艦隊これしょん 『「艦これ」いつかあの海で」外伝 〈六の絆〉 作:岩波命自
呉鎮守府の正面玄関前で箒で塵を履きながら、重巡艦娘青葉は溜息を洩らした。
日本に帰還してからこっち、日本本土の艦娘艦隊の燃料事情は日増しに悪化しており、青葉の様な重巡艦娘を自由自在に海上で動かせる程の燃料はここ呉基地にはほぼ残っていない。
去年のレイテ島を巡る大艦隊決戦からこっち、青葉は海上交通路の防衛、民間船の護衛、輸送任務など、どちらかと言うと裏方の任務に徹しており、レイテ島を巡る艦隊決戦には参加出来ずじまいだった。いや、一応同じ重巡艦娘の那智から自身の率いる第二遊撃部隊への参加を打診されたのだが、青葉の艤装はそれ以前の戦闘、と言うよりは損傷による影響で最大速度が低下しており、その事を理由に艦隊司令部から青葉の第二遊撃部隊編入を見送られていた。
「かの栄えある六戦隊の旗艦も、今じゃ暇を持て余すだけかぁ……」
寂しそうに呟く青葉は箒を履く手を止めて空を見上げる。青葉の心を映す鏡の様にどんよりとした鈍色の曇天の空が、頭上一杯に広がっていた。今年の初めは佐世保でも雪が降るほどの冷え込みを見せたが、既に季節は春の足音が聞こえて来ていた。もうじき鎮守府の桜も咲く頃だろう。
空を見上げていた視線を地面に落として、掃除を再開する。呉鎮守府も所属する艦娘の多くが轟沈戦死、ないしは負傷による艦娘としての活動が不能になった事で傷病退役者が相次いだ事もあり、すっかり寂れた印象が拭えない。今呉鎮守府を拠点とする艦娘は青葉を含めて一〇人にも満たない。呉基地を拠点とする艦娘だった四航戦の航空戦艦艦娘の伊勢と日向、軽空母艦娘龍鳳と鳳翔、軽巡艦娘の大淀は佐世保へと配置転換となり、呉鎮守府所属の大型艦娘は今や金剛型戦艦艦娘唯一の現役艦娘となった榛名一人であった。
その榛名も、今では艤装を動かすに充分な燃料も無く、青葉と同様人員不足の呉鎮守府の基地業務を肩代わりする日々だ。折角防空戦艦としての改二乙へ改装したと言うのに、今ではその改二乙艤装を生かす事も出来ないまま、無為に終わりの時を待つ日々を過ごしている。
「青葉」
自分を呼ぶ声がして、青葉は箒を握る手を止める。振り返ると呉鎮守府の同僚の航空巡洋艦艦娘の利根が、差し入れのおにぎりを入れた弁当箱と水筒を手に、青葉の元へ歩み寄って来る。
「精が出るのう、青葉よ。今ではお主も鎮守府雑用係じゃな」
「利根も、鎮守府雑用係その2じゃない」
「吾輩は呉鎮守府雑用係その1じゃ」
弁当箱を開けて、おにぎりを差し出しながら利根は言う。ポケットから手拭いを出して埃が付いている手を拭いた青葉は、利根の差し出すおにぎりを受け取って、口へと運ぶ。
「中身は?」
「鮭じゃ」
「青葉は昆布が好きなんですけどねえ」
文句を言いつつも、パクパクとおにぎりにかぶりついて行く。艦娘になった時に仕込まれた癖で早食いする青葉に、利根は自分もおにぎりを頬張りながら苦笑交じりにそのセーラー服の肩に手を置く。
「ゆっくり食え。急かす者などおらん」
「何か、ソロモン戦線の時から癖ってものは中々抜けないもので」
言われた通りゆっくりとおにぎりを食しながら答える青葉の「ソロモン戦線」と言う単語に、利根は遠いものを見る目で呟いた。
「ソロモンか……今となっては何もかもが遠い昔の事の様じゃ……」
「たった二年前だものねえ」
おにぎりを食べて行く内に青葉の普段の「ですます」調の口調は砕けて、彼女の地の口調が出始める。「ですます」調が砕ける青葉の顔を振り返りながら利根はその身体にも目を向ける。
「……また痩せたな、青葉よ」
「前みたいに、贅沢するわけにはいかないからね……今じゃこのおにぎりを食べられる事だけでも充分恵まれているもの」
砕けた口調にほんのり寂しさを滲ませて青葉は言う。青葉が把握している限り銃後の、民間の食事事情は今のところは逼迫している訳では無いが、その平穏もいつ崩れるかは分からない。ユーラシア大陸や南西諸島方面との海上交通路が破綻、崩壊すれば節約志向で済んでいる鎮守府の食事情が民間にも及ぶ事になる。
最後のおにぎりの欠片を飲み下して、利根が弁当箱と一緒に持参したお茶を入れた水筒に口を付けていると、呉鎮守府の正面門の衛兵が誰かを応対する声が聞こえて来た。
「来訪者の様じゃな、今時誰じゃろな?」
首を伸ばして門を方を伺う利根は、来訪者の姿を見て口元に笑みを浮かべると、水筒に視線を落としていて来訪者に気が付かない青葉の頭を軽く叩いた。
「『ソロモンの狼』の仲間がやって来たぞ」
その言葉に青葉はハッと顔を上げた。上げた視線の先には、艦娘時代の上着にもんぺ、下駄と言う格好の元重巡艦娘にしてかつての青葉の戦友の古鷹、加古、衣笠の三人が立っていた。
「古鷹! 加古! ガサ!」
「久しぶりだね青葉」
「元気してたか~?」
「やっほー青葉」
元気そうに手を振りながら歩み寄って来る三人はかつてソロモン戦線で青葉と共に深海棲艦と激闘を繰り広げた戦友にして、旧第六戦隊を構成していた重巡艦娘同士だった。古鷹と加古は古鷹型重巡艦娘、衣笠は青葉と同じ青葉型重巡艦娘だ。三人共今では元気な姿をしているが、加古は杖を突いているし、古鷹は左目の義眼が、衣笠も頭部の額に大きな裂傷の跡と三人共、艦娘を続けられなくなる程の重傷を負って傷病退役した痕を今でも遺している。
三人に対して青葉として今でも後ろめたさが残る。かつて加古は深海棲艦の輸送船団襲撃作戦の帰り道、青葉の出していた対潜哨戒の為の水上偵察機が潜水艦の発見に失敗したが為に、潜水艦の雷撃を受けて重傷を負い、足に大きな後遺症を遺す事になり最初に第六戦隊から傷病退役と言う形で身を引いた。古鷹はその次、サボ島沖での夜戦で敵味方の区別がつかない中の深海棲艦側の偶発的発砲を被弾し大破した青葉を庇って重傷を負い、辛うじて脱出に成功したものの左目を喪う重傷から艦娘としてのキャリア継続が困難とみなされて退役。衣笠も青葉がサボ島での傷を後方で癒している間に、深海棲艦の陸上基地航空部隊の空爆を受けて頭に重傷を負い、意識不明の中味方艦娘に担がれて辛うじて撤退するも、傷の重さからやはり退役を余儀なくされた。
こうして今ではかつてソロモン戦線で「ソロモンの狼」と喧伝されて名を馳せた第六戦隊も、今では青葉ただ一人を残すのみとなっていた。
