艦隊これしょん 『「艦これ」いつかあの海で」外伝 〈六の絆〉 作:岩波命自
「給油作業完了! 給油ホース切り離せ!」
「弾薬積み込み作業にかかれ!」
明日の出港に向けて、呉鎮守府の艦娘艤装整備場では榛名と竹の艤装への燃料の補給作業が完了し、妖精達が押す荷台に乗せられた砲弾数百発の積み込み作業へと移行していた。
昼夜を徹した作業が、作業員と妖精を交代交代で執り行いながら続けられていた。
作業が続く艤装整備場の傍の埠頭の端で、利根と榛名は呉の市街地と呉鎮守府の風景を眺めていた。
「榛名は暫くの間はこの呉の風景も見納めじゃな」
「ええ。ですが、また榛名は帰って来ますよ。大丈夫、どんな姿になっても、お姉さま達との思い出が詰まった此処に、榛名は帰って来ます」
揺ぎ無い意志をその目に浮かべて言う榛名を横目に、利根も安心していた。明日は一切の心配無く榛名を送り出せるだろう。
二人から離れたところでは竹が北上に手伝って貰いながら、主砲の砲身の整備をしていた。
「羨ましいねえ、竹の主砲は。手入れがしっかりしているのが分かるよ」
砲身内を覗き込みながら、北上は竹の主砲の砲身の内側をピカピカに磨き上げる。良い状態で竹を送り出してあげたい、と言う思いからブラシで砲身内のライフリングを綺麗にする北上に、竹は整備終わった砲身を艤装にセットしながら応えた。
「松姉には色々しっかり仕込まれましたからね。お陰で、艦娘として一人前になれているかは分かりませんが、半人前に離れた自負はありますよ」
「いやいや、あたしからすりゃ竹はもう立派な一人前の艦娘だよ。でなきゃ、提督は竹に榛名っちの随伴艦を頼んだりしないよ」
「そう、ですかね」
少し照れたように顔を赤らめる竹に北上は整備を終えた砲身をテーブルに置くと、自身の艤装が仕舞われている保管庫へ行き、そこから信管を抜いた状態で保管していた九三式酸素魚雷を一発持って戻って来た。
「大井っちから預かっていたこの魚雷、竹に託すよ。竹が深海の奴らに叩き込んでくれたら実質あたしと大井っちとの共同戦果さ」
「良いんですか?」
受け取りながらも本当の良いのかと確かめる竹に、北上は苦笑を浮かべて言った。
「いざとなれば魚雷を使う事も無い防空戦闘に駆り出されるあたしに、魚雷はもう要らないからね。竹、アンタに託すよ」
「……ありがとうございます、北上さん」
魚雷を握りしめて、竹は北上に感謝の意を示した。
夜の便の内航船が鳴らす汽笛が四人がいる艤装整備場の元にも聞こえて来た。
嵐の前の静けさ、と言うくらい静かな平穏が降りて来る夜の帳と共に呉鎮守府を包み込んだ。
翌日。
起床ラッパと共に青葉は何時もの様に飛び起きた。身体に染みついたラッパの音色一つで頭は覚醒し、目を見開き、身体が自動的に上半身を起こしていた。
雀が鳴く囀りを聞いて青葉は夜の見える世界を覆う真っ暗な暗闇の世界から、明るい木漏れ日の太陽の元へまた戻ったのだと実感する。
ふと言い知れない胸騒ぎが青葉の胸の中で騒ぎだした。何か悪い予感がする。ベッドから出て着替えながら青葉は机の引き出しの中に仕舞っていたカメラのフィルムや、呉鎮守府の艦娘達の風景を記録した数々の記憶を纏めたアルバム、ノートと言った物を耐火金庫の中に入れた。同時に、一つの封筒を一緒にその中に入れて硬く金庫の扉を閉じた。
大事な記憶の数々はこれで問題ない、とほんの少しだけ安心感を覚えると、靴を履き何時もの食堂へと向かった。
食堂では榛名、利根、北上、竹 フーミイ、そして迅鯨が既に朝食に手を付けようとしていた。
普段ならこの場には四人の駆逐艦娘と天城と葛城の二人の空母艦娘もいる筈なのだが、今日は姿が見当たらない。青葉は自分の分が用意されている席に座りながら、隣に座る利根に尋ねる。
「天城と葛城と宵月と花月と梨と朝顔は?」
「あ奴らは日が昇る前、お天道様が顔を出す前に佐世保へ向かった。提督は昨日佐世保の提督に天城と葛城も編入しようと提案してな。幸い再編成が成った第六〇一航空隊があったからそれらを搭載して、佐世保へじゃ。あ奴らの艤装には燃料を補充できておらんが、まあ佐世保にまで辿り着ければ、そこで腹一杯に給油出来るじゃろ。佐世保は反攻作戦の為に戦力と共に物資も集まっておるからの」
