出来損ないの倅ども (旧題: 勇作は手を汚したくない)   作:だだちゃ豆

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将校たちの軍服イメージ

鶴見 肋骨服………古い戦争引きずり男
勇作(しゅじんこう) 戦時服………日露戦争の人
鯉登 三八式軍服………新しい時代の男



【13】Epilogue:猫の粥

 

 

 週末、俺は花沢家の本妻に招かれて、はじめて勇作を伴わずに師団長官舎の敷居を跨いだ。父上はまるで俺が昔からこの家の息子であったかのような顔をして、今夜は泊まっていけと勇作の部屋に俺を通した。

 勇作がいなくなったら、父上は俺に関心を向けるのではないか。愛おしく思って、あわよくば勇作の代わりに息子として遇されるのではないか。鶴見の言葉を真に受けた訳ではないが、そんなことを考えなかったといえば嘘になる。別に何も期待していない。父親の実際を見てみたいというただの好奇心である。

 だが、いざこうして花沢家の息子になってみると胸がざわついて仕方ない。あまりにもあっさりと受け入れられた事実に拍子抜けである。何かがおかしくはないだろうか。

 

「ご夫人はよろしいのですか、これで」

 

 俺が問うと、本妻は是と答えた。

 

「あの子はずっと、軍人になるのを嫌がっていましたから。きっとこの家は居心地が悪かったのでしょう。百之介さんは、本当にご自分の意思で将校を目指していらっしゃるの?」

 

「はい」

 

「どなたかのお言いつけであるとか、そういうことでもないのね?」

 

「はい。確かに母は私が将校になることを望んでおりましたが、きっと母の願いがなくとも私は同じ野望を胸に抱いたことでしょう」

 

「そう。あの人はそう望んでいたの」

 

 顰め面をしていた本妻は、そこでようやく表情を柔らかくした。

 

「良かったわ。勇作の時は主人が方々に手を回して、強引に言いくるめてね。とても可哀想だった。でもあなたは勇作と違って、どうしても将校になりたいのね」

 

 本妻が俺を見た。

 

「はい」

 

「百之介さん。どうぞくつろいでお過ごしなさいな。必要なものがあったら遠慮せずにおっしゃい。この家はあなたの家で、この部屋はあなたの部屋よ。もちろん、私のことは母と呼んでかまわないわ」

 

 思いもかけない言葉を聞かされて硬直する。逆の立場であれば、おっかあは勇作に自分を母と呼ばせただろうか。

 

 本妻は俺を部屋まで案内すると、夕食になったら下女が呼ぶからと告げた。彼女の背中を見送って、俺はしばし立ち尽くした。

 ピシリと張った衣紋(えもん)、後れ毛のないうなじ。帯は左右対称にしっかりと締められていて、当然着物の裾を引きずることもない。母の後ろ姿とは何もかもが正反対である。

 

 これが勇作の母なのだ。 

 

 慣れない洋間に一人残されて、俺は恐る恐るベッドに腰掛けた。勇作のために用意された寝台は広々として奇妙に柔らかい。

 

──私のことは母と呼んでかまわないわ

 

 控えめなほほ笑みが、初対面の頃の勇作と瓜二つであった。同じ人を母と呼べば、俺は勇作と同じになれるのか。

 

「母上」

 

 勇作の声音を真似て口に出してみた。

 

「……おっかあ」

 

 思い浮かんだのはおっかあの顔だった。

 

 

 

 寝付きの悪い夜になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勇作がいなくなってから1週間もしないうちに、俺の手元には手紙が届いた。封筒の裏には流麗な筆跡で勇作の名が綴られている。差出人の住所は記載されていない。

 あちらの住所がないということは、返事を望んでいないということだ。勇作に俺と文通する意思はない。勘当されて父母に手紙を出すことができないから、そのかわりに俺に手紙を送っているだけだろう。

 しかし何を勘違いしたのか、俺と勇作が親しいと思い込んだ将兵がしきりに声をかけてくるようになった。

 

「勇作殿はいまどちらにおられるのですか?」

 

「弟君は息災かな?」

 

「花沢中尉殿はいったいどうして軍をおやめになったのです」

 

「やはり何か思い悩んでいたのかね?」

 

「師団長閣下と花沢中尉の間に何かあったと聞いたのだが……」

 

 手のひらを返したようにすり寄ってくる者がいたと思えば、変わらず陰口を叩く者もあった。

 

「あの山猫が追い出したに違いない。ふてぶてしい」

 

「所詮は兵卒、到底勇作殿の代わりは務まらん」

 

 しかし誰も彼も、勇作の名を口にしない人はいなかった。勇作は父上に見放された、中途半端な人間であるはずだ。なのにみな、勇作の存在を惜しむ。勇作には人望があるからだ。人望があるということは、評価されていることだ。

 父上は勇作を評価しなかったのに、勇作は周囲には完璧に見えていたということか。ご立派な人間の取り繕った姿と真実の姿が違うというのはよくあることだ。

 

 だが待てよ。

 

 父上に捨てられた勇作と、多くの人に慕われる勇作と。どちらが勇作の真実の姿なのだろうか。父上と、その他大勢の人間と、どちらが正しく勇作を見ていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 思いのほか力強い音を立てながら、本妻は建水(けんすい)の上で袱紗(ふくさ)に付いた茶を払った。白魚の指はそっと釜の蓋に袱紗を被せ、今度は音を立てない繊細な仕草で釜の蓋を切った。

