異世界盗賊 ~What a wonderful world~   作:玲寿

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人のケンカを目撃すると、なぜか自分が怒られてる気分になる

 深夜、ボクらはスージーを連れてレイチェルさんのアパートを訪ねた。

 

 あのあと、華麗にパラシュートを広げて三階の窓から脱出した三人は、一度こっちの世界へ戻ることを決めた。催眠にかけられた人たちを残してきてしまったが、まずは一緒にいるスージーの安全を優先。エルザの正体もふまえた上で、もう一度作戦を立て直してから乗り込むという。

 

 呼び鈴を鳴らすと、しばらく経ってからわずかに扉が開かれた。こんな時間の来客なんて、何事かと思ったのだろう。でも、スージーの姿を確認するなり扉は勢いよく開かれた。

 

「スージー!」

 

 レイチェルさんは、スージーの頭を抱えこむみたいに抱きしめた。

 

「……ママ、ごめんなさい」

 

 スージーが小さな声で言う。

 レイチェルさんは涙を流しながら何度もお礼を言った。そして、これから警察署へ一緒に来てもらえないかと言ったけれど、バロンは手をひらひら振って断った。

 

「だって、異世界の話したって信じないもん。警察にはテキトーにごまかして報告したほうがいいと思うよ」

 

 バロンは、レイチェルさんにしっかり抱きしめられたままのスージーに目線を合わせた。

 

「スージーちゃん、さっきも説明したとおり、君は異世界からは自力じゃ戻ってこられない。次に行ったら二度と帰って来られなくなるかもしれないから、もうあの世界へは行っちゃいけないよ」

 

 事態がのみこめていなかったスージーに、ここまでの道中で異世界のことを簡単に説明してある。だけどエルザの正体までは明かさなかった。それはエルザを大切な友人だと信じているスージーへの、せめてものやさしさだったのかもしれない。

 

 バロンの忠告に、スージーは神妙な面持ちでうなずいた。レイチェルさんも、娘を抱きしめる腕に力を込めた。

 

 

 ボクたちも、少し休息を取るためにアパートへと戻った。

 仮眠のため寝室へ入ろうとしたリディアさんが、ふと足を止めて振り返る。

 

「ねえそれ、大丈夫なの?」

 

 指差したのは、バロンの首元にある傷。

 

「んー?」

「吸血鬼に噛まれると、伝染するとかいうウワサあるじゃない?」

「ああでもあれは、血を吸われて死ぬとそうなるんじゃなかったっけ。死んでないから大丈夫大丈夫」

 

 バロンはノーテンキな口調で答えた。と、思ったら、急にニヤニヤしてイタズラ小僧みたいな顔になった。

 

「じゃあ、もし俺が吸血鬼になったらどーする?」

「とどめをさす」

 

 陽楽は即答だった。

 

「ちょっとは悩めよ。おまえが炭治郎なら鬼滅の刃は一話で終了だよ!」

 

 一呼吸おいて、バロンと陽楽が同時に笑う。つられて、心配そうだったリディアさんも笑った。

 

 まあそんなふうだから問題ないだろうと思ったのだけれど、バロンが風呂に入ったきり全然出てこないのでだんだん心配になってきた。リディアさんも陽楽も眠っているのでそれを知らない。

 

 リディアさんが水を飲みに起きてきたので、聞いてみた。

 

「ああ、平気よ。いつものことだもの。バロンは無類のお風呂好きなの。一度入ったら、すっごく長風呂するんだから」

 

 寝ぼけ声でそう答えて、リディアさんは再びベッドに潜り込んでしまった。そうはいってもやはり気になる。ボクは浴室へ行ってみることにした。

 

「バロン?」

 

 扉越しに声をかけてみるも、返事はない。しかたないので、ボクは浴室へ入った。案の定、バロンは浴槽のふちに頭をあずけ、湯に浸かりながらグースカ寝ていた。風呂で寝落ちって、実質気絶なんじゃなかったっけ?

