出来損ないの倅ども (旧題: 勇作は手を汚したくない)   作:だだちゃ豆

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【9】猫

 

 

 そして私は、なんとかこの戦争を生き延びた。

 

 奉天会戦の後も、戦争は半年ほど続いた。戦地で迎えた二度の正月の間に、私は前世を五回煮詰めたような濃密な日々を過ごした。

 

 相撲だ芝居だ酒盛りだと浮かれ騒ぎ、佐官も一等卒も、旧き知人とも新しき同胞とも心を通わせあった休日。打ち解けたばかりの戦友の遺体の前で、火葬代わりの読経をする黒詰襟服の僧侶。白旗を掲げて日露の陣地の中間に集い、露西亜の将校と酒を酌み交わして共に戦火を憂いた奉天の空。数週間後、銃弾尽きて首を絞め合う日露の兵士によって泥まみれになった大地。

 

 それら戦争の記憶のすべてを大陸に置き捨てて、私は内地に戻った。船旅の先に私たちを待ち構えていたのは、仰々しい凱旋門の数々と熱烈な歓迎だった。感涙と共に日本の土を踏む兵卒を慮って、私は穏やかな顔を繕って民衆の出迎えを受け入れた。しかし内心は、街々の人々の態度に苦々しい想いを抱えていた。

 何故なら私たちを熱狂的に出迎える銃後の民衆は、私が講和の成ったことに胸を撫で下ろしていた時分に、戦争継続を求めて日比谷を焼き討ちしていたのと同じ市民であったから。とはいえ戦争継続を求めた庶民にも事情はあるらしい。

 

「市井の人の気持ちもわかります。失ったものに対して、得たものはあまりに……。いえ、我々は確かに満州鉄道を得ましたけれども、まだ全てを取り返したわけではないのです。それに賠償金がないということは、恩賜の宛がないということではありませんか」

 

 頬の痩けた上原伍長は──正確には元伍長だが──そう言ってこちらを見た。上原伍長は私の部下だった。負傷して片腕が動かなくなったので、一足先に傷病兵として帰還していたのだ。戦前まで仕送りをしていた実家に、今は逆に世話になっているのだという。

 日露戦争で賠償金を得ることが叶わなかったせいか、廃兵(傷病によって兵役を外された者)への手当はほとんどない。勲功を得た者への年金の支払いすら滞る中、街には物乞いが増えていた。

 

「我々は金を得るために戦争をしたのでも、三国干渉によって奪われた領土を取り返すために戦争を始めた訳でもない。

 三国干渉によって踏みにじられた尊厳を、傲慢な干渉と列強の搾取を免れうる立場を手にするために狼煙をあげたのだ。

 そしてこの戦争で、あなたの献身によって、日本は欧米に力を示したんだ。これから先は我が国が搾取されることはなくなり、国も豊かになる。そうすればきっと、傷病兵や遺族の手当も厚くなる筈だよ」

 

 私の言葉に、上原伍長はぐっと唇を噛んだ。

 

「……それはいったいいつの話ですか。廃兵になるくらいなら潔く死んでいたほうが、一家の食い扶持が減って母も楽ができたでしょう。あなたの盾になって逝くことができた土井や中田が妬ましい」

 

「おかしなことを言うなぁ。私が今こうしてここにいるのはあなたの献身があったからこそだし、私はそんなあなたと今日もまた話ができることが嬉しいよ」

 

「勿体無いお言葉です」

 

「暮らしのことはこれから一緒に考えていこう。なに、人生はまだ半分以上も残っているのだから、きちんと手を打てば今より暮らし向きが良くなる目はあるんだよ。なにより、あなたには私がついている」

 

 上原伍長は泣きだした。私がなんとか彼を宥めていると、従卒の岡田一等卒が部屋の外から声をかけてきた。

 

「勇作殿、そろそろ」

 

「うん、時間だね。それじゃ、上原伍長。また後で手紙を書くから」

 

 私は上原伍長に軽く抱擁を送って彼の家を出た。部下達の見舞いを終えた私が旭川に戻ったのは明治三十九年の三月九日のこと。その二日後、連隊全部の復員が完結した。

 

 

 

 

 北海道の風に吹かれて、すっかり戦争の熱が冷めきった私とは正反対に、周囲はまだ日露戦争の熱に浮かされていた。偕行社の中でも、酒保のまわりでも、街へ出ても。みな盛んに戦場の話をするのが聞こえてくる。

 

「しかし、勇作殿の強運には驚かされますな。遂に敵弾の一つも掠らずに戦を終えるとは」

 

 いやかなり掠ってますよ?なんならフツーに足撃ち抜かれましたけど。

 

「鉛玉すら尻込みする勇作殿の気高さよ!」

 

 気高いのは私の肉盾になってくれた部下のみんなだと思うんですけどね。

 

「おみ足を切られてなお、連隊旗とともに戦場を駆け続けたとか」

 

 動き続けないと狙い撃ちされるから止まれなかったんだよ!