「青葉、ちゃんとご飯食べてる?」
痩せ気味になっている青葉の身体を触りながら、古鷹が心配そうに青葉の顔を伺う。
「食べられるものはちゃんと食べているよ。古鷹、加古、ガサ達は大丈夫?」
「アタシは大丈夫だよ。古鷹がご飯作ってくれるからね。衣笠だと、毎日カレーになるから任せてないけど」
「私も、元気いっぱいよ。青葉からの仕送りもあって古鷹、加古と一緒に暮れの町はずれに一戸建てを買って、今はそこで共同生活しているわ」
問題を感じさせない元気いっぱいの二人の返事に青葉は良かったと安堵の溜息を洩らす。一方、古鷹を始め、加古、衣笠は明らかに痩せている青葉の身体を見て少し心配げな顔になる。骨が見える程と言う訳では無いが、かつてソロモン戦線で共に戦っていた時と比べると、明らかに肉付きが減っているのが分かる。軍を退役した今、三人が軍の食事情をはっきりと伺い知る事は出来ないが、余裕があるようには見えない。
その点大丈夫なのかと古鷹が伺う視線を利根に向けると、利根は無言で少し離れたところで話そうと親指で鎮守府の建物の影へと彼女を誘った。
利根と古鷹がその場を離れた後、加古が「よっこらせ」と掛け声をかけながら青葉の隣に腰を下ろし、衣笠も青葉の隣に腰を下ろす。衣笠の背中には軍役時代から使っている背嚢が背負い込まれており、背嚢を下ろした衣笠は、ふたを開けると中から缶詰やお菓子などを複数取り出した。
「はい、これ。青葉に差し入れ」
「え、いいのこれ?」
「青葉が青葉の給与から間引いた金のお陰で、まあまあいいものが手に入っているからね。お返しと言うか、還元よ」
乾パンだけでなくフルーツなどの缶詰も含まれる差し入れに、青葉は少しばかり顔を明るくする。
「ありがとう、後で美味しく貰うね」
「しっかり食べて、元気になって艦娘として活躍してくれよ」
期待を込めて言う加古の言葉に、青葉は明るく輝かせていた顔を曇らせ、どこか申し訳なさそうな表情になる。
「どうした青葉?」
「実はね、もう呉の燃料タンクには青葉みたいな重巡艦娘を自由自在の動かせるだけの燃料がもう無いんだ……」
「ああ……そっか……」
「燃料不足、そこまで深刻化してるのね……町の人から、最近めっきり瀬戸内海を航行する大型艦娘を見なくなったって言ってたのを聞いてたけど」
呉基地を襲う深刻な燃料不足を明かす青葉に加古が今度は申し訳なさそうな重い表情を返し、同様の表情を浮かべる衣笠は銃後の社会の視点から伺い知っていた艦娘艦隊の稼働状況に確信を得た。
重い顔をする加古と衣笠に、青葉は自身が聞いている話を二人に明かす。
「実は海軍は近々、決戦を深海棲艦に挑む予定だって。先日、四航戦の伊勢と日向、それ以前には大淀と龍鳳が佐世保へ配置転換になったよ」
「ラジオのニュースで聞いたけど、沖縄が今深海棲艦の大規模侵攻を受けているんだってね」
生難い顔で言う加古の言葉を青葉は黙って聞き、頷く。幸い、民間人は事前の避難計画に基づき、その殆どが既に本土へ脱出済みなので、現在の沖縄には県知事等の少数の行政関係者と沖縄守備隊を構成する軍しか残っていない。目下侵攻作戦を進める深海棲艦の地上軍に対して、現地守備隊は可能な限りの持久戦を挑んでいた。
海軍も沖縄救援作戦を立案しており、最後の最後まで残っていた残存艦娘をありったけかき集めて、佐世保鎮守府へ集めていた。全作戦指揮は佐世保鎮守府の提督が預かり、最終決戦に向けての準備を進めていると聞く。レイテ島を巡る戦いで甚大な損害を出した艦娘艦隊と同様に、深海棲艦も相打ちに近い損害を受けており、決して深海棲艦もその戦力に余裕がある訳では無い。ただ対抗可能な唯一の存在足る艦娘の絶対数が、攻め寄せる深海棲艦と比べて圧倒的に足りていないのが現状だ。
利根が置いて行った水筒のお茶を又口に運びながら、青葉は加古と衣笠に語る。
「今度の決戦……多分この国の艦娘艦隊に残された持てる全ての戦力を投入した最終決戦になると思う。佐世保には大和を始め、唯一この国で纏まった戦力を有して稼働状態にある水雷戦隊の第二水雷戦隊が集結しているし、呉からも戦力を提供している。あと西海岸を奪還したばかりのアメリカ、本土を奪還した英国の艦娘艦隊が、増援に向かって来ているって聞いているよ」
「アメリカと英国の艦娘艦隊か……彼女達が加われば百人力じゃないかな?」
「どうかしらね……」
明るい顔になって言う加古に衣笠が険しい表情を返す。青葉も楽観視は出来ないと険しい表情を浮かべる。
「沖縄の守備隊からの報告だと、『深海棲艦が七分に、海が三分』って通信が来てたからね」
「来てたから?」
青葉の言葉のニュアンスに反応した衣笠が反応すると、青葉は少し得意げな顔で妹に語る。
「今じゃ、呉鎮守府の首席通信士官は青葉が担っているからね。急報は青葉経由で入る事もあるんだよ」
「へえ、青葉がそんな重鎮に付いてるなんて知らなかったわ。なんで教えてくれなかったのよ」
「ガサ達が共同生活している家の住所知らなかったからさぁ」
「あ、そっか」
失念していたと軽く舌を出す衣笠に変わらない愛嬌を感じながらも、青葉も自分で探す努力をしなかったことは悪いと思っていた。いや、寧ろ今になっても二年前の自身がある意味原因となって艦娘を退く事になった三人に対して、後ろめたさが残るから、連絡を寄こさなかったと言うべきだろう。つい先年だって……。
一人考えに耽る様な表情になる青葉に衣笠は背嚢からメモ帳とペンを取り出して、さらさらと自分達が今住んでいる家の住所を書き記し、青葉に差し出す。
「これ、今の衣笠さん達の住所よ。何かあったらいつでも連絡して」
「この戦争がどういう形であれ、終わったら青葉も家においでよ。一緒に前に見たいに四人で暮らそうよ。今度は戦争の無い世界で、静かに、さ」
加古も後ろめたさを覚えている青葉と違って禍根を一切持っていない顔で優しく言う。
「一緒に……ね。ありがとう、ガサ、加古」
素直に礼を述べながらも、青葉はその胸中ではきっと自分は心穏やかに戦後を過ごすのは無理だろう、と思っていた。
今でも青葉の脳裏では自身と古鷹が重傷を負ったサボ島での戦いで、無念にも轟沈して亡くなった駆逐艦娘吹雪の最期の声が頭から離れないのだ。吹雪だけでは無い、青葉がレイテ島を巡る戦いで負傷して離脱している間に、当時所属していた第十六戦隊の軽巡艦娘鬼怒と駆逐艦娘浦波の二人が、パナイ島沖に散った。負傷離脱中だったとはいえ、曲がりなりにも当時の十六戦隊旗艦だった青葉にとって、鬼怒と浦波の戦死は吹雪の戦死に告ぐショックとなり、今でもその心の中に暗い影を落としている。