 

「おい、バロン」

 

 ボクは触れられないことを忘れ、揺り起こそうと肩に手をのばした。

 その瞬間、吸い込まれるみたいに景色が変わった。

 

 

 燃えさかる炎。辺り一面真っ赤に染まっている。ボクは何が起こったのかわからず、立ち尽くした。

 

 ポケットに手を突っ込みながら炎を見つめている人影がある。どこかまだ少し幼い背格好――だけど間違いない、バロンだ。

 

「これでわかっただろう」

 

 背後から誰かの声がした。

 

「おまえの生きる世界は、笑っていられるような場所じゃない」

 

 バロンが振り返る。その目はボクを通り越し、声の主を見つめていた。今のバロンには、ボクの姿が見えていない。

 

「そうかもね」

 

 さらりとした口調でバロンが返す。

 

「でもだからこそ、俺は勝負するんだ。どれだけ笑い飛ばして生きられるか」

 

 バロンはにっと笑った。不敵な笑みだった。

 そのとき、頭上から「やべっ寝てた」という声が盛大に響き渡り、景色が揺れた。

 

 

 ボクは元の浴室に引き戻されていた。

 目の前で、バロンが腕をのばしながらあくびをしている。

 

「あらら見物クン、心配して来てくれたの? あんがとね」

「風呂場で寝るなよ、おぼれるぞ」

「それなー。ところで今何時? なんだ、まだ朝か。もう少ししたらねじろ亭に行こう。エルザの正体は大体つかめたし、そこで弱点を調べる」

 

 ボクが答えるより前に、バロンは浴室に差し込む朝日を見てそう言った。ばしゃりと音をたててバロンが湯で顔をぬぐう。ふわりと入浴剤の甘い香りがたちのぼった。

 

 風呂からあがったあと、バロンはもう一眠りと今度はソファに横になった。その寝顔を見ながら考える。――さっきの景色はなんだったのだろう。

 

 バロンが見ている夢に同化した? もしくは、バロンの過去の記憶……とか。

 そう考えると、決まりが悪くなった。人の心の中を勝手にのぞくなんて悪趣味だ。なんだかあまり平和な景色ではないようだったし。

 

 ここにいたら、また同じことが起きるかもしれない。ボクは彼らが目覚めるまで、外に出ていようと決めた。そして、スージーとレイチェルさんがどうしているか様子を見に行くことを思いついた。

 

 

 町の警察署は大通りのわかりやすい位置にあるので、すぐに見つけられた。ボクが空を飛んで到着したとき、二人はちょうど署内から出てくるところだった。

 

「じゃあ、後日またくわしい話を聞かせてもらうけれど、今日のところはゆっくり休んで」

 

 見送りの警察官にそう告げられ、スージーとレイチェルさんが歩き出す。

 まだ早朝。通りに人はほとんどいない。しばらく無言だった二人だが、やがてレイチェルさんのほうから口を開いた。

 

「ねえ……どうしてあんなことを言ったの? 誘拐じゃなくて家出だなんて」

「……本当のことだから」

 

 不穏な空気。

 レイチェルさんがまゆをひそめる。

 

「家出なんて……どうしてなの?」

「わかってるでしょ、ママ」

 

 スージーはまっすぐレイチェルさんを見た。

 

「留学なんかいいから楽器を買ってなんて言ったことは、私が悪かったと思ってる。ごめんなさい。でも、私本当に留学したいと思わないの。私はジャズがやりたいの」

「こんなときになぜその話を掘り返すの?」

「ママが聞いたからよ」

 

 スージーがガンとしてゆずりそうもないので、レイチェルさんはため息をついた。

 

「……ジャズなんて、一時のお遊びじゃないの」

「お遊びじゃないの、私にとっては」

「あなたは優秀な子よ、スージー。それを活かさないなんてもったいないわ。あなたがバートリー家を継ぐことは、お父さまだって望んでいたことなのよ」

 

 さわやかな朝陽も、気持ちのよい鳥のさえずりも、今の二人にはまるで届かないみたいだった。二人の足どりが重くなってゆく。

 スージーは目をそらして言った。

 

「……ママは、私の幸せより家名や血筋のほうが大切なの?」

「そうじゃないわ。いいこと、スージー? これはあなたの幸せのためでもあるのよ」

 

 スージーが勢いよくレイチェルさんを見る。唇を震わせたあと、しぼりだすように彼女は叫んだ。

 

「私、もうそんなに子どもじゃないのよママ! 私……知ってるんだから。パパは事故で亡くなったんだって言っていたけれど、本当は違うんでしょ。……自殺なんでしょ?」

 

 レイチェルさんが目を見開いた。何も言えずにわなないている。

 

