恐怖狩人 ~クトゥルフ神話ガチ勢が恐怖小説を書いてみた~ 作:セラニアン
Ⅰ
警察の留置場内で、久々津真彦は濁った目を虚空に向けていた。湿り気を帯びた、腐った魚類のような臭気が狭苦しい部屋の中にわだかまり、大気を犯している。
「…………」
真彦はのろのろとした動作で腕をまくり上げると、手首に巻き付けた『あるもの』に目を移した。とたんに感情の無かった真彦の顔に、アルカイックな笑みが戻る。
「僕の真璃亞……」
真彦がそうつぶやいた瞬間、にわかに空気の質が変化した。まるで南国の海に突き落とされたかのように、空気そのものが粘性を持ち始める。ねっとりと肌にからみつく大気は生臭く、常人であれば気持ち悪く感じただろう。
しかし真彦は、それをどこか心地よく感じていた。
「僕を迎えに来てくれたんだね……」
その声に反応するように、留置場のドアがひとりでに解錠される。
真彦はよろよろと立ち上がると、留置場から抜け出した。
「今行くよ……真璃亞……」
壁に手を突きながら、真彦は外へと向かう。
その右手首には、紅茶色の髪が一房、結いつけられていた。
Ⅱ
異常。
稲峰市の様相はその一言に集約できた。町の住民全てが能力者と化し、その能力のもたらす狂気に飲まれようとしている。集団パニックなどという言葉すら易しく聞こえるほどの狂宴が、町中で繰り広げられていた。
「くそっ、無茶苦茶すぎる!」
粘ついた大気を全身で受け止めながら、織斗はランドクルーザーを急がせていた。走っている車は一台もない。路肩に停車しているか、事故を起こして動けなくなっている。町の至る所からは人の絶叫や啜り泣く声が響き、まさしくホラー映画の一場面のような状況だった。
「イース、いったいどうなってるんだ!」
「わからぬ!」
あけ放った窓から身を乗り出しながら、辺りをうかがっていたイースが切実な声で叫んだ。常の飄々とした態度からは考えられないような様子だ。
「町の者全てが能力者と化すなど、どう考えてもあり得ぬのじゃ!」
「でも現にそうなってるぞ!」
「分かっておる!」
イースは苛立たしげに、
「分かっておるからこそ、分からぬのじゃ!」
何らかのカラクリがあるのは間違いない、とイースは叫ぶ。この世の全てには原因がある。原因が無ければ結果は訪れない。それは絶対だ。
しかしその原因が分からない。いったいどうやれば、町中の人間を後天的に能力者にすることができるというのか?
「でも、静観出来る状況じゃないぞ!」
織斗は邪魔な事故車の間をすり抜けながら、
「明らかに狂気が進行してる!」
「何を見ているかじゃ!」
イースが叫び返す。
「おそらく、『妖精の眼』の保有者となった者たちは、同じ『何か』を見ているのじゃ! その『何か』が、恐怖を飽和させ、狂気を誘発し、能力者たちの精神を汚染しておる! これが一人だけならば、その者が発狂して終わりじゃ! しかし、これだけ多くの、それこそ何千、何万もの能力者が狂気に呑まれておる! その狂気が、街を丸ごと汚染しようとしているのじゃ!」
「街をまるごとって……」
織斗の顔が引きつる。
「くそ、どうなってるんだ!」
言葉にならない恐怖と不安が、織斗の心を締め上げる。
それと同時に織斗の意識をよぎったのは、一人の少女の名前だった。
(鞠亜……!)
何が起こっているのかもわからない状況。それでも、手をこまねいているわけにはいかない。それが抵抗者たる自分の責務だ。
しかし、どうやって?
(くそ、俺はいったい何を見落としてるんだ!)
