翌未明。
「気を付けてね!」
ピジムは律儀に一緒に起きて、村の外まで見送ってくれた。それに元気に応えて、まだ肌寒さの残る中、四人は森の中へと出発する。
「まずは、罠を見て回ろう」
仕掛けた三つの罠のうち、二つは仕掛けた時と何も変わっていなかった。だが三つ目の罠を見て、四人は一様に言葉を失う。
そこには、引きちぎられたトラバサミの太い鎖の切れ端と、ぶち破られた檻の残骸が転がっていた。罠の構造はシンプルで、獲物の通りそうな道に落とし穴を掘り、そこにトラバサミを埋め込む。さらにロープを張り、獲物が暴れて触った場合、上に繋がれた
近くには規格外に大きな二股の蹄の跡がある。
「ちょっと、想定外の馬力…いえ鹿力ね」
テレザの口調も硬い。足跡の大きさから推定するとこの
「足跡はまだ新しい。罠にかかって、消耗はしているはず……急ぎましょう」
テレザはこう推測し、四人は慎重に森の奥へと続く足跡と血痕を辿る。やがて森の中に日が差し込み、気温も汗ばむほどになった頃。
「──あれね」
テレザの二十メートルほど先に、金色に輝く木の幹……いや違う。
木と見まごうばかりに太く発達した後ろ脚が見えた。そこにはトラバサミが食いついたままになっている。足を挟まれながらも、鎖を引きちぎって逃げたのだ。
カインがその威容に息をのんだ。
「すごいな……申し訳ないけど、前線はお任せしてもいいかい? 僕は何とか蔓で動きを封じられないか、やってみるよ」
「それしかなさそうね。シェラとグラシェスは、トラバサミが挟んでる足を狙って。あれだけの巨体よ、足が一本でもダメになれば動けなくなる」
「怪我したところを、狙うってことですよね……?」
「これは決闘じゃない、狩りよ。気を遣ってる余裕はないの」
気の進まなそうなシェラにそう言って、テレザは
「『
助走と共に繰り出した一撃はトラバサミが挟んだままの左後ろ脚、その丁度中ほどにヒットした。振り向くまでにもう一発入れようとして、
「危ない!」
カインの声で慌てて飛び退ると、一瞬前までテレザのいた場所を蹄が切り裂いていった。
そして肝心の拳によるダメージはというと……振り向いてテレザを睨むその眼光から、敵対視する程度には痛かったのだろう。
テレザは距離を離して敵の全体像を把握しようとするが、
「ちょっと、何よこのサイズ……!」
遠近感を失う。推定通り、体高は約三.三メートル、体長は四メートルほど。神樹のように太く立派な角を持つ大物であった。間合いを計りかねるテレザに、
「くっ……」
定石通り斜め前方に避けるわけにいかず、全力で左にダッシュする。しかし突進が当たらなかったと見るや
さらに慣性の残る下半身は空中に投げ出して華麗なドリフトターンを決め、振り向きざまに角でカチ上げてきた。
「ふっざけんな、っ!」
やけくそ気味に悪態が飛び出す。何て身体能力だ!
必死で後ろにのけ反ったものの角の尖端が籠手にぶつかり、腕が跳ね上げられた。幸い大きなダメージはなかったものの、再び突進されてはたまらない。奴が次の行動に出る前に必死で間合いを詰める。
角でカチ上げる、左右に振り回す、頭突き、懐に潜り込もうとすると踏みつけ。接近戦での攻撃パターンはこれだけだが、いかんせん攻撃範囲が尋常ではない。そのうえ巨体の欠点であるはずの鈍重さというものが全く無い。時折、軽快なステップを刻んではテレザを正面に捉えて攻撃を仕掛けてくる。
少なくとも速度は自重しろ、と紙一重で躱しながら思う。何度か、というか人間ならば五回は死んでいる程度にテレザの打撃も当たっているが、残念ながら目に見える効果はない。大型動物らしくタフネスも一級だ。
「はぁ、ハッ……」
まだ序盤の攻防だが、テレザの息が乱れる。全く信じがたい暴れっぷりだった。通常のフォレストディアならば一般人の扱う猟銃で倒すこともできるのに、こいつときたら。サイズが小さい分、この前の
テレザはチラリとカインたちの方を窺う。彼らの術式では、こいつの毛皮を貫くのは難しい。チャンスがあるとすれば、さっきも言いつけた傷への集中攻撃だが……これだけ暴れ回っているのに、狙い撃てと指示は出せない。まかり間違って
「まあ。動物相手ならこのくらいの想定外も、ね」
テレザの表情に悲愴な色はない。今打つ手がないなら、見つかるまで生き残るだけだ。とにかく、必死に攻撃を掻い潜る。
角によるカチ上げは、素早く左右に回り込めばほぼ出してこない。追いすがるように角を横振りしてくるが、これはバックステップで空振りさせ、頭を元の位置に戻す瞬間に小さく反撃。
何でも良いからとにかく攻撃を当て続ける。最初は分からなかった距離感も、左ジャブの感触を頼りに徐々に掴み始める。
そして──
「ここよっ!」
何度目か分からない角による攻撃を避け、ついに
「よし!」
援護のタイミングを窺っていたカインが快哉を叫ぶ。
「キュィア――!!」
痛撃を貰い、のけ反った
真に怒り狂った合図だ。
「今よ!」
それを見たテレザが叫ぶ。
