恐怖狩人 ~クトゥルフ神話ガチ勢が恐怖小説を書いてみた~ 作:セラニアン
Ⅰ
一目で異国出身とわかる白髪の少女は、詠うように言った。
「人というのは、二つの幻想を抱いて生きておる。一つは自分が人であるということ。もう一つは相手が同じ人であると言うことじゃ。――わかるか、小娘?」
「……人の家でただ飯を食べながら意味不明なこと言わないでください」
栗色の髪の少女は憮然と言い放つ。
片や見事な白髪を膝丈まで伸ばし、チョコレート色の肌にラピスラズリを思わせる蒼瞳を持った十歳ほどの少女、イース。
片や栗色の髪を両サイドで結い上げた高校生ほどの少女、緋瑞梢。
「だいたいですね」梢は不機嫌そうにご飯をよそいながら、「どうしてあなたは、ご飯時になるとウチにたかりに来るんですか?」
「腹が減ったからにきまっておろう?」
「どこか別の場所で食べればいいじゃないですか!」
「それは無理じゃ」イースは不敵な笑みを浮かべ、「わらわは文無しじゃからな」
「威張らないでください!」
典型的なダイニングキッチンに、梢の怒声が響き渡る。
ここのところ梢はずっと不機嫌だった。いくら牛乳を飲んでも体操をしてもいっこうにバストアップ効果がないこともそうだった。毎日のように死んだ両親の知り合いという少女がやってきては、ただ飯を喰らってゆくこともそうだ。
そして、なにより梢の心を苛立たせているのは、何もしてくれない兄の態度だった。
「『お兄ちゃん』からも何か言ってよ!」
「……」
その言葉に、梢の対面に座っていた青年がチラリと顔をあげた。どこにでもいるような容姿だったが、よく見ると左のこめかみからから左目までの皮膚に、あざのような痕があった。
織斗は、一瞬、痛ましそうな表情を浮かべたが、すぐに何でもないように頭を振ると、
「……いや、俺に振られてもなあ」
手元の地方新聞に目を落とした。
「もうっ! ご飯のときに新聞読まないで!」
苛立たし気にテーブルをバン! と叩く。
いったい、いつから兄はこのようになってしまったのか、と梢は怒り半分嘆き半分で思った。
両親が死んではや三年。二人暮らしを始めた頃の兄は、まさにパーフェクトだった。確かに人づきあいが悪くぶっきらぼうなところがある兄だが、それを補ってあまりある能力と気遣いがあった。掃除洗濯ありとあらゆる家事を一手にこなし、さらに学校の成績も上位をキープし続けた。緋瑞織斗の名を知らぬ者は学校にはおらず、兄にモーションをかけようとする友人の牽制に梢も四苦八苦したものだ。
しかし、それから三年。一応、大学に籍を置いているようではあるが、通学している様子はほとんどなく、しょっちゅうフラフラと各地を旅行しているようだった。しかも、この小学生と見まごうばかりの幼い少女――中身は生意気極まりないメスガキだが――を一緒に連れまわしている始末。
なんたることか!
「お兄ちゃん!」
椅子から腰を浮かせたまま、梢は織斗を睨み付けた。
「この際だからはっきり言うけど、いったいいつまでそんなニートみたいな生活を続けるつもりなの!」
「そんな生活って言われてもなあ」
「小姑のようなことを言っていると老けるぞ、小娘」
やれやれとイース。
「部外者は黙っててください!」
「部外者とはあんまりじゃな。このままじゃと、高い確率でお主の姉になるやもしれんというのに」
「……姉?」
梢は首をかしげる。姉とはどういうことか? 自分には兄しかいない。すでに両親もいないし、『柚姫』も死んでしまったので、残された兄弟は『先輩』である織斗だけだ。
(あ、そっか……お兄ちゃんと誰かが結婚したら……)
ん? 結婚?
