異世界盗賊 ~What a wonderful world~ 作:玲寿
元来た道を戻り、今度は階段を三階ぶん上る。驚いたことに、二階のすさんだ雰囲気と違って、三階はきれいに整えられていた。
廊下はきれいに掃かれているし、石の壁の上からちゃんと真新しい壁紙が貼ってある。シャンデリアにもほこりはない。ここがエルザの居住スペースなのかもしれない。
廊下を歩いていると、わずかに開いたドアのすきまから細く明かりが漏れているのを見つけた。楽しそうに談笑する声も聞こえてくる。ボクは近づいて、すきまから中をこっそりのぞいてみた。
いる。豪華なベルベットのソファに、バロンとエルザが二人並んで座っている。
「あなたが来てくれて、本当にうれしい。だって、ここに来る人はみんなたどり着くなりすぐ帰りたがるんだもの。あなたはずーっとここにいてね」
エルザがにっこりとバロンにほほえみかける。
「そうだね、まあ楽しかったらね」
バロンは笑顔でテキトーにあしらっているようである。
「大丈夫よ、絶対楽しいから。そうだ、あなたに紹介しなくちゃ。私の親友を連れてくるわね」
そう言って立ち上がり、エルザは隣の部屋へ呼びかけた。
「スージー! 来てちょうだい」
ハッとして、ボクは扉に注目した。そこから現れたのは、はしばみ色の髪をおさげにした小柄な少女だった。レイチェルさんに少し似ている。
「どうしたの? エルザ」
スージーは茶色の瞳をまたたいて、エルザと、その後ろにいるバロンを見比べた。
「新しい友達が来たのよ。あ、そうだ、あなたのぶんもホットチョコレートを持ってくるわね。二人でお話ししていて」
エルザははずむ足取りで部屋を出ていく。残されたスージーは、なんともいえない表情でバロンを見た。あれだ。友達の友達と二人きりになったときの気まずさだ。
「君がスージーちゃん?」
「え、ええ……あなたは?」
「俺はバロン。よろしくね」
バロンのコミュニケーション能力の前では、気まずいという単語は存在しないらしい。さりげない動作で握手してくるバロンに、スージーはホッと表情をやわらげた。
「バロン……”男爵”ってこと?」
「いいや、俺の名前の由来はもっとずーっと古い言葉。”自由”って意味さ」
「自由……いい名前ね」
にこっとして、スージーはバロンの隣に腰かけた。
「ありがと。君の名前もステキだよ。お母さんがつけてくれたの?」
「……ええ、まあ」
うつむいたスージーに、バロンが小声でそっと言う。
「お母さん、心配してたぜ」
スージーは息をのみ、目を見開いてバロンを見あげた。
「お母さんを知っているの? あ、もしかして、お母さんに頼まれて探しに来てくれたの?」
「そうだよ。でも、どうやら君は誘拐されてここへ来たわけじゃないみたいだね」
「……そう。私、自分でここへ来たの。ふしぎな招待状を見つけて……。バロンには悪いけど、私帰れない。お母さんにどんな顔をして会えばいいかわからないもの」
スージーは口を閉ざしてしまい、沈黙が流れた。少し待ってから、バロンのほうから口を開いた。
「スージーちゃんはジャズが好きなんだって? 俺も好きだよ、ジャズ」
「本当?」
「うん。聴くのもいいけど、演奏すんのも楽しいよね。即興でいろいろアレンジできるからさ」
それを聞くと、スージーは身を乗り出した。
「そうなの! ジャズは完璧じゃなくていいの、それがすてきなの! メロディーをわざとずらしたり、テンポを変えたり、自由自在に楽しんでいいんだ……私、ジャズ大好き!」
語るスージーの目はきらきらしていた。ところが、すぐさま顔がくもり、またうつむいてしまった。
「……でも、お母さんは反対してる。ジャズなんて酒場の音楽で、貴族がたしなむものじゃないって」
くちびるを噛みしめる姿からは、憤りがにじみでている。そんな彼女に、バロンはポケットから何かを取り出して渡した。
「スージーちゃんにこれをあげよう。プレゼント」
「これ、何?」
「心の扉」
渡したのは、ガチャポンで手に入れた、あの女子トイレドアのキーホルダーだった。バロンよ、おまえ、単に自分がいらないもんを押しつけたんじゃなかろうな。
「ふーん、変わったデザインね……。ありがとう」
首をかしげながらも、スージーはそれを受け取った。それから、バロンが再び話題を変える。
「でもさ、お母さんのことが嫌いってわけじゃないんだろ? これ以上事が大きくなる前に、一度帰ってみたら? このまま一生帰らないってわけにもいかないだろうし。今なら俺が家まで送ってあげられるよ」
スージーは少し考え、やがて肩の力を抜いてうなずいた。
「……そうね。確かに、一生帰らないわけにはいかないものね。気にはなっていたんだけれど、引っ込みがつかなくなっちゃって……この機会に終わりにしたほうがいいのかも」
そこへ、チョコレートの香りがただようポットと、ティーカップをのせた銀のおぼんを手に、エルザが戻ってきた。
「お待たせ、二人とも」
「エルザ……あのね、ちょっといいかな」
スージーは緊張した面持ちで立ち上がった。嫌な予感でもしたのか、エルザの顔から笑みが消える。
「……どうしたの?」
「私、やっぱり一度家に帰ってみようと思う」
その瞬間、エルザの手からおぼんがすべりおちた。派手な音を立ててポットが転がり、中から湯気を立ててチョコレートがあふれ出す。
「わっ、エルザ大丈夫?」