「澄みきった清流よ。万物を削る悠久の流れを示せ――『
「貴き光よ。照りて駆け抜け、邪を貫きたまえ――『
「逞しき神樹よ。そのしなやかさを以て我が敵を阻みたまえ――『
グラシェス、シェラ、カインの詠唱が重なる。氷の棍棒がトラバサミの上から傷を打ち据えた。光の槍がさらに傷を抉り、怯んだところを太い木の蔓が捉え、その動きを封じる。
威嚇。
長い年月の中で野生動物が身に付けた、余計な戦いを防ぐ
だから野生動物の威嚇というのは、人間側にとって大きな隙だ。卑劣かもしれない。野生動物同士の掟に背くかもしれない。だがそれで、矮小な人間はここまで勝ち残ってきた。
「……! ……!!」
だが、大人しく捕まる相手ではない。
「長くは持たない!」
「もう一度――『
「『
歯を食い縛るカインを援護するように何度も何度でも、二人が傷を叩き続ける。
それでも抵抗を続ける
ここまで悟らせなかっただけで、やはり罠によって大きく消耗していたようだ。
ここが勝負の決め所。テレザは拳ではなく貫手を構え、普段にも増して炎を凝縮させる。やがて炎は普段の紅ではなく、真夏の太陽のような激しい白へと変わった。
「──『
突き出された指先は、見た目よりも小さな、だが重く腹に響く音を立てて喉元に吸い込まれた。直後、巨体が大きく痙攣し、糸の切れた人形のようにくずおれる。
「ど、どうなったんだ……?」
渾身の力で抑え込み続けていたカインはその場に座り込み、動けなくなる。グラシェスもシェラも、もう限界だ。テレザは一応
「貫手で、頸椎に直接衝撃を与えたの。死んではいないけど、しばらくは立ち上がれないわ」
「い、一歩間違えたら……」
「大丈夫よ。殴ってた手応えで、どのくらいの威力で撃てば良いかは分かってたし。それに、こいつは熊なんかと違って、生け捕りの価値が高いからね」
密猟などせずとも、こうした活動で少しずつギルドは大きくなっていく。テレザはそう付け加えると村へ戻ろうとし、カインがそれを呼び止めた。
「ま、待ってくれ」
「?」
「
「あっ」
カインの言う通り、テレザはそこを考えていなかった。討伐ならば、討伐の証として獲物の一部、この場合は角が良いだろう――を持ち帰れば良い。しかし捕獲した場合は、獲物そのものを依頼地へと持ち帰る必要がある。
「……木で荷車とか、作れない?」
「無茶言わないでくれ。もう
カインがとんでもない、と疲れた笑みを返した。彼らは真鍮級と緑青級、本来ならばこの依頼は……赤銅級が二~三名ほど欲しいか。何だかんだ、
「んー……どうしよう」
このままでは捕獲した証明ができない。が、じゃあ討伐でいいや殺そうとなるほどテレザも非情ではない。ここは普通に、村の力を借りよう。材木や岩石の運搬に使う台車でも、何でも良い。この巨体が乗りさえすれば。カインも賛同する。
「まあ、それが無難だね。……誰が取りに行く? テレザは、万が一
「じ、じゃあ、僕が荷車を」
グラシェスが珍しく立候補し、カインが頷く。
「分かった、僕とグラシェスで行こう」
「ええ、よろしく」
「気を付けてくださいね」
テレザとシェラに見送られ、二人は村へ荷車を探しに行った。
その日の夜、日もとっぷり暮れた頃。四人はようやく村へと帰ることができた。テレザ以外の三人はもう歩くだけで精一杯、テレザも一人で台車を引くという荒業を見せ、流石に疲れを隠せない。
村人は総出で
『そっち、思いっきり引っ張って!』
『おーう!』
『オイ、こっち緩んでるぞ! 気合い入れろぉ!』
『根性見せなぁ!』
村人にも手伝ってもらい、改めて横たえた
縛る作業が終わるとテレザは礼を言って全員を寝床に向かわせ、一人
「あー、しんどかった……」
とはいえそれは、テレザにも当てはまる。
軽く何か食べようと思い、火を起こして鍋に湯を沸かす。簡単に火を使えるのは
「……お、そろそろかしら」
鍋の中身は干からびた……
「あー幸せ……ふへへ……」
野宿用に焼しめられた固くて不味いパンですら、この鍋の中に漬けて頬張るとご馳走に感じてしまう。まあ今は疲労と空腹という究極の調味料も利いているが。
「……ふー」
お腹が満たされると、一気に眠気が襲ってきた。……今回は密猟者とのあれこれもあり、復帰戦にしてはハードだったと思う。体調が万全だったにも関わらず
「ま、上手くいって良かった」
横たわる
「この分なら朝まで大丈夫かな……」
テレザは目を閉じる。この後、
エレメンターズ豆知識
『ブロンドバック』
オスのフォレストディアが何らかの要因で変異した個体。神々しい黄金の毛並みと角は、その美しさと稀少性から極めて高い価値を持つ。
異常な興奮状態にあり、元が鹿だったとは思えない凶暴性を持つため狩猟は困難。また集落付近に現れた場合甚大な被害を出す場合がある。
存在自体は古くから語り継がれており、ブロンドバックを狙った狩人の一団が返り討ちに遭うまでを綴った数百年前の書物が発見されている。
それは人々を幸運へと導く美しき精霊であり、深淵へと誘う酷薄な魔物でもあった(とある古文書より)