「ま、まさか……」
「そのまさかじゃよ」
わなわなと唇を震わせる梢を前に、イースは妖艶に笑いながら椅子から立ち上がった。織斗に近寄ると、その膝のピョンと飛び乗る。
白髪の少女は織斗の胸板に頬を寄せながら、
「なんなら今から予行演習でもしておくか? 姉と呼ぶことを許すぞ?」
「そ、そんな……」
梢は愕然とする。
「お兄ちゃんが、ロリコンだったなんて……」
兄は死んだ。
「お兄ちゃんの最低!」
椅子を蹴って立ち上がる。梢は肩を怒らせながらキッチンを出て行った。
「……なあ、イース」
「……なんじゃ」
梢の足音が聞こえなくなったところで、織斗は口を開いた。怪訝そうな視線をイースに向ける。
「梢ちゃん……なんで俺を『お兄ちゃん』って呼ぶようになってるんだ……?」
「……うむ、それなのだが」
いつもの飄々とした雰囲気とは打って変わり、珍しくイースは困り果てた様子だった。
「コズエ……我が
「なんでもまたそんなことに?」
「生前のコズエに、お主の身内になりたいという願望でもあったのじゃろうよ。おかげで妙な自立行動をするわ、調整はうまくいかないわで、困り果てているところじゃよ。かといって、仮想人格を消して再構築するのはちと面倒じゃしのう」
その言葉に、織斗は痛まし気に目を伏せた。
「あまり苦にするでないわ」とイース。「そもそも、
「わかってても、な」
そこで、織斗は頭を振った。
「それより、わざわざ朝っぱらから出てきたってことは、なにか見つけたんだろ?」
「そのとおりじゃ。さすがは我が伴侶じゃのう」
「誰が伴侶だ、誰が」
半眼でねめつける織斗に、イースは含み笑いを浮かべると、
「これじゃよ」
どこからともなく一冊の雑誌を取り出した。オカルト系の雑誌だ。読者投稿欄を開き、一つの記事を指し示す。
「隻眼マリアの呪い?」
織斗は眉根を寄せる。
記事の内容自体はありふれた都市伝説だった。ある地方都市で失明事件が起きている。原因は昔、虐めで失明させられた少女の怨念である。少女の亡霊は今も生け贄を探して町をさまよっている――などなど。定番といえば定番の恐怖記事だ。
しかし織斗には一つだけ気になる部分があった。
「……自分で自分の片目をつぶす、か」
思わずその光景を想像してしまい、織斗は背筋を震わせた。記事に寄れば、失明した者たちは全員、自分で自分の目をつぶしたらしい。明らかな異常行動だった。これが一人だけならば単なる精神異常者と判ずることが出来るのだが、被害者の数は四人。多いとはいえないが、少ないともいえない数だ。
「なあ、イース……」織斗は厳しい表情で、「これは超常現象か?」
「お主はどう見る?」
「……」わずかに黙考し、「……四分六分」
「いや、七分三分じゃ。超常現象の域に達しておるのは間違いなかろうな」
全て分かっている、とでもいうようにイースは言い切った。織斗は感嘆の吐息を吐く。
「さすがは
「かつての栄光じゃよ。もはやわらわのシュメール王国は滅亡し、シリウスの民はみな星の向こうへと去った。六千年も前にな。わらわに残されたものといえば、使命という名の忌々しい呪いのみじゃ」
そう言いながらも、しかしイースの顔は愉快気な笑みをたたえていた。チョコレート色の肌はわずかに上気し、その目には狂人とも賢者ともつかない複雑な色が浮かんでいる。
「それで、じゃ」イースは織斗の顔をのぞき込む。「此度もわらわとの契約、しかと履行して貰うぞ、二代目?」
「二代目はやめてくれ」
「言葉など常世での戯れ事にすぎぬ」
クスリと笑い、イースは踵を返した。気のせいだろうか、その姿が不自然にノイズがかって見える。
「わらわは先に現地に跳んでおるからの。あまり伴侶を待たせるでないぞ」
ノイズが酷くなる。数秒後、まるで寿命のつきたテレビ画面のように、白髪の少女の姿がプッツリとかき消えた。
残された織斗はわずかに嘆息。髪をかきむしる。
「……梢ちゃんに説教されそうだな」
そう言いつつも、織斗の目にあったのは狩人さながらの冷徹な光だった。
十分後。年期の入ったランドクルーザーの駐車場から飛び出していった。まだ晴れ渡っている空の元へと。
Ⅱ
N県にある稲峰市は、別名『鬱病患者生産場』と呼ばれていた。
海に面した稲峰市は、土地柄、曇天になりやすい。十月から四月のウィンターシーズンに至ってはほとんどが雪か曇だ。そんな天気が続けば人の気分が落ち込むのも当然で、特に外部からこの稲峰市に越してきた人は高い確率で鬱病にかかる。夏期は十分に晴れ間が出るが、しかし夏は夏で、海から吹き寄せる生暖かい海風のせいで、町全体がじっとりとすることになる。南、西、東の三方を山に囲まれているため、空気の入れ換えも上手くおこなわれない。
そんな稲峰市のもっとも南側、山肌を背にした場所に『N県立稲峰高校』はあった。
九月も終わろうかというその日、稲峰高校では文化祭の準備が行われていた。
