出来損ないの倅ども (旧題: 勇作は手を汚したくない) 作:だだちゃ豆
──・・・この前は失礼してね。すっかり浮かれてしまったの。私ばかり写真を差し上げて、なんてはしたないことをしてしまったのかしらと穴があったら入りたい思いです。
ご丁寧に送り返してくださるお手紙に、せめて貴方のお姿を収めた写真の1枚でも忍ばせてくだされば私の面目も立つというのに、お友達でいてくださるのではなかったのかしら。
それに近頃は悪い話ばかり聞こえてまいります。今度の正月はこちらにはお帰りにならないと伺いました。いつ貴方が戦場に征かれるのかと考えると、ますます貴方にお会いしたい気持ちが募るばかりです。
私のため息。私のひとりごと。私の手紙。それらのひとつひとつが、どんなに貴方を、貴方だけをお待ちしているのかを、貴方はもうご存知でしょう。
写真機越しの目配せひとつも惜しいと仰るなら、せめて一筆、お返事をくださいませ。友人としてのお言葉で結構ですわ。それすらなければ私、旭川まで貴方のご無事を確かめに参ります。どうぞご覚悟なすって。それではご機嫌よう。
少なくとも友人であるはずの乙女より
明治三十六年 十二月三日───
すげー手紙がきた。
“ご覚悟なすって”って何。まさか官舎に押しかけてくるつもりだろうか。怖。
騒ぎになったら私の評価が落ちて連隊旗手の内定取り消されるかも知れないし、そもそも温室育ちのお嬢様が東京から北海道まで無事にたどり着くことができるのかな。途中で何かあったら私のせいってことになるんですか?全然覚悟できてないんでやめてください。
雪中華があしらわれた可愛らしい便箋を折りたたみ、宛名書きしたばかりの封筒に入れる。いつもなら封をしてそのまま花枝子さんに送り返すのだが、さすがに今回は躊躇する。
これを受け取った彼女は、本気で家を飛び出して来るだろう。かと言って、出兵する直前に一度だけ返事を寄越すとか、それただの死亡フラグでは。
嫌だよ〜返事したくないよ〜。でも家出されるのも困るよ〜。
迷い続けている内に軍旗祭の準備がはじまり、軍旗祭が終わったと思えば通りには正月飾りが並んでいた。年賀状の季節が到来したのだ。
近頃の年賀状ブームは留まることをしらず、年賀状をくれる人の数は毎年右肩上がりである。母上が若い頃は年賀状なんて風習はなかったらしいが、いまや猫も杓子も年賀葉書を送りつけてくる時代だ。連隊旗手になる為に尽善尽美の極みを目指している手前、年賀状を出さないなんてことはできない。暇を見つけては年賀葉書に和歌を書きなぐる日々が始まった。
何が嫌って全部手書きなんですよこれ。しかも墨だから書き損じたらやり直し。今ほど顔の広い自分を恨んだことはない。葉書きが百通、葉書きが百一通……。まったく、“年の瀬に横たわる一大暗礁のごとく呪わしきもの”とはよく言ったものである。
そういえば兄様は休みになると姿をくらませることが多いが、年末はどう過ごすのだろうか。旭川の店は軒並みお休みだろうし、連隊で企画されているイベントにでも参加するのかしら。それとも外泊許可とって下宿に引きこもるのかな。
ふと思い立って尋ねると、兄様は嫌に真面目な表情で言った。あっ、なんか地雷踏んだな?
「特には。身内もおりませんから」
ちゃうちゃう!そう言う意味ちゃうねん!家族と過ごすかどうかなんてきいとらんし?というか目の前に身内おるやろ!