 

「軍医の反対を押して前線へ戻り、連隊長代理として指揮をふるったあの時は、実は高熱に侵されていたらしい」

 

 すごい、3つのエピソードが全部一度に起こったことになってる……!

 ちなみに前線に戻りたかったのは連隊旗手の座を他人に譲るのが嫌だったからだし、厳密には連隊の指揮とかとってない。負傷して声を出せなくなった連隊長に代わって指示を叫んでいただけである。大佐の代理を中尉が務める(4階級飛ばし)なんてあり得ないでしょ。………少尉の代理を務めた軍曹(3階級飛ばし)は沢山いたな。

 

「なんと、そんな様子は少しも」

 

 それはそう。発熱したのは戦闘が終わった後だったもの。

 

「二十歳過ぎればただの人というのも当てになりませんね。聞けば幼少のみぎりより神童の呼び声高かったと」

 

 ウッ神童……それは私が前世の知識で俺TUEEEしてイキっていた頃………黒歴史をえぐるのはやめてください。明治の英才教育のレベルが高すぎてあっという間に普通の秀才に埋没した私は、ただの人です。

 日露戦争を生き残るために、意図的に人心を掴むべく振る舞っていたのは認めよう。でも私を軍神と崇めるのはやめてほしい。この頃はいたたまれない気持ちが大きくなってきて、休日に市街地へ足を運ぶことが減った。庖厨(炊事場)まで食事を取りに行くこともやめた。偕行社にもめっきり顔を出していない。代わりに部下の遺児が住むコタンに遊びに行ったり、兄様と山野を散策したりすることが増えた。

 それでも官舎に暮らす以上、寝起きを共にする将校や、その世話をする従卒から注がれる尊敬の眼差しを断ち切ることはできなかった。こういう時、営外居住している人が羨ましくなるよね。私も意地をはらずに花沢邸に住んでいれば……それはそれで、しんどかったと思うけど。今更考えても詮無いことだ。

 

 私は依願免官の願出(ねがいで)を書き上げて、懐にしまいこんだ。

 

 日露戦争は終わっていない、という人がいる。これから先も護国のために働くのだという将兵がいる。

 だけど私にとっては、終わったことなのだ。戦争も陸軍も第七師団も、私にはもう関係ない。せっかく無事に生きて帰れたのだ。二度と戦争なんて行きたくない。この休みが終わったら、いの一番に聯隊長に辞任を宣言してやるのだ。

 

 私は日露戦争を頑張った。これ以上は頑張れません。

 

 だから金塊争奪戦(原作)が始まる前に北海道からも軍からも脱出するのだ。そのためにはまず、兄様をなんとかしないとね。後から私を殺そうとしたり、父上を殺したりしないように手を打っておかなくちゃ。兄様には、鶴見なんかに惑わされないようにきちんと親離れしてもらわないと。

 

 私は官舎を出て練兵場の方向に足を向け、三島一等卒から受け取った兄様観察日記(ねこのきもち)を取り出した。

 

 

 兄様狩りだぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お散歩中の(ねこ)様を捕獲した私は、うきうきと(ねこ)様をブラッシングしていた。間違えた、兄様の上着をブラッシングしていた。

 

「勇作殿、一体何をするおつもりなのですか」

 

 将校の居室(わたしのへや)に連れ込まれ、中尉(わたし)に従卒の真似事をされている兄様はすこし居心地が悪そうにしている。半ば諦めの境地といった雰囲気を醸しながらも逃げ出さないでいてくれる所に、これまでの努力が報われたような気がします。

 

「お気になさらず。ほら、兄様は顔を洗ってお髭を整えていてくださいね」

 