「やっぱね、決戦に当たって肝心な空母機動部隊が鳳翔と龍鳳の軽空母二人だけじゃ洒落にならないからね。隼鷹はまだ入院中だから、あいつの艦載機も六〇一航空隊の傘下に編入したってさ」
玄米を口に運びながら北上も利根の語りに補足を入れる。
「龍鳳と鳳翔だけよりも、天城と葛城が加われば、最盛期程では無いにせよ、空母機動部隊らしくなったんじゃないの?」
焼き魚を飲み下したフーミイが言う。
「でも、随伴艦の数は足りるのかな」
率直な疑問を呈する青葉に迅鯨が答えた。
「宵月さんと花月さんを直掩艦として回すそうですよ。二人とも経験は乏しいですが、防空駆逐艦二人、居ないよりはマシだろうと大戸提督が仰ってました」
「流石に空母機動部隊の対空防衛艦の任を榛名だけに任されるのは、私も自信が持てないのでお二方が加わってくれるだけでも随分違います」
「ふーん……」
一同の解説を聞いた青葉は朝食を口に運ぶ。玄米、焼き魚、目玉焼き、味噌汁、総菜と言った比較的質素目な朝食を摂る。
榛名と竹は佐世保へ回航すると言う事もあって手早く食事を終えると、配膳台に食器を戻して食道を後にした。
「いよいよ天城達に加えて、榛名と竹まで行ったらここもガラガラね」
味噌汁を飲み干したフーミイが閑散とした広い食堂を見回して、侘しそうな顔で言った。
「もう、昔には戻れないんですよ……」
そう呟いた青葉の言葉に、その場にいた全員が頷いた。
朝食を終えたメンバーが徐々に食堂を後にしていく内に、食道には迅鯨と青葉の二人だけになっていた。
玄米の最後の一摘まみを口に入れて、味噌汁も流し込む青葉に、迅鯨が「ゆっくり食べて良いのですよ」とにこやかな笑顔で言う。
「業務が始まるまでにご飯終えとかないと、通信士官業務の先任士官にしこたま怒られるから、速めに行っておいた方が気が楽なんですよ」
ごくりと食べ物を飲み下しながら青葉は答える。
もう一回味噌汁の残りを啜って完食すると、両手を合わせて「ごちそうさまでした」と言い、食器を載せたトレイを配膳台に戻す。
トレイと食器を戻してから、青葉は食堂へと振り返って、軽く溜息を吐いた。
やはり人気の乏しい食堂の風景は何とも言い難いものがある。昔は六戦隊の四人で揃って食事をする事もあったのに、今では青葉一人で食事をする事もざらだ。
「もう昔には戻れない……」
もう一度自身の言った言葉を繰り返し、悔やんでも悩んでも仕方ないと頭を振ると青葉は仕事場へ歩き出した。
昔の様に起床ラッパに叩き起こされる事のない静かな朝にも大分馴染んで来た古鷹、加古、衣笠も揃って朝食を摂り、今日一日の予定を食事しながら確認し合っていた。
「やっぱり、青葉が居ないとこのメンバーって感じがしないね」
ぽつりとつぶやく古鷹に加古と衣笠も同感だと頷く。
「でもなぁ、現役張ってる青葉を無理やりここに連れ込む訳にもいかないしな」
そう返す加古に衣笠もその通りだと頷く。
「早く戦争が終わればいいのにね」
まあ、今日、明日の内に出来る事ではないなと思いながら、せめて昨日青葉が遊びに来てくれた事に感謝しながら、古鷹は味噌汁を飲み干した。
三人が食事を終え、ラジオを付けようかと言う時、最初は低く、そして次第に高く、長く響き渡るサイレンの音が街中に、そして呉鎮守府全域に響き渡り始めた。
「空襲警報!」
皿を洗う手を止めて古鷹は慌てて洗い場から居間へと駆け込む。加古と衣笠はラジオから聞こえて来る空襲警報の知らせに耳を傾けていた。
アナウンサーが緊迫した口調で、深海棲艦の戦爆連合の大編隊が呉を目指して進撃中と言う内容を読み上げ、民間人は速やかに防空壕へ退避する様避難命令が発令されていた。
慌てて非常持ち出し袋などをかき集め、防空頭巾を被る三人の耳に、深海棲艦の艦載機群が呉市街地上空に群がる、不気味な飛行音が押し寄せ、やがてそれは呉市だけでなくその周囲一帯全域の空を覆いつくした。
それより少し前。青葉は通信指令室でヘッドセットを被って、各部隊との定時連絡を確認していた。
呉鎮守府にとって早期警戒網の要である電探基地や防空の要の松山基地などとの定時連絡を行う青葉は、いつも通りの返事を返してくる各部署、各基地の返信を確認し、異常なしと記録を書き残す。
青葉以外にも通信士官と通信兵曹、それに通信参謀の三人が指令室に詰めており、青葉とは別の仕事を取り仕切っていた。
