「そこを何とか! 馬を出して!!」
鉄血都市の前、最後の宿場町ウェストランファー。テレザは「お願い!」と両手を合わせ、大声で御者を拝み倒していた。
「冗談じゃない! 『
しかし、返事は一様にノー。理由は現在の天候にあった。
近距離でも話し声がかき消されるほどの強風が吹き荒れ、砂塵が街中にまで飛んでくる。魔物対策の外壁があってもこの有様だ、外に出れば立っているのも辛いだろう。
すげなく断られたテレザはトボトボ宿屋に戻り、床で大の字に転がる。
「んも~何でー!」
ジタジタと暴れるテレザを、冷ややかな目で見る男が一人。鬣のように逆立った髪、薄茶色の瞳が勇猛な雄獅子を思わせる。
帝国での案内人、兼魔竜への最高戦力となるジークフリート。彼は天を恨むこともなく、静かに諭した。
「天候を恨んでも無駄だ。むしろ、良い休みになるだろう」
「今まで、こんなことなかったもの。愚痴りたくもなるじゃない」
「ほう、そうなのか?」
「ここまで大きいのは春だけよ」
しかし大規模な
「秋口にこんな大爆発、聞いたこともないわ」
「これも、何かが狂ってきている証というわけか」
「多分? だからこそ、とっとと帝国に行きたいんだけど……うん。流石にね」
我ながら無茶なお願いだった。テレザは今にも吹っ飛びそうに音を立てる窓へ向け、溜め息を吐く。恐らく舞い上がった砂塵で道も足跡も見えなくなる。無理に出発しても、方向感覚を失って遭難するのがオチだ。今は、嵐が収まるのを待つしかない。
「シェラ達、無事かしら」
「この嵐を見て先を急ぐようなボンクラを呼んだのか?」
「そりゃ、街にいれば良いけど。道中でかち合っちゃってないかどうか」
「……、何とかするだろう」
「その言葉は即答じゃない限り嫌な予感しかしないのよ」
床に転がったままテレザは脱力する。思い浮かべるのはテレザの無軌道を本気で案じ、必死で付いてくる健気で可憐な後輩だった。
愛らしくつぶらな群青色の瞳。絹ビロードのように柔らかく滑らかな金髪を最後に撫でたのも、もうずっと前のことに感じる。
「早く、会いたいなあ……」
最早シェラは、可愛い後輩や頼れる医療術者というだけではない。いないと何かが欠落しているような気さえするテレザであった。
一方その頃。
「ぴゃぁぁあああーーっっ!!」
荒れ地にて風に引きずられながら、シェラは叫んでいた。
「掴まれッ!」
差し出された手を、シェラは全身全霊で握り返す。痛いと怒られそうな力の込めようだったが、相手はそんな素振り一つせずシェラを自らの腕の中へ抱え込んだ。硬い甲冑に圧迫される感触すら、今は安心材料だ。彼女一人では立っていることすら到底できない風が、周囲を好き勝手吹きすさんでいる。
辺境から二人を乗せ鉄血都市に向かっていた馬車は、最悪のタイミングで
「ありがとう、ございます……!」
「馬車は、──っ! この、風ではな」
砂に顔を打たれつつ、切れ長の目をいっぱいまで細めて周囲を睨むクラレンス。が、太陽光もほぼ遮られ視界はゼロ。音も、至近距離で浅く聞こえる互いの息遣いだけ。とてもではないが誰かを探しに行ける状況ではなかった。地面に這いつくばり、小さく呟く。
「──
周囲の気流を操作し、吹き付ける強風を受け流す。影響を完全になくせるわけではないが、ひとまず話はできるようになる。
「シェラ、聞こえるか?」
「はいっ」
「分かっていると思うが、本当にまずいことになった」
「そうですね。御者さんと馬を、早く見つけないと……けほっけほっ」
「荷物もな。武器を失くせば一大事だ」
砂を喉に吸い込んでしまい、咳き込むシェラ。その背中を叩いてやりつつ、クラレンスは考える。
