木の下闇(ホラー・20,000字)   作:源公子

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冬樹の影

 日蝕が進む、空気が冷えていく。

 

 御神木の落とす木漏れ日が、三日月から、針となり、闇が世界を覆いだす。

 叶の顔も夜の黒に変わり、釣り上がった二つの白目だけが宙に浮かぶ。

 

「こんな家、潰れればいい。お前も贄におなり」

 

 そういうと叶は、珠子の手を爪が食い込むほどに掴んだ。

 

「痛い! 離して」

 

 逃れようと、珠子はもがいた。

 

「誰も来やしない、ここは母屋から遠いんだ。栄と冬樹が、盛ってたって、誰にも聞こえやしなかったんだからね」

 

 叶は泣き叫ぶ珠子の手を掴んで、縁側から栄の御神木へと引きずっていく。

引きずられまいと、珠子は縁側のガラス戸に、反対の手でしがみつく。

 その時、縁側で立ち尽くしていた沙織と目があった。

 

「沙織さん、助けて」

 

 珠子の声に沙織は我に返り、叶の手に縋りついた。

「待って叶様。私、美恵の娘の沙織です」

 

「美恵の娘?」叶の動きが止まった。

 

「そうです。あの時は、叶様は何も分からなくなってらしたけど、母と冬樹くんと一緒に何度かお会いしました。

 あの事件には続きがあるんです。冬彦さんに土がかけられ出して、母と叶様が蔵に閉じ込められた時、叶様は気を失っておられた。

 母が泣いていると、蔵の戸が開いて、栄様が現れたんです。

さっきと様子が全然違ったそうで、寝巻き姿で、熱に浮かされて足元がおぼつかなかったって。

 

『叶ちゃんは無事ね? 三恵さん、私を御神木に連れていって』

 

 目の前の栄様に肩を貸して、離れの御神木の前についた時、そこにも大槻の家紋付の羽織姿の栄様がいたんです。

 

『栄様が二人?』

 驚く女達に羽織を着た栄様は

 『いい贄だった』と、にたりと笑うと消えました。

 足元には土饅頭が一つ、冬彦さんはもう埋められてしまってた。

 

『早く掘り起こして!』

 後から来た栄様の指示で、慌てて土を掘り起こした母達が見たのは、ついさっき埋めたばかりの冬彦さんの身体中に、御神木の細く白い毛根がびっしりと、身体に突き刺さり絡みつき、冬彦さんの血を吸う有様でした。

 

『間に合わなかった……』

 そう言うと、栄様は倒れました。

その時初めて、母達はさっきまで栄様だと信じて従っていたのは御神木の作る影、偽物だったと分かったんです。

 

 冬彦さんを殺したのは栄様じゃありません、影なんです。

 お父様も贄にされる前に、栄様が国外に逃したんです。国内だと、欅の分身に見つかるからです。それで御神木は贄を欲しがって、冬彦さんを襲ったんです。

 御神木の分身は日本中にいます、あいつらは大槻の女達の霊力を吸って強くなりたいんです、あなたは弱っていて操られる危険があった。

だから栄様はあなたを閉じ込めたんです。

 それに……それに、冬樹くんと栄様がああなったきっかけは、私なんです。

私が跡取りになるのを怖がったから。

 それで心配した冬樹くんが栄様に相談して、あんなことになって……私のせいなの。だからお願い、殺すなら私を殺して」

 

「なら、死ね」

 

 日蝕の最後の光に、剣の切先がひらめく。

 叶の右手の懐剣が、沙織の胸を突き刺し、抜いた。

 

 血飛沫が、叶の白い花嫁衣装と珠子の顔に飛び散る。

 ゆっくり沙織は倒れていった。

 

「次はお前だよ」

 

 沙織の血の滴る懐剣が珠子に向けられた。

 

 ――殺される、助けて! お兄ちゃん――

 

 その時日蝕が完成し、金環蝕のリングができた。

世界は夜に包まれ、そして叶の振りかざした右手の前に冬樹がいた。

 

「冬樹?」

 叶が、喘ぐ。

 

