異世界盗賊 ~What a wonderful world~ 作:玲寿
喫茶店を出ると雨足は弱まっていた。
レイチェルさんを自宅まで送ってゆくことになり、ボクらは傘をささず湿っぽい街を歩いた。にごった水たまりが靴を濡らす。大通りのほうからは、車が水滴を跳ね飛ばして走る音が時折聞こえた。
「ところで、なんで娘さんがマーカラ通りにいると思ったの?」
バロンが振り返ってたずねる。
「わたしたち、昔はマーカラ通りに住んでいたんです。だから懐かしんで戻っているのではないかと……。これでも由緒ある貴族の血筋なんですわ。数年前に起きた株価の大暴落で、今は没落してしまいましたけれど」
「ああ……証券が紙くず同然になったっていうあれか」
「ええ。あの日この町の貴族たちの運命は真っ二つに別れました。マーカラ通りは、貴族であると同時に経営者でもある人間が多くいましたから、資産の多くを証券に変えてしまっていたんです。ほとんどの家は破産し、マーカラ通りからは人がいなくなりました。あの頃のご近所さんたちがどこへ行ってしまったのか、今はもうみんな散り散りで分かりませんの」
それであの通りはゴーストタウンなのか。確かに、ボロボロではあったけれど、広い庭付きの大きな屋敷が並んでいた。
「わたしたちは家を手放し、家財道具もすべて売り払ってお金に変えました。それでも借金は残り、従業員の給料さえ払えない状態でした。でもそれは……」
レイチェルさんの声が途切れた。とても言いづらそうに呼吸を何度か繰り返し、再び口を開く。
「夫が急死したことで入った保険金で返すことができました」
震える声でレイチェルさんは続けた。みんな何も言わず、静かに耳を傾ける。
「……すべて返済し終えても、いくらかは残りました。でも彼の命のお金ですもの……そう簡単に手はつけられません。スージーの留学費用にとっておいているんです。このまま血筋を途絶えさせるわけにはいきませんわ。あの子は頭の良い子ですから、必ず家を再建させてくれる。大切なバートリー家の跡継ぎ娘を、異世界なんかに取られるわけにはまいりません」
「……レイチェルさん。娘さんは、それに賛同していたの?」
リディアさんがささやくようにたずねる。
「ええもちろんですわ。あの子が十になったとき、わたしが義母から受け継いだロザリオを渡したんです。あの子は喜んで、バートリー家を守ることを誓ってくれました。……最近は年頃ですから、ちょっと反抗期でしたけれど」
ひょっとして、娘さん、誘拐じゃなくて自ら家出したのでは……。
ボクの心に、一抹の不安が浮かんだ。
もしも家出なら、助けに行ったとして帰りたがるだろうか。昨今の異世界転移モノなんて、人生に疲れた若者が異世界で居場所を見つけ、そのまま帰らないのが定石なんだぞ。
「あんまりさあ、家名とか血筋とかにこだわらないほうがいいかもよ」
ともすればレイチェルさんが怒り出しかねないセリフだったが、バロンの言い方があまりにもさらっとして何気ないので、レイチェルさんも深くは気に留めなかったようだ。
「ええ、そうですね」
それだけ言いうなずいて、聞き流していた。
レイチェルさんを無事に送り届けたあと、ボクらはマーカラ通りへと戻ってきた。
あらためて見渡すと、元がきらびやかな通りだからこそ、見る影もなくなった今こんなに不気味に見えるのだと思える。
沈黙する屋敷にはさまれた道の真ん中で、バロンは再びゲートを発動させた。
「よいしょっと、さあいってらっしゃーい」
そう言って立ち込める霧の中へと送り出したのは、ネズミの形をした小さなロボット。
「あれ何?」
ほとんど音もたてずに走り出し、ネズミはビルの暗がりへと吸い込まれてゆく。
「追跡装置。ゲートが過去にどの異世界につながったかを知るには、はざまの世界に現れる痕跡をたどるしかねぇんだ。でもはざまの世界は、人が長い時間足を踏み入れるには面倒でね。大概、こうして追跡ロボットを使うんだ」
ボクの問いに答えながらバロンはタブレットを操作する。ネズミの行方を画面越しに追っているらしい。
「……まいねーな。やっぱり妨害されてら。通信が途切れた」
しばらく無言だったバロンが顔をあげ、肩をすくめた。