そうこうしているうちに八城診療所が見えてくる。玄関前にランドクルーザーを止めた織斗は、蹴破るようにドアを開け、診療所内に飛び込んだ。
果たしてそこに、右目を押さえながら蹲る瀬阿鞠亜がいた。
「鞠亜!」
「……ようやく……来たわね」
鞠亜は気丈にも笑って見せた。
「遅いわよ」
「大丈夫か!」
「なんとかね……我慢できないほどじゃないわ……」
そう言いつつ、鞠亜の額からは脂汗が流れていた。顔面は蒼白で、華奢な肩は苦痛と恐怖によって震えている。
「見えるの……」
鞠亜は、ふいに熱に浮かされたようにつぶやく。
「平面かも、立体かもわからない扉が……そこかしこに、おぞましい海藻に濡れた石の都が……そこから何かが……」
鞠亜の震えが激しくなる。ほとんど痙攣だった。
「ああ……いや、怖い……石窟に、神が……横たわっているの……でも、死んでないの……眷属に囲まれて琉璃江の島に……」
いよいよ、鞠亜は叫んだ。
「ああっ! 殺して! いやぁ! 死の都が……あの恐ろしいモノが……!」
「視るなっ!」
織斗は鞠亜の顔を自分の胸に押しつける。
「イース、どうすればいい! このままだと発狂するぞ!」
「わかっておる!」
イースはそう叫ぶと、猫から少女の姿に戻るなり鞠亜の後頭部に手の平を押し当てた。口笛とも風鳴りともつかない甲高い音がイースの喉からほとばしる。
一分後、イースは鞠亜の頭から手を離すと、再び猫の姿に戻った。
「簡易じゃが、視覚野を封印しておいた。半日程度しか持たぬじゃろうが、これで幾分かマシになるはずじゃ」
イースの言葉通り、鞠亜の身体の震えが目に見えて小さくなる。目にわずかだが理性の光も戻ってきた。
「お、織斗さん……」鞠亜は織斗の胸にすがりつきながら、「……あ、あれは、何? 私は何を見たの? 何が起こっているの?」
「……思い出さないほうがいい」
そう言いつつ、織斗は町の状況を簡単に説明した。
「町の人たちみんなが?」
「ああ」
織斗は厳しい顔で、
「町中が無茶苦茶だ」
「そんな、どうして……」
「わからないんだ」
織斗はこめかみを痕が残るくらいにかきむしりながら、
「何か原因があるのは間違いない。なのに、それが何なのかがさっぱりなんだ」
「……織斗の言う通りじゃ」
イースも恥じるように顔を背け、
「全く分からぬ。妖精の眼の保有者がこのように大量発生するなど、はっきり言ってあり得ぬのじゃ……」
しかし現に起こっているの事実だ。
「何かを……絶対に何かを見落としてるんだ……」
織斗はこめかみに手を当て思考を巡らせる。
(考えろ、織斗! そもそもの事件の発端はどこにある!)
織斗はこれまでずっと、この怪事件の原因は神木真璃亞の思念体だと思っていた。髪の毛に宿った思念体が、怨念が、様々な超常現象を起こしているのだと。だからこそ、人形を浄化したことで事件が解決したと判断したのだ。
しかし、もしそうではないとしたら? 全く別のところに事件の原因があるとしたらどうだ?
「そういえば……」ふと鞠亜が声を上げる。「実はさっき、真璃亞姉さんを見たの」
「ほんとか!」
「……ええ。急に目の前に現れたかと思ったら、こんな事を言ったの」
儀式が、めさしあそびの儀式が始まる。
「めさしあそびの儀式だって……?」
織斗もイースも聞いたことがない単語だった。
イースは真剣な表情で、
「本当にそれは神木真璃亞だったのじゃな?」
「ええ、間違いないわ」
鞠亜はうなずく。
「神木真璃亞が姿を現した……」
織斗は愕然とする。もしそれが本当だとしたら、神木真璃亞の思念体が宿っているものが別にあると言うことになる。
(どこに宿っているんだ? 髪じゃないとしたら……)
髪ではないとしたら、あと思い浮かぶのは死体くらいだ。
しかし例え死体に思念体が宿っていたとしても、町の人々を能力者へと変質させた方法が分からなかった。当然だが、思念体は肉体を持たない存在だ。例え生前の神木真璃亞が先天性の『妖精の眼』の能力者であったとしても、死んでしまえば意味はなくなる。身体がない者が生者与える影響など、たいしたものでは――
「……ん?」
ほんのわずかな、吹けば飛んでいってしまいそうな違和感が織斗を包んだ。脳神経の編み目に三つの単語が引っかかっている。
死体。能力者。肉体。
(なんだ? いったい俺は何に気付いた?)
織斗は本能的に、自分が真実に近づきつつあることを悟った。
しかし後一歩分の距離を詰めることが出来ない。
(くそ! あと一歩だってのに!)
