異世界盗賊 ~What a wonderful world~ 作:玲寿
大広間の入り口前で、陽楽がサンマを焼いていた。丸型の七輪の上では、旬のサンマがもうもうと白い煙をあげている。
「どうだい陽楽サン!」
バロンがかけよると、しゃがみこんだまま陽楽が顔だけをあげて笑った。
「はっはっは、よく脂ののったサンマだな。よーう煙が出るわ」
大広間では、催眠にかけられた人々がうつろな目でワルツを踊り続けている。そこに向かって、陽楽は煙をうちわであおぎ送り込んだ。煙は少しずつ、広間の床へ充満していった。そこへ、バロンが広間へ飛び込んで大声で叫ぶ。
「火事だー! ヤバいよヤバいよ!」
そう、これこそがバロンが考えた『催眠を解く方法』である。七輪でサンマを焼くと言い出したときは、正直何言ってんだコイツと思ったが、確かにこの煙の量はリアルに生命の危機を感じるレベル。七輪で焼くとこんなに煙がすごいなんて、初めて知った。人間の生存本能が働くには十分な演出だ。
「……火事?」
「な、なんだこの煙は……」
「い、いやそもそもなぜ私はこんなところに……」
混乱とざわめきが広間に広がっていく。バロンの思惑どおり、人々が目を覚ましつつあった。
「いそがないと火の手が回るぞ! 出口はこっちだ、みんなついてこーい!」
ドラクロワの絵画『民衆を導く自由の女神』のごとく、バロンが全員を主導して走り出す。みんな、わけがわからないながら――いや、わけがわからないからこそ、流されるままバロンの背中を追い始めた。
「はい、こっちこっちー」
バロンはあのまま城の出入り口まで行き、ゲートを開いて、この世界から人々を逃がすつもりなのだ。
きっともうここは大丈夫だろう。なだれ込むように広間を出て行く人々の背中を見送って、ボクは次にリディアさんを探すことにした。
作戦その三――『スージーの救出』は、リディアさんが請け負っている。早くスージーの居場所を教えに行かないと。
三階まで再び舞い戻ったボクは、傀儡をさけて廊下を進むリディアさんを見つけた。
「ここだよ。スージーはこの部屋にいる」
ボクがエルザの寝室を指し示すと、「ありがと」とうなずいて、リディアさんが扉の横にぴたりと背中をつけた。小型の拳銃をその手に忍ばせ、突撃の構え。中の気配に耳をすませる姿は、プロの傭兵みたいだ。
扉を開けるのと同時に勢いよく部屋に飛び込んだリディアさんは、スージーしかいないのを確認すると拳銃をおろした。
ベッドのふちに腰かけていたスージーは、あんぐりと口を開いたまま凍りついてリディアさんを見つめている。
「ごめんね、おどろかせて」
「お、お姉さん、婦人警官だったの?」
都合よくかんちがいしてくれたスージーににっこりして、リディアさんは拳銃をしまった。
「まあそんなところかな。あなたを探しに来たのよ」
スージーの目の前に立ち、リディアさんが手を差し伸べる。
「あのね、怖がらせたくなかったし、信じないと思ったから言わなかったけれど、エルザの正体は人間じゃない。彼女は吸血鬼なの。早く逃げなければ食べられてしまう。一緒にここから出ましょう」
「吸血鬼……?」
スージーの瞳がよりいっそう大きく丸くなった。でもリディアさんの手を取ろうとしない。
「……やっぱり、人間じゃなかったんだ。何か変だとは思っていたの。エルザがチョコレートドリンク以外のものを口にしているところを見たことないし、わたしが眠っているときこっそりどこかへ抜け出しているのも知ってる」
「あら、信じてくれてよかったわ」
どこかぼんやりしているスージーの隣に、リディアさんは自然な動作で腰かけた。
「ごめんなさい、それなのに自分からここへ戻ってきたりして。……バカなことしてるのはわかってたけど、でも……」
うつむいているスージーの瞳がうるんでゆく。
「わたし、外の世界へ出るのが怖くなってしまった。ちゃんと生きていける自信がない」
かすかにしゃくりあげ、スージーは突然泣き出した。
「わたしね……前は、自分でも言えるぐらい、すっごく良い子でいられたの。親の言うことも先生の言うことも、全部納得して、聞くことができたし。人にやさしくとか、みんな平等に、とか、そういう模範的な考え方で生きてられたの」
スージーが、途切れ途切れに言葉をしぼりだす。その背中に、リディアさんがそっと手を置いた。
「それが、パパがいなくなってから、そうじゃなくなっちゃった。どんどん嫌なやつになってくの、わたし。今まで良い子でいられたのは、恵まれた環境にいたからでしかなくて、そうじゃない場所にいるわたしは、すごくみにくい人間だったの」
瞬間、ボクの中にどっと堰を切ったようにスージーの想いがあふれてきた。
幼いころ、世界はもっと美しかった。
