異世界から帰還した元勇者、モブウマ娘を育成します!   作:越路遼介

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第十話 英語の先生になりました

「本日よりトレセン学園の英語教師になりました氷室廉二郎です。よろしく!」

学園内の職員室、新学期初日に廉二郎は先輩教師たちに挨拶をした。トレセン学園の授業カリキュラムは人間の学校とそれほど変わらない。クラスには担任教師がいて科目ごとに教師がいる。

廉二郎は新人教師と言うことになるが、数年にわたりトレーナーとして学園に務めていたので教師たちとも顔見知りだ。企業で言うなら会社内の人事異動と言うところだろうが、トレーナーから教師へ異動と言うのは極めて稀なケースだ。トレーナーと兼任するのも、これまた稀である。同僚となる教師たちは大丈夫かと思うのが当然だろうが廉二郎が担当ウマ娘二人を学業トップにしたことは誰でも知っていることだった。教頭が

「氷室先生、貴方が担当ウマ娘に行った指導は素晴らしいと思っています。しかし個人授業と教壇に立つことは全く異なります。肝に銘じるよう」

「はっ、肝に銘じます!」

「貴方の机はあちらです。パソコンは貸与品ですので大事に使って下さい」

「分かりました!」

 

 

「トレーナー、どうだい。英語教師、上手くやっているか?」

学園のターフ、準備運動をしているイッツコーリングに訊ねられた。

「まあ、ぼちぼちだな。みんな覚えが早くて助かるよ。遠からず英会話のみで授業出来るようになるだろう」

「…マジで?」

「ああ」

「どうしてアタシの学年で英語教師やらないんだよ」

廉二郎は中等部二年と高等部一年の英語教師に就いた。高等部二年のイッツコーリングは廉二郎の授業は受けられない。

「なんだ、イッツも英語学びたいのか?」

「当たり前だろ。協調性ゼロの不良債権ウマ娘のアタシだけど…トレセン学園卒業後はシンガーになりたいんだ。だったら作詞とかで英語は不可欠じゃないか!」

「なら個人的に教えてあげるよ。アクアとアニー、ブリッジと同じ。トレーニングやミーティング、一時間から二時間だけ英会話にする。それだけでだいぶ違う」

「えっ、それだけでアクア先輩とアニー先輩は七ヶ国の言葉を覚えたのか?」

「ああ、そうだよ」

 

異世界ラーズも地球と同じく国ごとに言語が違う。魔王軍の動向や強力な武器確保のため情報収集は不可欠だったので、その国の言葉が理解出来なければ文字通り話にならない。仲間の四人のウマ娘たちは自国語しか話せなかったので全部勇者レンジの担当だった。その結果身に付いた言語理解と言うスキル、そして魔物や賊徒との戦闘では迅速かつ正確な作戦を瞬時に弾きだしてウマ娘たちに指示しなくてはならない。そんな戦場を数えきれないほど経験している元勇者廉二郎。これほどの実戦に裏付けされた指導が出来る者はいないだろう。地球のウマ娘にとっても廉二郎の指導は分かりやすかった。耳に優しく、肺腑に自然と染み行くような心地よさもあった。アニマアニムスがわずかな期間で日本語をマスターしたように。

 

「ブリッジを担当した時は君と同じ高等部二年からだった。でも卒業時には英語とフランス語、それと簡単なウマ娘対応の医療知識を教えたけれど、マスターして卒業したよ」

「……」

「じゃ、今日から始めるか?英会話のみの時間を」

「ああ、それでいい。それと念のため訊くけど」

「ん?」

「アンタ、あれだけピアノ弾けるんだ。もしかして作曲も出来るのか?」

「ああ、出来るけど」

音楽スキルを有している彼にとっては容易いことだった。

「アンタ…。とんでもねえ伯楽だ」

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

「お願いしますっ!氷室先生の授業を私たち三年生にも!」

中等部と高等部の三年生たちが学園側に直訴してきた。それはそうだ。

自分たちより下級生の方が英会話能力は飛びぬけて上がっている。もう英会話のみで授業を行っていると聞き、焦ると同時に羨ましくてたまらなくなった。

明らかな異常事態に頭を抱える秋川理事長、秘書のたづなに

「難解…!どういう男なのだ。あいつは」

「理事長、私たちも英会話は出来ません。彼の授業を受けてみれば何か分かるのでは…」

「ううむ、多忙のところ申し訳ないが、それしかないか…」

「それと、担当のイッツコーリングは無事にデビュー戦を突破したとのこと」

「おお、そうか。今まで育成したウマ娘たちも、そこまでは成し遂げた。これからだな」

 

その翌日のこと。理事長室で

「そういうわけで、中等部と高等部の三年生が自分たちも氷室先生から英語を教わりたいと申し出があった」

一枚の書面を見せられた。それは生徒会長のシンボリルドルフと副会長のエアグルーヴの署名まで記されている三年生たちの嘆願書だった。

「そこまでの評価をウマ娘たちにいただけるのは望外の喜びですが、正直中等部二年と高等部一年だけで手一杯で…」

「そこでだ。私とたづなに英語を教えてみてくれ。君の指導力が私たちの度肝を抜くほどであれば各教室ではなく講堂でいっぺんに授業を受けられる仕組みにする。これなら三年生たちも納得するだろう」