もし歴史の巡り方が違えば、と青葉は加古と衣笠、それに古鷹の顔を脳裏に浮かべて胸中で呟く。この三人も傷病退役では無く、轟沈して命を落としていたのかも知れない、と思うと背筋がさあっと血の気が引いて冷えつく思いがする。加古は兎も角として、古鷹と衣笠は最悪、命を落としていた可能性が高かった。そう思えば今ここで艦娘を引退する事になった傷を残しているとは言え、元気に過ごしている事自体が青葉にとって奇跡に感じられた。
自分は生き恥を晒しながらも生きている。それが良い事なのか悪い事なのかは青葉自身、自信を持って判別が出来ない。ただ、せめて身近な存在である第六戦隊の三人が生きている事にだけは、この世の理に感謝の念を感じ得なかった。
「青葉さん自身、どうにも食欲不振に落ちっている様です」
少し暗めの表情で潜水母艦艦娘の迅鯨が古鷹に答える。呉鎮守府に残された艦娘の食周りを預かる迅鯨は、入手できる食材を可能な限り最大限生かして、艦娘の食生活を支えていた。
「じゃあ、青葉の言う事は」
「嘘じゃ……察してやってくれ古鷹よ。青葉はまだ吹雪の戦死の件を引きずっておる。それだけでない、あ奴が旗艦を担っていた十六戦隊の仲間の鬼怒と浦波の二人も逝った。それだけでも充分食欲を落とすに足りる精神的なダメージじゃ。
今、青葉はサンタクルーズに残してきてしまった熊野の身を案じておる。もし熊野まで落命した知らせが届いた暁には、あ奴のギリギリで踏み止まっている精神も持たぬだろう」
先日利根自身が野外で着替えている所の裸体を冗談半分にカメラで撮影しようとした青葉の行動は、ある意味そう言った奇行プレイで心配する自分自身の気持ちを紛らわす一面があったのを利根は理解していた。最も、だからと言って自分の裸体の写真を撮られていいと言う理由にはならないが、冗談でもいいから青葉は気を紛らわすためにカメラを手に非番の時は呉鎮守府の風景にレンズを向け、シャッターを切っていた。その青葉の使うカメラが、本当は十六戦隊の時の戦友の浦波が遺したものである事を利根と迅鯨は知っていた。
「吹雪ちゃんのお墓の事は話すべきでしょうか?」
「……時を待つべきじゃな。少なくとも今は待たれ。今の病んでいる青葉の心の傷に塩を塗る行為は慎むべきじゃ」
「私も、青葉さんの事は今はそっとしておくべきだと思い、食事を強制しなかったのです。結果としては裏目に出ている気もしますが、今はそっとしておくべきかなと」
「そんな精神状態で、軍務が務まるのですか?」
そう尋ねる古鷹に利根と迅鯨は揃って頷く。
「少なくとも軍務そのものには支障はない用じゃ。各種報告書の作成、通信士官としての業務、雑用係としての掃除担当まで、文句の言う所がない」
「提督はこの件についてどう思っているの?」
「提督は、今はそっとしておくべきと言う私達と同意見に落ち着いています。だから、多少の奇行などは目を瞑ってやれと。勿論行き過ぎた行為があったら報告しろとは言っておりますが」
呉鎮守府の秘書艦も兼務しているだけに、呉鎮守府の提督の意見を把握している迅鯨の言葉に古鷹は溜息を洩らした。
「皆、この戦争で多くの仲間を失った。銃後の社会に帰るだけならまだしも、戻って来なかった者も少なくはない。エンガノ岬の惨劇はお主も小耳には挟んだ事はあろう?」
「空母艦娘四人全員と軽巡艦娘一人と駆逐艦娘二人を失ったと聞いています」
「その通りじゃ。特に四人空母艦娘の一人の千代田は、妖精の一人も助からなかった。初月は五十鈴と若月の二人を逃がして消息を絶った……初月の生存は絶望視されておる」
暗澹たる気持ちになる古鷹は両手の拳をぎゅっと握りしめる。海軍の発表ではレイテ島を巡る戦いで勝利を収めたとは言っていた。だがそれはかけがえのない犠牲の上に成り立った辛勝でしかないのだ。
唇を噛み締める古鷹とその肩をそっと叩く利の両方を見やりながら迅鯨は腕時計を見る。
「では、私は夕食の支度があるので」
「もうそんな時間かの。春になるにつれて日が伸びるのが目に見えて分かるのぉ」
西の空を見上げながら利根が言う。古鷹も迅鯨に見せて貰った時計を見て、そろそろお暇する時間が来たのを確認する。
「私、青葉の所へ戻ります。ちょっとはお話しておきたい」
「吾輩は一向に構わんが、青葉はお主に相当申し訳なさそうな顔をする事がある。少しだけそっとしておくのも手じゃよ」
利根から暗に今は止めておけと制止された古鷹はそれでも青葉に会いたい、会ってわだかまりがあるなら晴らして欲しい、自分は一切青葉を恨んでいないと言う事を伝えたくて、青葉の居る所へと駆け出した。
カッカッカッと下駄を鳴らしながら走る古鷹が戻ると、既に加古と衣笠が帰り支度をして待っていた。青葉の姿はそこには無かった。
「青葉は?」
「通信士官業務があるからって帰っちゃったよ。古鷹が戻るまで粘れないか聞いたんだけど、駄目だって」
残念そうに加古が古鷹に語る。
「そう……」
気を落とす古鷹に加古と衣笠はその両手を取って、引っ張る様に先導しながら帰り道に付いた。
鎮守府の正面門を出て行く三人の姿を鎮守府の施設内の窓から見送りながら、青葉は通信室へと歩いて行った。
「ごめん……」
絞りだす様に出た青葉の言葉は、古鷹や加古、衣笠に向けてのものか、それとも自身が関連した戦いや、部隊で散った者へ向けられたものか。分かる者は青葉以外居なかった。
数日後。また何時もの様に通信士官業務時間以外の時間を鎮守府周りの掃除に費やしてた青葉の元へ、青葉の元で通信士官業務の交代要員として配備されている駆逐艦娘の竹が電文を持って駆け寄って来た。
どたどたと大きな足音を鳴らしながら息を切らせて駆け寄って来る竹の姿に驚きながら、青葉は竹からの「緊急電です」の一言と共に差し出された電文を受け取って読んだ。目を通すうちに青葉の顔に明るさが、素朴で純粋に嬉しさに満ち満ちた笑顔が浮かび上がった。
電文には短く、簡潔ながらも、こう書かれていた。
「重巡艦娘熊野 帰還す 1130呉入港予定」