異変が確認されたのは午前七時頃。一部の基地との通信にジャミングが入り始めたのだ。深海棲艦は最近ではチャフやECMを仕掛けて呉鎮守府近辺の防空網に対して、電波妨害を実施する事があった。普段ならごく短時間で済むが、今日は違った。いつもよりも高い出力で流し込まれる妨害電波によって一部基地との通信が出来なくなっていた。
「拙いですねえ」
通信参謀に対して青葉が言った時、辛うじて連絡が取れる電探基地から緊急電の信号が入った。速記で書き留める青葉は、書き取った文面を見て、遂に来たか、と強張った顔で通信参謀に向かって振り返り叫んだ。
「敵大編隊、呉へ向け急速接近中!」
「全部署に達する、全部署に達する。電探は不能! 現在、各対空電探並びに各基地との通信は出来ない!」
通信兵曹が呉基地全体へ警報を発令する中、通信参謀が青葉に歩み寄って来る。
「青葉、ここは我々に任せて貴様は防空戦闘に出撃しろ」
「はい!」
軽く敬礼して、青葉は艤装整備場へと駆け出した。まさか榛名と竹の出港のタイミングを見計らって? と言う考えが脳裏を過ぎ去るが、今は防戦だと青葉は鎮守府の施設を飛び出し、少し離れた艤装整備場へと駆けていく。鎮守府内はにわかに空襲警報と、対空戦闘部署を発令した基地要員たちの怒号に埋め尽くされていた。
港湾部へ目を向けると、まだ榛名と竹は抜錨していなかった。
「何してるの、早く脱出するんだよ!」
届かないと分かっていても言わずにはいられない青葉が苛立ちを交えながら言う。
艤装整備場へと駆けこんだ青葉を呉鎮守府の艤装整備長と、整備員が出迎えた。既に利根と北上は艤装を装着して出撃済みだった。
「迅鯨とフーミイは?」
「動かせない艦娘は陸に上がった河童だ。一足先にバンカーに入った。貴様も直ちに緊急出港だ、榛名と竹の佐世保脱出を援護しろ」
老練な顔立ちの艤装整備長が急かす様に青葉に言い、頷いた青葉は素早く艤装装備ドックに飛び込んだ。陸上用のローファーを脱ぎ捨て、航洋用のローファーに履き替える。ドックのキャットウォークを妖精達が駆け回る中、いつもの艤装装着手順時の確認事項の殆どを省略し、最低限の確認事項だけ確認した青葉は、カタパルトレールへとゆっくりと動き始めるトロリー台から足をやや無理やりに引き抜いた。航洋用ローファーに傷が付いたが今は一刻を争う、のんびりカタパルト射出を待っていられない。
「艤装整備長、時間が惜しいです。このまま直に飛び込みます!」
「分かった! 艦娘カタパルト展張中止、艤装整備員は総員退避! 全員バンカーへ退避しろ!」
港湾部へと駆け出していく青葉と反対方向に艤装整備員や港湾作業員達が駆けだしていく。
「総員退避ーッ!」
艤装整備員の中には、手近な対空砲の砲座へと駆け出して行く者や対空砲弾を収容している弾薬庫へ駆け出して行く者もいる。艤装整備員は民間から加わっている軍属と海軍の本職の二種類があるので、バンカーへ避難するのは軍属、対空戦闘部署へ飛び込んでいくのは正規の海軍人だった。艤装整備長も機関科所属と正規の海軍籍を有するので、対空戦闘部署を指揮する防空部隊指揮官の大尉の指揮下に入る。
埠頭の端から艤装を纏った青葉は海面へ向けてジャンプした。数メートル降下していく間に艤装にしがみ付きながら妖精達が各部署へと配置について行く。
二本の脚が海面に触れ、一旦青葉は海面下に沈み込むも、艤装の浮力フロートの力で瞬く間にずぶ濡れになる前に浮上し、青葉は左右一対の脚で呉の港の海に立った。
「青葉、抜錨!」
出撃を宣告した青葉の耳に、利根と北上、それに榛名と竹が対空射撃を開始する砲声が聞こえて来た。艦娘の対空砲火だけでない、呉鎮守府の他、高畑山や灰ヶ峰、三津峰山などに設けられた防空砲台が砲撃を開始していた。
空一杯に対空弾が炸裂し、色とりどりの絵具を垂らした様な対空弾の爆炎が炸裂する。
「敵は……うわぁ……」
青葉は空を見上げて絶句した。見渡す限りの空一杯に深海棲艦の艦載機が飛び回っている。どこを見回しても深海艦載機だらけだ。いや、深海艦載機群の白い機体に交じって、濃緑色の機影が数の上で圧倒されているが、果敢に挑みかかっている。二機一組のエレメントを二つ組み合わせた四機一編成とするケッテの編隊を組んで挑むその姿からして、松山基地からスクランブルに上がった第三四三海軍航空隊の紫電改だ。一機また一機と深海艦載機が紫電改に撃墜されるが、余りにも多すぎる深海艦載機は減った様に見えなかった。
