雪に泳ぐ魚 (コバルトノベル長編/一次選考突破・43,000字)   作:源公子

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月が綺麗ですね

「ごめんよ。保坂には俺の絵を描いてもらったんだ。それで、お前も描いてもらいたくて頼んだんだよ。良いだろう?」 

 

 断るわけにも行かず、次の日からモデルをすることになったのです。

 

 

 

 保坂さんはたいそう真面目で礼儀正しく、悪い方ではないのですが、潔癖症というのでしょうか、なんでもアルコールで拭くのにはこまりました。兄さんの手はアルコールの使いすぎで、ガサガサになっていました。

 

「こいつの癖が移っちゃってね、やらないと、なんかむずむずしちまって」

 

 その上兄さんは、今年の冬、風邪を引いて以来、喉の調子が悪く、ずっとマスクを離せないというのです。

 

 喘息症状や誤飲して吐いたりするので、食事も別にしたいと言って、私達の子供の頃住んでいた離れに、医学生の保坂さんと二人だけで泊まると決めてしまったのです。

 

「なんでもスペイン風邪というのが外国で流行っているからだとか。

 風邪ぐらいで、お医者様はほんに細かいねぇ」

 

 母さんもため息をついています。

 

 

 

 

 五月二十八日、スペイン国王が感染したのをニュースで聞いてから、日本ではこの新しい型の流行性感冒をスペイン風邪と呼んでいました。

 

 二十世紀初頭、まだ抗生物質が発見されておらず、特効薬のない中、患者の隔離、手洗い、うがい、消毒、集会や移動の抑制などしか手立てがありませんでした。

 

 日本にスペイン風邪が入ってきたのは八月の下旬。

 

 十月上旬には全国に蔓延しますが、それがどんなに恐ろしいものか、日本人はまだ誰も知らなかったのです。

 

 

 

 

 私は怒っていました。三年ぶりに会えたのです。

あれも話そう、これも話そうと楽しみにしていたのに、保坂さんがピッタリ側についているので、ろくに話ができないのです。

 絵描きか何か知らないけど、私の事ジロジロみるし。不愉快です。あのお邪魔虫!

 

「寛治兄ちゃんの友達、でっかいねえ。でも、私より色白い」とクニ。

 

「お医者様だもん、頭いいんだ。僕、数学の宿題手伝ってもらおうかな」と清六。     

 清六も中学生。夏休みで学校の寮から帰ってきていました。

 

「そうね、世に言うインテリゲンチャって奴よ。

 本ばかり読んで、外に出ないから、女みたいに色が白いのね」と私。

 

「でも、ハンサムだよ。お医者様だしモテそう。お姉ちゃんどう?」とシゲ。

 ほっぺをつねってやりました。

 

「何にしたって身勝手よ。取りに来るって行ったくせにまだ来ない。お膳作って運ぶこっちの身にもなってよ」

 

「お姉ちゃん顔怖い」とシゲ。

 打とうとしたけど、逃げられました。

 

 

  離れにお膳を二つ運んでいくと、呑気に梯子をかけて二人で屋根に登って星空を見ていたのです。

 仲良く手を繋いで。

 

「ちょっと、寛治さん、何やってるのよ。人にお膳を運ばせといて!」

 

「しのぶか、お前も来いよ。昔よく二人で登ったろ」

「寛治くん、女の人には無理ですよ」

 

「何よ! 女だって屋根くらい登れます」

 裾をたくしあげて、しゃにむに梯子を登りました。

 

 狡い、あそこは私と兄さんだけの大事な秘密の場所なのに。

 兄さんと手を繋いで良いのは私だけなのに。狡い、狡い、保坂のバカ!