サンタクルーズ湾の港に無念ながら置いて来ざるを得なかった重巡艦娘熊野が、呉鎮守府への帰還を果たしたのだ。護衛も無く、たった一人で手負いの身体と修理も不完全なボロボロの艤装で、文字通り執念の帰還を果たしたのだ。
腕時計を見て、あと一時間以内には熊野は豊後水道を通って呉鎮守府に入港する。
嬉しさの余り、涙が溢れ返りそうになる目元を抑える青葉に、竹は微笑みを浮かべた。こんなにも嬉しそうな顔をする青葉の姿を見るのは初めてな気がした。
「じゃあ、俺は業務があるので戻ります」
姉仕込みの礼儀正しさで一礼して竹は通信指令室へと戻って行った。一人残った青葉は電文を握りしめて、「良かった」と何度も何度も繰り返し口にしながら熊野の帰還を喜び、その姿を確かめたいと言う感情に駆られた。こんな時、自分の艤装を動かせる燃料があったら……。
居ても立っても居られない気分になった青葉は箒を放り出して駆け出した。
何か月ぶりの内地だろうか、と熱が引かない身体と頭で考えながらも、夢ではない現実として見えて来る呉の街並みに熊野は安堵の溜息をもらしていた。
サンタクルーズ湾での深海棲艦との防空戦闘、内地へ至る果てしない海路の道中の対潜警戒。一時も気を抜く事が許されぬ帰還の途は決して安泰では無かった。ギプスで固める余裕もなく添え木を添えて包帯でぐるぐる巻きにしただけの左足や右腕や身体中の随所を撒く包帯には血がうっすらと滲んでいる。背中に背負う艤装は至る所に爆撃の直撃弾や至近弾によって穿たれた破孔やら損傷痕を遺しており、文字通り熊野は満身創痍であった。いつ艤装の機関部が機能を停止して、海中に没するか分からない。それでも「絶対に帰る」と言う熊野自身の強い決意と執念に似た意地が、彼女を内地へ帰還させた。
収容態勢を整えて、受け入れ準備を整える呉鎮守府の港湾管制からの通信も、傷口から来る高熱で半分聞き取れなくなっていた。
「帰って来た……もう少し……もう少し……」
熱にうなされた譫言の様に言う熊野の姿を認めた港湾管制官は、通常収容は不可能と判断し、艦娘緊急収容部署を発令した。呉鎮守府のドックに警報が鳴り響き、艦娘緊急収容部署発令に伴って、基地要員が直ちにネットの展張を開始する。
「緊急収容部署ってどういうことです!? 熊野は無事なんですか!?」
悲鳴に似た声が港湾管制室に響き渡る。真っ青な顔をした青葉が扉の前に立っていた。
制止しようとした部下を抑えた管制官は、落ち着く様に青葉を諭しながら熊野の状況を説明した。
「帰還出来たのはまさに奇跡です。右腕と左足の骨折には応急処置を施しただけ、しかも高熱を発症している辺り、恐らくはマラリアにも感染している疑いもあります。艤装も発揮可能な速力は半速が精一杯と言う有様です。
ですが、それでも彼女は帰ってきました。帰って来たのです」
目じりに涙を浮かべて聞く青葉に、言い聞かせる様に告げた管制官の背後で、大破、重傷を負った艦娘をどんな姿勢でも収容する事が出来る緊急収容ネットの展張完了との報告が入る。
管制室からドックへ向けて駆け出し、ラッタルを駆けおりる青葉の視界の向こうで、ボロボロの制服と艤装を纏いながらよろめく様にネットへと向かう熊野の姿が見えた。視界の端に青葉の姿が見えたのだろう。高熱に頭をやられかけながら熊野は青葉へ向かって精一杯の笑顔を浮かべて、そして遂に力尽きた様にネットの中へ倒れ込んだ。
「熊野!」
青葉の叫び声は医療班が駆け付ける喧騒と、緊急収容部署発動に伴う基地要員の掛け声と怒号にかき消された。
自分を押しのけて熊野へ殺到する基地要員の作った人の壁の向こうに消えた熊野の身が、気が気でならない青葉の視界にやがてストレッチャーに載せられた熊野が姿を現した。
「熊野は、熊野は大丈夫なんですか!?」
取り乱しかける青葉に医療班の隊員がその両肩に手を置いて落ち着かせながら、答えた。
「直ぐに医療措置を取る必要があるが、適切な手当てを施せば彼女は助かる。大丈夫、安心しろ」
その言葉に肺に溜まっていた息を全て吐き出した様な大きな青葉の安堵の溜息が漏らされると共に、安堵の余り青葉はその場にへたり込んだ。
ストレッチャーを移動させる音がへたり込む青葉の横を通り、そこで止まった。
「青葉……」
か細い声で熊野が青葉を呼ぶ。飛び上がる様に青葉が立ち上がってストレッチャーに横たえられた熊野を覗き込むと、高熱で真っ赤な顔をしながら熊野は力なく分った。
「お先に失礼しますわ……」
「うん」
目頭を熱くする青葉が頷くと、サンタクルーズ湾で別れる際に青葉が熊野に言った「お先に失礼」をそのまま返した熊野は医療班の隊員にストレッチャーに載せられて市内の病院へと搬送されていった。
「そうか、熊野が戻ったか」
「はい」
迅鯨からの報告を聞いて、青葉程では無いが安堵の溜息を大きき漏らしながら呉鎮守府の司令官大戸直哉中将はデスクの椅子の背もたれに大きく寄りかかった。
両手で顔を覆いながらまた溜息を漏らす大戸を見つめる迅鯨に、大戸は暫くして静かに語りだした。
「負け続けの我々だが……今回は私達の勝ちだ」
「え?」
どういう意味ですかと問う迅鯨に大戸は椅子をくるりと回して迅鯨に背を向け、鎮守府の執務室の窓から見える呉鎮守府の港を眺めながら語った。
「熊野は無事に帰りついた、それが私達の勝利だ。君たちが帰り着く限り私達の負けは無い」
「……そうですね」
戦術的にも戦略的にも意味を成す勝利ではない。だが、艦娘一人、人命が一人助かった、と言う大きな意味を持つ勝利を語る大戸に迅鯨は笑みを浮かべて頷いた。
そこへコンコンと大戸の執務室のドアをノックする音が響き渡った。
「入れ」
短く入室を許可する大戸の一声の後、帳簿を抱えた北上が敬礼して入室して来た。
「ご報告でーす」
「北上か。報告とはなんだ?」
「悪い知らせと、熊野の感動の帰還に合わせてもい一つ、嬉しい知らせがあるよ提督。機関参謀が徳山基地の燃料施設を調べたら、残りかすみたいなものだけど、艦娘二人を動かすのには充分な量の燃料を確保したってさ」
小脇に挟んでいた帳簿を開いて、機関参謀が書き記した燃料の量を見せる北上に、大戸はその量から算出出来る答えを北上に求めた。
「どれくらいは動ける量だ? その艦娘の数ではなく、行動距離と言う意味で」
その問いに北上は一瞬、言って良いのかと迷う素振りを見せるも、軽く息を吐き大戸の質問に答えた。