「兄様には私がおりますでしょう?」
まったく何を言っているんだ兄様は。きょとん、と首を傾げてみせると、兄様は薄く笑った。
「勇作殿は父上と正月を過ごされるのでは?」
これは絶対にハッピーじゃないタイプのスマイル。見て、隣の一等卒の顔引き攣ってるから。でも大丈夫。私は花沢勇作。圧倒的な光属性(偽)であなたの闇を吹き飛ばしてさしあげますわ。
「私はこの年末年始を兄様と過ごしたいと思っています」
こうして私は年末年始休暇を旭川で過ごすことになった。そうと決まれば、さっそく下宿を探さなくっちゃ。兄様は上等兵だし、外泊許可は簡単にとれるだろう。
はじめ私と下宿することに抵抗を見せていた兄様は、部屋に用意された置炬燵を見て気が変わったらしい。最終的には大晦日と元旦を共に過ごすことに同意してくれた。猫ちゃんかな。
嬉しくてそわそわしていると、菊田さんになにか良いことでもあったのかと聞かれた。菊田さんは士官学校時代に助教をしてくださった軍曹さんで、大変お世話になった。元は第一師団にいたのだが、私と花枝子さんのお見合い騒動をうまく収めきれずに第七師団に飛ばされた……という体で鶴見の監視をしているんだろうな、多分。
つまり中央から第七師団に送り込まれたスパイなのだが、探られて痛い腹はないので素直に答えた。
「左様ですか。尾形上等兵と」
菊田さんは眩しいものでも見るように目を眇めた。
「うん、年越しそばを食べて初詣をするんだ。それから正月遊びもしたいな」
何かおすすめはないかと訊ねると、菊田さんは独楽遊びを提案してくれた。
「喧嘩ゴマなんかはよく弟と遊んでましたね」
喧嘩ごま。1つの土俵の上でコマをぶつけ合って、相手のコマをはじき飛ばすか、最後まで回転を続けたコマを勝ちとする遊びだ。元祖ベイブレードである。
ベイブレードと違って紐の巻き方とか投げ方によっては全然回らないので、けっこう難しいらしい。紫外線の下が嫌いな私には縁遠い遊びだ。
「面白そうだけど、馴染みがないなぁ」
「何、簡単ですよ」
次の休日、菊田さんは自分の独楽を持ってきて、兵舎の裏で手本を見せてくれた。ゴツゴツした指が職人のような手つきで素早くきっちりと独楽に紐を巻いていく。菊田さんが地面に叩きつけるように独楽を投げると、独楽に巻きつけられた紐がぱっと解け、地面についた独楽はブンブンと勢いよく廻った。
「わぁ、廻った!」
ほえ〜しゅご〜い。かっこいい〜。あとコマ遊びでドヤ顔するイケオジかわいい〜〜。
「まずは投げる練習から始めましょうか」
そう言って菊田さんは紐を巻いた独楽を渡してくれた。だけど私は知ってるんだぞ。独楽廻しで一番難しくて一番重要なのは紐を巻くところなのだ。鯉登さんちの音之進くんがよちよち歩きの頃、兄の平之丞さんは音之進君に独楽の紐を巻いて渡していた。つまり私は幼児だった……?
菊田さんにじゃれつきながら独楽の練習をしていると、通りがかりの部下たちも混ざってきた。
「この独楽は博多の独楽ですから、強いのです。勇作殿、ぜひお使いください」
土井上等兵に差し出しされた独楽は、黒黒として重たそうな鉄の独楽だった。確かに強そう。
「ばかおまえ、そんな扱いづらいモン薦めるな。勇作殿、こちらの独楽は胴の鉄が薄いので廻しやすいんです。ちょっとした小技も簡単にできるんですよ」
「へえ、色々と種類があるんだね」
気づけば小隊の半数近くが集ってきた。ところでみんな、どうして当たり前のようにマイ独楽を持ってるんですか?
「上等兵にでもなればともかく、一等卒の稼ぎじゃ健全なお遊びしか出来んのですよ」
「健全な遊び。喧嘩ごまでは賭けはやらないんだね」
私の言葉に、幾人かの兵卒が目を背けた。下士官達の眼光が鋭く光る。これは後で絞られるやつ。私は気づかないふりをして、独楽遊びを続けさせた。せっかくの休日なのだ。みんな楽しいほうがいいだろう。
人数が多いので東西に別れて番勝負をしようということになったので、私は大将を辞退し行司になった。だって連隊旗手(予定)の私に黒星がつくのは縁起が良くないからね。
「よろしいのですか」
本日の主役がすっかり部下に移ってしまうことを心配しているのだろう。菊田さんが気遣わしげにこちらを見た。気にせんでええよ。私は独楽を習得するためじゃなくて菊田さんと遊ぶためにここに来たんだから。
「構わないよ。平時のうちに隊の結束を固めておかないとね。こんな時世だし」
年が明ければ、きっと日露戦争が始まる。あやふやな前世の知識によると、日露戦争の勝利は将兵の多大な犠牲の上に掴み取ったものだったらしい。果たしてはしゃぎまわる部下の内、いったい幾人が日露戦争を生き延びるのだろう。
