作戦の失敗だ。

 

「オニノミコ!」

 

 外でトレーナーが名前を叫ぶ。このままなら負けてしまう。

 負ける、敗北する。その冷たさが彼女を包む。嫌だ。そんなのは嫌だ。私はまだ何も見えていない。それだけは──

 

「嫌だ!」

 

 作戦などもはやない。ここで差が開けばもう何もできない。後方から追い抜くつもりだった追い込みの作戦をかなぐり捨て、一気に加速する。

 

『おっと後方から追い上げてきたオニノミコ!本当にこれは長距離レースなのか!?もはや別のレースなのではないかというハイペース!これはとんでもないことになってきました!先頭が第3コーナーへ入ります!残すは最終コーナーと後ろに控えた直線だけ!誰が勝利を掴むのか!』

 

 予定にない加速はごっそりとスタミナを削り取っていく。

 だが加速した所でコーナーに差し掛かる。加速しながら曲がっていく事がオニノミコには難しい。早く前に出なくてはいけないのに、減速しなくてはいけない。

 

「このままじゃ──追いつけない」

 

 才能の差など知ったことか。今欲しいのは目の前の勝利だけだ!何がなんでも前に出る!

 

『最終コーナーが近づきます!これを抜けて先頭にいた者が勝者となるのか!?』

 

 その時、オニノミコに思いつくものがあった。なりふり構っていられない現状が生み出した発想。誰も思いついてもやらない事。

 

「このまま走っても勝てない……一か八かだ!」

 

 コーナーに入る。地面を蹴る足に更なる力を込めた。

 

『おっと!?オニノミコが逸れていくぞ!?なんとコーナーで大外へと斜行だ!これは一体何事だ!?』

 

 加速しながら曲がる事はできない。その技術をオニノミコは持っていない。だから。カーブで制御する事を考えず加速する。当然遠心力で膨らみ外へと身体が引っ張られていくが──身体を外ラチに押し付ける。

 

「身体を支えられないなら!他に支えてもらう!」

 

 身体を外ラチに押し付け、ガリガリと削るようにコーナーを抜けていく。

 

『こ、これはなんという荒技だ!コーナーで更なる加速を得てオニノミコがナリタトップロードへと迫る!』

 

 コーナーを抜けた。残すは最後の直線。500メートルほどだ。これなら!

 

「勝てる!!」

 

 残った体力を全て吐き出せ!空気なんてとっくに肺から出し切った。目の前が白んでいく。それでも、前に進める足の力に僅かな緩みも許さない。

 

『オニノミコが追い上げる!ナリタトップロードとの差は2バ身、いやもう1バ身もないぞ!?』

 

 外から捲るようにトップロードの隣まで追いつく。もう200メートルを切った。あと少し。

 

「負ける……かぁあああ!!!」

 

 失速していたはずのトップロードの勢いが戻る。これが才能のない彼女との差。ここまでしてもまだ、届かないのか。

 あれだけ詰めたはずの差が、再び離れてしまう。

 

「オニノミコ!走れぇぇえええええええ!!!!」

 

 諦めかけた一瞬。彼女の耳に飛び込むのはトレーナーの声。

 

「〜〜──ッ!!!!」

 

 吐き出し尽くした身体を無理やりうごかす。

 

「勝つのは私だぁぁああああ!!!!」

 

 もはや前も見えない。振り絞るように走って走って──躓いて転んだ。ズシャと、地面を転がるオニノミコ。

 

「ッ──!」

 

 レースは!?止まってやっと呼吸ができたオニノミコは、ようやく高らかに聞こえる歓声が耳は入った。

 

『ゴールだぁぁぁぁあ!なんという番狂せ!一着は──オニノミコだぁぁぁ!!!!』

 

「ハッ……ハッ……」

 

 思考が追いつかない。地面に座り込む彼女は呆然とこちらを称える歓声を聞いていた。

 

「今回は私の完敗だよ」

 

 そんな彼女の側に歩いてきたのは、息を切らして肩で息をするトップロード。

 

「あ……私……」

 

 まだ理解できていない私を、トップロードは肩を貸して立ち上がらせる。

 

「ほら、みてごらん」

 

 そういって向けられた方向に居たのは、全身で喜びを表すトレーナーの姿だった。

 そっか……勝てたのか。ジワジワと事実を飲み込み始めた

 

「……やった、やったぞぉおおおお!!」

 

『おっとオニノミコ、勝利のガッツポーズだ!高らかに掲げられた拳がターフに輝いている!』

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