 私は身支度を整えた兄様をつれて、再び官舎を後にした。門を出て右手に進んだら、次の角を右折。そのまま真っすぐ偕行社の方面に歩いていく。

 進むにつれて兄様の足取りがだんだんと重くなり、もともと少ない口数がさらに少なくなった。最終的に兄様を引きずるようにしてたどり着いたのは、閑静な住宅地にある、でっかいおうち。

 

「これはどういうおつもりか?」

 

 警戒心丸出しでこちらを見つめる黒目がちな瞳に、私はにこりと笑いかけた。

 私の好きなもの、私が感じたこと、私が共有したいこと。兄様はそういうことには興味なさげな相槌を打つばかりだった。だけど私の話を聞いた最後に、必ず兄様が投げかける質問がある。

 

「兄様は私に会うたび、いつも同じようなことを尋ねていらっしゃいましたね」

 

 だから思ったのです、と続けようとしたところで内側から門扉が開く。女中のトラさんが私に気づいて出迎えてくれたようだ。

 

「まぁ坊っちゃん、お待ちしておりましたのよ。そちらの方は……!?」

 

 トラさんの瞳が、父上によく似た兄様のお顔と、明らかに将校服ではない兄様の軍服の間を往復した。

 

「兄様です。ここへ来るのは初めてですから、今日は私が案内します。トラさんは気を遣わなくて良いですよ。後できちんとご紹介しますね。───すみません兄様、お話の途中で。見ての通り、彼女はここの女中さんで、トラさんといいます」

 

 トラさんは慌てて頭を下げた。

 

「吉田トラと申します」

 

「……尾形百之介です」

 

 兄様は抑揚のない声で名前を告げた。無愛想!

 

「尾形様。どうぞこちらへ」

 

 トラさんがやや引きつった顔で兄様に声を掛けるが、兄様はピクリとも動かない。

 

「いえ、私は…」

 

「さぁ兄様!中へどうぞ!」

 

 私は兄様の背中を文字通り押した。力いっぱい。でも動かない。よし、膝カックンしよう。

 

「えいっ」

 

 よろめいた兄様の背中をもう一度押すと、兄様は今度こそ門の内に足を踏み入れた。私は門をピシャリと閉めた。

 

「おい!」

 

 何をする、とでも言いたげな形相で兄様が振り返る。フシャーって副音声が聞こえた。幻聴です。

 

「兄様がおっしゃったのでしょう?父上はどう過ごされているのか、父上は何をお考えなのか、父上はどんなお人なのか……」

 

 原作で兄様が鶴見の父上暗殺計画に乗ったのは、きっと今まで父上と会って話をしたことがなかったからだ。だって目の前にいるのは私なのに、兄様の質問はいつだって父上のことばかり。よほど父上に会いたかったに違いない。

 

「それで私は考えたのです。いつもいつも、そんなに父上のことが気になるなら、直接会って確かめたほうがよろしいのではないかと」

 

「父上が、私にお会いすると……?」

 

 兄様の瞳孔がかっと見開かれ、私の向こう側を見通そうとするかのようにこちらを見た。こういう時は目が合うよね。これを目が合うといっていいのかというと、少し疑問だけど。

 

「兄様には直前までお知らせすることができず、申し訳ございませんでした」

 

 きっと内心は動揺しているだろうけれど、兄様はひとまず抵抗をやめて素直に客間まで案内されてくれた。

 私が裏に回ってとりあえずのお茶の用意をしていると、私達の様子をワタワタと見守っていたトラさんが小声で問いかけてきた。

 

「だ、旦那様はご存知なのですよね?奥様にはなんとお伝えすれば……?」

 

「父上にはこれからお話します。母上は今日はお出かけでしょう?」

 

 トラさんは私の答えを聞いて顔の色をなくし、天を仰いでよろめいた。

 

「立派な将校様になって、ようやっと大人に御成りあそばしたと、トラはてっきりそう思っておりましたのに……」

 

 私は彼女の前に無言で湯呑を置いて客間へ戻った。

 

 客間では、兄様が空を見つめて思考の迷路に嵌っている。私は兄様にそっとお茶をお出しした。

 

「父上の準備ができたらお声がけしますから、もう少々お待ち下さいね」

 

 

 ようこそ、花沢ハウスへ。

 

 このお茶はサービスだから、まず飲んで落ち着いて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 日露戦争は書きたいネタが山程あるけど書き終わる気がしないので断腸の思いでカットしました。でも書きたい……。
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