鳴潮二次   作:出力用

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今汐がお茶に誘ってきただけ


籠の龍

「──ねえ、今のあなたも映像なの?」

 

 

 酉の刻、辺庭の一角にて。

 公務の合間にわずかばかりの時間が取れたので手製の点心でも、と漂泊者を誘ってみると、開口一番にそう告げられた。

 小さな子のように首を傾げる漂泊者を、今汐は目を細めて見つめ返す。

 月は東に日は西に。

 朱色に染まった漂泊者の顔に別の意味を見出だしたのは、おそらくは今汐の多大なる錯覚でしかなかった。

 

 

「今汐?」

 

 

 小龍包についてなにか言ってもらえるかもしれない、という今汐の淡い期待は露と消えた。

 今汐はほほえみを絶やすことこそなかったが、細めた目の下瞼に力を入れて、その感傷的な気持ちを押し殺そうとした。

 何度対面を果たしても、やはり初めに見たものの影響というものは大きいらしい。

 今汐にとって漂泊者との初対面は丑の刻の辺庭だが、漂泊者が初めて今汐を知ったのは、今汐が今州全域へ向けた映像メッセージの中だ。

 長く待ち望んだ相手に初めて送ったものが録画した映像というのも、何度思い返してみても情けないとしか言いようがない。

 今汐は気の利いた言い回しをしようとし、結局ふるふると頭を振って、あの夜明け前のように右手を差し出すことしかできなかった。

 

 

「確かめてみますか?」

 

 

 そう言って穏やかな表情を保つのには、相当の精神力を要した。

 あのとき、初めて彼女と触れ合った数秒でさえ羞恥が込み上げて龍鱗を浮かばせたのだから、当然だ。

 そういえば漂泊者の音痕は、その右手の甲にある。

 内心穏やかではない今汐とは対照的に、どこか飄々とした漂泊者は先ほどとは反対側に首を傾げている。

 

 

「大丈夫、生身だってわかったから」

「そう、ですか……」

 

 

 ほっとすればいいのか、それとも落胆すればいいのか今汐本人にも判断がつかなかった。

 漂泊者が今汐の頬に龍鱗を認めたと知らされていれば、今汐はそんなふうに悩む暇さえなく、この場から逃げ出していたことだろう。

 可愛らしい龍の形をした、手作りの小龍包を置き去りにして。

 

 

*****

 

 

 角の予言通り、半月ほど前に今汐は漂泊者を迎えていた。

 元々角から漂泊者の特徴やどういった力の持ち主なのか教えられていたため、その点においては少なくとも失望するなどという気持ちにはならなかったし、実際に相対してみて想像通りの人物だと感嘆したものだった。

 ただ、まさか女性だとは思っていなかった。

 今汐は、その()()()()()()に大いに()()()()()()()()()()

 散華と長離経由で伝えられたそのことを、初めは信じられない気持ちで聞いていたものだ。

 令尹という立場にありながら少女じみた夢想でもしていたのか、やり場のない感情に惑わされかけもした。

 しかし、長離のある一言で今汐は呆気に取られるほど気が楽になった。

 曰く──女性でなにか問題があるの?

 言われて気づいた、なにも問題はない。

 いやむしろ、同性でしか許されないことの方が多い。

 散華がもしも男性であれば、起床のために寝所へ入らせることもないのと同様に。

 ──余は、なにを迷っていたんだろうか。

 長離の一言により吹っ切れたことで、余計に今汐の想いが加速したのは言うまでもない。

 そしてあの夜明け前、月明かりに照らされた漂泊者を見て、今汐の中で淀んでいた気持ちがことごとく洗い流されたのだった。

 ──こんなにも真っ直ぐに見つめてくる人は、他にいない。

 角の予言によれば漂泊者は自分にとって必要な人物だが、それは令尹としてだけではなく、『汐』という少女にも同じことだったらしい。

 今州を救うために現れた相手にこんな感情を抱くのは侮辱でしかないというのに、初めて触れ合ったそのときに龍鱗を浮かばせた時点で、もはや今汐は後戻りができない想いを抱いていると自覚させられた。

 ──()は彼女に、惹かれている。

 

 

*****

 

 

 今汐が作った可愛らしい龍の形をした小龍包は、表面に銀木犀の粉と砂糖がまぶされ、それらは西日を受けてキラキラと光っていた。

 漂泊者の味の好みがわからなかったので、カスタードやあずきなど、餡には様々な種類を用意したのだが、漂泊者は席に着きはしたものの、頬杖を突いたまま一向に手をつけようとしない。

 ただ黙って、今汐を見つめている。

 なにか不快な思いをさせたのだろうかと、今汐は不安になりそうだった。

 

 

「あの……小龍包は嫌いでしたか?」

 

 

 自分の好みのものだからといって、それが漂泊者にも当てはまるとは思えない。

 そもそも漂泊者は今州に所縁があるというだけで、瑝瓏出身というわけでもないらしい。

 ならば口に合わないのも仕方ないのだが、まず一口も食べていないというのが気にかかる。

 今汐は漂泊者の艶やかな黒髪が夕日の中でふわりと揺れるのを目にし、思わず目を逸らしてしまった。

 同じ回折とはいえ、彼女はあまりにも、眩い。

 

 

「食べたい気持ちは山々なんだけど、夕食の前だから秧秧に怒られるかなって思って」

 