 

 ずるっと掴んだ瓦が滑りました。

 

「危ない」

 滑り落ちそうになった私の手を掴んだのは保坂さんでした。

 軽々と私を引っ張り上げて、ストンと兄さんと自分のあいだに座らせます。

 

「大丈夫ですか?」

 私はまだ掴んでいた保坂さんの手を振り払いました。

 

「何であなたが助けるのよ、私の手を握って良いのは寛治さんだけよ!」

 私は、保坂さんの掴んだ手を必死に着物の袖で拭いていました。

 

「あ、いや僕の方が近かったのでつい。すいません」

「助けてもらっといて、それはないだろう、ゴメンよ保坂」

 

 保坂さんは私を掴んだ方の手をじっと見つめて、

「月が綺麗ですね」と言いました。

 

「何言ってんのよ、今日は月なんて出てないわ!」

 

「そう怒るなよ、お前のお土産を確認してたんだ。欲しがってたろ、星座盤」

「あ、手に入ったの?」

 

「うん。星座盤に、今日の日付と時刻のメモリを合わせる。

 そして北を下にして持って、頭上に掲げてみるんだ」

 

「ほんとだ。北斗七星がある。カシオペアも」

 

「それは、星座版ナシでもわかるだろ。

 こいつ、いくらおしえても他の星座はうまく探せないんだよ。あとは冬のオリオン座くらいか?」

 

「天の川と白鳥座は知ってます!」

 

「それじゃ、織姫と彦星を探してみろよ。

 織姫は琴座のベガ、彦星は鷲座のアルタイルだ。天の川を挟んでココとココだ」

 

「ほんとだ。すごーい、私でもわかるわ。でもアレ? あそこの赤い星載ってない。

 あんなに目立つのになんで? 兄さん、この星座盤もしかして欠陥品なんじゃないの」

 

 私がそう言うと同時に、保坂さんが吹き出しました。

 肩を震わせ、必死に口を押さえてます。

 

「え? 何、どうしたの」

 訳がわからず兄さんを見ました。

 

「しのぶ、ありゃ火星だ。理科で習ったろう、水・金・地・火・木・土・天・海・冥。

 地球と一緒に太陽を回ってるんだ。毎日動き回ってるものを、どうやって動かない星の地図に載せるんだよ」

 

「あ」

 顔から火が噴きました。堪えきれず、保坂さん大笑い。

 

「そうですよね、星座盤には月だって載ってないですもんね」

 笑いが止まらないのでした。

 私は怒り心頭、こんな奴のモデルなんて真平だ!

 

「私帰る。お膳は置いてあるから、勝手にやって。御代わりは無しよ」

 

 私はそういうとさっさと屋根から降りたのです。

 兄さんがまだ何か言ったようでしたが、聞いてませんでした。

 

 バカ、バカ、バカと声をかぎりに母屋までの道を、走りながら繰り返していました。

 

 

 

 

 また魚の夢を見ました。ところが、いつもは冬なのに、今日に限って夏なのです。

 

 

 青々としげる田圃の中に満月を映すため池があり、大きな鯉が二匹仲良く泳いでいます。

 でもその色は白と黒。赤い魚がいません。

 

 その時、池に映る月を遮る角の生えた影。

 

 鬼? いいえ、それはとても大きな赤い虎猫でした。角と見えたのは、ピンと立った耳でした。

 

 猫はニタリと笑うと、あっという間に白い鯉を捕まえて、一飲みしました。

 すると赤虎の体が、白と赤のブチ模様になりました。

 続けて黒い鯉も一飲みにして、猫は綺麗な三毛猫になったのです。

 

 三毛猫に雄はいませんから、この猫は雌なのです。ではこの猫はもしかして私?

 

「気に入らない奴はみんな食べてやる。何が『月が綺麗ですね』よ」

 そういうと、猫は水に映った月までも、パクリと食べてしまいました。

 

 すると猫は、満月のように光る、金色の猫にかわりました。

 猫は満足そうに舌なめずりをしたのです。

 

 

 

 

 そこで目が覚めました。変に辻褄が合ってます。メルヒェンのような落語のような。

 最近弟妹達に何度も読み聞かせた、子供向けの「赤い鳥」と言う雑誌の影響でしょうか?

 

 朝の食事を取りに来た兄さんに朝食のお膳を渡しながら

 

「寛治さん、昨夜夢を見た?」と聞いてみました。

「いや、昨日は疲れてぐっすりだった。またあの魚の夢かい?」

 

「ううん。三毛猫がお月様を食べて、金色になる夢」

「なんだ、縁起の良さそうな夢じゃないか。俺は見てないな」

 

 鯉を食べてしまったことは言えませんでした。

 

 

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