この風を今すぐどうにかすることは、現実的ではない。クラレンスの技量を総動員すればこの風の中でも移動はできるが、行方不明者を見つけ出すより先に体力が底を尽くだろう。一刻も早く馬車と合流し、保護したいのは山々なのだが……
「──うぉっ!」
不意に、前方から黒い塊が飛んできた。クラレンスはシェラを抱えたまま、体を全力で捻る。甲冑の肩を何かが掠め、砂地に沈み込む重い音が聞こえた。着弾点を指先で照らしたシェラが驚愕する。
「石です! こんな大きなのが飛んでくるなんて……!」
「何かで割られた跡がある。近くの採石場からだな」
強風で飛んできたのは、シェラの顔ほどもあるボタ石。これを見たクラレンスは、このままじっと風に耐えるという選択肢を消す。
「シェラ、死ぬ気で俺にしがみつけ」
「何をするんですか……?」
「
「……何を、するんですか?」
「そのままだ」
シェラは大変に困惑しつつも、言う通りクラレンスの胴回りと腰を手足でがっしりとホールドする。それを確認したクラレンスは、初めて他人のために切り札の封を解く。
「天駆ける気高き風よ。遍くを薙ぎ、打倒したまえ──『
クラレンスの体から溢れ出た
それは自然へ束の間の叛逆。逆風すら束ね、順風とする。うねりうねった気流は見る間に、人の体を舞い上げるほどの竜巻と化した。
これまでは単体への全力攻撃に使おうとしか考えられなかった。しかし
「悪いが、振り落とされても責任は取れん」
「分かってます、死んでも離しません!」
力強い答えを信じ、石が飛んできた方角へ向けてクラレンスは地を蹴った。風がその背を、足を総力で後押しする。二人は勢いよく中空へと飛び出し、そのまま
「はぁっはっ……ふぅっ」
「もうすぐなはずだ。頑張ってくれ」
シェラの呼吸が激しくなる。顔をクラレンスの胸鎧に埋める形なうえ、誇張なく全力を振り絞ってしがみついているのだから無理もない。クラレンスは時折暴風で地表を拭い、砂の壁を取っ払う。再び砂に閉ざされる一瞬に、周囲の様子を把握するのだ。
無論、
「いた……人影だ! 直行するぞ!」
一体何度、砂の壁を切り開いたか。汗だくになったクラレンスがついに見つけた。残る風を総動員し、目標へと突っ込む。
呼吸もできぬほど食いしばった歯を、少しでも緩めた瞬間に墜落するだろう。明滅し始める意識を、風の刃で叩き起こす。
「ひゅっ、フーっ……。信じてますからっ、!」
シェラから必死の励ましを受け、僅かばかり活力が戻る。彼女の言葉が決め手でカミラと立ち会ったのだ。その分の恩は、早々に返してやらねば。
「ぬっ、ぅうぉおおっ!!」
最後は喉から絞り上げるような雄叫びを上げ、クラレンスは目標とした人影の元へ軟着陸を試みる。シェラを下敷きにしないよう自身の踵から着地し、次いで臀部。背中から倒れ込むように砂地へダイブした。
「ひぃぃいいいっ! こっ今度は何だぁ!?」
「す、すまない……」
馬車の中でも聞いた、中年にしては少し高めの声でクラレンスは確信する。悲鳴の主は、彼とシェラをここまで乗せてきてくれた御者だ。馬車ごと風に引きずられつつも、何とか生き残っていたらしい。馬も、大きな怪我はなさそうに見える。
「クラレンスさん!」
シェラは馬車の中に体を突っ込み、水を取り出す。汗と砂にまみれたクラレンスの顔をローブで拭い、飲ませてやる。
幸い二人は、馬車の陰に着陸できたようだ。人心地のついたクラレンスは、消耗しきっていた御者を背負って馬車の中へと体を押し込む。長い睫毛に乗った砂粒を指で払い落とし、改めて大きく息をつく。
横倒しになった馬車は、走っていた時よりも風の抵抗を受けにくい。三人の重みも含め、そう簡単には動かなくなるはずだ。
「杖と、
「不幸中の幸いだな。俺も、荷物は無事だ」
