出来損ないの倅ども (旧題: 勇作は手を汚したくない) 作:だだちゃ豆
突撃の声とともに、
二〇三高地の戦いはまさしく命の無駄遣いを体現したような戦場だった。陣地は取ったり取り返されたりで、以前日本兵が突撃していった散兵壕に今度は露兵が突撃をかけ、さっきまでの日本兵と同じようにバタバタと撃ち
尻込みする者、狂う者、諦める者。それらすべての生きている兵卒を奮い立たせ、再び死地に追いやる為に、指揮官先頭の原則に従って、将校は自らも最前線に立った。
「どうした、とどまる時ではないぞ!!」
鍛え上げた私の腹筋は、阿鼻叫喚の戦地にもよく通る声を響かせた。玉井伍長の分隊が私の檄を受けて顔色を明るくするのがわかる。岡田一等卒が生きて帰ったなら、二人で話す時間をとろう。なんとか空元気で乗り切っているが、まだこの戦場には順応できていないように見える。ヤメてね、ストレスで壊れちゃったりするの。ただでさえ人が足りてないんだからさぁ!!
頭の右端で部下の状態を考えながら、頭の真ん中では敵陣を観察する。並の一等卒より頭一つは背が高い私は戦場でよく目立つ。それが美麗な肋骨服を着て壮麗な軍旗を掲げているのだから、狙撃兵にとっては撃ってくれと言わんばかりに見えるだろう。私もッ!第一師団の将校と同じカーキ色の戦地服が着たかったッ!!なーにが将校は目立つのが仕事じゃあの阿呆、平時はともかく戦時にこんな服着てられっか!明日は戦時服で出陣します!!!
私は敵兵の射線を縫うように動き続けた。敵の銃撃音に耳を澄ませば、銃の種類、手入れの甘さが聞こえてくる。装填時間と弾数、射程がわかる。銃口が見えればなおはっきりと、危険地帯が判断できるのだ。
こんな真似ができるようになったのは勿論兄様のおかげ。さすが銃の神様仏様。これからも出来損ないの弟をよろしくお願いいたしますッ!アッ。
斜め前で分隊長の松坂伍長が斃れ、前線の一角に動揺が走る。あそこは確か小隊長もリタイアしてたんだな〜ッ、頑張って持ち堪えてッ!私はすかさずそこへ走り込んで声を張り上げた。
「怯むな、進めっ!」
突出しそうになる私に気づいた兵卒が条件反射のように前へ飛び出し、私の眼前に迫った白刃を弾き返した。転がる骸に足を取られないように気をつけながら、前へ、前へ、時に軍旗で銃弾を逸らしながら、戦線を押し上げるように駆けていく。こういうのは先頭の方が当たらないってターニャおじさんが言ってたからね。航空機動隊と地上の特攻を一緒にするな?うるせー!!実際あたってないからいいんです!
最前線に立つようになって、気づいたことが二つある。
一つ、白兵戦で丸腰の私を狙う露兵は少ない。誰しも刀の一つも振り回さない人間を直接手にかけるには罪悪感があるのだろう。露兵の多くは意識するとせざるとに関わらず、私を避けて私の周りにいる兵卒に刃を向けた。
二つ、だいたいの下士卒は私を守ってくれる。天皇陛下から賜った神聖な聯隊旗への畏敬か、軍で叩き込まれた将校への忠愛か、あるいは私個人への崇敬か。私に危険が迫ると、誰かが身を呈して庇ってくれる。
つまり、狙撃さえなんとかすれば前線は安全説!
連隊旗を奪おうとする露兵を軽くいなす。その露兵を戦友が打ち払う。こちらへ銃口を向ける男の額に穴が開く。兄様だ!!ハァ〜かっこよ。兄様さいこう。その調子で援護お願いします!大丈夫よ、私は最強〜〜!アナタと最強!!
◯
かくして本日も、私は生き延びた。他の連隊の旗手はみんな死んだり病院送りであるが、私は無傷。やはりこの世は兄様に愛された者が生き残る。
水筒の水に口をつけて、暮れなずむ空を見上げていると、前線の熱が少しずつ冷めていく。消灯する前に、損耗が大きかった中隊を回ろう。岡田一等卒とか、病みそうな子がいたらケアしてあげないと。
土を踏む音がしたので振り向くと、第二大隊副官の和田さんがこちらへ近づいてくる所だった。
「連日見事な働きっぷりだな。お陰で士気が高くて助かる」
「いえ、私などまだまだ未熟です」
「謙遜はよせ。私はな、正直貴様のことを案じておったのよ。だが前線に立てばあの獅子奮迅振り、なるほど薩摩隼人とはこういうことかと納得したわ」
「平素の私は、それほど頼りなく見えますか」
「む。頼りないということは………ないのだが」
すごい言い淀む〜〜。あれ、和田さんはボットン事件とか炒り豆事件のことは知らないはずですよね?