きれいで正しいものが中心にあり、それによって世界は形づくられていた。
だが、どうだろう。大人になるほど見えてくる実態は、まったくそうではなかったのだ。澄んだものとにごったものが入り混じるカオス――。
――わたしとママをこんな目に遭わせて、絶対許さないから。
パパの死の真相を知った日、そう思った。
――パパの会社の人たちのことなんか、どーでもいい。その人たちの人生なんて、わたしの知ったことじゃない。
……葬儀に集まった人を見て、そう思った。
――わたしも、本当はあっち側の人間だったのに。
楽器が買えなかった日、株価暴落の影響を受けることがなかった昔の同級生の姿を見かけ、そう思った。
汚くてみにくくて意地悪で、自己中心で。
本当に恐ろしいと思ったものは、辛い現実そのものではない。それを目の当たりにするたびあらわになる、自分の本性だった。
「わたし……もうやだ。こんな自分を見たくない。外に出るたび、苦しくて辛い。だから逃げたかった。すべてから」
すすり泣く声だけが部屋にこだます。ボクはただ言葉を失っていたが、リディアさんは違った。彼女の肩を抱くようにして、こう言った。
「そんなの、当たり前じゃない」
ボクもスージーも驚いてリディアさんを見た。
「生きていて心に闇をもたない人間なんているわけない。だけどね、それに気がついて苦しいと思えること自体が、あなたの魂がきれいで純粋な証拠なのよ」
涙のたまった瞳で、スージーはリディアさんを見つめ続ける。
「世の中の大半の人間は、自分の闇に気がついても見てみぬフリをする……生きていくために。もっとひどければ、そもそも気がつきもしないわ。大丈夫よ、あなたはちゃんと向き合えてるじゃない」
「そ、そんな……そんなこと……!」
かぶりを振って大きく立ち上がった拍子に、スージーの洋服のポケットから何かが落ちた。
はっとしてスージーが拾い上げたそれは、例の女子トイレの扉キーホルダーだった。地面に落ちたはずみで開いた扉がパカパカと揺れている。
「これ……全然開かないと思ってた。内側から開ければよかったんだ……」
「なあに、それ」
「バロンからもらったの」
リディアさんはスージーの手元をのぞきこんで、苦虫を噛み潰したような顔した。
「バロンったら……またふざけたことして」
でもスージーはそんなことは聞いちゃいなかった。何がそんなに心に刺さったのかわからないが、目に光が差し込んでいる。
「もう一回開けるかな、わたしも……」
つぶやいたあと、それをぎゅっと握りしめ力強く言った。
「……お姉さん、わたしやっぱりここから出たい。帰りたい!」
感動的な場面なのかもしれないが、その手にあるのがトイレの扉なせいで台無しである。まあともかく、スージーが帰る気になってくれたので結果オーライ。リディアさんもチャンスと思ったのかすぐ立ち上がった。
「あっ。でも、ロザリオが……!」
「ロザリオ? ……もしかして、お母さまからもらったロザリオのこと?」
スージーがぐっと唇を引き結んでうなずく。
「眠るとき邪魔だろうからって、エルザがあずかってくれたの……この部屋のどこかにしまっていたと思う」
この寝室にあるのは、ベッドの他衣装ダンスが二つだけ。リディアさんはためらいなくタンスの引き出しを開け、中をあらため始めた。しかし、出てくるのはドレスばかり。ボクとスージーも中をのぞきこんだが、それらしきものはない。
そのときだ。
ふいに奇妙な音が響き渡った。
トン、トン、コロコロコロ…………
乾いた何かが床に落ち、転がったような音。リディアさんが辺りを見回した。ぱっと見何もない壁に手をつき探っていく。すると、わずかな溝が見つかった。よく見ると溝は四角い扉の形をしている。
「かくし扉だわ」
壁紙にかくされたくぼみを押すと、カチリと音がした。ぎぃっとわずかにきしみながら、扉が奥へと開かれる。
二人は顔を見合わせたあと、ゆっくり中へ足を踏み入れた。好奇心からボクも続く。薄暗がりの向こうで、二人がはっと息をのみ立ち止まった。
そこは倉庫だった。壁面はすべて、床から天井までが造り付けの棚になっている。異常なのは――棚のすべてに、ピカピカに磨き上げられたドクロがぎっしり並んでいることだった。
ボクらはしばらく呆気に取られて棚を見上げていた。スージーが何かに憑かれたようにふらふらと歩む。その足に何かがカツンと当たった。それは、棚から転げ落ちたひとつのドクロだった。
スージーはぞっとしたように後ずさりしたが、リディアさんはそれを拾いあげた。大切に磨きあげられた頭蓋骨――まるで真珠のように――
「ヘヴンパール……」
小さく、リディアさんがつぶやいた。
