異世界盗賊 ~What a wonderful world~ 作:玲寿
白く湯気の立ち昇るバラ模様のティーカップを持ち上げて、先ほど助けた女性……レイチェルさんはコーヒーをすすった。 ほっと一息ついている。
タオルでひと通り拭きおわったボクらは、カウンター席に座らせてもらい、それぞれ注文の品が届いたところだ。ボクは黙って見てるだけの立場なのが残念だが、腹が減ることもないのでまあ良い。誰もいない席にコーヒーが出されたらめちゃくちゃ不気味だからな。これ以上レイチェルさんのメンタルを破壊するわけにはいかない。
「だいぶ落ち着いた?」
「はい……本当に、助けていただいてありがとうございました」
カチャリと音を立ててカップを置き、レイチェルさんは深々と頭を下げた。
「なーんもなんも、気にすることないよ」
ズズズ……っとうどんをすすり、バロンは言う。
まず箸を置け。こんなに憔悴した人の前でバクバク物食ってるんじゃないよ。
席につくなり、バロンはメニュー表を見ることもなく、あろうことか鍋焼きうどんを注文したのだ。あるわけねーだろと思ったら驚異の速さで出てきた。ここは回転寿司チェーン店か何かなのか?
しかも陽楽も爆弾みたいにでけーおにぎりを頬張っている。
腹減ったから夜飯もここで食うか! と言い出した二人は、買っていた食材までも店の冷蔵庫に預かってもらっている。おまえらマイペースすぎるだろ。イライザさんも断りなよ……。
ガランガランと、ドアベルが鳴った。入ってきたのはベージュのトレンチコートにハイヒール姿のリディアさんだ。バロンが連絡していたらしい。
「ハァイ、イライザ」
イライザさんに手を振ったあと、リディアさんはすぐレイチェルさんに気がついた。
「……あっ、あなたがレイチェルさん? あたし、彼らの友人のリディアと言います」
優雅なおじぎで挨拶する。それから、バロンと陽楽に目を向けつつカウンターの一席に着いた。
「あなたたち、のんきにご飯食べてる場合? ちゃんと話聞いてあげなさいよ」
「腹が減っては戦はできぬ。ご飯食べながら話せばいーじゃん」
あきれた顔をするリディアさんにも構わず、バロンはふーふーうどんを冷ましている。
「リディアちゃんも食べなよ。腹減ってるでしょ?」
「ううん、あたしはい……」
その瞬間、リディアさんのお腹の音が盛大になった。
「あ、あの、どうかわたくしに構わず食べてください」
頬を赤くしているリディアさんに、レイチェルさんが声をかける。
「アッハはHAハ!」
バロンが吹き出した。変な笑い方なのはこらえようとしてこらえられなかったせいだ。キッとリディアさんがバロンを見る。
「もうバロン、あなたはいちいちうるさいの!」
「なーんにも言ってないもんねー」
二人がそんなやり取りをしている間に、陽楽は「おかわりおくれ」と空になった皿をカウンターの上の台に出していた。そこにわんこ蕎麦ぐらい秒速で新たな爆弾おにぎりが乗る。
……
しかしこの気の置けない空気がかえってレイチェルさんの緊張をほぐしたらしい。ずっとこわばっていた表情が、ほんの少しやわらいでいる。
「あの……」
レイチェルさんがおずおず口を開くと、三人は手を止めて顔を向けた。
集まる視線に、わずかにたじろいだレイチェルさんだが、きゅっと唇を噛み締めて背筋を伸ばした。
「あなた方は何者なんです? あの霧の向こうに見えた城は? それから……ここへはどうやって入ってきたんでしょう。マーカラ通りにいたはずだと思ったんですが」
カウンターテーブルの下、膝の上に置かれたレイチェルさんの拳が震えているのがわかった。それを知ってか知らずか、バロンはおだやかな声で返す。
