木の下闇(ホラー・20,000字)   作:源公子

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日蝕

冬樹が祠で使う蝋燭とライターで、顕微鏡用の小さな板硝子に蝋燭の炎を近づける。蝋燭から黒い煙が立ち、ガラスが暗く煤けてて行く。

 

「二○○四年の部分日蝕の時に、日蝕グラスが手に入らなくてさ。

 学校の実験室の顕微鏡のガラスを盗んで、久保村と二人で作ったんだ。

 今回は金環蝕だけど、皆既日蝕の時は完全に夜になって、星まで見えるんだよ」

 

「でも金環蝕と皆既日蝕ってどう違うの?」

 

「良いかい、こういう事なんだ」

 冬樹は枝を拾うと、地面に図を描き出した。

 

「地球の周囲を回る月が、地球と太陽の間に入って太陽を隠す。それが日蝕。

 月の影が太陽を食べたように見えるから、そういうんだ。

 太陽は、本当は月よりうんと大きいけど遠くにあるから、地球から見ると、月と大体おんなじ五円玉の穴と同じ位に見える。

 だけど地球が太陽を回るときの動きは、円じゃなく楕円だから……」

 

「わかった、場所によって距離が変わるんだ」

 

「正解。太陽の見かけの大きさは、微妙に変わる。

 月の方が太陽より大きいと、皆既日蝕。太陽は完全に隠れて夜になる。

 太陽の方が月より大きいと、金環蝕。太陽光のリングが残るからそう呼ばれる。Q.E.D.証明終了」

 

「さすが元天文サークル」

 珠子は拍手をした。

 

「あ……変なこと思い出した。久保村のやつ医学部だろ?

 ドイツ語専攻してたんだけど、ドイツ語って名詞に男と女があるんだって。

 例えば太陽はsohne(ゾネ)で女性。月はmond(モーンド)で男性。

 家と子供は中性なんだとさ」

 

「女の人が太陽なんだ。普通は月だよね」

 

「でも太古の昔には、太陽は女の人だったんだよ。天照大御神とか卑弥呼とか。 明治の思想家、平塚雷鳥はこう言って嘆いている。

『原始女性は実に太陽であった、今は女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く』

 もっとも今でも大槻の家は女が太陽だ。その日陰者の男の月が、太陽を喰う。面白いよ日蝕は」

 

 冬樹は寂しげに笑った。

 

 久保村くんが、初めてこの家に遊びに来た時、長い長いつぎはぎの渡り廊下を、病院の家の子らしく「まるでへその緒みたいだな。離れが胎盤で、母屋の胎児に御神木のパワーが流れているんだ」と言ったそうだ。

 

 後で「神域には、大槻家以外の人を入れてはいけません」て栄様にすごく叱られたらしい。

 

 それからは久保村くんとは外で会うようになり、ついでに珠子も誘われるようになった。

 天文サークルメンバーの仲良し三人組。久保村くんと、沙織さんと、お兄ちゃんと、おまけの珠子。

 

 ダブルデートだと言っていたけど、沙織さんが好きだったのはお兄ちゃんだった。

 

「沙織さん、お兄ちゃんのこと好きだったの知ってた?」

 

「知ってたよ。でも、久保村が沙織のこと好きなのも知ってたからなぁ」

 

 沙織さんは、大槻の家の分家の娘で、小さい頃から仲良しのお姉さんだ。大槻の血筋らしく霊感も強く、星占いや手相見なんかが大好きだった。

 叶お母さんとさおりさんのお母さんの美恵さんも仲良しだったそうだが、あまりその話はしたがらない。

 

「珠子ちゃんの財産線すごい、小指の付け根から生命線突き抜けて、親指の付け根まで達している。ここまで行くと遺産相続線て言って、家を継ぐ運命なの。

 大槻家の跡取りだものね。久保村くんは、あら? 遺産相続先がある。三男なのに」

 

「よせやい、こんなもんタダの皺だよ。もっともそれが本当なら、沙織ちゃん嫁に来ない?金に苦労はさせないよ」

 

「本当にそうなったらね」

 沙織さんはチラリとお兄ちゃんを見た。

 

 お兄ちゃんはそっぽを向いていた。

 

 沙織さんの恋は実らず、去年沙織さんは、三男なのにお父さんの病院を継ぐことになった久保村くんと結婚して、久保村沙織になった。

 

 

 久保村病院は南の離れに引きこもっている叶お母さんが往診に来てもらっていて、何かと便宜を図ってくれる。

 叶お母さんは、お兄ちゃんを産んでから鬱病になり、口の悪い人たちは南の離れを“座敷牢”と呼ぶ。珠子は叶お母さんの姿を見たことは一度もない。

 

 だからお兄ちゃんと珠子を育てたのは、おばあちゃんの栄様だ。

 栄様はとても綺麗だ。

 少し体が弱いが、来年還暦だと言うのに、三十代にしか見えない。

 

 冬になるとお兄ちゃんと三人で、よく諏訪湖の御神渡りを見に行った。

 冬の結氷した湖の上を、諏訪神社上社の男神が、下社の女神の元へと渡る恋の道とも言われていて、30cmから、ときには1m以上の氷の山脈が音を立てて走る、とても綺麗で不思議な現象だ。

 

 自然相手の事なので、いつどこでそれが起こるかなど、誰にも予測できない筈なのに、栄様は場所と時間を外したことがない。

 “先読みの巫女は千に一つもハズレなし”と謳われた通りだ。

 始まると、キャッキャと子供みたいに嬉しそうに笑う。

 

「寒いねえ」

 と言って、私の手に息を吹きかけて暖めてくれる。

 

 綺麗で優しいお兄ちゃんと玉子の自慢のママだ。

 

 でも、政治家の人たちに神託を告げるときの、冷たくて表情のない顔は、別人のように怖い。家のしきたりを守る時の顔もそうだ。

 この家をたった一人で支えている栄様に、家の者たちは誰一人逆らわない。

 男たちも皆、栄様にひれ伏す。

 それが権威だけでなく、栄の美しさのせいなのを珠子は知っている。

 

 栄様は時々ため息をつく。よく母屋の東端の一番大きな切り株に座って、独り言を言っている。

 そんな時の栄様はとても悲しそうだ。

 

 どれが本当の栄様なのだろう? 

 そして私の父親は誰なのだろう。

 あの立ち聞き以来、珠子は栄様を避けるようになっていた。

 

 

 

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