「保険金のためなんでしょ。それで従業員の給料を支払って、借金も返すようにって遺書を残してたことも、私ちゃんと知ってるんだから。……ねえ、パパなんでそんなことしたの? 命よりお金のほうが大切だったの? この世界おかしいよ! 狂ってるよ! こんな世界で貴族やお金持ちになったからって、それになんの意味があるっていうの?」

 

 涙目でにらまれて、レイチェルさんは言葉が出ないみたいだった。

 動揺する母親の姿に、スージー自身も苦しくなったらしい。目を伏せて、「疲れたから寝る」と低くつぶやくと、走って目の前の建物の中へ飛び込んでいった。気がつけば、二人の住まいまで到着していたのだ。

 

 レイチェルさんは頭を抱え、しばらくその場にとどまっていた。しかしやがて、ため息をついて頭をふり、彼女も建物の中へ入っていった。

 

 ……とんでもねぇところに居合わせてしまった……。

 親子の深刻な言い争いをあびて、ボクまで心臓がどきどきしている。

 

 ボクはしばらく朝の町をふらふら飛んだり、歩いたりしていたが、どう過ごしていたのかあまり覚えていない。

 

 太陽が真上にのぼるころになって、ボクはようやくバロンたちのアパートへ戻った。

 

 

 バロンたちは寝間着のまま朝食(時間帯としては昼食かもしれない)にありつこうとしているところだった。

 

 部屋のすみのキッチンストーブに火が入れられている。グツグツ音を立てる鍋からは、いい香りがただよう。

 

「見物クンも食うかい?」

 

 せっかくなので、食卓に混ぜてもらった。熱々のビーフシチューに、あぶったチーズをのせたバゲットのスライス。とろりとチーズが溶ける。おいしい。お腹の中から温まってゆく。こんなときでもご飯はうまいのだ。

 

 レイチェルさんたちのことを教えるべきか迷ったけれど、結局ボクは何も言わなかった。親子の問題について、他人が勝手にベラベラ言いふらすべきじゃないと思ったから。だけどボクはすぐにそれを後悔することになる。

 

 食事を終え、支度をすませると、バロンたちはマーカラ通りに向けて出発した。ゲートを使ってまずはねじろ亭へ行く予定だ。

 

 秋の天気は移り変わりやすい。朝はあんなに晴れていたのに、突然小雨が降り出した。いや、今も青空は見えている。天気雨だ。さほど強い雨でもないので、ボクらはそのまま歩を進めた。

 

「あら、レイチェルさんじゃない?」

 

 リディアさんが遠くを見て声をあげる。

 あとからわかったことだけれど、彼女の眼は特別らしい。マサイ族並みの視力なのだ。さらに夜目も効くし識別能力も高い。なんでも異世界人特有の能力なのだとか。だからボクらが気づくよりずっと早く、リディアさんは通りをさまようレイチェルさんの姿をとらえていた。

 

 しばらく進んでようやくボクらの目にも、それがレイチェルさんだと認識できるようになった。かなりうろたえている様子で、バロンたちを見るなり泣きそうな顔でかけよってきた。

 

「スージーを見てませんか?」

「スージーちゃん? いや、見てないけど……」

 

 バロンたちが顔を見合わせる。ボクは心臓がドキドキしてきた。やっぱり、バロンたちに相談するべきだったんだ。

 

「何かあったの?」

 

 リディアさんが聞くと、レイチェルさんは過呼吸寸前になった。

 

「あの子、二度と戻れないと言われていたのに……それでも行ってしまうなんて……!」

「落ち着いて、レイチェルさん。少し休みましょ、それから話を聞かせて?」

 

 震えているレイチェルさんの手を握りしめ、リディアさんが言う。

 そうして、ボクらは再びレイチェルさんとともにどろぼうのねじろ亭を訪れることとなった。

 

 レイチェルさんは少しずつ、事の次第を語り出した。スージーの父親のことも、ケンカの内容も、全部。あのあと気がついたら、自室にこもっていると思っていたスージーが姿を消していたという。

 

 まさかこんなに赤裸々に話すと思わなかったから、ボクは驚いた。でも、もしかしたら、彼女はずっと誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれない。語っていくうちに、少しずつ彼女の気が鎮まっていくのが目に見えてわかった。

 

「みなさま、こんなお願いをして申し訳ないと思っています。でも、どうかスージーをもう一度連れ戻してきてはもらえませんか」

「いいよー」

 