「追跡装置が妨害されるとなると、わしらが直接はざまの世界へ行って追うか……もしくは」
「向こうに俺らを招待させる」
陽楽の言葉を引き継いで、バロンはにっと笑った。
「でも、どうやって? そもそもエルザが何を基準にターゲットを選んでいるのかがわからないわよ」
「そこは今から考える。とりあえず町の子たちに聞き込みして……」
バロンが言葉を途切らせた。その視線の先に、誰かがいる。周囲の霧がすごくて、初めはわからなかったが、うっすらと髪の長い少女のシルエットが見えてきた。
少女はうつろな目で、まるで夢遊病のようにおぼつかない足取りで歩いている。しかも裸足。幽霊かと思い、ボクはびびったが、バロンは構わず声をかけた。
「おーい、君大丈夫?」
返事はない。
近づいていき、バロンがその肩をとんとん叩くと、少女はハッと夢から覚めたような表情になった。十四、十五歳ぐらいだろうか。大きな黒い瞳を不安げに泳がせて、少女は辺りを見回した。
「え? あ、あたし、どうしてこんなところに……」
「こんばんは、お嬢さん」
「こ、こんばんは……」
つくづく思うが、バロンというのは泥棒らしからぬ気さくさの持ち主だ。ちょっと童顔なところも安心感を与えるのかもしれない。天真爛漫な笑顔ひとつで、少女のこわばった肩が少しゆるむのがわかった。
「こんな夜中に女の子ひとりで来たら危ないよ。何かあった?」
バロンが尋ねると、少女は眉を八の字にして首を振った。
「わからないの……。ついさっきまで自分の部屋にいたはずなのに。あ、でもそうだ。窓辺にこれが置いてあって……」
そう言って、少女はずっと握りしめていたものを差し出した。それは一枚の真っ黒な封筒。固く握っていたのか、しわが寄っている。
「中に招待状が入っていて、それをながめていたらなんだか頭がだんだんぼーっとしてきて、気が付いたらここに」
「催眠術かねぇ。これ中見てもいいの?」
受け取ったバロンが聞くと、少女はうなずいた。
「いいけど、大丈夫?」
「平気、俺は催眠術とかかかんないタチだから」
バロンが封筒を開く。中から出てきたのは、シンプルな四角い白いカード。刻印された文字を読み上げて、バロンが首を傾げる。
「えーと何々、お城のパーティへご招待します。ぜひいらしてください。マーカラ通りで待っています……。なんだろなこりゃ。心当たりある?」
少女はかぶりを振った。
「ううん。でも、最初見たときは、あたしの友達が置いていったんじゃないかって思ったわ。あたしの友達は昔、マーカラ通りに住んでいたの。お兄さんたち、この町で起きている行方不明事件を知ってる? あたしの友達はその最初の被害者なの。だけどこれを見て、友達は誘拐やなんかじゃなくて、ひょっとしたら家出なんじゃないかって思った。家出をして、マーカラ通りの昔の自宅に潜んで、こっそりあたしにこの招待状を書いたんじゃないかって。だから警察に言ったらいいのか、それとも黙ってマーカラ通りに行ってあげたらいいのか迷って、何度も読み返して……そこから先はよく覚えてない」
バロンは招待状を裏返したり戻したりしながら、しげしげと観察している。そこへ、リディアさんが声をかけた。
「ねえ、あなたが探している友達って、スージー・バートリーのこと?」
「スージーを知ってるの?」
少女が声のトーンをあげる。
「あたしたちはスージーのお母さまに頼まれて、ここへ彼女を探しに来たの」
「そうなんだ……」
スージーのお母さま、という単語を聞いたとたん、少女はうろたえたように見えた。急に目が泳ぎ出し、声が小さくなっている。
「聞いてもいいかしら。スージーがもし家出だとしたら、その理由に思い当たることはある?」
リディアさんは少しかがんで、のぞきこむようにして聞いた。リディアさんは華奢だけれど、女性にしては割と背が高いのだ。
「……スージーのお母さんには言わないでくれる?」
「わかったわ」
「スージーとお母さん、最近すごくケンカしてたの。あたしたちのジャズバンドに入ったせいで……」
気まずそうに目線をそらしたあと、少女は再び上目遣いでリディアさんを見た。