「分かりました。今日から放課後に一時間ほどでよいでしょうか」

「うむ、たづなもよいな」

「はい、ですが理事長、三年生たちは私と理事長が氷室先生を見極めるその時間さえ待てないかと。特に大学受験を控える高等部三年生にとって英会話能力は喉から手が出るほど欲しいものです」

「ううむ…。氷室先生、申し訳ないが現在の高等部一年と中等部二年の授業を減らして、高等部三年の授業も行ってもらいたい。その調整はたづなの方で行う。これでどうか」

「分かりました」

 

理事長室を出ると

「氷室先生」

「ルドルフ会長、どうした」

「いえ、理事長室に先生が呼ばれたと伺い、その結果が気になりまして」

「中等部三年は現状保留だけど、高等部三年は俺が教えることになったよ」

「それはよかった、生徒会として面目が立ちました」

学園内の廊下を歩く廉二郎とシンボリルドルフ

「今年の高等部三年の中で、学園卒業後にレース関係に残る子はどれほどいるんだい?」

「三割にも満ちません。だいたいレースを引退して進学か就職、いずれにせよ英会話能力は必要でしょうから」

「三割以下か…。今さらながら厳しい世界だよな…」

「ブリッジ先輩のような人は稀ですよ。トレセン学園在籍時に戦績は振るわなかったものの卒業後にフランスのレース場に属し、晩成型として開花、そして引退後は帰国して医者の道に、なんて憧れます」

「……」

「ブリッジ先輩が言っていました。それ全て氷室トレーナーのおかげだと」

「会ったことがあるのか」

「はい、私も同じ医大を目指すので、その見学に行った時に」

七冠達成のウマ娘である彼女でさえ学園卒業後はレースの世界から身を引くようだ。

「そっか、君もウマ娘専門医をなぁ…」

「ですから私も英会話能力を身に付けたいのです。ゆくゆくは海外のウマ娘専門病院に務められたらと思っていますので」

「ああ、卒業まで完全にマスター出来るよう指導させてもらうよ」

「ありがとうございます。どうかご指導ご鞭撻のほど」

いつダジャレと小難しい四字熟語を言ってくるかと思った廉二郎だったが、もしかすると目上の人には使わないのかもしれない。シンボリルドルフはそのまま廉二郎の前から立ち去った。

 

 

「不明…。たづな、これはどういう現象が我々に起こったのであろうか」

「いや、私が訊きたいです。何というか知らない間に覚えてしまったとしか…」

一週間が過ぎた。元々地頭はよい秋川理事長と駿川たづな、五日ほど続けた放課後一時間の授業だけで日常会話程度の英会話をマスター出来てしまった。

「感謝、氷室先生、心からお礼を言うぞ」

理事長に深々と頭を下げられて恐縮してしまう廉二郎

「我が母は世界中のトレセン学園発展のため働く傑物と言うのに娘の私が英会話の一つも出来ないのは悔しかった。今度母に会う時はよい報告が出来そうだ。嬉しく思うぞ」

「全くです。これからの人生、英語が出来れば、どれほど心強いか」

「普通、学年が上がるほど難解になるのが英語の授業だが、氷室先生の指導法は学年を選ばない。たづな、急ぎ全校生徒が氷室先生の授業を受けられるような仕組みを作るのだ」

「承知しました」

「うんうん、氷室先生には臨時ボーナスも出すぞ。楽しみにしておれ!」

「は、はい…」

「どうした?浮かぬ顔だが…」

「実は…」

「うん?」

「私が担当しているイッツコーリングがレースを引退したいと」

「「はぁ?」」

秋川理事長と駿川たづな、ともに唖然としている。

「もっ、申し訳ございません!期待に応えられず!」

「いやいやいやいや、頭を上げて下さい氷室先生、どういうことです?」

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

「トレーナー、アタシ、レースから引退しようと思う」

それは突然のことだった。

「……なんだって?」

「悪い、何か利用したみたいで」

「いやいやいやいや、わけを訊かせてくれ」

「私とトレーナーのセッション動画、いくつか撮影してウマチューブで配信しているじゃん?」

それは廉二郎も同意している。だが、どんな評価をされているのかは興味なかった。

「ああ、それが?」

「大手の音楽事務所にスカウトされた。まだ返事はしていないけれど」

ウマチューブの画面を見せるイッツコーリング、とんでもない再生数とチャンネル登録者数だった。国内は無論、外国からも称賛のコメントが寄せられている。廉二郎のピアノを称賛するのは一部で大半がイッツコーリングの歌唱力を大絶賛するものだ。