「佐世保にまで行って、更に沖縄まで行ってここへ戻って来るまでには充分な量だよ。各燃料タンクの残りかすを文字通りかき集めて見たら、それだけの量が集まったってさ」
「そうか……」
安堵の溜息を洩らしながら大戸は迅鯨が淹れてくれた紅茶を注いだカップを口に付ける。
「で、悪い知らせとはなんだ?」
「高知県沖室戸岬沖に深海棲艦の大規模な空母棲姫級を中核とした機動部隊が出現したって。アタシの主観ではあるけど、奴らは近い内にここに来るよ……」
まるでこちらのかき集めた燃料事情を察知して図ったかのような空母棲姫の展開に、大戸は無言でデスクの上に広げられた地図を眺める。
「万一の際は松山基地の第三四三海軍航空隊が防空戦闘に当たる事になるが、完全には防ぎ切れんだろうな……」
「どうする、提督」
帳簿を小脇に戻した北上の問いと迅鯨からの視線に、大戸は無言で紅茶を飲みながら暫く考えた後、カップをデスクの上に置くと二人に自身の案を告げた。
「榛名と竹の艤装に直ちに回収出来た燃料をありったけ積み込め。天城と葛城と宵月、花月、梨、朝顔には回航先の佐世保で補給を受けるよう指示を出してあるから、榛名と竹だけで充分だ。その他の戦闘艦艇は榛名と竹の呉脱出時に空母棲姫からの空爆が飛来した際は、全力でこれの援護に当たる」
「つまり、空母二人と駆逐艦四人それに榛名と竹以外はここに残って最後まで戦って砕けろ、って事ね」
「……そう言う事だ」
視線を逸らしながらも、言葉は逸らさずに答えた大戸に北上は呆れる事も無く、かと言って悲観する様子も見せずに何時もの間延びした口調で「了解」と答えた。
「しかし、提督。残存艦娘の残燃料は……」
「……天城と葛城、それに随伴艦となるよう指定した宵月と花月と佐世保までの護衛を命じた梨と朝顔は佐世保に行きつくまでには燃料が持つだろう。機関参謀とそこの所は計算済みだ。それ以外の者は浮き砲台となって防空戦闘をやるくらいなら可能だろう。要はここを最後に離れる榛名と竹が佐世保へ向かう時間を稼げられればそれでいい」
「でしたら、私の艤装からも残って戦う艦娘へ提供出来るだけの燃料を提供します。肝心な防空戦闘中にガス欠は洒落になりませんからね」
そう進言して来る迅鯨に北上は、迅鯨は本当にそれでいいのか、と言いたげな顔をするが大戸は二つ返事で謝意を示した。
「すまんな。折角の好意に今回ばかりは甘えさせて貰おう。北上、君は速やかに機関参謀らと一緒に榛名と竹への燃料補給作業を開始してくれ。迅鯨はここに残る事になる艦娘の内、防空戦闘に駆り出す事になる青葉、利根、北上の艤装へ君の艤装から燃料を抜き取って分配を頼む」
「了解」
「了解しました」
二人が揃って敬礼し、踵を返して執務室を出て行くと、大戸は再び椅子の背もたれに寄りかかって、溜息を洩らしながら窓の外から見える呉市街地を囲む山々に視線を向けた。その一つ、呉市街地から船で行ける江田島にそびえる一つの山を見て、もう一度溜息を吐いて、テーブルの上にある紅茶の残りを飲み干した。
作業員達の掛け声が飛び交う中、榛名の改二乙艤装と竹の二人の大小の艤装に給油ホースが接続され、鉄路で徳山基地から移送されて来た燃料がポンプの騒音と共に注入されていった。
その作業を機関参謀と一緒に監督する北上の隣に竹が立ち、手摺に右手を置きながら侘しそうに言った。
「別れの前のささやかな餞別ですか」
「そんな事はないよ。ささやか所か腹一杯給油出来るだけの量だから、ささやかと言うよりは豪華、と言って欲しいね」
にひっと笑う北上に竹は驚きをその顔に浮かべて雷巡艦娘の顔を見つめ返す。
「そんなに残ってたんですか」
「タンクの内部にこびりついていた残りかすみたいなものを文字通り搔き集めて再精錬して使える物にした奴だから、今給油ホースで竹と榛名の艤装に注入し切ったら、もう完全に呉の艦娘が使える燃料はオケラだよ。
芝居がかった言い方は好きじゃないけど、これだけは言える。この鎮守府の全てを竹と榛名に託す、ってね」
「……北上さんは、俺と榛名さんが佐世保へ行ったらどうなるんですか。北上さんだけでなく、この鎮守府に残る艦娘皆は」
「提督は少なくともアタシと利根と青葉にここに残って、浮き砲台として万が一深海棲艦の大規模空爆が来たら防空戦闘に当たれ、ってさ。フーミイ(伊201)とかは多分、丘の防空壕で亀になってるだろうさ」
「それは……捨て石になれって意味では」
真顔で言う竹に微笑を浮かべて北上はそれを遮る。
「言わなくていいよ。どの道、燃料がもうない以上は最後まで艦娘としての責務を全うするだけよ。最後の最後で『防人』としての役目を発揮して終われるんならそれもそれで艦娘として本望だよ」
とつとつと竹に語りながら、最後に北上は微笑を苦笑に変えて言い放った。
「出来れば、アタシも決戦艦隊に加わってアイツらに決戦兵力として魚雷をぶっこんでやりたかったけどね。その美味しい役は竹、アンタに上げるよ」
「分かりました、北上さんの分も俺、暴れて来ますよ」
約束する様に言う竹に北上は満面の笑みを浮かべて頷いた。
通信士官業務を終えて、青葉が伸びをした時、時計の針は深夜を刺そうとしていた。
「すっかり夜中になっちゃった」
日は伸びたものの、やはりこの時間帯ともなれば太陽とは数時間はお別れしないといけない。北欧の国の様に陽が沈まない白夜はこの国には無い。どんな日にも夜が来て、朝が来る。
夕食は迅鯨が差し入れてくれた食事を食した。古鷹達から今日貰った食料やお菓子は結局、迅鯨に殆ど渡してしまった。渡したと言うよりは、管理を預けたと言うのが正しいだろうか。少なくとも青葉個人への差し入れなので、迅鯨も無断で鎮守府の料理の食材として流用する事はないだろう。
唯一手元に残した乾パンの袋を開けて、ポリポリと齧りながら業務を行っていた青葉だったが、沖縄の守備隊からの通信が来た時だけは、食する手を止めて通信文の書留に務めた。
沖縄の守備隊は、善戦してはいる様だったが日に日に備蓄物資が心許なくなっており、このままでは弾薬や燃料、食料が払底して負けてしまう可能性がある、と最悪の状況も視野に入れた上で、速やかなる援軍の派遣を求む、と言う切実な願いが綴られていた。今の青葉にはその願いを受け止め、提督などへ報告する以外に出来る事はない。帳簿外の燃料を確保して、榛名と竹には補給が出来たと聞いているから、この基地から榛名と竹の二人を、沖縄救援の為に決戦を挑むべく、戦力と物資を集めている佐世保鎮守府に回航し、決戦艦隊の一員として編入する事が出来る。