「わかった、全部説明するよ。でもまずはレイチェルさんの話聞いてもいいかい? さっきの男に狙われた心当たりある?」
「ええ」
レイチェルさんはわずかに目を伏せた。
レコードが回って、店内にしっとりとした歌声が流れ出す。何気なく確認すると、ジャケットにはジュリー・ロンドンの『Cry me a rive』と書いてあった。
「……ごめんなさい、その曲止めてくださる? わたくし、ジャズは苦手なんです」
ちらっと目をあげて、レイチェルさんが言った。
イライザさんが何も言わずにレコードを止める。それから、クラシックを代わりにかけた。『月の光』だ。
落ち着いたメロディーにふーっと息を吐いたあと、レイチェルさんは手持ちのハンドバッグから一部の新聞を取り出し、カウンターに広げた。
みんなで身を乗り出して、新聞の一面をのぞきこむ。
見出しには、『十五歳の少年また行方不明! これで五人目!』とあった。
レイチェルさんが乾いた唇をゆっくりと開く。
「この町で起きている、若者たちの行方不明事件、ご存知ですか。……スージーは……十四になる私の娘は、この事件の一人目の行方不明者なんです。もう一週間、なんの手がかりもありません」
新聞の行方不明者の一覧に、『スージー・バートリー』の名前があった。
苦しげに話を続けるレイチェルさんの、握りしめた手が白い。
「警察が捜索してくれているとはいえ、何もしないでいられるはずもありませんから、わたしも毎日娘を探して歩きました。それで……今日になって、ひょっとしたらあの子はマーカラ通りにいるんじゃないかと思いついて行ってみたんです。そこで信じられないものを見てしまいました。先ほども言ったとおり、霧の向こうにそびえるあの妙な城です」
語る声は徐々に震えていく。それでも、レイチェルさんはなんとか毅然と言葉をつなごうとしていた。
「急に霧が出たと思ったら……景色が変わって、あの城が見えました。あり得ないんです、マーカラ通りには長く住んでいましたから、あんな城があったなら知らないはずはありません! あれは……あれは、この世のものではないのかもしれない。しばらく呆然と立っていたら、ふと腕をつかまれて、ハッと気が付いたら真横にあの男が立っていたんです。きっと、私が見てはいけないものを見てしまったから、消そうと思ったんでしょうね。……あの子は、おかしなものにさらわれてしまったんだわ! 私の手には……いいえ、きっと警察の手にも負えない……どうすればいいの……誰に相談したところで、きっと頭のおかしくなった母親だと思うでしょう」
だんだんと語り口は早くなり、ついにレイチェルさんは耐えかねて泣きだした。顔を両手で多い、肩で大きく呼吸をしている。
リディアさんが椅子から降りてレイチェルさんのそばまで行き、白いレースのハンカチを渡した。
「泣かないで、レイチェルさん。わかったわ。あなたの娘さんはあたしたちが連れ戻してきてあげる」
ハンカチを受け取り、目元を抑えながらレイチェルさんは困惑した顔でリディアさんたちを見比べている。
「話してくれてありがとう、レイチェルさん。そんじゃ今度は俺たちが話す番だ」
バロンが白い歯を見せてニッと笑った。
「まずは……見せたほうが早いか。ちょっとこっち来てくれる?」
きょとんとした顔のレイチェルさんは丸椅子から降りると、バロンに付き従って入り口の扉の前に立った。何の変哲もない、ステンドグラスのはめ込まれたこげ茶の扉。
真鍮の丸い取っ手に手をかけると、バロンはにやっと楽しそうに笑ってレイチェルさんを見た。
「デデンデンデデン!」
なんでターミネーター……?