 それから撫でるような手つきで袱紗を捌いた本妻は、帯に袱紗をつけてからこちらを見た。

 

「勇作が家を出るのはね。これが初めてではないの。だから百之介さんが気に病むことはないのよ」

 

 思いがけない言葉を聞いて、俺は返事に窮した。急に茶室に誘われて、何かと思えば俺は本妻に気遣われていたらしい。

 俺が何も答えないのをどう思ったのか、本妻はそのまま話を続けた。

 

「あれは勇作が陸軍幼年学校の試験を受けた後の事ね。勇作は勉強が得意なのに落第してしまって、なんだかおかしいと思ったの。それで主人がよくよく調べてみたら、あの子は白紙で解答用紙を出したっていうのよ」

 

 その事実を知った父上は烈火のごとく怒り狂い、勇作と激しく口論した。数日後、勇作は家を出た。すぐに戻ってくるだろうと思っていたが、一年が経ち、二年が経っても勇作の所在はわからなかった。時折本妻宛の手紙が届くので生きていることは分かっていたが、その住所は北は秋田から南は広島まで様々である。

 ようやく居所が明らかになったのは3年目のことだった。官報に掲載された第一高等学校の合格者一覧に、花沢勇作の名があったのだ。父上は勇作を連れ戻そうとしたが、男子学生たちの結束を前に顔を会わせることすら叶わなかった。しかし本妻は数年ぶりに勇作に会うことができた。

 

「家には戻らないつもりだと言っていたわ。私はそれも、一つの人生だと思ったの。あの子は剣を振る時よりもペンを振るうときの方が楽しそうだった」

 

 しかし父上の考えは違った。(花沢家の体面を保てる限りにおいて)あらゆる手段で勇作を軍人の道に戻そうとした父上が取った手段は、勇作の稼ぎ口を潰すことだった。

 勇作は各所に金を借りながらもなんとか第二学年までを修了したが、とうとう首が回らなくなって、第三学年に進むことはできずに家に連れ戻された。

 家に戻ってからは素直に陸士に入ったが、真面目に修学する一方で真剣に婿養子先を模索していたりもしたらしい。これについてはよく覚えている。鶴見に駆り出された参戦した、花沢勇作童貞防衛作戦だ。あれはとんだ喜劇だった。

 

「きっといつか、こうなると思ったわ。今頃どこかでもう一度大学を目指しているんじゃないかしら」

 

 陸士は一高より試験が易い上に金もかからない。勇作がその気であったなら、誰の援助がなくても陸士に入って将校になることができただろう。勇作が俺の立場にあったのなら。

 畳の上の汚れた懐紙に目を落とす。誰かの陰口が小さく耳にこだました。

 

──到底勇作殿の代わりは務まらん

 

 将校になれという父上の意に反し、何としてでも陸士に入るまいと家出して中学を卒業し、高等学校に入った勇作。

 将校になるなという祖父母の意に押し負けて、陸幼を受けるどころか中学すら諦めて高等小学校に入り、陸士から遠ざかった俺。

 

──捕虜の殺害は国際法に悖ります

 

 露助の1人殺したって誰も気づきやしないし文句も言わないような状況で、それでも手を下さなかった勇作。

 祖父母と共に暮らす家で、祖母が悲傷するのを知りながら尊属殺害に手を染めた俺。

 

 同じ男を父にもちながら、勇作と俺はあまりにも違う。あんな聖人君子はまかり間違っても花沢家から放逐されるような人間ではないはずだ。父上はなぜ勇作を家から出して、代わりに俺を迎え入れたのか。もしや父上の目は曇っているのだろうか。……きっとそうだ。そう考えると辻褄が合う。

 

「ねぇ百之介さん。あなた、花沢の籍に入るおつもりはあるかしら?」

 

 花沢百之介。どうかしら?と本妻は微笑んだ。

 

 花沢百之介??なんと響きの悪い名前であろうか。

 

「幸次郎さんもね、あなたが士官学校を卒業するならって賛成してくだすったのよ」

 

 士官学校を卒業したら花沢姓を与える?将校になれば父上は俺を認めてくださるのか?そもそも父上に認められることに意味はあるのか?

 

 いいや。

 

「考えさせてください。そう簡単に尾形の姓を捨てるわけには参りませんので」

 

 この話は断ろう。目の曇った父上から認められても意味がないから。立派な将校になるために必要なのは父上の評価ではない。勇作のように、父上のように、多くの人からの人望を、()()()()評価を得ることが必要なのだ。

 

「ええそうね、ゆっくり考えて」

 

 本妻はそう言うと建水を手に水屋(みずや)に下がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事切れた父上の姿勢を正し、身なりを整えてやると、着ていた服は血まみれになっていた。

 

 懐に納めていた遺書を広げて読んでみる。

 

 うん。

 

「やはり間違っているのは父上だった」

 

 遺書をしまい直すと、俺は着替えるために部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






これでほんとに第一部完結ッ!

 わけがわからないよ、というのをフランス語で猫の粥というらしいです。
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