鳴潮二次   作:出力用

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これを書いた人は同名でpixivに他にいろいろ投稿してます




ショアキさんのクレヴァーな日々 #1

 

 

 ここはブラックショア諸島。

 漂泊者がこの場所からリナシータへ旅立ってから、早くも二ヶ月が経過しかけている。

 ツバキはその後を追うつもりはないが、それはそれとしてストーキング行為を開始しようとしていた──満身創痍で。

 そんなツバキを治療ポッドにぶち込んで一仕事終えたショアキーパーが、日課の海岸散策にしけ込んでいる。

 足を撫でる波は優しく、それに運ばれた砂が爪先をくすぐる。

 物理的なことに敏感なショアキーパーは、それだけで背筋がぞわぞわするほどだった。

 一言で表すと、快感。

 水平線に夕日が沈みかけ、海面に反射した光がキラキラと美しくショアキーパーの姿を照らしている。

 神秘的に青く輝く波+白っぽいショアキーパーの絵になる場面を見たそのへんの庭師がほうとため息をついたが、なにも知らないのは大変幸せなことである。

 黒海岸関係者の喧騒は遠く、波が寄せては返す音しか聴こえない。

 ショアキーパーの歩みは、波音に同期するように緩慢だった。

 悪戯な海風がそのベールをふわりと翻し、ショアキーパーの頭髪を世界に晒した。

 

 

「…………?」

 

 

 そうして砂浜に落ちたベールを屈んで拾いかけたとき、海風に混ざって懐かしい香りがしたので、ショアキーパーはゆっくりとそちらを向いた。

 

 

「──……」

 

 

 そこには、毎日白昼夢(幻覚)にも観ている漂泊者が佇んでいた。

 いやそもそもこれ自体が白昼夢の可能性がある。夕日は沈んだが、世界の方がバグっている気がする。つまりこれは白昼夢であるQED。

 夢の中の漂泊者は所詮ショアキーパーが思い描くものにすぎないので、本人であればおそらくしないようなこともしでかす。

 ショアキーパーはなんとなく……本当になんとなく、それを期待して無言でいた。

 夢とは無意識の具現化であり、当人が気づきもしていなかったことを表すことがある。

 それを知る楽しみが、最近のショアキーパーの一番の喜びだった。

 なにしろ、ようやく会えた漂泊者はリナシータへ行ってしまったのだから。

 しかもこちらが送り出したような形になったので、会いたいとも言い出せない。

 相反する気持ちを抱いた結果、ショアキーパーは夢どころか白昼夢に漂泊者を観るようになっていた。

 しかし本人がそれをだれにも言わないので、「なに考えてるかわからないぼんやりした表情の美人」という評価を下されていた。

 そんな気持ちを解消させるためにも海岸散策をしていたわけだが、今日の白昼夢はあまりにも露骨であった。

 ずんずんと目の前までやってきた漂泊者は細部までよく再現されており、完成度が半端ない。

 質量を持ってそうな見事な外観など、己の白昼夢生成能力を褒めてやりたいところだった。

 漂泊者of白昼夢の金色の目の中に白く揺れるなにかが写り込んでいたので凝視してみると、それは自分自身の姿だった。

 ベールを被っていないためか、より淡い白に思える。

 

 

「どうかした?」

 

 

 ──幻覚が喋った。

 そのあまりの衝撃に、ショアキーパーは波打ち際の少し先に後ずさる。

 幻覚を見るのは普通だが、幻覚が話しかけてきたらヤバいことくらいショアキーパーも知っている。つまりこれは白昼夢ではないQED。

 浮かれた想像(CERO:A)をしていたことを漂泊者に知られたくなくて、ショアキーパーは咄嗟に視線を逸らした。

 ヒトを模した器を持っていても紅潮することはなく、むしろ反響エナジーの構造的に頬に差したのは朱ではなく蒼。

 ここで返事をしないのは逆に不自然──賢いショアキーパーはそう考える。

 

 

「…………あなたの瞳に映る自分を見ていただけ」

 

 

 それは事実だったが、よりによってそんなことを聞かされた漂泊者は、ショアキーパーが自分から悪影響を受けているのだと勘違いするはめになった。

 言わずもがな、ショアキーパーの口調などは漂泊者由来である。

 漂泊者がそれに触れるべきか否か悩んでいると、先手必勝気味にショアキーパーが口を開いた。

 