祭りの準備といえば、ある意味では本番よりも盛り上がるものだ。しかし稲峰高校内に流れるのは浮ついた空気ではなく、どこか緊張感をはらんだ静けさだった。準備をしている生徒たちの顔もどこか暗い。文化祭が楽しみだから準備をしているわけではなく、何かしていた方が気が紛れるからやっている、といった感じだった。
「校長先生、やはり文化祭は中止すべきです」
校舎屋上。生臭い風の吹きすさぶそこで、稲峰高校生徒会会長である少女、
しかしそんなイメージを一瞬で打ち砕くモノが彼女の顔にはあった。
右目を覆う――黒布。
斜めにかけられた黒い端布によって、彼女の右目は完全に覆い尽くされていた。眼帯すら買えない貧しい海賊のようだ。なまじ眉目秀麗なだけにその異様さが際だっている。
もっとも鞠亜の目の前にいる白髪の男性は、それをまったく気にしていない様子だった。
「ふむ、そうですねえ……」
白髪交じりの髪を短く刈り込んだ五十過ぎの男性は、フェンス越しに校庭を見下ろしていた。灰色の運動場では、幾人かの生徒たちがのろのろと出店の準備をしている。活気はない。
「あのような……」鞠亜は校長の背中をじっと見据えると、「あのような凄惨な事件があった後に文化祭をやるのは不謹慎ではないのですか、扇田校長?」
「このような時だからこそ、という考えもできますな」
校長である
「我が高校の文化祭は、稲峰市民の方にとっても大きなイベントです」
扇田は鞠亜から目をそらし、町の方を見やる。
「今、この町は大きな不安に包まれています。ならばこそ、その不安を少しでも和らげるのが、私たちの使命ではないのでしょうか」
「それは……」
「大丈夫ですよ、瀬阿さん。万物はうまくゆくようにできているものです。それに……」
扇田校長の目が、わずかに熱を帯びる。
「……それに、すでに手はうってありますので」
「手?」
「いえ、こちらの話です。とにかく貴方は安心して自分の職務を全うするように」
「わかりました……」
なにか言おうとした鞠亜だったが、しかし最終的に引き下がった。この校長の言葉を聞いていると、なぜか上手くゆくような気がしてくる。まるで聖職者を前にした信者のように。
(そう言えば、校長先生は浄山寺の住職もしているらしいわね……)
鞠亜はついと視線を真後ろに動かした。こちらを威圧するように、緑に覆われた山がそびえている。
「おや?」校長が小首をかしげる。「どうかしましたかな、瀬阿さん?」
「……いえ、なんでもありません」鞠亜は首を横に振ると、「それでは、私はこれで失礼します」
校長に向かって一礼し、踵を返した。生臭い海風に背を押されるように屋上から校舎の中にもどると、薄暗い階段を下る。
二階にさしかかろうかというところで、ふいに彼女の視界を白いものが横切った。
「……猫?」
踊り場の手すりの上。まるで玉座に座する王のようにその猫は佇んでいた。真っ白な毛並みで、手足と尻尾の先だけチョコレート色になっている。瞳は深い青色。まるでラピスラズリのようだ。首輪はしていない。深海をのぞき込んだような瞳をこちらに向け、瞬き一つせずに見つめている。
ふいに鞠亜の脳裏を、不自然なイメージが通り過ぎていった。眼帯の下の右目がズキリとうずき、思わず布の上から手を当てる。
鞠亜の脳裏に浮かんだのは、一人の少女の姿だった。一目で異国人と分かるチョコレート色の肌に真っ白な髪。ラピスラズリのような瞳に、愉悦と好奇心の色を浮かべている。
まるでこの猫のように――
「……何を考えているのかしら。この猫の正体が人間だなんて」
まったく非現実的な自分の想像に、鞠亜は苦笑いを漏らした。まさか自分にそんなメルヘンな心が残されているとは。
「あなたどこから入ってきたの?」
まるで子供に聞くような口調で鞠亜は尋ねた。自分の想像につきあうことにしたらしい。
「迷子?」
「にゃぁ」
猫はゆっくりと首を横に振った。鞠亜はわずかに驚く。
「貴方、私の言葉が分かるの?」
その問いには答えず、白猫はふいに彼方に視線を向けた。「にぃ」と一声鳴く。
なぜか鞠亜には、それが『あちらに行ってみよ』という意味であることが分かった。
「向こう?」
鞠亜は猫の視線を追う。階段を下っていった先、一人の女性教師が一階の廊下でうずくまっていた。肩をふるわせながら。明らかに異常な様子だった。
「木多先生?」
鞠亜は思わず階段を駆け下りた。距離感がつかめず、階段から転げ落ちたのは過去のことだ。右目を失明させられて早六年。今はもう何の問題もなく生活が送れる。
鞠亜は階段を素早く下りると、教師に駆け寄った。茶色の髪をセミロングにしたその女性教諭は、鞠亜の担任である
そんな翔子先生が苦しげに肩をふるわせ、うずくまっている。
「どうされたんですか、先生?」
鞠亜は翔子の肩に手を置き、軽く揺さぶった。うつむいているため、翔子の表情を伺うことは出来ない。顔からポタポタと何か液体が垂れているのだけ分かる。
ん? 液体?