「痛快だったよ。いつの間にかアタシ、ウマ娘の中でトップのウマチューバーになっているし。レースじゃ絶対に敵わないのに」

最新動画はイッツコーリングが作詞作曲をしたオリジナルだ。桁違いの再生数をはじき出している。

「言ったでしょ、私はシンガーになりたいって」

「そう…だったよな」

スキル『言語理解』は世界中の言語を理解できるだけでなく、あらゆる文章のスペシャリストにもなれる能力。作詞も余裕だ。教えを請われた廉二郎はイッツコーリングに作詞作曲のやり方を教えたのだが、好きこそ物の上手なれ、真綿が水を吸収するかのように上達した。

「トレーナーのおかげで英語と作詞作曲をマスター出来た。この恩を返すため絶対GⅠウマ娘になると思ったけれど…ごめん、シンガーになれるチャンスを逃したくないんだ」

「イッツ…」

「トレセン学園も退学することになるね…。向こうは芸能科のある普通校に転入させてくれるって言っているけれど」

これは止められないと廉二郎は思った。彼女は以前から明確にシンガーを目指すと言っていたからだ。レース引退後も視野に入れてウマ娘を育成するのが廉二郎の方針である。ここは笑って見送るべきではないのかと。

「分かった。寂しいが君の夢が叶うチャンスだ。笑って見送りたいと思う」

夕暮れのターフ、二人はそこにいた。たまらずイッツコーリングは泣きながら廉二郎に深々と頭を下げた。

「ごめんなさい!期待に応えられなかったばかりか、トレーナーから知識をもらってばかりで何の御恩も返せなかった!自分勝手な振る舞いをして本当にすみませんでした!」

「謝ることはない。それにだいぶ協調性の方も矯正出来た。芸能界でも上手くやれるだろう」

「ありがとう…。腹が括れたよ。スカウトを受けると言う返事をする…。ぐすっ」

スカウトを受諾する前に、ちゃんとトレーナーである廉二郎に報告をしたイッツコーリング、以前の彼女なら順序を違えてスカウトを先に受けただろう。

 

そして話は理事長室に戻る。

「はあ…」

ため息を吐く理事長に頭を抱える駿川たづな

「これは褒めるべきか咎めるべきなのか…」

「ですが…レースの結果が残せなかったと言うのは事実です」

申し訳なさそうに理事長に伝えるたづなだった。

「そうよな…」

学園に在籍しているウマ娘が立派に巣立つのは問題ない。それには戦績の良し悪しもない。ましてや理事長も知る大手の芸能事務所からのスカウトなら喜んで送り出す状況だ。

だが新年度が始まる前に廉二郎に課した『結果を出せ』が見事に未達成になってしまったのだ。

「氷室先生」

「はい…」

「約束は約束、君をトレーナーから外す」

「…分かりました」

氷室廉二郎はトレーナーから外された。

「今後は英語教師として当学園に貢献せよ。そして改めて訊ねるが…」

「はい」

秋川理事長はタブレットPCの画面を指し

「イッツコーリングが歌う、この最新動画だが、これを彼女が作詞作曲したと言うのは本当なのか?」

「本当です」

「その作詞作曲のやりようを教えたのが君と言うのも…」

「はい、それも本当のことです」

秋川理事長は少し考え

「氷室廉二郎」

「は、はい」

「ウイニングライブの楽曲をいくつか作ってみよ。使えそうなら採用する」

「えっ、ウイニングライブの楽曲を!?」

「その通りだ。採用に足るのなら、それにも当然報酬は出す」

「わっ、分かりました!」

 

数日後、トレセン学園の校門前、キャリーバックを引くイッツコーリングがいた。

高級な車で芸能事務所から迎えに来た人物がいる。イッツコーリングのスカウトを決めた芸能プロの社長だった。一緒にいた廉二郎のことをイッツコーリングが自分の師であると紹介した。

「私は芸能事務所那由多プロで社長を務める三浦です。よろしく」

「トレセン学園で英語教師を務める氷室です。よろしく」

「出来れば…貴方のピアノも当事務所でプロデュースしたいのですが…」

さすがは芸能プロの社長を務めるだけはある。廉二郎のピアノの腕が分かっていたようだ。

「ありがとうございます。でも私はトレセン学園にこだわりたいのです」

「そう言われると思いました」

三浦はあっさり退いた。廉二郎は異世界で勇者を張っていた男、それなりに人を見極める目を持っている。

(うん、間違いなさそうだ)

三浦を見て、そう判断した。教え子を託すに足る人物だと。

「イッツ」

「うん」

「ファーストコンサートには呼んでくれ」

「もちろんだよ、特等席を用意する!」

感極まったイッツコーリングは廉二郎の胸に飛び込んだ。

「困ったことがあったら、いつでも相談しなさい。俺は君のトレーナーなのだから」

 

イッツコーリングはその後、芸能科のある普通高校に編入し、同時にシンガーとして活動開始。高校在学中に超満員の武道館デビューライブ、廉二郎も招待された。

卒業後すぐ全国ドーム&アリーナツアー、ウマチューバーとして世界一の登録者数を誇り、その並外れた歌唱力と人を魅了する楽曲、ついには全米ツアーに至り、世界の歌姫へと。イッツコーリングは人に訊かれれば、いつも『トレセン学園で出会った名伯楽のおかげ』と言い、廉二郎への感謝を忘れなかった。

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