異世界盗賊 ~What a wonderful world~ 作:玲寿
寝室を抜け、廊下を走る。
一歩先を飛ぶボクに向かって、バロンが足を止めず叫んだ。
「見物クン、先行ってリディアちゃんたちに爆発のこと伝えて! 早く城から出ろって」
「わかった」
うなずき、ボクは速度をあげた。風のように階段をすべりおり、リディアさんたちを探す。
追いついたのは、大広間の中だった。
爆発の影響はここまで届いていた。灯りは消え、テーブルの上に載せられていた皿やグラスが散乱している。
大きく振り子のように揺れ、耐えきれず落下してくるシャンデリアから身を守るため、二人はテーブルのかげにしゃがんでいた。
「リディアさん、バロンから伝言! エルザが城を爆発させたから早く出ろって」
二人のもとにかけつけて告げる。
「やっぱりエルザのしわざだったのね。道連れにしようったって、そうはいかないんだから。スージー、立てる?」
うなずくスージーの手を取り、リディアさんは走り出した。割れたガラスや陶器のかけらを踏む音が響く。こぼれた赤ワインが、床一面を真っ赤に染めていた。大広間を抜け、ガタガタと地震のように振動する廊下を全速力で走る。天井の細かい塗装の粉がはがれおちて舞っていた。
ボクらはどうにか無事に正面扉から脱出した。アプローチの段差を降り、城から距離を取る。助かった。肩で息をしながら、リディアさんとスージーが城を見あげた。
三階から二階にかけては完全に炎に包まれている。時折、大きな火の粉が窓からあがるのが見えた。
バロンと陽楽は?
ボクは不安になり、正面扉まで戻って中をのぞきこんだ。
すると、あまりにも状況にそぐわない、楽し気な笑い声がかすかに聞こえてきた。その声は徐々にこちらに近づいてくる。
「来たわね」
つぶやいたリディアさんはにっと不敵に笑っていた。その表情、バロンがよくやる笑みに似ている。もう一度ボクが城の中をのぞきこむと、爆笑しながら通路を全力疾走してくるバロンと陽楽の姿が見えた。その背後には、灰色の煙が迫っている。
「やばいやばいやばい! 煙そこまで来てるって! あはははは!」
「笑ろてる場合か! もっと早く走らんと追いつかれるぞ! はっはっは」
「陽楽サンも笑ってんじゃん!」
もうもうと立ち込める煙の速度が増してゆく。バロンと陽楽の走りもさらに加速する。
そして、二人同時、スライディングで扉をくぐり出た。そのまますばやく立ち上がり、段差を飛び降りる。と、直後に入り口から爆風がふきだした。
「あっぶねぇー、セーフ!」
笑いながら、バロンは地面に両足を投げ出した。
「まだ安心できないわよ。早く離れましょう、ここじゃあ崩れた城のかけらが飛んでくる」
「ごもっとも」
確かに、黒く焦げた城壁の残骸が爆風にのって落ちてくる。ボクらはすたこらと城から逃げた。
ここなら安全、という位置にまで移動して、ボクらはあらためて城を振り返った。フラッシュオーバーか、何度も城のあちこちで激しい爆発が起こっている。真っ赤な炎のかたまりがふくれあがっては、空に消えていった。つんと焦げたにおいが鼻をつく。永遠に闇のままの空が、赤く染まっていた。数分間、ボクらは沈黙していた。ごうごううなる音だけが耳に届く。
最初に動いたのはバロンだった。腕組みをして、こう言った。
「脱出祝いの花火だ」
花火……? 花火か、あれ……?