肝心の榛名だが、今基地業務の一環で出張中だ。今日中には帰ると聞いていたが、無理だろうか、と時計を改めて見て、刻々と針を進める秒針の機械音に耳を澄ます。
その時、正面玄関の方でドアがゆっくりと開けられ、なるべく高い足音が立たない様に気を配ったコツコツと言う足音が聞こえて来た。ああ言う歩き方をするのは榛名の特徴だ。
夜遅くと言う事もあり、青葉もなるべく静かに歩きながら、正面玄関ホールへと向かう。
正面玄関ホール脇の詰所に居る警備員に上陸札の書き換えの手続きをしている榛名の姿を認めた青葉は、一人彼女を出迎えに上がった。
「おかえり、榛名」
「只今です青葉さん。鎮守府の皆さんはお変わりないですか?」
「皆元気だよ」
そこまで言ってから青葉は、榛名に今佐世保鎮守府への回航の事を話すべきか、迷いが生じた。利他的な気質がある榛名に竹を付けて佐世保へ送ると話せば、榛名は反射的に自分がそんな役を任されていいのかと疑問を呈して来るのではないかと。少なくとも青葉には榛名に対して良いも悪いないと思っていた。いや寧ろ改二乙艤装を生かさずに終わらせるよりは最後に一撃放つくらいはやってくれた方が青葉自身良いと思っていた。
「榛名、徳山基地からかき集めた燃料がここに届いたよ。司令官はその燃料を榛名と竹の艤装に補充して、佐世保へ向かうよう指示を出した。竹の艤装の給油作業はもう終わってて、あとは榛名の艤装の給油作業が終わり次第、ってところ。
……頼まれてくれるよね?」
この基地最後の出撃になるだろう、と言う思いも込めて語る青葉に榛名は黙って聞き、最後の言葉を聞くと、目を閉じた。
数秒瞑想するかの様に沈黙した榛名は再び目を見開くと、青葉の蒼い目を見据えて頷いた。
「それで、青葉さん達は、私と竹さん以外の艦娘達はどうするのですか?」
「青葉と利根と北上はここに残って最後まで戦うよ。迅鯨が艤装に残っていた燃料をありったけ分けてくれたから、メンテコースを一周するくらいなら青葉も走れるようになったよ」
「そうですか」
溜息交じりに榛名は言いながら、くるっとホールの見回してどこか寂しそうな表情で言った。
「ここもすっかり寂しくなってしまいましたね。金剛お姉さまも比叡も、霧島ももういない。今では榛名一人ぼっち」
「一人ぼっちは……嫌だよね」
そう返す青葉ではあったが、自分と榛名とでは少しだけ境遇が違う事に気が付く。青葉とかつて同じ戦隊を組んでいた六戦隊の重巡艦娘は、今では青葉以外は全員退役と言う形で姿を消したが、榛名の場合、金剛型姉妹の内、比叡と霧島はソロモンの戦場の水底へ消えた。金剛はレイテ島を巡る戦いの後、帰港途中潜水艦に襲われ一命はとりとめたものの、今でも逃げ込んだ先の台湾の病院に収容されたまままだ出て来られていない。傷が重いと言う程度の話しか青葉も聞いていないが、少なくとも六戦隊と違い、榛名が所属する三戦隊は二人が命を落とし、一人は重傷を負って入院中だ。今の戦況では仮に金剛が回復を遂げたとしても、ここに戻って来る事は難しいだろう。また潜水艦に襲われては元も子もない。金剛には護衛として駆逐艦娘の浦風も随行していたが、浦風は金剛を襲った潜水艦の魚雷の直撃を受けて瀕死の重傷を負い、艦娘としての活動困難として本人の意思も確認の上で既に除隊している。つまり金剛をここ呉へ連れて帰る余力は今の艦隊には無い。
沈みかける視線を上げて青葉は榛名に向き直ると、給油作業の完了予定時刻を伝達した。
「給油作業完了予定時刻は明後日〇五〇〇を予定。戦艦榛名は駆逐艦竹と共に〇七四五時に呉を出港。敵潜水艦の襲撃を回避する為、対馬海峡経由で佐世保へ向かわれたし。以上」
「了解しました。明後日の午前七時四五分ですね……明日に備えてもう寝なくちゃ」
「夕食は?」
「外で済ませました」
微笑を浮かべて気遣いありがとうと一礼して、榛名は自室のある宿舎へと戻って行った。
一人ホールに残された青葉もホール内をぐるりと見まわして、在りし日の、呉鎮守府に艦娘が大勢いた戦争が始まる前のあの日の想いを巡らせた。まだ海防艦娘や夕雲型や秋月型と言った艦娘すら居ない、何なら大型艦娘でも雲龍型空母艦娘や阿賀野型軽巡艦娘すらまだいなかった時代だが、それでも尚、多くの艦娘で賑わい、昼夜問わずに人気に溢れ、賑やかでせわしなかった。今は所属する艦娘は数える程しかなく、広い鎮守府の施設全体が閑散とした空気に包まれている。榛名の後を追って自室へと戻る青葉の歩く足音が異様に高く聞こえるのは、かつての喧騒も無くなって、鎮守府が物理的に静まり返っているからに他ならない。
「静かなのは……嫌いだなぁ」
そう呟く青葉の耳に夜の瀬戸内海を進む内航船の汽笛が聞こえて来た。
寝間着に着替えて自室のベッドの毛布の中に潜り込む青葉は、照明を消した自室の暗闇に目が慣れて来るにつれて、その閑散とした部屋の風景に溜息を吐いた。
元は六戦隊の四人一組の二段ベッド二つが並ぶ相部屋だった。今となってはその二段ベッドの一つの上段に青葉一人が横になるだけだ。複数ある箪笥も使われているのは一つ、クローゼット、ロッカー、下駄箱、いずれも四人分の容積に対して、収まっているのは青葉一人分の私物だけだ。
シュシュを外して髪を下ろした状態でベッドの上で横になる青葉は、一人ぼっちで暗闇に居るのが本当は嫌いだった。青葉の運命を、六戦隊の長女同士の古鷹の人生を変えた出来事が夜中の暗闇のベールに海上が包まれる時間帯だった。
たまに夜間に偵察に来る深海棲艦の偵察機に対して照射されるサーチライトが窓から見えた。それを見る度に青葉の脳裏に、サボ島沖での戦いがフラッシュバックする。暗闇の向こう、朧げなシルエットしか見えない相手に向かって確認信号を送った青葉に対して突如放たれて来た砲弾。咄嗟に「ワレアオバ」の信号を送った青葉に返されたのは更なる砲弾の雨だった。回避も間に合わず被弾し、応戦する術もないままやられていく青葉の前面に、艤装の探照灯を照射しながら吶喊する古鷹と、その援護に周る吹雪の姿が流血で塞がりかける青葉の視界の端に見えた。応射しつつ、自分を引いて戦域離脱を試みる衣笠、古鷹の艤装上で被弾の爆破閃光が走り、探照灯の灯と別のオレンジに光る灯りがその姿を深夜の海上に浮かび上がらせる。複数着弾して海上に響き渡る古鷹の悲鳴、照射する射線がブレていく探照灯、花火の様に大爆発して最期の言葉も無く一撃で轟沈して果ててしまった吹雪。