スージーがかけより、割れてしまったティーカップの破片を拾おうとした。けれどもエルザは棒立ちになったまま動かない。
「どうして、急にそんなこと言うの?」
「ごめん。だけど、いつまでもエルザに甘えたままじゃ悪いし」
「そんなことない。私は気にしてない。ずっと一緒にいてくれるっていったじゃない。あれは嘘なの?」
エルザの剣幕に、スージーはたじろいだ。
「嘘をついたつもりはないの、またすぐ遊びにくるから」
「……スージー、少しだけ向こうへ行っててくれる?」
「え、でも……」
「お願い」
有無をいわせぬ口調に、スージーは困惑しながらも部屋を出ていく。バタンと音を立てて扉が閉まるのと同時に、エルザはすごい形相でバロンをにらみつけた。
「何を吹き込んだの? スージーは家に帰るなんて今まで一度も言わなかったのに。ずっとこのまま私と一緒にいてくれる約束だったのに。あなた、なんなの?」
「君こそ、何者?」
バロンがゆっくりとソファから立ち上がる。
「こんなにゆがんだ世界を創って、閉じこもって、いったい何が目的だ?」
それには答えず、エルザはバロンをにらみ続けた。人形のように整った顔はゆがみ、目がぎらぎらと光っている。ボクはぞっとして、扉のすきまでごくりと息をのんだ。
「あなた……もしかして、異世界の人間?」
ざわっと空気が変わったようだった。突如、強い風が吹いて窓が大きく開いた。うすいレースのカーテンが部屋いっぱいにふくれあがる。シャンデリアの灯りが消え、辺りは闇に包まれた。室内より、月明かりに照らされる外の景色のほうがハッキリと見える。
そのときになって、ボクはようやくこの世界の異様さに気がついた。これほど風が吹いているのにも関わらず雲は停止したまま。絵に描いたもののように、ぴたりと動かないのだ。
ふっとエルザの姿が消えた。
そして、四つん這いの獣みたいなシルエットが部屋の中を走り回り始めた。二つの大きな目だけが光ってみえる。闇をまとった真っ黒な獣は、どんどん速さを増しながら飛び回っている。壁を蹴り、天井にはりつき、タンスを蹴り倒す。
ボクはただただ恐ろしく、震えながらそれを見ていることしかできなかった。
なんなんだ、あれは。化け物じゃないか――。
バロンもあぜんとしてその光景を見ていた。そこへ、獣が急に飛びかかった。バロンの首に手を回し、その喉元に噛みつく。ボクは助けようと思わず飛び込み、そのまま意識を同化させてしまった。
獣は――エルザは、そのほっそりした腕では信じられないぐらいの力でこちらをしめつけてきた。つかまれた箇所はまるで鉄のおもりが載せられているみたいで、麻痺していく。噛まれている喉元にはするどい痛み。二本の長い針を打ち込まれているみたいだ。振り払えずにいるあいだに、どんどん体から力が抜けていく。血を、吸われている。それにともなって、胸のあたりに氷水が流れ込んでくるようで、体が冷たくなってゆく……。
何かが視界のはしで動いた。
それは、錫杖を大きくふりかぶった陽楽の影だった。
背後からの殺気を察知したらしい。エルザの力がゆるんだ。その瞬間を逃さず、バロンは力いっぱいエルザを押しのけ、自身も後ろに飛びのいた。このとき、ボクの同化は解除された。エルザもギリギリで身をひるがえす。間髪入れず、バロンの目の前すれすれを錫杖が通過し、床にひびを入れた。
「俺まで殺る気ッ?」
「おまえさんは避ける」
抗議の声をあげるバロンに、陽楽は淡々と返す。
バロンは噛まれた箇所を手で押さえた。襟首のあたりに血がにじんでいる。
一方エルザは口元からドレスのすそあたりまで、べったりと血にまみれていた。口周りの血を舌なめずりしてふき取り、すぐにまた襲いかかる。陽楽が錫杖で応戦するも、やはりエルザの力は尋常ではないらしい。錫杖と、それをつかむエルザの腕とが拮抗し、ギリギリと小刻みに震えている。
「やっかいなのを相手にしたものだ」
錫杖に込める力はゆるめず、ふ、と陽楽が笑った。
「みんなどいてっ」
ロングスカートの左横を思い切りまくりながら、リディアさんが部屋に飛び込んできた。白い太ももがあらわだ。ボクは思わず三度見した。いや、三度見したのは決してボクがスケベだからとかじゃなくて――そこにレッグホルスターがあったせいだ。それも一つじゃない。両脚の太ももからふくらはぎにかけて、拳銃やら短剣やら、たくさんの武器が装着されていた。ひらひらのロングスカートは、これらをかくすためのものだったのだ。
リディアさんは小型の拳銃を引き抜いた。陽楽とエルザが飛び退るのと同時に発砲音がなる。あくまで威嚇で、本気で当てる気はないらしい。銃弾はエルザの足元の床にめり込んだ。さすがのエルザもひるんだらしく、部屋のすみまで引き下がっている。
「ねえ、どうしたの。そっちで何が起こってるの?」
銃声を聞きつけ、スージーがおそるおそる部屋に入ってきた。
「来ないで!」
金切り声をあげたのはエルザだった。どうやら今の姿をスージーに見られたくないらしい。その場に丸くうずくまっている。
拒絶されたスージーは、どうしていいかわからずその場でおろおろしている。部屋が暗いから、何が起きているのかまるでわからないようだ。
「撤収ー!」
バロンがかけ声をあげると、陽楽とリディアがすばやく動き出した。バロンは、硬直しているスージーをさっと抱えあげると、そのままひらり窓から外へ飛び出した。
「さ、早く」
声をかけられて、ボクもリディアさんたちと外へ脱出した。