「え……?」
鞠亜は始め、翔子が泣いているのだと思った。しかしすぐに、そうではないと悟る。床にポタリポタリと落ちる液体。透明なジェル状のそれに鞠亜は見覚えがあった。
不意に翔子が顔を上げる。
「ごめ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ひっ!」
鞠亜は息をのみ、そして後ずさった。大人にしてはやや童顔な翔子の顔。その右目があったところには、銀色に光る五寸釘が深々と突き刺さっていた。
鞠亜の意識が強制的に過去に引き戻される。
白い病室に白い天井。壊れた笑みを浮かべた少女と、その手に握られたボールペン。ボールペンは自分の右目の真上で静止すると、そのままゆっくりと下へ――
「――ッ!」
ズキリ、と黒布の下の傷跡がうずく。その痛みによって現代に舞い戻ってきた鞠亜は、さらに異常な光景を目の当たりにした。
「もう見せないで……止めて……許して……」
ガッ、と翔子は自らの眼球を串刺しにする釘をつかんだ。力を込め、鈍く光る五寸釘をさらに奧に押し込んでゆく。
「ごめ……ごめんな…………ぎゃぁぁあぁぁ!」
苦痛による絶叫によって、ようやく鞠亜は身体の支配権を取り戻すことが出来た。
「やめてください、先生!」
これ以上突き刺したら命に関わる。本能的にそう察した鞠亜は、とっさに翔子を羽交い締めにした。次いで助けを呼ぶべく声を張り上げる。
先ほどの絶叫を聞きつけたのだろう。十秒もせずに数人の生徒が駆け込んできた。
「取り押さえるわ! 手伝って!」
凄惨な女性教師の姿に固まっていた生徒たちだが、生徒会長の一喝ではじかれたように行動を開始した。間もなく男子生徒たちの手によって翔子は取り押さえられる。
壁に手をつきながら荒い息をつく鞠亜の耳に、ふと猫の鳴き声が響いた。
にゃあ。
「……?」
鞠亜は顔を上げる。周囲を見渡しても先ほどの猫の姿はどこにもない。
その代わりに、鞠亜の目に一人の男性教諭の姿が入り込んできた。教育実習に来ている若い教師だ。アルカイックな笑顔が魅力的で、ここのところ毎日のように女生徒たちの話の種になっている。
しかし野次馬に紛れるその男性教諭の顔からは、感情という感情がごっそりと抜け落ちていた。
「マリアの呪いだ」
そう呟き、男性教師は踵を返す。
「…………」
ゾワリとした怖気を訴える右目を押さえる。
去ってゆく男性教師の背中に、無数の糸のようなものが蠢いているように鞠亜は感じた。
Ⅲ
木多翔子教諭の凶行は、インフルエンザウイルスよりも素早く生徒たちに感染し、そして一切の潜伏期間を経ずに発病した。
放課後。本来なら学際準備期間中ということで午後七時まで校内に残ることを許されている生徒たちも、この日ばかりは終業同時に下校することになった。唯一の例外があるとすれば、それは鞠亜くらいだろう。
消毒薬の香りがする保健室で、鞠亜は長いすに腰を下ろし、右目の黒布をはずしていた。保健室とは妙な場所だ、などとぼんやりした頭で思う。気味の悪い骨格標本や鼻をつく薬品の香りといった人を拒絶するようなものが存在する一方で、人を温かくむかえるベッドや保険医が存在する。矛盾といえば矛盾ではなかろうか。
「ふむふむ、特に傷が開いたりはしてないねえ」
白衣を纏い、禁煙用パイプを咥えた妙齢の女医がそうのたまう。ショートヘアに大きな黒縁眼鏡をかけた彼女の名は
「感覚はどうだい、鞠亜?」
「今はもう平気です」鞠亜は黒布を縛り直す。「一応は、ですけど」
「ふうん。じゃあ幻痛かな?」
「幻痛?」
「そ。幻の痛みと書いて幻痛」
ももこは禁煙用パイプを指の先でつまむと、それをペン代わりに空中に『幻痛』という文字を書いた。
「鞠亜、キミは痛みを感じるのはどこだと思う?」
「……」鞠亜はわずかに黙考し、「痛覚ですか?」
「ブー。はずれ。正解は……」
ももこは自分のこめかみを指先でトントンと叩いた。
「ここだよ」
「脳ということですか?」
「そゆこと。痛覚神経はあくまで受容器官。情報入力するだけのね。痛みを感じるのは脳ってわけだ。そして脳には情報を保存するっていう機能もある。痛みというのも突き詰めれば情報なわけだから、それが保存されていても不思議じゃない。そして、その情報がふとしたときに再生され、あたかも本当の痛みのように感じるのが幻痛ってわけさ。ま、あんなもの見ちゃったら仕方ないんじゃない?」