嫌だ、真っ暗なのは嫌だと身じろぎしながら青葉は目を瞑る。本当は部屋の電気を点けて寝ていたい。だが、今のご時世灯火管制が敷かれている以上は点ける訳にはいかない。嫌でも夜の暗闇に身を沈め、拷問の様に繰り返し蘇る「あの時」の光景に魘されながら寝る。だから青葉は夜よりも昼間が好きだった。昼間なら真っ暗な暗闇とは無縁の生活を送れる。夜の様な暗闇が昼間に訪れる事はまずない。
せめて今夜だけでも、サーチライトと空襲警報のサイレンが鳴りませんように、と目を閉じて暗闇の中で小刻みに身体を震わせながら無理やり眠りに付こうとする青葉の目と耳に、その晩夜空を突き刺すサーチライトの光芒と、恐怖を煽りに来るサイレンの音が入る事は無く、静かな夜が過ぎた。始めは暗闇に怯えながら目を瞑っていた青葉も自然に訪れたその日一日の疲れと睡魔によって、本当の意識の暗闇の底へと沈んで行った。
翌日、青葉は大戸に休みを貰って、鎮守府の外へと繰り出した。古鷹、加古、衣笠たちの家を一遍訪れておこうと勇気を出して行ってみる事にしたのだ。
市営バスに乗り、一〇分程坂道を揺られて降りたバス停の周囲には、山を切り拓いた土地にこぢんまりとした一戸建てが並ぶ住宅街となっていた。道を歩く青葉は、数日前に衣笠から貰った元六戦隊の重巡艦娘三人が共同生活していると言う家を目指して、舗装されていない道を踏みしめるように歩いた。
時折、民間人の女性や子供たちとすれ違う度に、青葉は民間人からのごく自然な挨拶に軽く一礼しながら、極端な不自由もなく元気に暮らしている様子の風景に口元に微笑が浮かんだ。
バス停から歩くこと一〇分程、目的地の家に青葉は辿り着いた。探すまでも無く、近づくにつれて恐らくは昼間からゴロゴロしている加古を叱る古鷹と衣笠の黄色い声が聞こえてくる家は周囲の静かで穏やかさを纏う民家とは一線を画していた。
「ここかぁ」
確かに大きくはない小さい方の家だが、それでも平屋では無く二階建てで、ベランダには三人の布団が干されている。自転車も玄関先に置いてあったりと、中々に元艦娘らしい活発さが溢れる家の外観と言えた。
中からは相変わらず古鷹と衣笠の声が響いている。時間帯的に昼食時を過ぎた頃だ。加古的には昼食後の昼下がりの眠気に負けて、居間でゴロゴロしているのかも知れない。
「変わらないな」
軍を退いても何も変わっていない三人の風景に微笑を浮かべながら青葉は玄関の引き戸をノックした
「はーい」と答えながらパタパタと足音を立てながら、Tシャツに短パン、台所エプロンと言う姿の古鷹が家の奥から走って来る音が聞こえた。ガラガラと音を立てて引き戸が開けられ、古鷹が青葉の前に姿を現した。
「青葉!?」
「こんにちは古鷹。先日、ガサから個々の住所を書いたメモを貰ってたから、折角だから見に来てみたの」
「青葉が来てくれて嬉しいよ。加古ー! 衣笠―! 青葉が来たよー!」
家の奥へ向かって青葉の来訪を告げる古鷹の声に、慌てて駆けて来る二人の足音が響く。
姿を見せた加古と衣笠は揃って古鷹の様に薄着のシャツに短パンと言う格好であり、艦娘としての制服を着こなす青葉とは対照的にラフなルックスであった。
「青葉じゃん! 来るなら一言言ってくれても良かったのに」
「青葉が来るって聞いたらあたしゃ眠気飛んじゃったよ。まー、上がって上がって」
「お邪魔しまーす」
玄関から家の中に上がる青葉は外観だけでなく、内装もしっかりしている三人の家の出来具合に感心していた。
「いい家じゃない」
「でしょ~。青葉の仕送りのお陰よ」
自慢げだが、その自慢が出来るのは青葉のお陰だと衣笠が言う。
居間へと通された青葉は、そこで小さな食卓テーブルの一角に敷かれた座布団に座り、加古と衣笠も自分の座布団に座る。台所へ行っていた古鷹が、程なくしてお茶を注いだ湯呑を四つトレーに載せて持って来た。
「はい、お茶」
「ありがとう、古鷹」
出されたお茶を啜る。ほんのり苦く、少し熱めだが、飲めない程の熱さでもない。
「今日は何の用で来たの?」
「用と言うか。まあ単純に遊びに来ただけだよ」
この家では主婦的な立ち位置なのだろうか、台所エプロンをつけっぱなしの古鷹の問いに、青葉は答える。
深い用事がある訳でもない、単に遊びに来ただけと語る青葉に古鷹は初めてエプロンを外しながら、「何時までいられるの?」と問う。
「一泊くらいはして来てもいいって大戸司令官に許してもらったから、泊っていけるよ」
「やった。衣笠さんの部屋、実は青葉の分の布団も用意してあるんだ。今夜は一緒に寝よ青葉」
「ありがとうガサ」
相変わらず世話焼きな妹に礼を述べる青葉に、加古が三人を見回して尋ねる。
「今日は何して青葉と過ごす? 四人一緒にのんびり昼寝でもしようか?」
「もう、加古ったら」
口を尖らせる衣笠だったが、青葉はお茶を飲みながらまんざらでもない様に言った。
「それも悪くはないかもね。青葉、夜寝るのが苦手だから」
「青葉って夜行性、夜型人間だったっけ?」
首をかしげる古鷹に青葉は頭を振る。
「今でも、夜になるとサボ島沖の光景が頭に蘇るんだ……古鷹を艦娘としての生活が出来なくさせてしまったし、吹雪を喪う事にもなったあの時の状況が、今でも脳に焼き付いて離れないんだよ。たまに夜に深海棲艦の偵察機が飛んできて、空襲警報が鳴るでしょ? そしてその時にサーチライトも照射されるじゃない。あの光景があの時の光景に似ていて、頭が、冗談なしに痛くなるんだ。古傷が痛むのか、ただの頭痛なのか分からないけど、サボ島沖の一件は青葉の中でも今でも黒歴史なんだよ。
冗談でも誰かに『ワレアオバ』って言われるのが怖い。あの時青葉が、咄嗟にやった事であったとは言え、それで反撃が遅れた原因でもあるし、古鷹や吹雪があんな結果を迎える原因にもなった訳だし……」
「そっか……青葉はまだあの戦いがトラウマになって今でも悩んでるんだね」
そっと青葉の隣に座りながら、古鷹は寄り添う様に青葉の身体にその身を寄せる。青葉の身体の温もりを片腕越しに感じながら古鷹は言った。