 

「私に用があって来たように見えるけど……なにか、あった?」

「……とりあえず温室に行こう。他の人に聴かれたらまずいかもしれないから」

 

 

 漂泊者は深刻な悩みを抱えている──ショアキーパーがそう勘違いしても仕方ない発言だった。

 実際のところは、ラグーナで勝手に録音した曲を大人数に聴かせるのが問題になりそうだったので漂泊者はそう表現しただけだったのだが、言葉にしなければ伝わらないこともある。

 

 

+++

 

 

 ショアキーパーと漂泊者が調律の温室に到着する頃には、無駄に空気を読んだ庭師たちがそこからそそくさと立ち去っていくところだった。

 都合よく二人きりになれたことで、ショアキーパーの中にあった幼い独占欲的なものが充たされたが、同じくらい罪悪感的なものも湧いてきていた。

 とてもとても長い間共にいたのに、ショアキーパーは去年の九月末くらいにようやく自分の『心』に気づいた。

 漂泊者に思いきり甘えたい気持ちもあるが、一方で今現在治療ポッドで苦しんでいるであろうツバキのことを考えると理性的にならざるを得ない。

 嗚呼しかし、ツバキの目がないからこそド派手に甘え散らかして漂泊者に呆れられつつも優しく頭を撫でられたいなどといった拙い欲望(全年齢)も存在しているわけで。

 やろうと思えばいつでも漂泊者を強制ワープさせて二人きりになることは可能だが、常にやれる状態だとなにもしないのが人間、つまり怠惰である。

 

 

「ラグーナで素敵な音楽に出会った。デバイスに保存してきたから、あなたにも聴いてほしくて」

「……わかった。聴かせて」

 

 

 世界各地から集められた植物を眺めながら、漂泊者が階段を上っていく。

 それをショアキーパーは無力感を覚えつつ見上げていた。

 

 

「……」

 

 

 だいぶ昔に、漂泊者とリナシータへ行ったことがあった。

 自分の『心』の存在にも気づいていなかった頃に。

 あの場所にはまだ、デイジーとバイオレットが咲いているのだろうか。

 

 

「……、……」

 

 

 立場上そう易々とブラックショアを離れられないショアキーパーには、それを知ったところでどうすることもできない。

 いっそのこと道具のままであればこんなことで苦しむこともなかったというのに、漂泊者から特別大切にされているのが嬉しいのもまた事実。

 感情は苦すぎる茶のようでもあるし、甘いジュースにも似ていた。

 波のように揺れ動くショアキーパーのCOCORO...

 そんなことはつゆ知らず、漂泊者はニコニコでデバイスを取り出して、リナシータで録ってきた曲を再生した。

 

 

「……」

 

 

 漂泊者が再生したものは、とても軽快な音楽に聴こえた。

 少なくともショアキーパーが最近聴いたものの中では一番テンポが速い。

 何回かリピートするうちにノッテきたのか、漂泊者が鼻唄混じりに体を揺らすのをショアキーパーは遠目にうかがっていた。

 

 

「どう?」

「明るい調子で、いい曲だと思う」

 

 

 漂泊者が楽しそうなので思わず笑みをこぼすショアキーパー。

 しかし、その曲を演奏していた主がローズマリーというラグーナ屈指の不遇美人の薬屋近くにいただけの音骸で、漂泊者にとってはローズマリーに会いに行った副産物だったことを知れば苦い顔をしたことだろう。

 そう、なにも知らないのは幸せなことである。

 

 

「私もそう思う。それで、これを演奏したいんだけど、採譜とか頼める?」

 

 

 ショアキーパーは、漂泊者が自分を頼ってきたことが嬉しくて堪らずに波打ち際を全力疾走したい衝動に駆られたが、テティスに言われるまでもなく情緒不安定だと思われる未来が見えていたので、やめた。

 代わりにわずかに表情筋を動かし、階段を上り始める。

 

 

「できる。今の曲は既に記憶した。……コード進行は複雑ではないし、超絶技巧なわけでもないから、すぐにでも書き起こせる」

 

 

 ただ、とショアキーパーは目を細めてどこか遠くを見つめた。

 

 