 

 秧秧というのは、雲陵谷で漂泊者を介抱した夜帰軍の少女の名前だ。

 なぜ一介の踏白が漂泊者の世話をしているのかが不思議でならないが、漂泊者が信頼している様子なので今汐はそれ以上追及することができなかった。

 それに、今汐が漂泊者に交遊関係を尋ねたところで不思議そうにされるのは目に見えていた。

 今汐はモヤモヤとする気持ちを抱えて目を伏せる。

 

 

「可愛い龍」

 

 

 漂泊者がそう言うのを、今汐はどこか夢見心地で聞いていた。

 口にはせずとも小龍包に興味を持ってもらえたのが嬉しくてそちらを見ると、小龍包ではなく、その手は今汐の頬に伸びてきていた。

 その事実を受け止める前に、漂泊者の指が頬を撫でたせいで顔にまで龍鱗が出ていると知らされる。

 気づいたが最後、今汐は完全に動きを止めた。

 

 

「角まで出てるの気づいてなかった?」

 

 

 頬と言わず角にまで触れてくる気配がしたので、今汐は反射的に顔を伏せた。

 

 

「ごめん、そこは触られたくないんだね。猫にとっての髭みたいなものかな」

 

 

 敏感すぎるから──。

 そこまで来てようやく、先ほどの漂泊者の発言が小龍包ではなく自分に向けられたものだと理解した。

 ──可愛い龍。

 可愛い、などど言われて恥じらうほど、今汐も子どもではない。

 令尹という立場に就いてから此の方、世辞でも賛辞でも似たような言葉は幾度となく聞いてきたつもりだ。

 だがそれらはすべて容貌を指したものであり、漂泊者のように今汐の言動を踏まえたものではなかった。

 それは至極当然のことだった。

 なぜなら今汐は、民の前でただの少女として振る舞うことは許されなかったのだから。

 たまに長離がからかってくることはある。

 しかしそれは冗談めいたものであり、決して漂泊者が今し方見せた真剣なものとは違った。

 

 

「今汐」

 

 

 ドクンドクンと、胸の奥が鳴っている。

 涙が滲むのは羞恥のためだけではないのだろうが、それを受け入れるにはあまりにも時間が少なすぎた。

 顔を伏せた拍子に机上にぶつけた角が痛む。

 西日に照らされすぎたのか、顔が異様に熱い。

 こんなとき散華がいてくれたら頭を冷やさせてくれるのに、よりによって自分から人払いの任を与えてしまった。

 必然的に二人きりになった現状、角は出ても手も足も出ない。

 限りある時間の中で早く次の一手を決めなければいけないというのに、今まで感じたことのない不安と緊張感に、今汐の柔らかい心は押し潰されそうになる。

 

 

「今汐、本当にごめん。その……怒ってる?」

 

 

 全力疾走した後のように速まる鼓動を抑えるため、今汐は深く深く息を吸った。

 十数秒してようやく顔を上げる。

 漂泊者の肩越しに、夕日がふつりと途切れるのを目にした。

 ああ、短い逢瀬が終わってしまう、終わってしまう。

 

 

「いえ、別に……」

「そう言うわりには不満そうだけど」

 

 

 今汐は子どもじみた態度を取っていることに気づき、物理的に胸を押さえてどうにか平静を保とうとした。

 今汐の気も知らず、相変わらず漂泊者はまっすぐ今汐を見つめている。

 

 

「持って帰っていいなら小龍包をいくつかもらいたい。美味しそうだから秧秧たちにもあげたいんだけど、いい?」

 

 

 否、とは返せないほど純粋に問われたので、却って今汐は余計な力が抜けていた。

 

 

「それなら散華に包ませましょう。いくつ必要ですか?」

「三つ……いや、四つ」

 

 

 ずいぶんと多い、というのが今汐の率直な感想だった。

 共に食べたい相手が多いのか、はたまた食欲旺盛な人物がいるのか定かではないが、とにかく気に入ってもらえたのならそれでよしとするほかない。

 日を改めて会えたときに、味の感想を聞けるだろうか。

 本人を前にしてため息をつくことなどできないので、今汐はただ目を細めただけだった。

 

 

*****

 

 

「今日はありがとう。お土産、味わって食べるよ」

 

 

 散華に伴われる形でその場を後にする漂泊者を、今汐は軽く手を振って見送っていた。

 今汐がわざわざ小龍包を作った事情を察している散華は、それが一つも減らずに持ち帰られたことに眉をひそめていたが、主が望まない以上は口を挟むこともなかった。

 そういえば漂泊者は、今汐が予約しておいた宿泊先ではなく、別の宿を取っているらしい。

 警戒したというより、これ以上世話になるのが申し訳なかったからだろう。

 もとより今汐の一存で決められたことなので、それに異を唱えるつもりは毛頭ない。

 ただ、散華なら漂泊者がどこに泊まっているのか把握しているだろう。

 いや、それを知ったところで苦悩が増すだけだ。

 漂泊者の身の安全が保証されているなら、それがどこであろうと構うことはない。

 逸る気持ちを抑えるために、今汐は深く息をつきながら既に日が沈んだ空を見上げる。

 ──今度は、空腹のときに会えたらいいのに。

 そう願いながら、漂泊者が触れた頬をそっと指先でなぞった。

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