必死に防戦を行う紫電改の姿を見上げながら、青葉は凛と張った声で命じた。
「対空戦闘用意!」
対空戦闘を発令する鐘が鳴らされ、ベルが響き渡り、妖精達が各砲座、銃座に付く。八センチ単装高角砲、二五ミリ三連装対空機銃、同連装機銃の砲座、銃座に妖精が弾薬を持って飛び込み、砲身、銃身の仰角を最大に取る。
青葉の背中の艦橋艤装では二式二号電波探信儀一型、通称二一号対空電探が、最早走査するまでもないレベルに呉鎮守府を覆いつくす深海艦載機群を追跡していた。
なけなしの燃料を艤装に食わせて呉の港湾部の海面を走る青葉に妖精から「各部、対空、戦闘用意良し!」の報告が上がる。
「各砲座、各銃座、各個に自由打方! 主砲、撃ちぃ方始めぇッ!」
射撃号令を発令した青葉の右手に持つ主砲艤装に備えられた第一、第二主砲が砲身を最大仰角まで引き上げ、重々しい砲声を轟かせて対空弾を撃ち放った。続けて左舷艤装に備えられた八センチ単装高角砲、それに艤装のあちらこちらに備えられた二五ミリ対空機銃が弾幕を撃ち上げ始めた。
青葉の艤装はソロモン戦線での戦功で改二化改装された艤装を更に対空戦闘重視に再改装した改二乙と呼べる携帯だった。電探から送られて来た正確な敵機の高度、速度、そして射高を射撃の諸元に入力して照準を合わせた高角砲と対空機銃が、各個に狙いを定められた目標に向けて対空砲火を撃ち上げた。
深海地獄艦爆改が投下した爆弾が、少し離れたところにいる榛名の直ぐ傍に着弾する。小さな榛名の悲鳴が上がり、近くに展開して対空射撃を撃ち上げていた利根と竹が同時に「榛名!」と叫ぶ。
呉鎮守府の在港組では最も長身の榛名の姿が水柱の中に隠され、たもすれば轟沈した様に見える中、艤装機関部の唸り声と共に健全な姿を榛名は見せる。
「榛名は大丈夫です!」
無事だと宣告する様に叫ぶ榛名が再装填の終わった主砲を新たに近づく深海復讐艦攻改へ差し向け、「てぇッ!」と言う叫び声と共に榛名の三五・六センチ連装主砲が真っ赤な火炎を吐き出し、三式弾改二を撃ち上げた。
空中で炸裂する三式弾改二の散弾の群れを食らった深海復讐艦攻改の群れが、機体姿勢を崩し、黒煙を引きながら爆装を投下する前に自身を落としていく中、榛名の放った三式弾改二の爆破閃光に交じる様に、異なる三式弾改二の爆破閃光が瞬き、榛名へ向けて投弾態勢に入っていた深海地獄艦爆改数機を空中で打ち砕いた。
更に猛烈な曳光弾の雨が空からではなく、海上から逆さに降り注ぐ様に撃ち上げられるのを見た榛名は、その猛烈な対空砲火を放つ本人の方を振り返る。
榛名と同じ防空艦仕様として艤装を再改装された青葉が、ハリネズミの様な対空砲火を放ちながら、微速で榛名との距離を詰めて来る。空の一点を見つめて各対空火器に目標指示する青葉のその姿は、まるで空を自在に舞って獲物を狙う猛禽類に対して、威嚇の咆哮を叫ぶ狼の様でもあった。
防空戦艦である筈の自分を、防空重巡相当へ改装された青葉が身を挺してエアカバーを張り、守らんとしていた。
「新たな目標、フタヒャクジュウド!(210度)」
砲声、銃声に交じって射撃指示を出す青葉の叫び声が榛名の耳に入る。榛名も210度方向へ目を向けると、複数の深海地獄艦爆改が横一列に並んで青葉と榛名に覆いかぶさるように投弾態勢に入っていた。駄目だ、あれは青葉には躱せない! と本能的に悟った榛名が、それでも守ってくれた青葉を援護しようと弾幕を張り、投弾コースを逸らそうと試みる。
対空弾幕を張る二人の目に、爆弾を投下する深海地獄艦爆改の姿が見えた。横一列に並ぶ形で急降下して来ていた艦爆が、次々に爆弾を切り離し、機首を引き上げて上昇へと転じて行く。
「危ない!」
咄嗟に腕で顔面を覆う榛名だったが、投下された爆弾は一発も彼女を捉えなかった。いやそもそも榛名を狙っている様に見えて、その実深海地獄艦爆改が狙っていたのは、そのすぐ脇に布陣して、猛烈な弾幕を撃ち上げる一人の小柄な重巡艦娘に向けられていた。
「うわっ!?」
短い悲鳴の直後、ほぼ直上から降り注いだ爆弾数発が青葉の身体と艤装に着弾する。激しい爆発と閃光が走り、引き剥がされた甲板のパーツ等の艤装の破片が宙を舞い、鈍い音を立てて左足の骨が折れる破壊音が鳴った。左足の支えを失い、バランスを崩した青葉が後ろへと倒れ込み、まだ機能を維持している艤装の力で何とかその場の海上に座り込むような姿勢を保つ。