「私はね、青葉。今でも、以前からも、青葉の事はこれっぽっちも恨んではいないよ。寧ろね青葉、あの時探照灯を付けて後先考えずに突っ込んだ私自身が悪いって今でも思うの。吹雪ちゃんの事は不可抗力だよ。青葉に全ての落ち度がある訳じゃない。
結局はね青葉、艦娘がどうなるか、それは艦娘一人一人のその時その時の判断による結果でしかないんだよ。だから、サボ島沖の一件で何もかも青葉のせい、って思うのは違うと思うよ」
「あたしもそう思うよ」
青葉に対して語る古鷹に加古も続く。
「あの時、対潜哨戒に出ていた水偵は確かに青葉のモノだった。でも、あの時完全に気を抜いて、うたた寝すらしそうになっていた程油断、慢心し切っていたあたしの警戒心の無さが、今の自分を成している。だから青葉に責任があるとはあたしは全然思っちゃいない。強いて言うなら、油断し切ってたあたしの自業自得さ。足が不自由なのは不便だけど、あたしは今でもこうして息を吸って、ご飯も食べて、ゆっくり寝て、って言うのんびりした人生を謳歌出来ている。それでいい、今はそう思っているよ」
優しく微笑みながら言う古鷹と加古に、青葉はそれでも何だか悪い気がしてしまう気持ちが拭えないまま、助けを求める様に衣笠に視線を向ける。
青葉からの視線に衣笠は、青葉のせいで自分も艦娘を辞めざるを得ない怪我を負ったと思われたのか、と勘違いしてるのかと思わたと思い少し強めな口調で青葉に語った。
「衣笠さんの場合は青葉云々なんてこれっぽっちも無いわよ。あの時起こった全ての出来事は私自身につけが付いてるだけ。青葉、あの時病院に缶詰めにされてたじゃない、どうこじつけたら青葉の責任になるのよ。古鷹の件も加古の件も、青葉に責任を問うのはこじつけでしか無いわ。結局は古鷹の言う通り、その時の当事者である艦娘の判断が招いた結果よ。何でもかんでも自分のせいにする事じゃ無いわ」
三人からの諭すように語るその言葉を聞いて行く内に青葉は、徐々にその心の中でしこりかおもりの様に被さっていた何かが無くなり、気持ちが軽くなる様な気がした。
「優しいね、三人共。青葉を許してくれるなんて」
「許すも何も青葉は悪く無いもの」
明朗に言う古鷹の言葉に、それまでずっとこの二年間の間、自分の心を覆いつくすどんよりとした曇空が晴れて、眩しい青空が広がっていく様な気分になった青葉は、初めてこの家に来てナチュラルな笑顔を浮かべた。
青葉の笑顔を見て、彼女の心情を理解した加古が切り替えた声で欠伸を漏らしながら、青葉、古鷹、衣笠に言った。
「さて青葉の悩みも解決したし、さて、四人でのんびり昼寝しようか」
昼寝以外思いつくものは無いのかと古鷹が少し呆れ気味に溜息を吐くも、時計を見やってから三人に向き直って言った。
「三〇分だけ、一緒に昼寝しよっか」
「衣笠さんも、何だかお昼ご飯食べてから眠くなって来ちゃった」
「昼寝したら、その後色々遊ぼうぜ、な、青葉」
「うん」
朗らかさを取り戻した青葉がにこりと笑みを浮かべて頷いた。
三〇分程居間で一緒に軽く昼寝をした四人はその後、艦娘時代時間的な余裕と言う意味で中々出来なかった事をして遊んだ。かるたやコマ回しおはじきと艦娘としてと言うより、青葉、衣笠、古鷹、加古と言う四人の女性が束の間の平穏な時間を余す事無く満喫する時間となった。
夕食時になると、古鷹が夕食をこしらえ、四人分の料理が今の食卓に並んだ。
「久しぶりだなあ、四人でこうやって食卓を囲うなんて」
鯖の味噌煮を食しながら言う青葉に古鷹、加古、衣笠もそうだなと頷いた。
「昔を思い出すねえ。あそこ(呉鎮守府)がまだ賑やかだった頃を思い出すよ」
白米を飲み下しながら、遠い目をする加古に、青葉、古鷹、衣笠も懐かしむような視線で天井を見上げた。
「昔には戻れない……でも昔のような事は繰り返せるよ。良くも悪くも、ね」
ふふっと微笑を浮かべて古鷹は言った。
久々に腹一杯に食事した青葉は満腹感と満足感、そして心一杯に広がる穏やかさに包まれながら、元第六戦隊の三人とのかけがえのない一時を堪能した。
夕食後の片づけを四人で行い、布団を居間に敷く。部屋で別れて寝るよりも四人一緒に寝ようと提案して来た加古の言う通りだと思っての事だった。
交代で風呂にも入り、寝間着に着替えた四人はその晩遅くまで他愛の無い会話を、艦娘としての時事的なモノではなく、個人的な話題をメインにガールズトークをして、夜一一時に揃って寝床に着いた。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、翌日の朝、青葉は三人の家を発った。
帰り際、古鷹、加古、衣笠の三人総出で鎮守府へ帰る青葉を見送りに出た。
「じゃ、青葉は帰るね」
「またね青葉。また遊びに来てね」
「いつでも来ていいからな」
「まったね~」
にこやかな、太陽の陽光の様な笑顔で手を振りながら別れを告げる三人に、青葉も手を振りながらバス停へと歩き出した。
角を曲がるまで、ずっと自分の背中を見送る三人の視線を受け止めながら、呉の空を見上げて歩きながら青葉は清々しい気持ちで坂を下り、角を曲がって昨日降りたバス停へと歩いて行った。
鎮守府への帰り道、呉市の病院へ立ち寄り、熊野の見舞いにも行った。
入室して来た青葉の姿を見て、病床の熊野は弱弱しいながらも、微笑を浮かべて左手を上げて青葉を迎えた。
「具合はどう?」
「お医者様のお陰で、熱は下がりましたわ……見る世界がぼやける事なく、明瞭に見えるくらい、頭もすっきりとしてますわ」
以前の高飛車な口調も活力も無いが、それでも山は越した様子で穏やかな口調で熊野は語る。
病床の隣で黙って聞く青葉に熊野は自由がきく左腕を伸ばし、青葉もその手をそっと取る。
「青葉、わたくしがこの町まで辿り着くまでの間、ずっと孤独でした……どうにかして、生き延びようと……何度諦めかけたか。でもわたくしは、ずっと言おうと思っていたのです。青葉に『お先に失礼』のお返しをしようと。
動かす燃料ももう無いのに……青葉はなぜ艦娘を続けているのです……? 強大な敵が、すぐそこまで迫って来ていると言うのに……」
「青葉は、そんな逃げる様な生き方、もうする気は無いよ。今も過去も未来にも、真正面から立ち向かっていくだけだよ。最後まで、ね」
ぎゅっと熊野の左手を握りしめて青葉は確たる意志を持った目で答えた。
その答えに熊野はやつれた顔にまた微笑みを浮かべて青葉の顔を見つめ返した。