苛立たしげに歯がみする。
そこで、さらに織斗の思考を邪魔する音が響いてきた。遠くに聞こえていた誰かの叫び声が凄まじいものに変化したのだ。思考が乱され、考えがまとまらない。
「どうやら狂気が進行しているようじゃな」イースが悔しげにつぶやく。「まるで狂者たちのカーニバルに紛れ込んだ気分じゃ」
「私たち、いったいどうなるの……」
鞠亜は織斗の腕をかき抱いた。
「織斗さん、私たちいったいこれからどうしたらいいの?」
「…………」
無言。
「織斗さん?」
「どうしたのじゃ、織斗?」
鞠亜とイースは全く反応のない織斗を怪訝そうに見つめる。
しかし今の織斗に、二人の声は全く届いていなかった。
織斗の中では、先ほどイースが言ったある言葉が何度も何度も再生されていた。
――まるで狂者たちのカーニバルに紛れ込んだ……
――狂者たちのカーニバル……
――カーニバル……
「まさか……」
織斗の脳裏に、天啓のごとき光が差し込んだ。あらゆる情報が関連性をもってつながり、一つの線上に並んでゆく。
神木真璃亞。
妖精の眼。
八面山。
発見されなかった死体。
稲峰市。
能力者の大量発生。
肉体。
儀式。
「そういう……ことか……」
どれほどの時間が経っただろうか。ふいに織斗は言い放った。
「くそ! なんでこんな簡単なことに気づけなかったんだ!」
「どうしたのじゃ、織斗?」
「どうしたもこうしたもない!」
織斗は声を荒げ、
「始めから、この事件はカーニバルが目的だったんだ!」
織斗はようやく気づいた。
「あるじゃないか、イース! 一つだけ、非能力者を能力者にする方法が!」
「な、なに!」
イースは目を白黒させる。
「ほんとか、織斗!」
「ああ。それも気づけなかった自分が馬鹿に思えるくらいに簡単な方法だ。ようはカーニバルなんだよ」
「カーニバルじゃと?」
そこでイースはハッとなる。
「まさか……そういうことか……」
「ああ、そういうことだ」
それはもっとも簡単で原始的な方法。
能力のない者が能力を得るために行っていたといわれる行為。
カーニバルの語源とも言われる祭事。
「カニバリズム――人肉屍食だ」
Ⅳ
人肉屍食。
この言葉を聞くと、大抵の人間は残虐的で冒涜的なものを想像するだろう。
しかしそれはあくまでも文明的な社会が発達した後の話であり、原始的な自然崇拝や精霊崇拝の元では、人肉食いは神聖で崇高な儀式であったと織斗は鞠亜に説明した。
「父さんの受けうりなんだが」織斗はそう前置きすると、「死者を偲ぶ考え方は三通りに大別できる。一つは天国や極楽浄土っていう苦しみのない楽園があって、そこで死者が安寧と暮らしてるっていう考え方。もう一つは、死んだ者がいずれこの世に蘇り、新たな生を送るって考え方。最後の一つは、死者が自分の中で共に生き続けてるっていう考え方だ」
そしてカニバリズムは、三つ目の考え方における究極の形だと織斗は言った。ようは死んだ人間の肉を喰らうことで、死者を自分の肉体の一部にするのだ、と。
「自分の身体の一部にする?」
「人間は、本能的に喰らったものが自分の肉体を形作っていることを知っておった」
鞠亜の問いにイースが答える。
「肉を食えばそれが己の肉になる。血を啜ればそれが己の血になる、とな。それを知っていた原始人類は、ある時、こう考えたのじゃ。死んだ者といつまでも共にあるためにはどうしたらよいか、と。答えは明瞭であろう、小娘?」
「死者を食べる……」
「そうじゃ」
「よく、死んだ人が自分の心の中で生き続けてるって言うだろ?」と織斗。「これも一種の精神的共食いなんだ。人間を始めとした生き物は、食べる以外に何かを取り込む能力を持ってない。それは精神的な部分でも一緒だ。喰べることでしか人間は他人を取り込めないんだ」
故に死者が自分の心の中で生き続けているという思想を、『精神的共食い』あるいは『心的カニバリズム』と言うのだと織斗は説明した。
「精神的な共食いって……」
鞠亜は思わず眉をしかめる。
それを見て、織斗はすぐに鞠亜の勘違いを訂正した。
「何度も言うけど、『人を食べる』っていうのは、原始宗教においては神聖で崇高な行為なんだ。現代の日本でも、骨噛みといって、遺骨を噛むという風習が残っている地域があるくらいだ」
「そもそも人食いは、人類が初めて死者を偲ぶ為に行った行為とも言われておるのじゃ」とイース。「決して冒涜的でも残虐的でもない。むしろ死を悲しみ、死者を追悼するという意味では、人間らしい感情によるものなのじゃ。お主のような現代人が死者に対して抱く思いと、何ら変わらぬものじゃ」
「人間らしい感情……」
イースの言葉を聞いて、鞠亜はなぜか安心感を抱いた。死者を悼むことは、人間としてごくごく自然な精神反応なのだと再理解させられたからだ。
もっとも理解したのはそれだけだが。
「それはなんとなく分かったけれど……」鞠亜は首をかしげながら、「そのカニバリズムが、今回の事件と何の関係があるの?」
「おおありだよ」織斗は厳しい表情で、「太古の先住民には『戦士食い』っていう風習があったんだ」
「戦士食い?」
それは主に古代のネイティブアメリカンに伝わる風習だと織斗は言った。