痛みに顔をしかめながらも、青葉は心配そうに自分を見る榛名に作り笑いを浮かべて、別方向から来る深海艦載機群へとまだ稼働する対空火器を指向させる。
「榛名、行って!」
高角砲と機銃の射撃音に負けない声で青葉は榛名に向かって叫ぶ。一瞬何のことだか分からない様な反応を示す榛名に、青葉は続ける。
「大淀や、四航戦のいる佐世保へ! 榛名に任されたその役目を果たして!」
ハッと本来の自分の任務を思い出した榛名に、同じく対空射撃を続ける利根と北上が低速で進みながら通りがかり、先を急ぐよう榛名を急かす。
「急ぐのじゃ! ここは吾輩達に任せて榛名は竹と共に呉を脱出するのじゃ!」
そう語る利根も無傷ではない。直撃こそないものの、至近弾で既に四肢の至る所に切り傷を作り、鮮血が滲んでいる。北上も似たようなところだった。
青葉の対空砲火が弱まった事で、それまで強気で出られなかった深海艦載機群も大胆かつ容赦の無い爆撃を始める。航行不能になった青葉、榛名、利根、北上の居る所へ、単艦対空戦闘を行っていた竹が援護射撃を放ちながら近づいて来る。
「榛名さん、急いで! ここは長くは持ちそうにない!」
急かす竹の頭上から別の深海地獄艦爆改が投弾態勢に入る。舌打ちをして竹が主砲を振り向けた時、青葉が静止した。
「竹、打方待って! 味方機が進入する!」
対空戦闘を継続しながら味方機の行動にも気を配れると言う器用さを見せる青葉の言葉通り、四機の紫電改が編隊を組んで進入し、投弾態勢あった深海地獄艦爆改に二〇ミリ機銃弾を浴びせて撃墜していく。瞬く間に艦爆を一掃した紫電改だったが、深海地獄艦爆改へ射撃を浴びせている間に、深海猫艦戦改がその背後を取り、一瞬の隙を見せた紫電改が深海猫艦戦改の銃火を浴びて被弾、黒煙を上げながら高度を落としていく。制御不能と判断したのか、キャノピーが開き、航空妖精が飛び出して落下傘が開いた。
「戦闘三四三も長くは持ち堪えられん、榛名及び竹は速やかに佐世保へ脱出、残存艦艇はその援護。佐世保を拠点に最終決戦に向けて艦隊を再編し、最後の一矢を……!」
「行って、行くんだ、榛名っち!」
北上も貧弱な対空火器と、対空戦闘向きとは言い難い一四センチ単装砲で懸命に応射をしながら榛名に向かって叫ぶ。
「行って、榛名! 呉は……青葉が守る!」
背中を押す様に言った青葉のその一言で脱出の決意を付けた榛名は、青葉、利根、北上の三人に別れの敬礼をすると、深海艦載機群の空爆が弱まった隙をついて最大戦速で港外への脱出を開始した。竹が対空射撃を行いつつ、一定の距離を保って随伴艦として随行した。
戦艦艦娘らしいパワフルな機関出力で作り出した盛大な航跡の飛沫を残して行った榛名の背を見送った青葉と利根と北上は、ほぼ間断なく送り込まれてくる深海艦載機群に対して、徹底的に抗い続けた。
「着底しても、固定砲台になって戦うぞ!」
活を入れる様に青葉と北上に聞こえる声で叫ぶ利根に、深海艦載機群の深海地獄艦爆改と深海復讐艦攻改が群がる。大量の爆弾が銃弾が降り注ぐ中、低速で走る利根は果敢に対空砲火を撃ち上げた。
迫る深海地獄艦爆改と深海復讐艦攻改を群れを見据えながら、利根は叫んだ。
「筑摩―! ちーくーまー! 見ておるか―!? 吾輩はここにあるぞーッ!」
空を見上げて、一杯の笑みを浮かべながら今この場に居ない妹の名を叫ぶ利根の艤装の右舷側に集中配置された四基の連装主砲が対空砲火を放ち、八発の対空弾を深海艦載機群へ叩き付け、数機を撃ち落とす。
「やったぞ!」
にんまりと顔一杯に得意げな笑みを浮かべて再び空を見上げた利根に、何処かから深海地獄艦爆改と深海復讐艦攻改の投下した多数の爆弾が降り注ぎ、大量の水柱と耳を聾する爆発の轟音と共にその場を吹き荒れた爆炎と黒煙の中に利根の身体は飲まれた。
「最後にひとっ走りしますか。最後くらい思いっきり走り回ってみたいしね」
何もかも吹っ切れた様子で北上はなけなしの燃料でブーストさせた機関部で最大速度を振り絞り、足の速さと北上自身の身軽なステップで爆弾の雨を左右に躱し続け、貧弱な対空火力で応射を続けた。