ふと、背中に殺気を感じた。ボクらがいっせいに振り返ると、そこには、逆光で黒い影になったエルザが立っていた。
「見てしまったのね」
こちらへひたひたと近づいてくるうちに、その姿がはっきりする。あちこちにまだとりもちが残っているところを見ると、強引に引きはがしてきたようだ。
スージーは震えて、リディアさんの背中にしがみついた。
無理もない。ボクだってできることなら逃げだしたい。エルザの口は大きく裂けて、腕はひょろひょろと細いうえ妙に長く、地面にまでついていた。それを引きずりながら腰を曲げて歩いてくる様子は、恐怖以外のなにものでもなかった。
孤独が生み出した怪物。そんな言葉がよぎった。
「こっちへいらっしゃいよ。ここにいれば苦しいことは何もないのよ」
大きく開いた口からキバをのぞかせて、エルザは笑った。リディアさんは再び太ももから拳銃を取り出した。
「おあいにくさま。あたしたち、そんなつもりはないの」
きっぱりとリディアさんが言うと、緊迫した空気が流れた。どちらが先に動くか。リディアさんもエルザも、すきをまったく見せず、獲物を狙う獣みたいな気配をしている。ボクはごくりと息をのんだ。
「うわっ何この部屋、気持ち悪ッ! なんぼ趣味悪ぃんずー」
シリアスな空気をぶち壊す、正直すぎる感想が響き渡った。
そんなことができるのはヤツしかいない。思ったとおり、軽い調子で入ってきたのはバロンだった。その後ろからは陽楽もやってくる。
バロンはさっとこの状況を一瞥し、言った。
「リディアちゃん、ここはまかせてスージーちゃん連れて先に出てなよ」
リディアさんはうなずき、スージーの腕を取ると、すばやくエルザの横をすり抜けて走り出した。
「逃がさない!」
手を伸ばし、追おうとするエルザの前にバロンが立ちはだかる。
「おっとそうはいかないぜ。こちとらちゃーんと君の弱点を勉強してきたんた」
そう言って、バロンがすうっと息を吸い込んだ。
そして歌い出した――もろびとこぞりて。クリスマスとかによく歌われる、あの讃美歌。シュハキマッセーリーってやつ。
のびやかな、高く透きとおった歌声が倉庫に反響する。すごくきれいな歌声だった。ボクが審査員ならゴールデンブザーを連続で押しているところである。ところが、美しい讃美歌であるほどエルザへの効き目も抜群らしい。
「ギャァアア」
この世のものとは思えない絶叫とともに、エルザが耳を塞ぎながら倒れ、床をのたうち回る。
吸血族の弱点は、讃美歌、十字架、木の杭など、いわゆる吸血鬼の弱点と呼ばれるものそのままだったのだ。
バロンが歌い終えても、エルザはまだ床に伏したまま肩で息をしていた。そのようすをながめたあと、バロンのほうを見て陽楽が言った。
「ジャイアンみたいだな」
「失敬な!」
エルザはそんな二人を憎々しげに見上げ、やっとのことで声を振り絞っている。
「あんたたちに、私の気持ちなんてわかるわけない……! 故郷を世界ごと失った、私の気持ちなんて……! この孤独はわからないでしょう!」
「自分が不幸だからといって、他人を襲っていい理由にはならん」
スパッと陽楽が言い放った。
「うーん、これはド正論。でもまあさぁ……」
バロンはしゃがみ、いわゆるヤンキー座りの体制になると、寝転がったままのエルザの顔をのぞき込んだ。
「泣いても、わめいても、いつかは少しずつ現実を受け入れて生きていくしかないよ。どれだけ外の世界を拒絶したところで、自分の内側からは決して逃れられない。……だからこんなに満たされないんだろ?」
エルザは黙り、じっとバロンの瞳を見つめた。そこへ、陽楽が二人の距離を離すように錫杖の先をすべり込ませた。
「あまり無防備に近づくと、また噛まれるぞ」
「あ、そうだった」
バロンが素直に立ち上がる。エルザは両手で顔をおおい、かすかに肩を震わせ始めた。
泣いている? いや、違う。地の底から響くような笑い声が漏れ出ている。はじめは低い振動だったそれは、少しずつ大きくなり、やがて高笑いへと変わった。
「フフフ……そうね……でも、私は絶対に認めない。こんな現実は受け入れない! またあの世界へ出ていくぐらいなら、いっそ――すべて終わらせるわ」
その瞬間、城のどこかですべてを揺るがす爆発音がとどろいた。カタカタと棚の骨が鳴り、パラパラと天井からほこりや欠片が舞い落ちる。 そのあとも、爆発する音が連続で響いてきた。
あぜん。まさか自爆を選ぶなんて、そんなのアリか?
「爆発オチなんてサイテー!」
「言うとる場合か! さっさと逃げるぞ」
バロンと陽楽はいっせいに走り出した。
部屋を出る寸前、バロンはほんのわずかに振り返り、中を見遣った。エルザは部屋の中央で、落下してくる大量のドクロに埋もれていきながら、狂ったように高笑いを続けていた。