先住アメリカン、すなわち俗にインディアンと呼ばれる者たちは、勇敢な戦士として知られる民族だった。大自然を生き抜く彼らにとって、強いと言うことは種を保つために必要不可欠な要素だ。
故に彼らは、勇敢に戦って死んだ戦士の肉を好んで喰らったという。
「戦士の血肉を喰らうことで、その力と魂を己のものとする」
イースが朗々と語る。
「要するに、死者の血肉を取り込むことによって、死者が生前持っていた能力を己のものにするということじゃ」
「似たような風習や伝説は世界各地に散らばってるんだ」と織斗。「インカ・アステカの生け贄儀式、ブードゥーの人食い部族、若さを保つために処女の血肉を啜ったハンガリーのエリザベート・バートリー――」
さらに織斗は、人肉食いによる能力継承の一例として近年の事例を挙げた。
昭和34年12月。日本のある雪山にて、大学生四人が行方不明になるという遭難事件が発生する。洞穴を発見し、吹雪から身を守った四人だったが、しかし一週間待っても天候は回復せず、餓えた大学生たちの内の三人は、足の長かった一人の右足を切断し、食べたという。足を切断された学生は死亡。残った三人は最終的に救助されたのだが、その後、三人のうち二人が突如俊足になったという。
「ちなみに足の長かった学生は、大学駅伝の選手だったらしいんだ」と織斗。「ようするに、駅伝選手の肉体を取り込んだことで、その能力までも継承してしまったってことだ」
「総じて言えるのは、人肉食いには能力継承の作用があるという事じゃな」
「ちょ、ちょっと待って!」
鞠亜は戸惑いも露わに叫んだ。ようやく織斗の言いたいことを悟る。
能力者の血肉を喰むことで、能力を得ることが出来る。
つまりそれは――
「それじゃあ……まさか……」
「そのまさかだ。そう考えれば全てが繋がるんだ」
織斗は躊躇することなく、はっきりと言った。
「この町の人たちは全員、神木真璃亞の死体を『食べた』んだ」
「姉さんを……食べた……」
鞠亜はよろめいた。不快感が全身を貫き、思わず壁に寄りかかる。
「で、でも、どうやって……?」
「そうじゃぞ、織斗?」イースも眉をひそめながら、「人肉屍食によって神木真璃亞の能力を町の者たちに継承させたとするのは、まあよかろう。しかしどうやって人の肉を町中の人間に食わせたのじゃ?」
普通に考えれば、人の肉を町中の人間に食べさせるのは困難だろう。少数の相手にならともかく、稲峰市の住民約四万人全てに食べさせることなど出来ようはずがない。
しかし織斗は、すでにその謎も解いていた。
「いや、あるんだ。たった一つ、神木真璃亞を町中の人間に食べさせる方法が」
「なんじゃと?」
「厳密に言えば食べたんじゃない。飲ませたんだ」
「飲ませたじゃと?」
「ああ」
そこで織斗は鞠亜に向き直り、
「確か前にももこ先生が言ってたよな? この町の水道水は、八面山にある貯水施設から供給されてるって」
「え、ええ。そうよ。この町は少しだけ標高が高くて、そのせいで浄水場からの水量が弱いの。だから山にある貯水槽から落差を利用して町に水を……」
そこで鞠亜の顔色が劇的に変わった。
「まさか……そんな……」
「そうすれば全てが繋がるんだ。失踪前に、神木真璃亞が八面山を見ていたことも含めてな」
「……」
壊れた人形のような動作で、鞠亜は待合室の隅にある手洗い用の洗面台を見た。蛇口からポタリポタリと水が落ちている。
洗面台に飛び乗った白猫が、その水をチロリと舐めた。
「……間違いないようじゃな」
イースは固い声で言った。
「わらわでも気付かないくらいに微かじゃが、これは間違いなく『人の味』じゃ。しかも……」
そこで、イースは尻尾をぶるりと震わせた。
「……ただの人ではない。かすかだが、混じっておる」
「混じってる?」
「ああ、そうじゃ。何が混じっておるかまではわからぬ。じゃが、人でない『何か』じゃ。神木真璃亞は、おそらく『混じりもの』の血筋じゃ」
「……っ!」
織斗も恐怖に身を震わせる。
『混じりもの』
それは、多くの場合、人と『何か』がつがいとなってまじりあい、生まれた者たちのことだった。
「まさか、『奴ら』の?」
「ああ、そうじゃろう」
「……いよいよ、まずいなんてものじゃなくなってきたな」
おそらく、と織斗は考える。六年前、失踪した神木真璃亞は貯水槽の中に身を投げたのだろう。塩素消毒がされている水道水で、かつ常に循環している水ならば、そう簡単に死体が腐ることはない。そして水の浸食作用によって徐々に削られていった神木真璃亞の死体は、上水道を通して町の住民たちに取り込まれたのだ。六年かけてじっくりと。まるで雪解け水が大地に染み渡るように。
「私が、姉さんを……食べた……」
鞠亜の全身を耐え難いほどの吐き気が貫いた。思わず口に手をあてる。
それと同時に、織斗の携帯電話がけたたましくさえずり始めた。
Ⅴ
鞠亜が驚愕の事実を知らされたその頃、八城ももこもまた真実に近づきつつあった。
簡素な応接セットを挟んでももこの対面に座っていたのは、養護施設『国ノ森養護院』の院長と名乗る柔和な老婆だった。
「これが彼女の資料です」
テーブルの上に置かれた書類を指し示す。
A4サイズのそれは、神木真璃亞が入所した当時の資料だった。ももこが無理を言って見せて貰ったものだ。その書類には十二歳以前の神木真璃亞のことが細かに書き記されていた。