 音もなく、冬樹の唇が動いた。

 炸裂音の形に三回唇が開く。

 ――だめだ――と言って、冬樹は、珠子を掴んだ叶の左手に触れる。

 叶が思わず手を離した。

 

 珠子は、後ろに這いずって二人から離れ、

 縁側のガラス戸の縁にぶつかって止まる。

 

 右目の端、部屋の中で、ぽっかりと浮かぶ冬樹の顔にかかる白い布。

あそこに確かに冬樹はいる。死んでいる。

 左の目の端に、珠子の木の祠が映る。お兄ちゃんの魂はあそこ。

 では、私を守ろうとするこのお兄ちゃんは、きっと私の御神木が作りだした影なんだ!

 

「やめて冬樹、冬彦さんみたいな目で見ないで。悪いのはみんな、あの女なのよ」

 

 叶は、ジリジリと栄の御神木へと後退し、遂に背中が幹に触れた。

 途端に幹から二本の腕が現れ、身を乗り出して叶を抱きかかえた。

 

「冬彦さん」

 

 叶が叫ぶ。冬彦、冬樹の父親の名前だ。

 叶はふりかえって冬彦の影にしがみつく。

 

「冬彦さん、冬彦さん、会いたかった。もう離れない、わたしを一緒に連れてって」

 

 冬彦はやさしく叶の髪を撫で、うなじを探る。

 そして叶の右手の懐剣に手を添え、首に突き刺した。

 

 叶の血が、音を立てて幹に沿って高く駆け上がり、吸い取られて消えた。

 

「この贄で、我慢しておこう」

 

 冬彦は、にたりと笑って消えた。

 後には、血を吸われ、白くなった叶の蹲った亡骸だけが残っていた。

 

 冬樹の影はそれを黙って見ていた。

 

 日蝕が終わろうとしていた。

 太陽の端に、光が漏れ始めていた。

 

「冬……くん」

 沙織の声だった。まだ生きていた。

 

「沙織さん!」

 珠子が駆け寄ろうとするのを冬樹の影が止めた。

 

「珠子ちゃん無事なのね、良かった」

 ごぼりとさおりが血を吐く。

 

「私も、冬くんと一緒に埋めてね……良いでしょ?」

 

 影の唇が動いた。――そうしよう――と。

 

 その時、戻ってきた太陽の光が煌めき、

 冬樹の影は消えていた。

 

「沙織さん」

 珠子が近付いた時、沙織はもう、息をしていなかった。

 

 

「いやあぁアアアァー」

 

 大声で叫ぶと珠子は駆け出す。

 開けっ放しの北戸の敷居をこえ、ながい渡り廊下を母屋へ、

 安全な世界へと――

 珠子は必死に走った。

 

「いまやああーぁ。うわぁ、あああ…ひぃい、きゃあああああー」

 

 はく息が全て絶叫になっていた。

 息を吸う時だけ悲鳴が途切れる。喉の奥が痛い、鉄の味がする。

 腿を伝わり滴る径血は、白い靴下に染み、

 血の足跡となって、涙の雫と一緒に点々と珠子の後に繋がっていく。

 

 痛い、痛い、痛い! 誰か助けて、

 珠子は身体中で叫んでいた。

 

 不意に珠子は止まる。廊下の終わり、母屋との境の柱にもたれて、栄が立っていたのだ。

 

「ママー!」

 一声叫ぶと、珠子は栄に縋りつく。

 

「珠子ちゃん、無事でよかった」

 よろけながらも、栄は珠子をしっかりと受け止めた。

 

 珠子は栄にしがみつき、しゃくり上げた。

 ママがいる、もう大丈夫。怖いことは終わったのだ。

 

「みんな見てたわ。叶ちゃんも影に食われてしまった。私はまた、間に合わなかった。でもね約束する。ママ、必ずあの悪い御神木をやっつける。それが冬樹との約束なの……」

 

 不意に栄の手から力が抜け、珠子を離すと柱に沿ってずり落ちた。

 ひどい熱だった。

 

「ママ、ママー!」

 

 珠子の金切り声に、家の者達が駆けつける。

 

「離れで……叶お母さんと、沙織さんが死んだの」

 そう言い終わると、珠子も意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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