「そう、ですね……」
「どしたんだい、鞠亜。キミにしちゃ歯切れが悪そうじゃないか」
「いえ、その……」
鞠亜は言いあぐねる。
彼女が八城ももこ医師を訪ねたのは、なにも古傷か痛んだからというだけではなかった。昼間自分が見た幻覚のようなものについて尋ねようと思ったからだ。
八城ももこという女性は、医師でありながら超常的な事柄にも精通した女性だった。ようはオカルトマニアと呼ばれる人種だ。好奇心が旺盛で、鞠亜も何度か巻き込まれたことがある。
そもそも鞠亜がももこと知り合ったのは六年前、姉が失踪した日だった。目にボールペンを突き立てられた鞠亜を始めに発見したのが、当時インターンとして市立病院にいたももこなのだ。以降六年、ももこは鞠亜の主治医のような立場になっている。
ちなみに実を言えば、鞠亜が生徒会長になったのもももこが推薦したせいだった。理由は面白そうだからとのこと。
「しっかしこれで六人目かあ……」
言いあぐねる鞠亜をよそに、ももこは複雑な表情でつぶやいた。事件自体は興味がそそられるが、被害者に学校関係者がいるため不謹慎なことは言えない。そんな表情だ。
現在、稲峰市では木多翔子教諭と同様、自分の目に何かを突き刺すという異常行動が蔓延していた。被害者は六人。うち一人が木多教諭で、もう一人が一年の男子生徒と、稲峰高校の関係者が二人ほどいる。
「全員、右目に突き刺したって言う話だし……ここまでくると、隻眼マリアの呪いっていうのも現実味を……」
そこまで言いかけ、ももこはハッと口を押さえた。
しかし鞠亜はそれを聞き逃さなかった。
「……ももこ先生」じっとももこを見つめ、「隻眼マリアの呪いというのは?」
「あっちゃ……しまったねえ……」
「ももこ先生」
「分かった分かった。話すからそんな睨まないでくれよ、鞠亜。『隻眼マリアの呪い』っていうのは、この学校を中心に今や町中に広がった噂のことだよ」
ももこの説明によれば、それは良くある怪談話とのことだった。クラスメイトに虐められて右目を失明した少女の怨念が、生け贄を求めてさまよっているというものだ。分別のある者であれば、一笑に付すようなうわさ話。
しかし鞠亜はそうは思わなかった。思えるはずがない。
「ももこ先生……」鞠亜は声を震わせながら、「まさか、その隻眼マリアというのは……」
「……キミの従姉妹のお姉さん、神木真璃亞君のことで間違いないだろうね」
飄々とした態度から一転、ももこは厳しい顔で告げる。
六年前、入院していた病院から突如行方を眩ました失明患者にして、十二歳の少女に暴行をくわえ手配された傷害犯。警察の捜査の甲斐なく、未だ行方不明となっている鞠亜の従姉。
まさかその姉の名が、怪談話のネタとして舞い込んでくるとは。
「ま、根も葉もない噂だろうけどねえ」
ももこは強引に声色を明るいものに変えた。禁煙用のパイプをピコピコと揺らす。
その時、保健室の扉が開き、一人の男性教師が顔を出した。アルカイックな笑みがまぶしい美形の教育実習生で、名を
「失礼します」
礼儀正しく保健室に入ってきた真彦は、残っている鞠亜を見て目を丸くした。
「まだ校内に残っていたのですか、瀬阿鞠亜さん?」
「ちょっと私と話していてね」答えたのはももこだった。「それでどしたんだい、久々津先生?」
「いえ、校内に生徒が残っていないか見回りを頼まれまして」
そこで鞠亜に向き直る。
「どこか気分でも悪いのですか?」
「い、いえ、大丈夫です」
先ほどの幻覚の事が蘇り、鞠亜はわずかに背筋を震わせた。慌てて立ち上がる。
「それではももこ先生、久々津先生、私は帰ります」
「ん、りょーかい」
「気をつけて帰るようにしてください」
ひらひらと手を振るももこと、にこやかな笑みを浮かべる真彦に一礼すると、鞠亜は鞄を手に保健室を後にした。人気のない廊下を足早に通り抜け、下駄箱で靴に履き替える。
昇降口を出たところで、再び鞠亜はあの猫と出会った。
「にぃ」
「あら、あなたは……」
深海色の瞳がじっと鞠亜を見つめていた。まるでこちらを見透かすように。