「彼女の事は、今でも良く覚えています」
園長は懐かしさ半分、悲しさ半分の口調で、
「八歳の時に、真璃亞ちゃんはお父さんに連れられてここに来ました。お母さんが亡くなり、お父さん一人では育てられないため、しばらく預かって欲しいということでした」
「しばらくなんですか?」
「そうですね。お父さんの話では、落ち着いたら迎えにくるとの事でした」
しかし父親は迎えに来なかったらしい。
「真璃亞ちゃんは決して泣きませんでした。頭の良い子だったので、お父さんに捨てられたことも分かっていたでしょうに、彼女は決して泣きませんでしたね。はっきり言って、彼女は『特別』でした」
「特別、ですか?」
「こんなこというと頭のおかしいおばあさんだと思われるでしょうが、真璃亞ちゃんは見えないものが見えているようでした」
「見えないものというと……幽霊とかですか?」
「そういうものもあれば、そうでないものもあったようです。彼女自身の話を信じるなら、真璃亞ちゃんの右目は特別で、別の世界が見えるのだそうです」
「別の世界……」
外宇宙の事だ、とももこは悟った。やはり神木真璃亞は生まれながらの能力者で間違いない。
「真璃亞ちゃんは自分の右目を嫌っていました」園長は続ける。「彼女はこう言っていましたよ。この右目のせいで、友達も、お母さんも死んでしまった。住む場所も行く場所のなくなっちゃった、と」
どうやら神木真璃亞は、もともとはとある『島』で生まれたらしい。しかし、何らかの事情があって生まれ故郷を出ることになった。この孤児院に来る前までは、父親とともに全国を転々とする生活をしていたらしい。
「子供心に、自分が普通の子と違うのだと分かったのでしょうね」園長は痛ましげに、「そのことで虐められたこともあったのでしょう。仲良く遊んでいる友達を離れたところから見ながら、こう言っていましたよ。自分もみんなと一緒になりたい、って」
「一緒になりたい……」
端から聞けばかわいそうだと思うであろう真璃亞の言葉を、しかしももこは素直に受け止めることが出来なかった。奇妙な想像が思い浮かぶ。
(神木君はみんなと一緒になりたくて、でもなれなかった。なら……)
ももこはこう考える。もし真璃亞がみんなと一緒になりたいという夢を持ち、そして自分を変えることが出来ないと知ったならば、こう思うのではないかと。
――自分がみんなの様になれないなら、みんなを自分のようにすればいい。
「まさか、ね……」
顔を引きつらせながら、ももこは何の気なしに書類に目を落とす。
その時、彼女の視界の中に見逃せない『名前』があった。
「あの、これは?」
「ああ、それは真璃亞ちゃんの旧姓ですよ」
「旧姓って……」
ももこは驚愕に目を見開く。偶然の一致とは思えない名字だったからだ。
「あの、もしかしてなんですがお父さんの名前というのは……」
とある名前をももこは言い放つ。園長は一も二もなく頷いた。
「よくごそんじですね。そのとおりですよ」
園長は言った。
「神木真璃亞ちゃんの元々の名は扇田真璃亞。お父さんは扇田要介という方です」
「…………うわお」
ももこは一言断りを入れると、文字通り携帯電話に飛び付いた。
Ⅵ
「神木真璃亞が扇田要介和尚の実の娘!?」
電話口から伝えられた事実に、織斗は驚愕すると共にどこか納得もしていた。
全てが繋がったと言った織斗だったが、実はいくつか腑に落ちないことがあった。その一つに、誰が神木真璃亞をそそのかしたのかということがある。
確かに神木真璃亞は生来の異能力者ではあったが、しかし逆に言えばそれだけだった。彼女にオカルトの専門知識があったとは思えない。カニバリズムを利用して自分の能力を他者に分け与えるなどと、思いつくはずがない。誰かが神木真璃亞を利用していると考えたほうが自然だ。
そして首謀者が扇田要介だとするなら、十二分に話は通る。
「ありがとうございます、先生! 助かります!」
貴重な情報をもたらしたももこに一言ねぎらいの言葉をかけると、織斗は電話を切った。
「織斗さん! 真璃亞姉さんが扇田校長の娘ってホントなの!」
「ああ。ようやく事件の真相が見えてきた」
織斗はギリギリと奥歯をかみしめた。欠けていたピースが埋まる。
おそらくだが、この事件の首謀者は扇田要介だ。ももこによれば、扇田要介一家はとある『島』に住んでいた神職の家系らしい。それが、何らかの事情があって島を出ることになり、神木真璃亞、いや、扇田真璃亞の母親も命を落としているのだという。それらの事が、なんらかの動機となって扇田要介を突き動かしているのだろう。
「俺たちは、鼻っから踊らされていたってことか」
「そのようじゃな」
イースも怒りを顔に浮かべながら、
「おそらく、あの久々津とかいう小僧は生け贄の羊だったのじゃ。わらわたちの目を引きつける為のな」
「怨念のことが強調されていた雑誌の記事も、若い男の不審者がいたっていう話も、全部久々津真彦をスケープゴートにする為の布石だったってことか」
思わず地団駄を踏む。
「くそっ、完全に後手だ」
「じゃな」イースも目を伏せる。「全ては、あの男の計略だったのじゃろう。おそらくあの男は、六年間待ち続けていたのじゃ。神木真璃亞の肉体が町の者どもに取り込まれ、能力が定着する時をのう」
