「シェラ。心配なのは分かるが、明日に響くぞ」
「ぴゃぇっ!?」
とっくに寝たはずのクラレンスから発された言葉に、ぼんやりと窓の外を眺めていたシェラの肩が跳ねた。
鉄血都市に到着したシェラとクラレンスは、
体は疲れているのに。眠りたいのに。瞼の裏に月明かりの貼り付いたような感覚が、シェラを現実に縛り付けていた。
結局夜になっても、テレザ達が鉄血都市に到着することはなかった。まあテレザ達は出発すらできていないので当然なのだが、シェラの知るところではない。テレザの育った村のことも気になる。確かに立派な建物が多く、簡単に倒壊などないとは思うが……住んでいるのは一般人ばかりなのだから。
「
「たかが風で、あの二人がどうにかなるか?」
「……」
そう言われ、シェラは言葉に窮する。テレザもジークフリートも、シェラとは比較するのもおこがましい実力者だ。都市に到着できずとも、生きているくらいはできるだろう。
「それに、そもそも宿場町を出ていない可能性もあるんだぞ」
「あっ……そう、ですね」
「王都からなら、丘越えの後ウェストランファーで休憩するはずだ。そこで
フリーランスの
頭では、クラレンスの考えが正しいとシェラも分かっている。しかし、理屈では拭い去れない不安がシェラの心を支配していた。そう悟ったクラレンスは、別方面から切り込んでみることにする。
「明日の朝から、探しに出よう。都市の人間にも声をかけてな」
「えっ……。い、良いんですか?」
「どのみち、合流しなければ事は進まない。それに鉄血都市も、
「分かりました。……ごめんなさい、ワガママ言ってしまって」
「仲間を思いやるのは良いことだ。が、自分を疎かにするなよ。今俺達にできることは、休んで次に備えることだ」
明日は早くから動くぞ。そう言い残したクラレンスはソファに長身を横たえる。シェラも窓際から離れ、柔らかい毛布にくるまる。
テレザ達を探すという能動的な目標が定まると、随分と気持ちが据わったように感じられた。暗闇の先に、シェラは感謝の念を込める。
「おやすみなさい」
「良い夢をな」
翌朝、日の出から一時間ほど。やや雲は出ているものの、崩れるまではなさそうな空の下で。
シェラとクラレンスはノエルを訪ね、テレザとジークフリートの捜索及び
「お二人とも、助かります。手が足りなくて困っていたものですから……何かあれば、この
ノエルは帰還直後から
総勢二十名ほどの捜索隊は鉄血都市周辺に散開し、馬で移動しつつ人海戦術で異変を探す。乗馬の心得がないシェラは、クラレンスの駆る馬に相乗りさせてもらう形を取っていた。
「クラレンスさん、乗馬も得意なんですね」
「得意とはとても言えんが……昔、
「じゃあ、カミラさんも?」
「あいつは上手いぞ。荒馬でも何のそのだ」
そう言いつつもクラレンスの手綱捌きは板に付いたもので、相乗りという状況ながら馬も落ち着いている。
不可解な
「……
シェラが自らの首元を締める。彼女の纏う灰色の外套は、フォレストウルフの皮革で作られたもの。軽くてしなやか、防寒性もそれなりだ。流石に寒冷地の獣には敵わないが、この辺を走る秋風には十分耐えてくれる。
湿った砂は舞い上がりこそしないが、代わりに風に重さと冷たさを与える。日差しも弱いとあって、シェラが鉄血都市で過ごしたどの日よりも体感温度は下がっていた。
「そうだな。ここまで冷えるとは、俺も思わなかった」
そう答えるクラレンスも、蒼色の鎧の上から薄茶色のフードマントをすっぽりと被っている。滑らかにたなびく毛皮は、王国東部を中心に生息する大型のネコ科、ピュアランダー。厳しい冬の颪をも遮断し、なおかつ少々の斬撃では破れない靭性も兼ね備えた逸品である。
……こうして装備類を妥協しないため、クラレンスの懐事情は少々寂しいことになっているのだが。
不気味な冷たさの中を移動することしばらく。二人の遥か後方から、小さく爆ぜるような音が届いた。シェラが咄嗟に振り返ると、赤い煙が一本、曇天へ向けて立ち上っている。さらにその周囲からは白煙が続々と上がり始めていた。
「クラレンスさん、赤い煙です!」
「急ぐぞ、しっかり掴まれ!」
クラレンスは
現場は混沌としていた。到着した二人の目に飛び込むのは巨大なサソリ型の魔物。黒光りする大顎は片方だけ中ほどが太り、歪な形になっている。一度折れた部位が再生されたのかもしれない。
「サーペンタレス……!?」
「遅かったか。──執務長!」
図鑑での知識しかないシェラが、その威容に震え上がった。クラレンスも、ここまで成熟した個体を見るのは初めてである。
捜索隊の面々は、ノエルを中心に対抗している。が、最初に
馬がパニックを起こさぬよう、戦場のやや手前でクラレンスは手綱を引っ張る。シェラを馬上に残し、ひとまずクラレンスが詳しい戦況を聞きに行く。
指揮を執るノエルは駆け寄ってきたクラレンスに気づくと、やれやれと言わんばかりに前髪をかき上げる。このサーペンタレスに、ノエルは見覚えがあった。
「とんでもないのが出てきましたよ。出てきた場所と言い、あの時と似ている」
「あの時? ──ちっ!」
「おっと」
聞き返しかけたクラレンスだが、お構いなしに分厚い鋏が振り下ろされた。頭一つ抜けた実力のノエルに加え、新手のクラレンスも警戒対象に入っている。サーペンタレスは周囲が仕掛ける波状攻撃を物ともせず、二人へ向かい大きく息を吸うように仰け反る。
「
「ご安心を。──
瞠目するクラレンスをよそに、ノエルは手早く術式を編む。大地がせり上がり、屹立した土壁が強酸の息吹を遮断した。粘着質な水音が周囲一帯に飛び散る。
「クラレンスさんが来たのは幸いです。前衛、お願いできますか」
「分かりました。まずは、目の前を片付けましょう。負傷者は?」
「軽傷が何人か。──総員、医療術者の元まで撤退を! 都市へ援軍の要請もお願いします」
ノエルは他の面々に撤退を指示し、クラレンスと二人で怪物と対峙する。