バロン以外の全員が、微妙な表情でしばらく無言のまま炎上する城を見つめていた。
「汚ぇ花火だ」
やがて、ぽつりと陽楽がつぶやいた。
こうして、ボクらのスージー救出作戦は幕を閉じたのだ。
レイチェルさんは一睡もせずに待ち続けていたらしい。ボクらがねじろ亭の扉を開けるなり、カウンターの席から飛び降りスージーにかけよった。
「スージー……」
唇をふるわせるレイチェルさんに、スージーはおずおずと向き直る。
「……ママ。ごめんなさい。私、ロザリオをなくしてしまった。すごく大事なものだったのに」
「ロザリオ? そんなものどうだっていいわ」
レイチェルさんはスージーを抱きしめた。スージーもしがみつくように抱きしめかえし、その耳元で言葉をふりしぼる。
「ママ、私ね、もう貴族のお嬢さんでも、進学校の優等生でもない、ただのスージー・バートリーよ。今まで持ってたものは全部なくしちゃった。それでもママは私のことを好き?」
レイチェルさんは何度もうなずいた。
「あなたさえいてくれたら、それで十分。ごめんなさいね、ママはずっと大切なことに気づけなかった」
そのとき、まるで祝福のように、レコードからwhat a wonderful world が流れ出した。ルイ・アームストロングのしゃがれた歌声が沁みる。
「ねえスージー、楽器を買ってもいいわ。ママ、あなたのこと応援するって決めたの」
その言葉に、スージーは一瞬目を丸くしたけれど、すぐほほえんで首を左右に振った。
「ううん、いいの。それはパパの命のお金だから……大事にママが持っていて。その代わり、バイトをしてもいい? 私、自分でやってみるって決めたんだ。私がママから欲しいものは、応援だけよ」
レイチェルさんがゆっくりうなずくと、スージーは花が咲くような笑顔を見せた。
母娘の仲直りを見守ったあと、ボクらはみんなでサンマを食べた。七輪で焼いたサンマはすごくおいしいということを、ボクははじめて知った。
それからスージーとレイチェルさんの世界へ戻ってみると、すっかり夜明けだった。ぶどう色だった空が、ベビーパウダーをまぶしたような水色へと変わってゆく。
レイチェルさんはお礼をさせてほしいと何度も言ったが、例によってバロンは軽い調子で「いいのいいの」と断った。なんてすばらしい人たちなんでしょう、という顔でレイチェルさんたちは去ってゆくバロンたちの後ろ姿をいつまでも見つめていたが、ボクは知っている。その懐にはエルザの城からかすめた大量の宝石が入っていることを。
アパートへ帰りラジオをつけてみれば、ちょうど朝の速報ニュース。エルザの城に囚われていた人々が、ぼんやりした記憶のまま全員帰ってきたことで、大規模な集団幻覚行方不明事件として大騒ぎになったようだ。
それを聴きながら、陽楽が言った。
「じき、異世界管理局がかぎつける。潮時だな、この世界も」
「もう目的は果たしたから十分だ。今日中にはここを引き上げよう」
くすねてきた宝石を鑑定し、取り分を決める作業をしながらバロンが答える。
そして、本当にあっという間に、彼らは部屋を片付けてしまった。家具のほとんどは備え付けで、実際の彼らの持ちものというのは、実のところほとんどなかったのだ。
夕方には部屋はガランとなり、差し込む西陽がどことなく哀愁を感じさせた。大家さんへ向けて置き手紙とお金をテーブルの上に残し、彼らはアパートを出る。バロンと陽楽はポケットや袂にしまえるほどの所持品しかない。女性ならもっと荷物が多いんじゃないかと思ったのに、リディアさんもトートバッグ一つぶんしかなかった。彼らは今も、着の身着のまま異世界を渡り歩いている。
知らぬ間に音のない雨が降っていたらしい。地面が濡れている。黒いシルエットになった建物たちのすき間からは、赤い光があふれていた。濡れたアスファルトが反射して、辺り一面、金粉をまき散らしたように輝いている。
ふいに、バロンがwhat a wonderful worldを口ずさみだした。相変わらずプロ並みの歌唱力だ。ちょっとルイ・アームストロングのものまねが入ってるけど。
「この素晴らしき世界」か……。
なぜ彼はこんなふうに歌えるんだろう。ボクはちょっと泣きそうになった。だってその歌い方には、心底、世界への愛情が詰まっているみたいだったから。
――帰りたいな。