「そして、今まさに何かの『儀式』をしようとしてるってことか」
全てが、扇田要介の思惑通りに進んでいた。
「……とにかく、今は四の五の言ってる場合じゃない」
織斗は数秒躊躇った後、携帯電話をとりだした。懐から教員の集合写真を取り出すと、携帯電話のカメラで中央にいる扇田要介の顔を接写する。それを空メールに添付して送信した後、とある電話番号をプッシュした。もはや貸し借りがどうこう言っている場合ではない。非常事態だ。
『はい、こちら宮内庁書陵部です』
若い女性の声。
『ご用件は?』
「緋瑞織斗です。緊急事態です、東条宮四郎さんはいますか?」
目的の相手はすぐに出た。
宮内庁書陵部をまとめるその男の名を、東条宮四郎といった。
宮内庁書陵部の歴史を遡ると、平安時代の陰陽寮まで行き着く。陰陽寮とは主に暦を決め、吉凶を占い、加持祈祷を行った平安時代の主要官庁の一つだ。日本の霊的防御の要と言っても良い。
それは時代を経て、内閣府の一官庁となった今でも変わらなかった。全国各地の神社仏閣と協力し合い、日本の平穏を守護している。
もっとも二十世紀以降、彼らの主要な敵となったのは妖怪や怨霊ではなく、超常現象とカルト信者だった。特に『邪教』を心棒するカルティストの引き起こす怪事件を扱うことが多い。
そんな宮内庁書陵部をまとめているのが、東条宮四郎という若い男だった。三十前と思しき狐目の男で、京都の旧家の出自らしい。家柄だけのボンボンかと思いきや非常に有能で、部下たちからも慕われていた。
そして数少ない、織斗たちと同じ『抵抗者』たる者でもある。
「室長、緋瑞織斗さんからお電話です」
部下からそう告げられた時、宮四郎はパソコンでインターネットオークションに興じていた。目的は稲荷グッズだ。彼の趣味はお稲荷様関連のグッズを集めることで、その趣味が高じて自宅に小さな祠まで建ててしまったらしい。
「おや、めずらしい?」
宮四郎はディスプレイから顔を上げると、
「織斗先生から日に二度も電話があるとは」
内線一番です、と部下に言われ、宮四郎はデスクの上の受話器を取った。一番の回線をつなげる。
電話の向こう側にいるであろう織斗の声は、せっぱ詰まったものだった。
「お世話になっております、東条宮四郎です。どうされました、織斗先生? もしや宮内庁に所属する件、了承していただけるのですか?」
『冗談に付き合っている時間はありません!』
織斗は矢継ぎ早に言った。
『宮四郎さん、今メールで、ある男の顔写真を送りました。すぐに確認をお願いします!』
「……?」小首をかしげる。「わかりました。少々お待ちを」
宮四郎は受話器を肩で挟むと、メール画面を呼び出した。織斗からの新着メールがある。添付ファイルをオープン。
宮四郎は息をのんだ。
「……この男は!」
『知ってるんですね!』
「は、はい!」
宮四郎の声に力が入る。
「この男は以前、緋瑞教授が狩り損ねた邪教崇拝者なのです」
『父さんが狩り損ねた?』
「そうです」
宮四郎はデータベースからいくつかのファイルを引き出すと、ディスプレイに表示させた。
「十数年前、瀬戸内のとある島で起こった大規模ホラーテロ事件――『
『どんな事件なんですか?』
「複数の子供が片目を潰されるという傷害事件に端を発した、大掛かりなホラーテロ事変です。『めさしあそび』という遊びを教えてあげると言って子供たちを集め、二十人近い子供たちの片目をつぶしたため、『めさしあそび事件』とも呼ばれています」
首謀者の名前は、扇田要介。事件が起こった島にある、瑠璃江神社という神社の神職をしていたものだという。
『琉璃江、じゃと?』
スピーカーモードにしたのだろうか。そこで、割り込むようにイースの声が届いた。
『東条の小僧。今、瑠璃江島と言ったか?』
「イースさんですか? はい、そうです」
『瑠璃江ということは、つまり、その男は『深きものども』との混血と言うことじゃな?』
「……」
沈黙は、なによりも雄弁だった。
『深きものどもってまさか……』
「緋瑞教授の調べによれば」と宮四郎。「瑠璃江島という名前も、『ル・リエー』がなまったものだろうとのことです」
――ル・リエー。あるいは、ルルイエ。
その悍ましい単語の意味を、織斗も、イースも、宮四郎も、皆理解していた。
『瑠璃江島事変では、失明した子供たち全員と、巫女役となっていた女性――首謀者の扇田要介の妻だったようです――の、総勢24名を『処分』し、島全域を『禁域』として封印することで、なんとか鎮静化させることに成功しました。しかし、首謀者は逃亡。ずっと行方をくらましているのです」
『……』
電話の向こうで織斗が絶句する。
しばし沈黙した後、織斗は一語一語かみしめるように言った。
『……今、N県の稲峰市というところで、同じ犯人が首謀したと思われる大規模なホラーテロが起こってます』
『おそらく、大規模召喚儀式じゃ』イースの声も固い。『今、すべてわかった。こやつは、この場にルルイエを顕現させようとしているのじゃ』
「ル、ルルイエを、顕現……」
今度は宮四郎が絶句する番だった。特徴的な狐目も、この時ばかりは大きく見開かれていた。
「も、もしや織斗先生、今現場に?」
『稲峰市からかけてます』
織斗はかいつまんで状況を説明した。