鞠亜はまたしても奇怪な想像に駆られる。脳裏に浮かんだのは二つの光景だった。一つは行方不明になったはずの従姉の髪。もう一つはさきほど久々津真彦実習生の背中にみた蠢く糸のようなもの。ともにそれは同じ色をしていた。
「なんなの、これ……」
自分の想像が怖くなり、鞠亜は思わず額に手を当てる。
そこで不意に白猫がクルリと踵を返した。校門の方にゆっくりと歩いてゆく。時折ふらふらと揺れる尻尾が、なぜか鞠亜には『ついてこい』と言っているように思えた。
鞠亜は首をかしげながらも、白猫の先導に従って歩き出した。ダンボールや木材が散らばる校庭脇を抜け、校門の方へ。校門の上には作りかけのアーチがかかっており、むき出しになった骨組みと相まって、まるで廃墟の入り口のようだった。
なおも猫の後を追う。
校門を出たところで、突如、猫の動きに変化が訪れた。小走りに駆け出したのだ。見失うことに恐怖を感じた鞠亜は、慌てて走り出そうとする。
しかし彼女は走らなかった。
白猫が駆けていった先に、一台の古びたランドクルーザーが停まっていた。すぐ傍らでは、一人の青年が困った様子で頭を掻いている。
白猫はその青年に駆け寄ると、そのままの勢いで青年の身体をよじ登り、最終的に頭の上にぐてりと腹ばいで横たわった。
「あ……」
理由の分からない喪失感に鞠亜は声を漏らす。
それが聞こえたのだろうか。青年の目が鞠亜の姿をとらえた。
「……こんにちは?」
語尾に疑問符をつけつつ、青年はあいさつ。未だ残暑が残る九月だというのに、長袖のロングTシャツにジーンズ、さらに薄いジャケットを纏っている。腰にはポケットがたくさん付いたポーチ。青白い肌をしており、よく見ると米神から左目にかけてあざのようなものがあった。
鞠亜は軽く頭を下げる。
「……学校になにか?」
「いや、君がイースを追いかけていたみたいだから」
「イース?」
「この子の名前だよ」青年は頭上の猫を指さす。「気位が高くて、その上、気ままな性格していてね。何かしでかしたんじゃないかと…………痛たたたたた!」
そこで青年がもがき出す。どうやら頭上の白猫――青年曰くイースという名らしい――が爪を立てたようだ。
なるほど気位が高いというのは間違いなさそうだ。鞠亜はそう思った。
「だー、わかった! 俺が悪かった、イース! だから頭皮に爪を立てるな!」
「にゃにゃ」
「まったく、禿げたらどうしてくれんだよ」
引っかかれた額をスリスリとさする青年と、プイと横を向く白猫。
まるで甲斐性なしの彼氏と気の強い彼女のようなやりとりに、鞠亜は思わず声を上げて笑ってしまうのだった。
Ⅳ
頭の上に白猫をのせた青年は、自らのことを緋瑞織斗と名乗った。大学生で、フィールドワークのために旅行中とのことだった。
「悪い。わざわざ案内してもらって」
「いいの。笑ってしまったお詫びよ。それに知り合いの家の近くなの。そんなに遠くもないしね」
鞠亜は幾分か砕けた口調で答える。始めは敬語を使っていたのだが、それほど歳は離れていないからと織斗に言われたため、今は普通の口調だった。
くすんだ町並みの合間を縫うように、鞠亜と織斗はモータースを目指して歩いていた。ちなみに件の白猫は未だ織斗の頭の上で丸くなっていた。
「この町に入ったところで、急にエンジンの調子がおかしくなってね」と織斗。「エンジンはうんともすんとも言わないわ、いつの間にかイースはいなくなるわで、どうしようかと思ってたんだ」
「猫を連れての旅行?」
「俺が一緒じゃないと機嫌が悪いんだ」
「にゃ」
同意するように白猫の尻尾がパタリと揺れる。
「まるで恋人ね」鞠亜はやや呆れたように、「それで緋瑞さん……」
「織斗でいいよ。堅苦しいのは嫌いなのと、あんまり名字が好きじゃないんだ」
「なら私も鞠亜でいいわ」
思いの外すんなりとファーストネームを許してしまったことに、鞠亜は自分でも少し驚いていた。
「それで、織斗さんはどうしてこの町に?」
稲峰市に何の観光名所もないことを鞠亜はよく知っていた。あえて言うならば浄山寺くらいだが、よほどの仏閣マニアでもなければ訪れたりしないだろう。
「生まれ育った私が言うのもなんだけれど、何もない町よ。あるのは海風くらいかしら」
「たしかに、わりと強く磯の香りがするな」
「そう? 慣れちゃったからか、臭いはほとんど感じないわ。感じるのは湿度くらい」