荷物を検めるシェラに、愛槍を撫でつつクラレンスは声をかけた。
「はい! 良かっ……」
たです、とは言い切れなかったシェラ。申し訳なさそうに外に目を向ける。激しくはためく幌布の向こうでは、馬が吹きさらしになっている。あの図体では馬車の中にも入れてやれない。
「ええ、まあ。仕方がないですよ。こうして私は、馬車の中に入れていただけましたし……ハハハ」
「……そんなこと、言わないでください。何とか、やってみます」
御者のぎこちない笑い声が、その本音を何より雄弁に語っていた。御者の命だけ助かったところで、馬がダメになれば無職も同然なのだ。
シェラは意を決し、幌から顔を出す。気配に勘付いた馬と目が合った。
「大丈夫ですから。安心してください。ね?」
「ブルルッ……キュィッ!」
首を高々と上げて威嚇するその目には、まだ力が残っている。しかしひどく興奮した鼻息は荒く、ひっきりなしに砂地を蹄で掘り返している。衰弱するのも時間の問題だ。
「貴き光よ。艱難へ向かう我らに、どうか拠り所を与えたまえ──『
風に転がされた時には何もできなかったが、落ち着けた今なら。そんな風に思いながら、シェラは
物理的に堅固な防御ではないが、「安穏と浄化」という
幌の中に引っ込み、シェラは御者へ向けて両の拳を握る。
「よし。ひとまず馬も、休めると思います」
「本当ですか!? ──おぉっ! これで少し安心です。いつパニックを起こすかと、心配で仕方なかったものですから……ありがとうございます!」
御者は愛馬の様子を確かめると涙を浮かべてシェラの右手を握り、上下に振る。その喜びように笑顔で応えつつ──脳内でシェラは、自身の限界をシミュレートする。
シェラは、ぐったりと馬車の天井に身を預けているクラレンスを見やる。彼にも、まともに寝られる場所が必要だ。
「……この嵐、どのくらい続くんでしょうか」
「この規模の
二時間。持たなくはないが、今の状況下では恐ろしく長く感じられるだろう。こんな嵐に毎年毎年襲われる土地があると、シェラは想像だにしたことはなかった。
「本当に、過酷な土地なんですね」
「だからこそ厄介な依頼も多いし、金になる。それに、
「あっ……
「そうだ。この土地はどうあっても、地下に
鉄血都市でしばしば
「すまないがシェラ。状況も一段落付いたし、寝ても良いか?」
「ふぇっ? ……あ」
律義に許可を求めたクラレンスだが、シェラが頷くのを待たず寝入ってしまった。嵐に抗って飛行するほどの術式、重たいバーベルを担いだまま延々とスクワットし続けるようなものだろう。
幸い、この嵐の中では歩き回る動物も魔物も皆無。石が飛んできても、この風向きなら馬車で防げる。シェラは御者にも眠るように伝え、ゆっくり過ぎていく時間の中でウェーブした桃色の艶髪を想う。
溌溂とした声、闘志に燃える瞳が恋しい。案外と繊細な指先で髪を撫でられたのも、随分と前だ。
傷を負ってもシェラを守ろうと体を張り、真剣に問えば誤魔化さずに馬鹿正直な信念を答えてくれた。一見荒々しい山火事のようで、その実焚火のようにシェラの心に寄り添ってくれる先輩。
「今、どうされているんでしょうか……」
『んも~何でー!』
そんな尊敬すべき先輩が、宿屋の床で大の字になったりゴロゴロ転がったりしていようとは夢にも思っていないシェラであった。
エレメンターズ豆知識
『幻嵐(ファンタージュ)』
地中に存在する多量の幻素が、一斉に地表へと噴き出して起こる異常気象。火山帯では熱波、森林帯では雑草の異常繁殖など地域によってある程度の傾向はある。
鉄血都市の場合は地下に眠る幻素鉱の影響で多様な属性の幻素が混ざり合っており、幻嵐の後しばらくは景色が一変することも。