その状況の最悪さに、宮四郎の顔色が目に見えて悪くなって行く。
「わかりました! すぐにそちらに応援を派遣します!」
宮四郎の脳裏に、派遣すべき人間のリストが流れてゆく。町の住人を避難させるために、自衛隊にも応援要請をしなければならない。
宮四郎は慌てて部下に指示を飛ばそうとする。しかしそれを織斗の声が押しとどめた。
『ダメです、宮四郎さん』その声は苦渋に満ちていた。『もうそんなレベルじゃありません。応援が来るころには手遅れです』
「そんな……」
宮四郎は愕然とする。死の都ルルイエの顕現。そしてルルイエにて眠っている『大祭司クトゥルフ』の覚醒。それがもたらすものは、日本はおろか、原生地球人類すべての破滅をもたらすものだった。
数秒後、沈黙を破ったのは血を吐くような織斗の声だった。
『……住民ごと、街を焼き払ってください』
「…………っ!」
織斗の口から飛び出た単語に、宮四郎の顔から血の気が引いていった。
『こちらも最後まで抵抗してみます。ですが、ルルイエが顕現したら、すべてが終わりです』
『ルルイエが顕現するということは、奴が目を覚ますということじゃ。その精神波だけで、この国の者はすべからく発狂。星辰によっては、奴の目覚めに呼応して『名状しがたきもの』までもが来襲するやもしれん。そうなれば、もはやこの星は悠久の過去と同じく、あまねく『奴ら』の支配下に置かれることとなるじゃろうな』
『ですから、そうなる前にすべてを焼き払うしかありません』
覚悟に満ちた声。その声から、宮四郎は織斗の言いたいことを察することが出来た。
彼はこう言っているのだ。自分ごと、すべてを『処分』しろ、と。
「織斗先生……」
『……だから先生は止めやてください』
「いいえ、やはり先生は先生です」
自分が敬愛した緋瑞影人教授と同じように、彼もまた尊敬に値する抵抗者だ。
「わかりました。最悪に備えて準備を始めます」
『お願いします。タイムリミットは……』
日没じゃ、とイース。
『よいか、東条の小僧。日没が分かれ目じゃ。闇は人間の恐怖を増幅させ、狂気を加速させる。夜になれば狂気が一気に進行するじゃろう。日没までに状況が改善せねば、手の打ちようがなくなるということじゃ』
『そういうことです』再び織斗に変わる。『日没までに自分からの連絡がない場合は、やってください』
「……承りました」
宮四郎は電話に向かって深々と頭を下げた。
「どうか、正しき抵抗者たらんことを」
『……最善を尽くします。それでは』
「おねがいします」
宮四郎は受話器を置くと、椅子に背を預けた。おもわず吐息が漏れる。
視線を前に向けると、全ての部下が心配そうに自分を見つめていた。
「織斗先生からです。N県稲峰市にて、大規模ホラーテロを観測。首謀者は瑠璃江島事変の生き残りにして、『
『……ッ!』
部下たちの顔面から、サーっと血の気が引いていった。悍ましいほどの恐怖と焦燥。空気が凍り付く。
しかし、彼らに固まるような猶予はない。
「日没までに織斗先生からの連絡がない場合は、稲峰市全域を住民ごとすべて焼き払います」
宮四郎は顔をこわばらせたまま、しかし気丈に言った。
「陛下には今すぐ私から連絡します。宮内庁書陵部における非常事態権限を行使。内閣府、警察庁、および各地方自治体に連絡。N県稲峰市を除く周辺市町村に対し、緊急避難勧告を発令するよう伝えてください。稲峰市に隣接する市町村から可能な限り住民を避難させます」
そこで宮四郎はわずかに言葉を切る。
「それと、自衛隊および在日米軍に連絡。日没とともに、対象地域全域を空爆します」
稲峰市民四万人ごと、町を焼き払う。
この星を守るためには、それしかない。
Ⅶ
宮四郎と通話を終えた後、織斗はしばらくの間動けなかった。割れんばかりに奥歯をかみしめる。
(完全にしてやられた……)
織斗はようやく思い出した。瑠璃江島事変。それは、死んだ父である影人教授の手記にあった大規模事件の名だった。
曰く、瀬戸内の因習深い島で行われた戦後最大のホラーテロ。
結局、事件そのものは影人教授をはじめとする『抵抗者』たちの働きによって未然に防がれたものの、首謀者であった島の神職の男は逃亡。首謀者の娘であり、
そして今、その首謀者がまた同じ事変を起こそうとしている。『巫女』の肉体を六年かけて町の住人達に『屍食』させるという悍ましい方法によって。
血が出るほどに拳を握り締めながら、織斗は思う。もはや完全に後手の状態だ。これを覆すのはほとんど不可能に近い。
「織斗さん、いったいどういうことなの?」
織斗の様子から何かを察したのだろうか。鞠亜は不安げに訪ねる。
一瞬、話すかどうか迷った織斗だったが、結局説明することにした。彼女も事件の関係者だ。知る権利がある。
「そんな、ことが……」
死の都。深きものども。大祭司クトゥルフ。
織斗の話に、鞠亜は吐き気をこらえるように口を押えた。到底信じられないような内容だったが、鞠亜にはそれが即座に真実であると感覚としてわかった。先ほど己が『視た』風景。空間のよじれた扉。腐った魚の腸のような彫刻の数々。その冒涜的な建造物の姿を思い出すだけで、脳髄が焼けるように痛む。
鞠亜は本能で察した。あれこそがルルイエ! 大祭司クトゥルフが横たわっているという、死の都ルルイエの姿なのだ!