三方を低山に囲まれた稲峰市は、どこかじっとりとしていた。生まれ育った鞠亜ですらそうなのだ。外部から来た者には、さぞかし不快だろう。
「それで、織斗さんは何をしに?」
「ちょっとしたフィールドワークでね」
「大学の?」
「いや、趣味かな」織斗は苦笑いを浮かべ、「ちょうど今、この町で気味の悪い事が起こっているっていう噂を聞いてね。こうみえてもホラー物とか怪談に目がなくて。それで、ちょっと足を伸ばしてみたんだ」
「…………」
「しかし、不思議だな。自分の目を潰すなんて…………ん? どうかした?」
織斗は振り返る。突如足を止めた鞠亜が、こちらを睨み付けていた。
「……帰って」
鞠亜は冷たい声を発する。
「興味本位で事件を引っかき回さないで」
「え? いや、別に俺は……」
「いいからこの町から出てって」
そう言うなり鞠亜は踵を返した。肩を怒らせながら足早に歩く。
鞠亜は失望していた。始め鞠亜は、織斗のことをいい人だと思っていた。頭の上にのせた猫に好き勝手を許していることから、優しい人なのだと思っていた。
だがその実体は、ただオカルトが好きなだけの軽薄な男だった。死者を愚弄する人でなし。
もちろんそれは鞠亜の勝手な思いこみだが、それでも彼女は腹の底が煮えくりかえるのを押さえることは出来なかった。
一度も振り返ることなく、鞠亜はその場から立ち去る。
後に残されたのは、鋭い視線で鞠亜の去っていった方を見つめる織斗と白猫だった。
Ⅴ
「……どうだ、イース?」織斗は厳しい声で、「あたりか?」
「微妙なところじゃな」
白猫の口から人間の言葉が漏れる。一般人が見れば仰天するだろうが、幸か不幸かそこには誰もいなかった。
「何らかのアストラルライン――この国の言葉で言うならば縁や運命の赤い糸じゃな――が、あの小娘にまとわりついているのは確かのようじゃ。残念ながらラインが脆弱すぎて逆探知することは無理じゃったがな」
そこで白猫はニィと笑う。
「じゃがな、面白いことが分かったぞ」
「面白いこと?」
「あの小娘の潰れた右目じゃが、すでに二割ほど超常化しておるぞ」
「……マジかよ」織斗は頭上の白猫を見上げ、「第三の視界ってことか?」
「正確には『幻視眼』や『妖精の眼』と呼ばれる能力じゃ。俗に言う霊視能力というのは、あくまでも現世に残された思念を読み取ることしか出来ぬ。形あるものか、形あるものを媒介とした霊的存在物しか見れぬのじゃ。しかし妖精の眼は違う。この世の条理から外れたものを見ることができる」
「おいおい……」織斗の顔に戦慄が走る。「とんでもない能力だろ、それ?」
「時代が時代であれば、それこそ『預言者』や『神の子』と崇められる存在になっていたじゃろうな。鞠亜という名も伊達ではないようじゃ」
「救世主を生んだ聖母かよ」織斗は盛大に顔をしかめる。「冗談じゃないぞ。そんな力、万が一にでも『奴ら』に目をつけられたら」
「じゃろうな。もっとも今は無意識に精神的圧力をかけて封じておるようじゃがな」
「といっても、こんな環境だといつそれが綻びるか……」
織斗は頭上を覆う雲の層を見上げる。分厚い入道雲によって陽光は遮られ、大地まで届かない。さらに町を覆う陰気。シックスセンスに乏しい織斗では分からないが、それでも確かな息苦しさを感じていた。
「どうやらこの町は、生来的な陰窟になっているようじゃな」
「霊的たまり場って奴だな」と織斗。「周囲の地形が氣の流れを遮っているな」
「それだけではない。北が海になっておるじゃろう? 流動する水には結界の機能が備わっておる。結界によって封じられた陰気が、さらに潮風よってこの町に追いやられているのじゃな」
「海と山に挟まれたこの町が『澱む』のは、ある意味当然ってことか」
「まあ、そういうことじゃな」
白猫と織斗はそろって嘆息する。
「それで、どうするのじゃ?」白猫は織斗を見下ろしつつ、「あの娘を監視するか?」
まだ詳しいことは分かっていないが、彼女に張り付いていた方が何かと便利だろう。
そう思って提案する白猫。しかし織斗は首を横に振った。
「いや、その前にやることがある」
「なんじゃ?」
「……」織斗は目をそらす。「……車の修理」
「…………」
白猫の目が点になった。
「……故障というのは口実ではなかったのか?」