 頭を下げるレイチェルさんに、軽い調子で答えたのはバロンだ。でも、陽楽はそうじゃなかった。真顔のまま口を開く。

 

「帰りたくないと言われたらどうする?」

「え?」

 

 レイチェルさんは戸惑いの表情で陽楽を見た。

 

「もし、ご息女が帰りたくないと、家を継ぐ気はないと答えた場合は? おまえさんが望むのはバートリー家の跡取りであって、スージーではないのでは。……跡を継ぐ気のない娘なら、いらぬか?」

「ちょっと、陽楽」

 

 リディアさんがあわててとがめたけれど、陽楽のまなざしはまっすぐレイチェルさんを向いたまま。

 

「そんな厳しい言い方すんなよ〜」

 

 バロンも、グラスに添えてあったオレンジのスライスをかじりながら言った。けれど、首を左右に振ってレイチェルさんが答えた。

 

「いえ、いいんです。……陽楽さんのおっしゃるとおり。わたくしの、そういう思いがあの子をここまで追い詰めたんですわ」

 

 次の瞬間、ボクは思いがけずレイチェルさんの視点に同化していた。目の前のカップからたちのぼる、かぐわしいコーヒーの香り。少しかさついた左手の薬指に光る、銀の指輪。それを何度も、何度も右の人差し指でなぞる。

 

 それから、レイチェルさんの感情が、せせらぎみたいにとうとうとボクの中に流れ込んできた。

 

 ……ああ、そうか。この人も、不安で不安でたまらないんだ。

 慣れない仕事に就いて、たった一人で娘を育てあげなければならない不安。突然、世界に置いていかれたような、そんな不安。

 

「あの日――会社が破産した日以来、それまで周囲にいた人たちは次々といなくなりました。地位やお金がなくなれば、それきり……。誰一人助けてくれる方はおりませんでした。もちろん、みなさまそれぞれ自分のことで精一杯だったことも存じております。それでもやっぱり、悔しかった……見捨てられたようで」

 

 ゆっくりレイチェルさんが語り出す。銀の指輪をなでながら。

 

「悲しみと不安の中で、いつかあの人たちを見返してやりたいという怒りだけが生きる原動力になっていたんです。だからわたくしは、あの子にすがった」

 

 すべて失ったわたくしの、唯一の希望。唯一の誇り。スージー……わたくしの娘。

 

「いつしかわたくしはあの子を、自分が世間を見返したいがための道具にしていたんですわ。……なんてひどいことを。もう家名なんてどうでもいい、スージーが帰ってきてさえくれれば」

 

 レイチェルさんの目からとめどなく涙が落ちる。

 

「レイチェルさん」

 

 口を開いたのは、イライザさんだった。

 ボクは驚いてしまい、同化が解けた。声がとても低かったからだ。いや、渋くてイケメンボイスなんだけれど、見た目は妖艶な美女なのでギャップがすごくて脳が混乱する。……もしかして男性? しかし異世界の人が必ずしもボクの常識で考えられる身体的特徴というわけではないかもしれないし……。

 

「娘さんは絶対に帰ってくる。だから心配しなくていい」

 

 そう言ってイライザさんがレイチェルさんの前に置いたのは、スミレの砂糖漬けが飾られたかわいいケーキ。

 

 それを見たとたん、ごちゃごちゃした考えは消え去った。細かいことはいいんだ。なんにせよ今のボクにわかるのは、イライザさんがとてもやさしい人だってことだ。

 

 レイチェルさんも同じ結論に至ったらしい。声を聞いた瞬間は困惑したようすだったのが、少しずつ口元がほころび、笑顔になった。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 続いて、陽楽も表情をゆるめて口を開いた。

 

「わかった。それであれば、わしらも力を貸そう。必ず、ご息女を連れて帰ってくる」

 

 そのほほえみに、レイチェルさんは涙をぬぐい、またお礼を言った。

 

「そうだわ、もしよろしければ……先日わたくしが止めてしまったあのジャズの曲を、もう一度聴かせてはいただけないでしょうか」

 

 イライザさんがうなずく。戸棚から取り出した一枚のレコードをセットし、回すと、Cry me a riverが流れ出した。

 レイチェルさんはスミレのケーキを口にするのと一緒に、曲を噛みしめているようだった。

 

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