「……っ!」
こらえきれなくなり、鞠亜は近くにあったゴミ箱の中に胃の中のものを吐き出した。それはあたかも、己が取り込んできた『神木真璃亞』の血肉を吐き出すかのようだった。
「……あれが……ルルイエ……」
「たぶん、そうだ」
何度も胃液を吐き出す鞠亜の背中を、織斗は優しくさすった。
「今、神木真璃亞の能力を継承した四万人の街の住人が、一斉にルルイエの幻影を見て、狂気にとらわれている。その狂気を糧に、扇田要介はルルイエを顕現させようとしてるんだ」
「ルルイエが顕現し、クトゥルフが目覚めれば、それこそすべてがお終いじゃ。数十年前、寝返りを打った時の精神波を受けただけで、地球上の何百、何千もの芸術家たちが発狂し、命を落としたほどじゃ。寝返りを打っただけでじゃぞ? もし本格的に目覚めるようなことになれば、もはや今の人類はすべからく絶滅することじゃろう」
故に、最悪の事態を想定しなければならない、と織斗。そしてこの場合の最適解は、神木真璃亞の能力を継承した住人たちを、町ごと『処分』するというものだった。
「空爆って……そんな……」
「もちろん、まだそう決まったわけじゃない」
織斗は恐怖に震えながらも、強い声で言った。
「まだ、俺たちは抵抗する」
「そうじゃな」
白猫もまた、恐怖に毛を逆立てつつ、
「いくら人肉屍食によって神木真璃亞の血肉を分け与えたからとはいえ、都合よくすべての住民が能力に覚醒するわけはない。おそらくじゃが、これは大規模な儀式魔術じゃ。そして儀式である以上、どこかに祭壇となっている基点があるはずじゃ。その基点から、この街全体に思念波を送り、住民たちの『妖精の眼』に同じ光景を見せているはずじゃ」
イース曰く、これほどの大規模儀式を行使するには、何らかの『媒体』が必要なのだという。
「媒体?」
「うむ、そうじゃ。いま、住民たちは同じ光景を見て、同じ狂気にとらわれておる。では、どうやって『同じ光景』を見せているのかじゃ」
「…………」
織斗は思案する。
住民たちが能力に覚醒したのは、神木真璃亞の血肉を分け与えられたからだ。言い換えれば、稲峰市の住民4万人は、すべからく神木真璃亞の『子』であり『眷属』になっているということでもある。そして『子供』を光に導くのも、闇に突き落とすのも、それは『親』の業で決まると言っても良い。
つまり――
「神木真璃亞の遺体を通して、住民たちに思念波を送っているということか?」
「うむ、間違いなかろう」
そしてその遺体の場所は、もうわかっていた。
神木真璃亞の血肉が溶けた場所。
八面山にある上水貯水施設。
「鞠亜」
「一人だけ避難しろはなしよ、織斗さん」
先回りし、鞠亜はくぎを刺す。
見事に出鼻をくじかれ、織斗は鼻白んだ。
「おいていかれるのはもうゴメンよ。私も力になりたいの。一緒に行かせて」
「いや、でも……」
「それに、最悪の場合は人類滅亡なんでしょ? それなら、どこに避難しても一緒ってことじゃない?」
「……」
織斗はグッと押し黙った。
その様子に、イースは苦笑交じりに、
「お主の負けじゃよ、織斗。それに、小娘の言葉もあながち間違いではない。こやつも神木真璃亞の能力を継承した、いわば神木真璃亞の『眷属』じゃ。どちらにせよ巻き込まれる宿命じゃよ」
「……わかったよ」
織斗は憮然と、しかしどこかほっとしたようにつぶやいた。
「さて、ぐずぐずしている時間はないの」
現在時刻、十二時三十分。
日没まで残り約六時間。
わずかな望みを胸に、抵抗者たちは動き出した。