「……ほんとに壊れたんだよ」
織斗は忌々しげに古びたランドクルーザーを見た。
「せめて修理屋の場所だけでも聞いとけばよかったな」
「戯け者め」
鞭のように振り抜かれた尻尾が、織斗の顔をペシリと叩いた。
Ⅵ
瀬阿鞠亜はいわゆるお嬢様である。
鞠亜の自宅は、海を見下ろせる閑静な住宅街にあった。父親は貿易商を営んでおり、現在は海外へ長期出張中だ。母親は四年前に他界。故に広い屋敷にいるのは、鞠亜と二人のハウスキーパーだけだ。そのハウスキーパーも夕食の支度が終わり次第帰ってしまうので、夜の間は鞠亜一人だけになる。
一人きりの味気ない夕食を終えた鞠亜は、洗い物をしながら時間を潰していた。ハウスキーパーたちは別にそのままでも良いと言うのだが、鞠亜は大抵自分で洗い物をする。汚れたままの食器をそのままにするのは忍びないし、それに家事は嫌いではない。無為な時間をつぶせるところが特に。
「…………」
泡立てたスポンジでシャワシャワと皿をこする。キッチンを支配するのはその音のみだった。テレビでも付けようかと思った鞠亜だが、すぐに手が泡だらけであることに気付き断念する。静かだ。
「こう静かだと気味が悪いわね……」
独り言で気を紛らわせようとした鞠亜だったが、すぐにそれが失敗であることに気付く。霧散してゆく声によって、よけいに静寂が際だってしまう。
鞠亜は薄気味の悪さを感じ、やはりテレビを付けることにした。水道のハンドルを動かし、水で泡を洗い流す。蛇口から溢れる生温かい水。その水道水に混じって流れ出てきた紅茶色の髪の毛が、鞠亜の手にまとわりつく。
髪の毛?
「……ッ!」
鞠亜の心臓が跳ね上がった。声にならない悲鳴を上げ、洗い台から後ずさる。
改めて視た自分の手には、なにもまとわりついていなかった。
「幻……覚……?」
鞠亜は未だ激しく震える心臓を押さえながら、流れっぱなしになっている水を眺めた。次いで洗い場の中をのぞき込む。やはりどこにも髪の毛などない。
「疲れているのかしら……」
それも仕方がない、と鞠亜は独りごちる。ここのところ気の休まる時がなかった。文化祭の準備に、怪しげな噂への対処。今日に至っては担任の凶行を身体を張って止めたうえ、怪しげな男の相手までつとめたのだ。
鞠亜は今一度吐息を吐き出すと、流しっぱなしになっている水道を止めた。ふとのぞき込んだシンクに自分の顔が映る。代わり映えのない顔だった。右目を覆う黒布もいつも通りだ。
「…………」
鞠亜は無言のままそっと黒布をずらした。傷のある瞼を開くと白濁した眼球が現れる。黒目の部分がほとんど見えないため、まるで眼球の代わりに何か得体の知れない卵でもはめ込んだかのようだった。
「……ふふ、右目を潰したくなる気持ち、ちょっとは分かるわね」
自虐的に笑う。
鞠亜はこの目が嫌いだった。グロテスクな白濁球。衝動的な嫌悪感に駆られ、自らこの目をえぐり出そうとしたことも一度や二度ではない。
しかしそれと同時に、鞠亜はこの目に言いようのない執着も感じていた。失踪した従姉と自分とをつなぐ唯一の絆として。
彼女はずっと知りたかった。
なぜ姉は、自分の目を潰したのだろうか?
「結局それも分からないままね……」
――そうでもないわよ。
「……え?」
ふいに響く聞き覚えのある声。白い右目の奧に、何者かの人影が映る。紅茶色の髪を肩口でばっさりと切り落とし、童女のような笑みを浮かべた少女が、こちらを見つめていた。
耳元で誰かがささやく。
『――――』
声がささやいたのは意味不明の単語だった。聞いたこともない言葉。
しかし鞠亜にはそれが、酷く醜悪で冒涜的な言葉に聞こえた。
「いやあぁ!」
今度こそ鞠亜は悲鳴を上げ、その場でうずくまった。震える手で右目に触れる。いつもと変わりない感触だ。
やはり幻覚だろうか?
(……違う)
鞠亜は本能的に察する。自分が目にしたものは単なる幻覚ではない。あれは何かもっと得体が知れなくて、そして悪意に満ちたものだ。でなければ、あんな冒涜的な単語が思いつくはずがない。
鞠亜は思い出す。不気味な声がささやいた言葉を。
まるで禁断の言葉を口にするように、鞠亜はその言葉をそっとつぶやいた。
「……めさしあそび」
次の瞬間、家の電話からけたたましいコール音がほとばしった。