頼りない砲声と共に撃ち出された一四センチ主砲弾が、真正面から低空へと進入した深海猫艦戦改を捉え、爆発四散させていく。背中に背負う機銃がか細い曳光弾の火箭を撃ち上げ、迂闊にも近寄り過ぎた深海復讐艦攻改が一機、それに絡め取られて黒煙を引きながら呉の港の海面に激突して四散した。
「大井っち……アタシは……」
今は居ない相棒の名を呟いた北上の頭上から大量の爆弾が降り注ぎ、無数の水柱の壁の向こうに北上の姿はかき消された。
利根と北上との通信が途絶しても尚、深海棲艦は艦載機を送り込んだ。次第に在港艦娘へ向けられていたその爆撃の手は、呉鎮守府の基地施設を片っ端から破壊し始めた。
「遂に、ここも墜ちるか……!」
執務室の窓から群がる様に向かって来る深海艦載機群の大軍を、鬼瓦の様な形相で睨みつける大戸の耳に、無数の爆弾が降り注ぐ甲高い音が聞こえ始め、それは瞬く間に鉄橋の真下で特急列車が通過するのを聞くのと同じくらいの轟音となって迫った。
呉鎮守府司令官大戸直哉海軍中将の執務室のある呉鎮守府の司令部に複数の着弾の閃光が走り、建物のコンクリート片や鉄筋が爆砕された。多数の爆弾を被弾しても尚立っていた司令部に更に爆弾が投じられると、やがて地面を響かせながら司令部の建物が崩壊した。
開戦からずっと多くの艦娘達が利用して来た、艦娘の発着場を備えた艤装整備場にも爆撃の手は及ぶ。天井を貫通した爆弾が艦娘移送用レールの軌条に直撃して爆発し、ひん曲がった状態で引き千切られたレールが宙を舞い、爆風が吹き込んだ艤装整備場の内部にあったあらゆるものを均並みに破壊した。艦娘の艤装の治具、整備機材、クレーン、作業机、部品を置く棚、今呉鎮守府に残っている艦娘の艤装の予備部品、何もかもが押し寄せた爆風と上から天井を貫通して降り注ぐ爆弾によって引き千切られ、切り刻まれ、潰されて、倒されていった。中途半端な状態で展張されたまま放棄されたカタパルトが叩き折られて海中へ没する轟音が響き、破壊の嵐によって滅茶苦茶になった艤装整備場を火災の炎が仕上げとして舐め始める。
基地要員や艦娘達の寝起きし、憩いの場でもあった宿舎にも無情なる爆撃は見逃さなかった。全てを破壊し尽くすその手は、呉鎮守府の艦娘達が朝、朝食を摂ったばかりの食堂に爆弾数発を落として、爆風によってテーブルも椅子も、配膳台も、迅鯨が佐世保に移動して以来艦娘達の食を支え続けた厨房も、一切の区別なく爆弾の爆発の火焔と衝撃波で吹き飛ばした。燃える床には爆風によって投げ捨てられた食器の欠片や、包丁、昼食の為に食材を入れて仕込み中だった鍋の中身がぶちまけられ、瓦礫と炎によって滅却された。
そして爆撃は呉鎮守府の艦娘達の生活空間すらも焼いた。私物の殆どを残して呉を脱出した榛名の部屋も、利根の部屋も、北上、そして青葉の部屋も皆、天井事巻き込みながら落ちて来た爆弾によって掻き乱され、焼き払われていった。
青葉の六戦隊の四人との思い出がいっぱい詰まった二段ベッド二つはなぎ倒され、丁寧に、見惚れる程にきっちりと畳まれていた毛布や布団は炎に包まれて灰へとなる道を歩み出す。机や椅子も壁を突き破って噴き出す爆風によってばらばらになった残骸を屋外へ投げ出し、青葉が大事に様々な六戦隊を始めとする青葉との一期一会をして来た艦娘達の記憶と記録を託した耐火金庫は、燃えながら崩壊する宿舎の瓦礫の下に埋もれた。
爆撃を受ける呉鎮守府が燃え墜ち、灰燼に帰し、踏み止まって防空戦闘に当たっていた利根と北上の行方も分からなくなった状況でも尚、ただ一人青葉は闘い続けていた。
二基の主砲の砲身は過熱により白く変色しかけ、深海猫艦戦改の機銃掃射や深海地獄艦爆改、深海復讐艦攻改の爆撃の直撃弾や至近弾の数々を浴びた青葉は、その華奢な身体の至る所に銃創の痕と鮮血を流しながらも、ひたすらに、がむしゃらに戦い続けた。
「ワレ、アオバ……!」
何度目か分からない航空攻撃が青葉に向かって来るのを見て、青葉は戦国時代の戦国武将が自ら戦場で名乗り出るかのように、自らの名を口にする。
そうだ、青葉はここだ、ここに居る。まだ血を流し、炎を上げ、命と体力をじりじりとすり減らしながらまだ浮かんで戦っているぞ。
撃て、撃ってこい! 撃てるものなら撃ってみろ! 青葉は逃げも隠れもしない。ここに座り込んで身動きせずにお前たちを迎え撃ってやる。
「ワレ……アオバ……!」
一機でも多く青葉の方へ来い。一機でも多く青葉を殺しに来い、一機でも多く……呉の街に行かせはしない!