ボクは、バロンの歌声を聴きながら心底そう思った。スージーもレイチェルさんも幸せそうだった。どんな困難に見舞われても、地に足をつけ、自分の世界をしっかり生きていく人たちをうらやましいと思った。こんなふうに、己の力では何一つ動かせず、人の世界をただ見物しているだけじゃなくて……。自分の人生を歩めることの尊さを、ボクは今いやというほど噛みしめている。
――そのとき、意識がどこかに向かって引っ張られるのを感じた。そしてすぐさま悟った。帰れる……今なら。まさかこんなに急にこのときがくるなんて思ってもみなかった。
「どうした?」
何かを察して、バロンが聞いてきた。ハッとしてボクはみんなを見回し、そして答えた。
「たぶん、帰れると思う」
バロンとリディアさんが瞳をまたたいた。陽楽は空気を読んでか無言で見守っている。ボクの気配が急速にうすれていくのを、バロンは感じ取ったらしかった。
「良かったじゃん! せばまたな、見物クン」
また会える保障なんてどこにもない。だけど、バロンに笑顔でそう言われ、ほほえむリディアさんにうなずかれると、またすぐに再会できるような気がした。
「ありがとう……本当に、ありがとう!」
あわてて叫ぶのと同時に、ボクの目の前がフラッシュした。
鼻先スレスレを、電車が高速で通過していく。
「ひっ」
心臓がバクバクなった。
『危険ですので黄色い線の内側でお待ちください……』
機械的なアナウンスが聴こえ、ボクはあわてて後ろに下がった。
いったいいつの間に、こんなに線路間際にまで進んでしまっていたのだろう。無意識のうちに、吸い寄せられるように近づいていたように思う。
朝の通勤時間帯。駅のホームは人でごった返している。
……さっきまでの体験は何だったんだ。何日も過ごした気がするのに、ここではほんの数分ぼんやりした程度らしい。白昼夢? いやそれにしてはリアルすぎる。目を閉じれば、あのブラウンアパートの街並みや、エルザの城のほこりっぽいにおいをすぐそこにあるかのように思い出せる。
そして、向こうの世界でどうしてもわからなかった自分の名前も、住所も年齢も職業も、今は当たり前のように頭の中にあった。むしろ何故思い出せなかったのかがふしぎだ。なんてことはない、ボクはごく普通の独身サラリーマンで、平凡な毎日を送り、今朝もいつもどおり会社に向かうところで、そしてほんの少しだけ――人生に疲れていただけの人間だった。
電車に揺られているあいだも、会社に着いてからも、ボクの心にはバロンたちと過ごした記憶がぐるぐるめぐり続けた。
生きることを尊いと思った体験。それが薄れてぼんやりした過去の思い出になってしまう前に、ボクは書き残しておくことにした。
で、この小説が誕生したというわけである。
あれは夢だったのか? 現実だったのか? いや、そんなことはもうどうでもいい。
――バロン、君がボクを友と言ってくれたから、君がこの世界は素晴らしいと歌うから、もう少しだけ自分の生まれたこの世界を信じて生きてみることにしたよ。ボクは”見物”しかできなかったけれど、でもあの世界で過ごしたからそう思えたんだ。
ボクはノートパソコンを閉じ、そう締めくくった。あの世界の出来事は、ボクの中で美しい思い出として結論づけられた。
が、しかし。
これだけでは終わらなかったのだ。
ボクはすぐさま、あの世界が夢ではなかったことを思い知ることになる。
通勤の途中。風呂に入っているとき。料理をしているとき。どういうわけか、ボクの意識はしょっちゅう異世界に飛んでいき、バロンたちと何度も再会するようになる。ボクは異世界に片足を突っ込みながら生きる人間となってしまったのだ。
しかし……プライベートのときはともかく、会議中に異世界に飛ばされるのは勘弁してほしい。数分とはいえ話を聞き逃し、上の空なやつ扱いされるのだから。
とんでもない体質になってしまったものだ。――だけど、悪くない。彼らの冒険を見物するのは、結構楽しいんだ。
自分の世界をしっかり生きるに越したことはないけれど、ほんの少しそれに疲れてしまったとき、ボクは彼らから勇気をもらう。
その数々の冒険譚は、いずれまた、どこかで語りたいと思う。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。