私は来年の年の瀬を迎えることができるのだろうか。
──私、旭川まで貴方のご無事を確かめに参ります
花枝子さんの言葉が思い出された。
三菱財閥を支える金子家には男子が少ない。本家のご令嬢である花枝子さんと結婚すれば、財閥の一員となって軍を抜ける道が拓かれる。母上は私が戦争に行くのを嫌がっていらしたから、きっと喜んでくださるだろう。
けれどきっと、私と結婚した花枝子さんには辛い思いをさせることになる。だって私は彼女に子供を与えてやることができないから。
私ひとりとはいえ男子を得た母上でさえ、肩身の狭い思いをすることがある世の中だ。この時代に跡継ぎどころか子供の一人も産めない女がどんな扱いをされるのか、想像に
私のことを諦めるのが、花枝子さんの幸せだ。
分かっているのに手放せないのは、彼女の隣が心地よいからだった。新しい時代の女。やがてくる未来の女性像を体現する彼女。前世に近い価値観を持つ友人、それも親しく話せる女友達はこの時代には花枝子さんしかいない。
彼女と家族になれたなら、私の毎日はきっと明るいものになる。だけど出来損ないの私と結婚すれば、花枝子さんは不幸になるだろう。私は花枝子さんに子供を与えることも、彼女を抱くことも、真っ直ぐな恋愛感情に応えてやることすらできない。良い夫にはなれないのだ。
私は花枝子さんに返事を書くことも、手紙を送り返すこともできないまま新年を迎えた。
◯
盛り沢山な休暇はあっという間に終わった。
私は兄様を初詣や写真館や独楽遊びに付き合わせたが、あまり長い時間を外で過ごすことはできなかった。将校である私と違って、下士官ですらない兄様の休みは短いのだ。私は兄様に合わせて休暇のほとんどをがらんどうの官舎で過ごしたのだった。
小言中隊長……もとい、
日の当たらない重労働に喘ぐ炊事掛りの下士や兵卒は、私がちょっと声を掛けるだけで感激の色を見せた。これで戦場でも美味しいご飯が約束されるだろう。ちょろいもんだぜ。
ちなみに父上の家にも適当に顔を出した。ラジオもネットもSNSもない時代、新聞にない情報を知る手段は人に聞くことしかない。幸い父上は地位のある人である。父の傍らで様々な客人をもてなすことで、私は社会情勢がどのように変化しているかをほぼリアルタイムに把握することができた。
私は日露戦争が何年何月に起こったかも覚えてないので、いつ開戦するかと常にドキドキしている。前世では歴史なんてろくに勉強してこなかったのだ。
ついでにいつ花枝子さんが押しかけてくるかとドキドキしながら待っていたのだが、脅迫めいた手紙とは裏腹に、花枝子さんはついに旭川に来ることはなかった。ただ正月に一通の年賀葉書が届いたのみである。
勅題である巌上松をあしらった絵葉書には、当たり障りなく新年を寿ぐ短歌が添えられていた。
これは本気で愛想尽かされたのかな。新しいイケメンとの出会いがあったのかなぁ。ほっとしたようながっかりしたような気持ちでそわそわと過ごしていた2月5日。
なんと花枝子さんから二通目の年賀状が届いた。前と同じ絵柄の絵葉書には、違う短歌が書きつけられている。
昨日こそ 年は暮れしか 松の花
数ならねども もとな咲きつつ
こちらも消印は1月1日となっている。おそらく輸送途中でトラブルがあって届くのが遅れたのだろうが、二通ってどういうことだってばよ。
あと数にあらねど、じゃなくて数ならねども、って何なの。諦めてるんですか?諦めてないんですか?いやこれは諦めてないよな?やっぱりきちんと返事を出して、もう一度バッサリお断りしなきゃだめだよね。変に期待を持たせて尾形ママみたいになったら可愛そうだし。うん。
私は机に腰掛けて墨を摺った。花枝子さんが書いた和歌のとなり、年賀葉書の余白にそっと筆先をすべらせる。どっかで見たお断りの短歌である。
海松布なき 我が身を浦と 知らねばや
訳:マジで不毛だからやめてね
下手に短歌を自作しても気を持たせるだけだし、こんなもんでよかろう。下の句忘れたから上の句しか書いてないけど、いい感じに雑な返答感を醸し出しているんじゃなかろうか。
とっとと私以外の男と結婚してくれたら、普通にお返事するんだけどなぁ。サクッと一筆認めた私は、その翌朝に年賀葉書を花枝子さんに送り返した。
──新年に交わしたたったこれだけのやり取りが、花枝子さんとの今年最後の文通になった。
明治三十七年二月六日、日露国交断絶
同二月九日、宣戦ノ詔勅
翌々日、
津軽海峡の制海権をロシアに奪われ、北海道は長きに渡って本土との通商を断たれることになったのだ。
“花沢勇作”の墓場が、203高地が、迫っている。