一機でも多くこのスクラップと肉片の塊になりかけている青葉の方へ引き付けるんだ、一機でも多く……! そう、一機でも……!
「ワ……レ、アオ……バ……」
あの町には、熊野が入院している病院がる。あの街には、古鷹と加古と衣笠が共同生活している家がある。あの街には、青葉が守らなければならない大勢の人々がいる……!
鎮守府には今まで語り継ぎ、綴って、受け継いできた艦娘達の記憶が思い出が、全てがある……!
何機落としただろうか、もう青葉には考える事は出来なかった。頭から流れ出る鮮血が右目の視界を奪い、残った左目がぎょろぎょろと尚も空を舞う深海艦載機群を負っていた。制服はびりびりに切り裂かれ、露になった青葉の生身の身体は直撃弾や至近弾の破片に割かれ、或いは深く食い込んで真っ赤な血潮を垂れ流している。
朦朧とし始める意識の中、青葉の耳には遠ざかっていく深海艦載機群の飛行音が微かに聞こえて来た。空を殷々と埋め尽くし続けていた深海艦載機群の飛行音は波が引く様に消え去り、全てが夢だったかの様に轟音と爆音に包まれていた空も港も静けさを取り戻していた。
痛む身体を身じろぎさせて、青葉は呉の市街地の方へ首を回す。目に入った市街地には黒煙は殆ど上がっておらず、市内からは消防車が数台被害確認の為だろう、走って行くサイレンの音が聞こえて来た。
その時、青葉の中で「勝利」の二文字が、ここ二年余りの負け戦ばかりの艦娘艦隊に籍を置いて来た人生で久々、いや初めて青葉は揺ぎ無い「勝利」を感じ取っていた。今まで青葉の戦いは、負け戦か、完勝とは言い難い戦いばかりだった。
だが、今度は青葉の勝ちだ。遠のきかける意識の中で青葉は勝利の余韻を噛み締めていた。今日だけで大勢の死者が出た事だろう、恐らくは青葉自身もその一人になるのかも知れない。だが、青葉は呉の街を守った。守り切ったのだ。それが青葉の勝利だった。呉の鎮守府を喪おうと、呉の艦娘を喪おうと、守るべき存在を守り切った事は揺ぎ無い勝利だ。
それに……と青葉はそっと艦橋艤装に背を持たれながら手足から力が抜けていくのを感じながら、榛名と竹が脱出して行った方向に視線を巡らせる。あの二人と佐世保の艦娘達が海上にある限り、青葉達にも負けは無い、そして彼女達ならやり遂げてくれるだろう……。
次第に青葉の視野が黒く暗く狭くなる。瞼が重くなり意識が霧散していく。
「ようやく……マトモに眠れるかな……」
その言葉が青葉型重巡艦娘一番艦青葉の最期の言葉となった。
激しい火災とその猛煙と言える黒煙に覆われた呉鎮守府の火の手が収まったのは、翌日の事だった。
瓦礫と残骸の山と化した呉鎮守府の敷地内を、元艦娘証明証を見せて衛兵に鎮守府の敷地内へ通して貰った古鷹と加古と衣笠が歩いた。青葉の姿を探し求めて。
昨日の大空襲以後、青葉とは一切の音信が取れなくなっていた。鎮守府へ問い合わせようにも。問い合わせ先の受付も何もかもが焼失したからには、生き残っている誰かに話を付けて、青葉の消息を探すしかない。
「鎮守府が……」
悲しそうに呟く衣笠はそれ以上言えなかった。目を背けたくなるような惨状の鎮守府の埠頭に出ると、少し離れたところの海上に、ポツンと浮かぶ見慣れた艤装の一部が浮かんでいた。
「あれは、青葉の艤装じゃない!?」
指さして叫ぶ古鷹に加古と衣笠も、指さす方を見て頷く。
丁度何かを回収しに出て、鎮守府へと戻って来たばかりの内火艇を加古が見つけると、元艦娘証明証を掲げて青葉の艤装が浮かぶ場所へ連れて行くよう頼みを入れる。
交渉は直ぐに成立した。硝煙と埃だらけの作業着を着た艤装整備長、古鷹に加古と衣笠とも面識がある彼が、許可を出したのだ。三人と通信兵曹と水兵の三人、それに空爆を無傷で生き延びていた迅鯨とフーミイを載せて、内火艇は出港した。
「青葉の消息は分かりませんか?」
「分かりません……火の手が激しくて、市街地への延焼を防ぐのに必死だったので、防空戦闘に出た艦娘達がどうなったのか、我々も把握し切れていません。通信機能も喪失したので、柱島泊地へ臨時の電話回線を敷設して、状況の把握に努めている所ですが、少なくとも榛名と竹の二名は佐世保に回航する事に成功したとの事です。ただ、天城と葛城の二名は、対馬海峡で網を張っていたと思われる深海棲艦の潜水艦隊の群浪戦術に襲われて、天城と葛城の両名とも大破、大事を取って博多港へ避退し、現地の病院へ搬送されたとの事です」