謎のリズムを口ずさんだあと、「衝・撃!」とバロンは扉を開く。
「え……」
目の前の光景に、レイチェルさんが目を見開いた。
扉の先は、どこまでも続く砂漠と青空。ぽつりぽつりと、鮮やかな色のテントが咲いている。遠くに逆光で黒く見えるのは、何頭ものラクダを連れて移動する隊商だろうか。
ボクは現代日本からこっちの世界へやってきたし、さらにさっきパラレル日本にも行ったからもう驚かないけど、初見の人にはあごが外れるほどの衝撃だろう。
「よし、じゃあ次」
レイチェルさんが事態を飲み込む間もなく、扉は閉められ、そして再び開かれた。
今度は、すべてが銀の金属に包まれた場所。SF映画のようにロボットが往来している。あまりにも建物が高いせいか、空は見えず、地上は人工的な光で照らされていた。
なかなか興味深い世界だ。ボクもレイチェルさんと一緒になって扉の向こうをしげしげと観察した。
扉が閉まる。また開く。
その繰り返しのたび、扉の先の世界が変わった。
オレンジが滴る夕陽の世界からはライオンの遠吠えが聞こえた。地面も家も街灯も、なにもかもがお菓子でできた世界からは、胸がいっぱいになるほど甘い香りが漂ってきた。動物が二足歩行で歩いている世界があった。
「バロン、そろそろ説明せんか」
次々と違う世界を見せるバロンに、陽楽が言う。先ほどからレイチェルさんはついていけず、真っ白になって立ち尽くしていた。
「あの……異世界とは? 今のは何……」
「そのまんま、異世界さ。世界ってのはここだけじゃない。本当は、何千、何万、現状数え切れないほどの世界が存在してる」
「何千、何万」
ぼんやりと、レイチェルさんは繰り返した。
「で、世の中にはね、その異世界を自由に行き来できる能力を持った、『異世界移動能力者』っていうのがいるんだ。それが俺たち」
「ちなみにこの喫茶店も異世界だ。仮想人工小世界、通称『バブル』といって、この喫茶店の建物自体がひとつの世界になっている。この扉が、この世界の出入り口……ゲートだ。だから霧の向こう側からやってこられた」
陽楽が喫茶店の扉を指さして言った。
そういえば、”はざま”には惑星みたくいろんな世界が浮かんでるってバロンが言ってたっけ……だから『バブル』なのかな。
「霧の向こうに見えた城がある場所も異世界だ。おそらくご息女をはじめとした若者たちはその城にいるのだろう。当然だがこの世界の警察にはどうしようもできまい。本来であればこういったことは異世界管理局という機関の案件だが……あそこはお役所仕事だ、わしらが行ったほうが早い」
「まあ……」
それだけ言うのが精一杯らしく、レイチェルさんはよろよろと椅子に戻った。文字通り頭を抱えている。しばらく考え込んでから、こめかみを抑えたままレイチェルさんは顔をあげた。
「でも、どうして? なぜ見ず知らずのわたしたちを助けてくださるんです? あなたがたは一体……」
「あー、それは」
バロンはちょっと苦い顔になった。
まさか泥棒に入るついでとは言えないもんな……。
「あ、そう! 俺たちゃ探偵、異世界探偵なんだ! 今回のことも依頼を受けて調査してたから、ちょーどよかったよかった、ぜひこの町の少年少女たちを助けねばと思ってね」
うまいこと口から出まかせ言ってるけど、柏手打ってちゃいかにも今考えた感が出るぞ。
でもレイチェルさんはそれを聞いて希望に満ち溢れた顔をした。異世界を見た衝撃で引っ込んでいた涙がまた現れて、目がうるうるしている。
まあ、レイチェルさんからしたらバロンたちの存在は地獄に仏、もしも正直に泥棒だと名乗っていたって藁にもすがる思いで助けを求めただろう。
「お願いします、みなさん。どうかあの子を……スージーを、私のところに取り戻してください」
「まかしといて」
屈託のない笑顔をするバロンは、レイチェルさんにとって太陽神みたいに見えたに違いない。この人たちはむしろ陽の光を避けて生きるタイプの職種(?)なのだが、野暮なことは言うまい。