「ただ、この場所にはギターがないから……アールトに取り寄せてもらう必要があるかもしれない。それに、練習しないと……弾けない」

 

 

 なんということだろう、ショアキーパーはピアノではなくギターそのもので漂泊者に旋律を届けようと考えているようだ。

 漂泊者はショアキーパーのその柔軟性のなさに軽く頭痛を覚えたが、明確に言葉にしなかったこちらの責任だろうという結論を出した。

 それに、繊細な指使いをするピアノ奏者なショアキーパーの指先がギターの弦のせいで硬くなるのには、さすがに思うところがあった。

 

 

「ギターそのものじゃなくて、ピアノで再現できないかな?」

「……ピアノで?」

「そう、アレンジみたいな感じで」

 

 

 ショアキーパーは怪訝そうにしていたが、結局頷いてピアノの前に腰かけた。

 三段構えの鍵盤と左右にストップまで存在するものはもはやピアノではなくオルガンなのだが、野暮なツッコミは入れない漂泊者。

 

 

「弾いてみる」

 

 

 そう告げ、ショアキーパーがそっと手を持ち上げた。

 すると、静謐に包まれた神秘的なブラックショアには不似合いすぎるほど明るい曲が奏でられ始める。

 それは確かに漂泊者が激カワNPCローズマリーの薬屋近くで聴いたギター曲と同一の旋律だったが、音色が変わるとかなり違って聴こえたらしく、提案した漂泊者自身が首を傾げていた。

 

 

「……?」

 

 

 鍵盤の上をショアキーパーの指が忙しなく跳ねるさまは芸術的で、黒檀の黒がショアキーパーの白さをより際立たせて見える。

 黒ずくめの漂泊者とは対照的に、ショアキーパーは全体的に白に近い水色。

 儚いのは表情なのか雰囲気なのか定かではないが、無心に弾き続けるショアキーパーの姿に漂泊者は目を奪われていた。

 そのせいでいつの間にか演奏が終わっていたのにも気づけず、鍵盤から顔を上げたショアキーパーから不思議そうに見つめられていた。

 

 

「……演奏、どこか間違っていた……?」

 

 

 少しだけ不安げに眉を寄せているショアキーパーを直視した漂泊者は庇護欲を誘われ、思わず胸を押さえる。

 

 

「大丈夫、問題ない」

 

 

 無知無知で幸せなショアキーパーはほっと表情を綻ばせた。

 褒めちぎられてついでに頭でも撫でられたいところだが、身長差がたいしてない漂泊者相手にそんなことを要求するのはなんだか気が引ける。

 漂泊者は漂泊者で、今し方ショアキーパーが見せた心細そうな表情を受けて全力で抱きしめてついでに頭でも撫でてやりたい衝動に駆られていたが、身長差がたいしてない相手を子ども扱いするのも如何なものかと思い踏みとどまる。

 すれ違い見つめ合う二人に、テティスが無言でツッコミを入れていた。

 

 

「それにしても……前に聴かせてくれた曲と違ってだいぶ速いから、私にも弾けるかどうか……」

 

 

 漂泊者はショアキーパーの右隣に腰掛けて鍵盤をいくつか押してみたが、どうにもギターの音で覚えてしまっているので簡単にはいかなそうだった。

 昔は漂泊者が教える立場だったが今は違うことに不思議な高揚感を抱き、ショアキーパーは肩が触れるか触れないかの距離に漂泊者の方へ体を移動させる。

 

 

「教えてあげる。……手を重ねていい?」

 

 

 かつて漂泊者がしてくれたように、漂泊者の手の上にさらに手を重ねて、ショアキーパーは運指を教授しようと考えた。

 決して、その体温を密に感じたかったからとかではない。

 

 

「いいよ」

 

 

 言うが早いか、なんの前置きもなく漂泊者がショアキーパーの右手のひらに己の左手を重ねた。

 呆気に取られるショアキーパーを余所に、さらに追い撃ちをかける漂泊者。

 そう、恋人繋ぎを仕掛けたのである。

 そこには拘束力もなく、指の間に攻め込んでくるさまはしっとりとしていた。

 ただそれがショアキーパーの無防備な心と、ついでに体には宜しくなかった。

 

 

「あっ──…………違う、そうではなくて……」

 

 