「──花沢少尉は下士卒に甘いところがあると聞いてな」
あぁ、それね。というか和田さんと私は同じ大隊に属したことがないのに、どうしてこんなに気にかけてくれるのでしょう。和田さんの上司、部下は……、あ、そうか。
「ははぁ。江川軍曹ですね」
正月に入り浸っていた(今も入り浸っている)庖廚の、炊事係の軍曹に同じことを言われたのを思い出した。たしか彼は和田さんの直属の部下だったと思う。まさか和田さんまで報告が言っているとは。和田さんが部下とパーフェクトコミュニケーションを取っているのか、江川軍曹が世話焼きなのか。
「やつを
和田さんは煙草に火をつけた。私が煙草を呑まないのは和田さんも知っているのだが、お構いなしな所に時代を感じる。副流煙って概念無いんだよなぁ。
ところでもっと明るい話題はないんですか。
「………。その話と私に、なんの関係が」
「奴は気さくな男だったのだ。安酒を手に、よく下士卒と交わっていた」
貴様のようにな、と和田さんは菊田さんが私を見るような目をして言った。そんな縁起でもない情報聞きたくなかったな〜〜。みんな私を故人に重ねすぎ問題。
大丈夫ですよ、私は和田さんが思うほど良い人ではないから部下が死んでも気にしない──
──ほど人でなしでは、ないけれど。
「無論、私は貴様のような胆力のある男が精神を病むとは思っておらんぞ。だが下士卒と個人的な交友を深めることは連隊旗手の本分ではないと心しておけ。貴様ほどではないが、奴も呑気な性格だったのだ」
いいえ和田中尉殿。私はあなたに案じていただく程の人間ではないのです。私は結局我が身が一番可愛くて、連隊ではなく私の心身を守るために前線を駆け、将兵を鼓舞し、下士卒の人心を掌握しようとしているだけなのです。私が彼らを気遣うのは、ただの打算と贖罪であって友情ではないのです。
「兄君のことで色々と気を回しているつもりかもしれんが、尾形上等兵とていい大人だ。鶴見も良く目をかけているから案ずるな」
兄様のことも、純粋にお慕いしているわけではないのです。私の代わりに手を汚してもらおうと働きかけているだけなのです。
「貴様の役目は連隊旗を守ること。そして連隊長殿を良く見てお助けし、指揮官の何たるかを学ぶのが務めなのだ」
私は指揮官になるつもりもないのです。敵を殺さずとも言い訳の立つ旗手だけを務めて、日露戦争が終わったら陸軍はやめるつもりなのです。負けが見えている第二次世界大戦に、どうして我が身を投じることができましょう。
「焦るなよ、花沢少尉」
和田さんの優しさが痛い。
「はい、中尉殿」
この戦争が早く終わって、こんな人が長生きできる世の中になればいいと思った。この人が退役するまで、次の戦争がありませんように。
◯
ここのところ、兄様のメンタルがおかしくなっているようだ。徹夜で歩哨に立ってはひとり露兵を狙撃している、と三島一等卒が教えてくれた。
気になって様子を見に行くと、二人きりで大事な話をしたいと言われた。それでノコノコついて行ったわけですよ。敵味方の死体がごろごろ転がる戦場をね。
目的地につくと、兄様はようやく振り返った。だが先程からずっと、目は合わないままだ。
「ここです」
そこには猿ぐつわをかまされたロシア人がひとり、地面に転がされていた。もしかしなくても、原作で見たあのイベントですよね?
「捕虜ですか?どうしてここに?」
兄様は私の質問に答えず、逆に質問を返してきた。
「旅順に来てから、誰か一人でもロシア兵を殺しましたか?」
キターーー!!!ここが私の分水嶺ッ!
「いいえ」
他の旗手は刀を抜いて戦っているのに、勇作殿は何故そうしないのか。問われて、私はあらかじめ用意していた答えを返した。
「これもまた、ゲン担ぎのようなものです」
「旗手であることを言い訳に、手を汚したくないのですか?」
そうです。兄様と本当に二人きりなら素直にはいって言いたいところだけど、これ確か宇佐美が聞いてるんだよね?ここは光の勇作殿を演じます。
「そう思われるのは少し、困りますね」
なんたって図星ですからね。
「ではこの男を殺してください」
兄様は我が意を得たりとばかりにハイテンション(当社比)で捕虜を振り返った。
「捕虜の殺害は禁じられています」
私が否定すると、兄様は真剣な眼差しで私に剣の柄を差し出した。
「自分は清いままこの戦争をやり過ごすおつもりか?」
そうですけど??って言いたい〜〜!宇佐美がいなければもっと腹を割って喋れるのに。
黙り込んだ私に、兄様は銃剣越しに熱視線を送った。
「勇作殿が殺すのを見てみたい」
熱のこもったこの一言が兄様の本心だと思う。どういう理屈でそうしたいと思ったのかは、きっと兄様もわかっていない。
それを解きほぐし、兄様の心を掬い上げることが攻略の要だ。やってやろうじゃないの。今から私のことはカウンセラー勇作とお呼びなさい。
「兄弟は一緒に悪さをするもの、と兄様はおっしゃいましたね。兄様は私に共犯してほしいのですか」
側にいて欲しいから、自分と同じになってほしいと、そういうことなのかな?