「あたし、パトリシア。スージーとは同じクラスで、向こうからあたしたちのジャズバンドに入りたいって声をかけてくれたの。でも、バンドと言ったって、お遊戯みたいなものだった。あたしたち楽器を買うようなお金ないし……メンバーのひとりが、叔父さんから古いギターを譲ってもらったのをキッカケに、ちょっと始めてみただけだから」
言われてみると、確かにパトリシアの服装は、あまり裕福な雰囲気ではない。近くの高級街を歩いていた人たちとは明らかに違う。
「でもスージーは、元が貴族のお嬢さまだったとは思えないぐらいパワフルな子だった。楽器屋に交渉して、壊れた楽器を譲ってもらって自分たちで修復したり、廃材からドラムを作ったり、工夫をたくさん考えてくれた。その楽器じゃ、さすがにコンテストの参加は認めてはもらえなかったけど……」
レイチェルさんの話からもっとおしとやかな感じを想像していたけれど、スージーという子は案外エネルギッシュらしい。
「だけどスージー、お母さんにはずっとバンドのことを秘密にしていたみたい。バレて反対されて大げんかになってた。だからあたし、言ったの。このバンドはお遊びみたいなものなんだから、お母さんと仲悪くなってまでやることないよって。あたし、気を使ったつもりで言ったんだけど……元々スージーは、お母さんと仲が良かったのも知ってたから。でもスージーはそれを聞いたとたん、血相を変えて飛び出していっちゃった。次の日、ちゃんと話したいと思ってたのに、その晩から行方不明だって聞いたの」
そこまで言って、パトリシアは深くため息をついた。伏せた長いまつ毛の向こうで、涙がきらきら揺れている。まるでそれとシンクロするみたいに、霧の中でぼんやり光る街灯がチカチカ点滅して、ふっと消えた。
「なるほどな。それで家出か」
「まあ家出かどうかはともかくとして、この招待状、ビンゴだぜ。まさにこれが誘い出すためのエサ。スージーちゃんは、その日同じ招待状を受け取ったんだろう」
陽楽が腕を組み、バロンが手の中の封筒をひらひら振る。その頭上で、ゆっくりと霧が晴れ、明るい満月が顔を出した。
「さて、ついにゲートが繋がったな。招待状のにおいを嗅ぎつけて、向こうからやってきてくれたらしい」
バロンがにやりと笑うその背後、乾いた野原の先に、青い月明かりに照らされた古城が静かにそびえたっている。
くすぶった灰色のレンガを積みあげて造られた、三角屋根の塔が五本。それをつなぐ回廊。小窓からはまぶしい灯りが漏れ、かすかに音楽も聴こえてくる。
ボクにももうわかる。ここから一歩踏み込めば、そこは異世界だ。
パトリシアは一言も発することができないまま、こぼれおちそうなほど大きく目を見開いてバロンの先にある城を見つめている。
「君は運が良かったね。今夜のターゲットになるのをまぬがれた」
風に吹かれた銀髪が月明かりに透けて、闇夜の中でブルーアイが反射で輝くと、バロンの姿もどこかミステリアスに見えた。普段のへらへらしたようすを知っているボクですらそう思ったんだから、この子はなおさらぞくっとしたことだろう。ごくりと喉を鳴らしてからやっとのことで声を振り絞り、城を指差した。
「あ、あの城に、スージーがいるの?」
「絶対とはいえんがな」
陽楽の言葉に、パトリシアの瞳が揺れる。
「た……助けに行かなくちゃ」
声を震わせるパトリシアに、リディアさんが歩み寄った。
「危ないから、あなたは来ちゃダメ。スージーはあたしたちが連れ戻すから大丈夫よ」
「じゃあ、せめて警察に言わないと」
「あのお城は普通じゃない場所にあるのよ。もう気づいているでしょうけど、あなたが警察にいって戻ってくるころには、城はここから消えてるわ」
リディアさんがかぶりを振る。
「ここは俺らにまかしときな。君は何も見なかったことにして帰ったほうがいい。今ならまだ、元の世界に繋がってるから、このまままっすぐ行けば戻れるさ」
そう言われたパトリシアは、ぎゅっと唇を噛みしめたあと、「気をつけて」と小さくつぶやいた。そうして、心残りを振り払うかのごとくきびすを返し、元の世界につながる霧の中へ走り去っていった。
その背中を見届けたボクらは、改めて城に向き直る。
「よし、行くか!」
こんなときでもバロンの声はどこか楽しげだった。