 見る間にショアキーパーの顔が青ざめていくが、この場合の青とは赤のことである。

 ショアキーパーを形作る反響エナジーは青白いので、そういうことになっている。

 それを知らないというか覚えていない漂泊者がまたもや首を傾げていた。

 悪意がないのが最も罪深いという、わかりやすい例である。

 ショアキーパーはなんと言えばいいのか判断できず、かといって指を絡められたのが嫌だったわけでもなくむしろウェルカムだったため、泳ぎまくる視線以外の一切の動きを止めていた。

 

 

「おかしい……私の胸には心臓に当たるものがないはずなのに、どうしてこんなにも…………」

「ごめん、もしかして緊張させた……?」

 

 

 ぱっと、とても呆気なく、漂泊者が手を離した。

 漂泊者の指が絡んでいたのは、一分にも満たない僅かな時間だった。

 それでもショアキーパーは、自分だけの感覚しかない手が、酷く未完成なように思えていた。

 

 

「漂泊者──……」

 

 

 離れていったその熱を惜しむように、ショアキーパーは漂泊者の胸にしな垂れる。

 突然のことに漂泊者は片手でショアキーパーを受け止め、もう片方の手を鍵盤に強く押し当ててしまった。

 二人の心のごとく温室に響く、不協和音。

 

 

「…………」

 

 

 とくん、とくんと、漂泊者の心臓がゆっくり律動しているさまは、寄せては返す波の音にも似ていた。

 ショアキーパーは、足下を浚う砂にいつも背筋をぞわぞわさせている。

 

 

「どうしたの? 慣れない曲だから疲れた、とか」

 

 

 無防備な背中を撫でられたショアキーパーは、決して、本当にそんなつもりではなかったというのに、あまりの快感に肩を震わせて、漂泊者の胸に深く顔をうずめてしまった。

 ──柔らかくて、あたたかい。

 その際に、なんかこの前来たモンテリの少女と似た香りがするなとか考えはしたものの、今はそんなもんどうでもよかった。

 

 

「ショアキーパー……本当に大丈夫?」

「…………」

 

 

 とくん、とくんと、規則正しく漂泊者の鼓動が鳴っている。

 その指がピアノを弾くようには跳ねないのが、ショアキーパーにはなんだか理不尽な気がしていた。

 この抱擁だけでも充分すぎるほどの悪戯だったろうに、漂泊者の白昼夢に慣れすぎていた今のショアキーパーはもはや止まることを知らなかった。

 

 

「漂泊者」

 

 

 体を離し、漂泊者の金色の目をまっすぐ見つめるショアキーパー。

 その目に写っている自分の姿がなぜか揺れている。

 

 

「教えてほしい……この気持ちの、名前を」

 

 

 愛は知っている、漂泊者に与えられてきたから。

 しかしこの感覚はそれとは違う気がしてならない。

 思えばあまり漂泊者と肉体的接触をしたことはなかった気がする。

 だからだろうか。

 欠けたものを接ぐように、先ほど重ねられて離れていった熱を求めているのは。

 

 

「漂泊者……」

 

 

 瞳に第一に意志を感じ、次いで指先に漂泊者を感じる。

 今度は自分が指を絡められた漂泊者が、困惑した表情で目の前のショアキーパーを見つめ返している。

 なにやら取り返しのつかない事態になりそうな雰囲気だといまさら気づく漂泊者。

 とにかく落ち着かせよう──そう考えて漂泊者は、とりあえずショアキーパーを抱きしめた。

 

 

「あっ……、…………ふふ」

 

 

 ショアキーパーはショアキーパーで漂泊者の熱ならわりとなんでもよかったらしいことを悟り、胸に触れたあたたかいものを感じながら、そっと漂泊者の背中に手を回した。

 なぜ背中にベルトしかないのかとか考えてはいけない。

 

 

「うーん……」

 

 

 ただ採譜を頼みに来ただけがどうしてこうなった的に虚空を睨む漂泊者の視界に、なにやら白くて赤い物体が映り込む。

 どうもそれは人の形をしており、温室の入口に佇んでいるようだった。

 漂泊者が目を凝らしてよく見てみると──

 

 

「話は聞かせてもらったわ。こんなところで事に及ぼうとするなんて意外と大胆ゴフッ」

 