しかし兄様は予想外のところに食いついてきた。
「共犯?敵兵を殺すことが犯罪ですか?」
あ、そこ気になりますか?私と近づきたい願望より、戦場の殺人に抱く罪悪感のほうが気になるってことなのかしら。なんか原作でやってた罪悪感トークに近づいてきちゃったな。兄様が花沢勇作を殺害する動機って確実にあの会話から生まれたと思うから、やりたくないのよね。
「捕虜の殺害は国際法に
だから言葉の表面だけをなぞるような、薄っぺらな回答で終わらせようとしたけれど、やはり思いとどまる。今はきちんと兄様に向き合わなければ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。
私はカウンセラー勇作です。
「──ですがそうですね、共犯というのは言葉の綾です。罪の意識を共有すること。一緒に悪さをすることを指して、私は共犯という言葉を使いました」
ついに自ら罪悪感トークに足を踏み入れてしまった!だ、大丈夫だ問題ない。“父上から(兄様はどうでもいいけど)おまえ
「罪の意識……。勇作殿は、私が敵を殺すことに罪悪感を感じると思っているのですか?そんなもの……ありませんよ。みんなそうでしょう」
そこで国際法を犯すことへの罪悪感ではなく人を殺す罪悪感を持ち出すところがね。もうずっとこれで悩んでたんだなってわかります。かわいそうな兄様。
俺はみんなと同じじゃない。兄様はそれが不安だから、みんなそうでしょう、と最後につけくわえたのだと思う。兄様は、罪悪感を感じていない自分が不安なのだ。
「そうですね。ここは戦場ですから。兄様と同じように考える人は沢山いるはずです」
私は花沢勇作がそうしたように、兄様をしっかりと抱き締めた。私は花沢勇作のように涙を流すことはできなかったけれど、兄様は原作通りにされるがまま、私に抱き寄せられていた。
「世の中にはいろいろな人がいます。兄様に似ている人も、兄様に似ていない人も。だけどその事実は、兄様を否定する理由にはならないのです。兄様は何もおかしくないですよ」
兄様は無言だった。この体勢では顔も見えないし、兄様が何を思っているかもわからない。これ以上喋るのはやめよう。沈黙は金、雄弁は銀。これハンター試験(の道案内)に出るから覚えておいてね。
そのままずっと兄様を抱きしめていたら、兄様の肩の向こうの地下壕入口、真っ暗な深淵から青白い宇佐美の顔がこちらを見ていた。
怖ッ!
思わず体が跳ね、ぼうっと抱きしめられていた兄様が身じろぎをした。
「あ、すみません兄様。そこに宇佐美上等兵が」
兄様はぐいと私を押しのけて振り返った。
宇佐美上等兵は何事もなかったかのようにニコニコと地下から這い出してきた。いや怖いわ。というか宇佐美のこと途中から完全に忘れてた。
「お邪魔して申し訳ありません。では僕はこれでお暇します」
悪びれる様子もない宇佐美上等兵の姿を見送って、私は兄様の手を取った。
「私達も、戻りましょうか」
◯
二〇三高地の戦いが終わった。兄様は私を殺さなかった。とはいえ無傷というわけにもいかなくて、私は右足を負傷して後方に送られた。戦場に出なくていいって素晴らしいね。病人生活最高。神様仏様兄様ありがとう。
やがて傷が癒え(癒えてないけど)て前線に戻る頃、ちょうど旅順が陥落した。1月1日であった。
いまだかつてこんなにめでたい正月はないと、皆で祝いあった。本当にそう。私はまだ怪我が治りきっていなかったので、旅順市街で羽休めができたのはとてもとてもとても有り難かった。
一週間ほど旅順に滞在したあと、私たち第三軍はわずかばかりの兵を補充して奉天へ向かった。いまや連隊の下士卒は三分の一に減じ、ほとんどの部隊が中隊長や小隊長を欠いていたから、補充といっても焼け石に水だ。
そしてここで大問題が発生した。あまりにも中隊長や小隊長が死傷して、見習士官や補充の人員ではそれらを務める尉官、特に大尉や中尉の穴が埋められないのだ。
戦時とはいえ、いつまでも
やめて!中尉昇進で
お願い、出世しないで和田中尉!
あんたが今ここで昇進したら、
大尉はまだ数人残ってる。奉天会戦を耐えれば、戦争は終わるんだから!
次回、花沢 辞す
デュエルスタンバイッ!!