 

 満身創痍のツバキがそこにいた。

 言い終えないうちに吐血し、膝から崩れ落ちていく。

 

 

「ツバキ……? ──ツバキッ!」

 

 

 さすがにショアキーパーもそれに気づいて漂泊者と共に温室の入口付近に駆け出す。

 ツバキは、いらん言葉と共に吐き出した血溜まりに浸り、その白い衣装を赤く滲ませていた。

 いつもならショアキーパーが頬を二、三回ぷにれば唇を尖らせてそっぽを向くというのに、無反応。

 つまり、 意 識 不 明 の 重 体 。

 

 

「終わりにする」

「!?」

 

 

 紛らわしい台詞で変奏スキルを発動したショアキーパーはツバキに回復をかけながら、冷静に医療班を手配する。

 ショアキーパーはアタッカーなので回復能力は低いが、ツバキを治療ポッドに戻すのには必要不可欠な存在である。

 糸繰りの奇術(吟霖の餅武器)により生成されたコアが容赦なくツバキを襲い、回折と相性最悪な消滅属性のツバキにクリティカルダメージが入りまくる。

 回復しつつ攻撃するという高度な技術に、漂泊者があんぐりとしている。

 とにかくそのせいで意識を取り戻したツバキが、血溜まりからゆっくりと顔を上げた。

 赤く揺らめく双眸が妖しく漂泊者に向けられる。

 しかしツバキはなにも言わない。

 いや、言えなかった。

 気管支が焼け爛れたように熱く、息をするのが精一杯だったからである。

 そうして再び意識を手放す直前、白っぽい人影が自分を抱き抱えるのを感じた。

 ツバキは、なんでそこは漂泊者じゃないんだ的に思ったが、ショアキーパーのあまりに真摯な表情を見てしまっては文句も言えそうになかった。

 

 

「──漂泊者。私はこれからツバキを治療ポッドに収容しに行く。だから……ごめんなさい、旋律を教えるのは、また今度」

「それは構わないんだけど……私になにか手伝えることはある?」

 

 

 ツバキが治療ポッド送りになるのは何回か見た光景ではあるが、まさかショアキーパー直々に連れていくとは思っていなかった漂泊者である。

 ショアキーパーに抱き抱えられているツバキは、普段の戦闘狂っぽい有り様や病んでるストーキングが嘘のように静かでというか意識がないだけだが、ショアキーパーと比較するとまるで小さな子どものように見える。

 ショアキーパーは一瞬なにかを言いかけたがその言葉を呑み込み、代わりに別のことを口にした。

 

 

「こういう状態のときは、そっとしておいてあげてほしい。多分、弱っている姿を、あなたには見られたくないと思うから……」

 

 

 漂泊者はショアキーパーの手伝いを申し出たつもりだったというのに、なんということだろう、既にショアキーパーは他者を気遣えるほど成長していたようだ。

 漂泊者にはショアキーパーを育てた記憶はないが、つい感極まって目元に力を入れるはめになった。

 

 

「わ、わかった。大きくなったねショアキーパー」

「私は初めからこの大きさだったはず……」

 

 

 会話が噛み合わないところも含めて彼女らしさを感じた漂泊者はそれ以上引き留めず、ショアキーパーたちを見送った。

 

 

「さて」

 

 

 一悶着あったものの、当初の目的は忘れていない。

 そう、ローズマリーの薬屋近くの音骸が奏でていた曲の完全再現である。

 幸い、漂泊者の記憶力はそこらのモブよりは比較的良質だった。

 そういうわけでピアノの前に腰掛け、先ほどショアキーパーが弾いた旋律を再現してみる。

 

 

「……! ~~!」

 

 

 なぜか漂泊者の頭の中に『存在しないピアノロール式音ゲーの画面』が表示されていたが、これまた存在しないコントローラーを投げ捨てて指でやったところ、パーフェクトが出た。

 漂泊者は謎の達成感に見舞われ、体力の続く限り一心不乱にピアノを弾き続けた。

 ショアキーパーどころか庭師も花持ちもいない調律の温室から一晩以上聴こえてくる謎の明るい曲に、黒海岸関係者は心底怯えていた。

 後にテティスはこのときの怪奇現象についてこう語った。

 ご機嫌なピアノ、と。

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