そう語る迅鯨の説明に、三人が神妙な顔持ちで聞く。迅鯨も制服もハイヒールも真っ黒な煤や埃に塗れ、火災の勢いが激しかったことが伺える。フーミイだけはバンカーへ退避していたのもあって、多少埃は被っていたもののこちらも無事だった。やがて内火艇は青葉の艤装の一部が浮かぶ場所へ辿り着いた。
「両舷停止」
「てーし」
通信兵曹が機関停止を命じると水兵二名がエンジンを止め停止をかけると内火艇のスクリューが止まった。惰性で進む内火艇の舷側に立って通信兵曹と古鷹達が海面を覗き込む。激しい火災の炎に焼かれて焦げた青葉の右舷側の主砲艤装と、背中の艦橋艤装と煙突艤装が沈みかけた状態で残っていた。
「青葉はどこへ……」
「主ハーネスは外れているな」
舷側から青葉の艤装を見て、少なくとも艤装と身体を繋ぐ主ハーネスが外されているのを確認した衣笠と加古と隣で、古鷹が防空頭巾と靴を脱ぎ、おもむろに海中へと飛び込んだ。それを見たフーミイも潜水艦娘らしい慣れた動作で海へ飛び込んで古鷹の後を追った。
通信兵曹と加古、衣笠の制止も聞かずに海の中へと飛び込んだ古鷹は、海底へと泳いで行った。背後ではフーミイが飛び込んだドボンと言う音が聞こえ、古鷹よりも早く、無駄の無い泳ぎで海底を目指して行った。
海中を泳ぐ古鷹の視界に、海底に自分の一部の様にも思っていたグレイッシュピンクの髪とセーラー服を着た青葉の身体が沈んでいた。先に到達したフーミイが、ここだよ、と古鷹にハンドシグナルを送る。港湾部内とあって比較的浅い海底に沈む青葉の身体を見つけた古鷹は、右目に熱いものが溢れ出て来て、海中で曇る視界が更に滲むのを感じた。
(青葉……)
穏やかな顔で海底に沈む青葉の顔を見て、古鷹はごぼっと嗚咽の気泡を吐き出しながら、両手で青葉の顔を包む。
先日感じた青葉の身体の温もりはもう無い。古鷹が顔を触れても海中に没した青葉が答える事は無かった。ひんやりとした海中の温度と同じ、冷たくなった青葉の身体を古鷹は片腕で抱きしめ、フーミイに手伝って貰いながら片手と両足で海中を掻き洋上を目指した。
海上に古鷹とフーミイが青葉を抱えて浮かび上がると、加古と衣笠は絶句した。一方、通信兵曹と水兵二人が古鷹とフーミイと共に青葉の身体を内火艇へと引き上げ、甲板上へと横たえられた青葉の首筋を通信兵曹が探る。
数十秒後、通信兵曹は大きなため息を吐いて、古鷹、加古、衣笠に向かってゆっくりと首を横に振った。
そっと青葉の身体の横に寄った衣笠が膝から崩れ落ちる様にへたり込み、青葉の身体にしがみ付いて子供の様な泣き声を上げて泣いた。その肩に手を置く古鷹と、加古も青葉の物言わぬ身体に寄り添い、加古がそっと青葉の顔にかかっていた髪の毛を払った。
泣き崩れる衣笠と、目頭を赤くして青葉に寄り添う古鷹と加古の姿を見て、迅鯨も口元に手を当てて視線を逸らし、フーミイは無言で目を閉じ、首を垂れた。
「帰ろう青葉……一緒にお家に帰ろう……」
真っ赤な右目から滝の様な涙を流しながら古鷹が青葉の右手を握った。
青葉型重巡艦娘青葉の遺体を収容した内火艇は、弔いの汽笛を鳴らしながら反転して鎮守府へと艇首を向けた。
それから数日後、呉鎮守府を脱出し、佐世保の艦娘艦隊と合流を果たした榛名と竹の両名を空母機動部隊へ編入した艦娘艦隊は、沖縄へ出撃した。
無数の深海棲艦水上艦隊と空母機動部隊に対して、佐世保の艦娘艦隊に加えて、援軍として来日が間に合ったアメリカの艦娘艦隊、英国の艦娘艦隊の援護もあり、艦娘達は死闘の末、沖縄へ侵攻した深海棲艦を撃滅する事に成功した。だが、その戦いで駆逐艦娘時雨、冬月、涼月と軽巡艦娘矢矧の四名を喪ったのは、また別の物語である……。
一週間後。
台風が近づき、呉の市街地に雨が降りしきる中、元六戦隊の家の居間におりんが鳴る音が響いた。
仏壇の青葉の遺影と遺骨を納めた骨箱にそっと手を合わせる迅鯨とフーミイは、喪服の様な白と黒の配色の私服の古鷹と、いつもの私服の加古と衣笠に向き直って一礼すると、二人がかりで運んできたある物を風呂敷から取り出した。
「これは……」
「青葉さんの部屋の跡から見つかった耐火金庫です。暗証番号が分からなかったので、鍵職人さんに解錠だけしてもらいました。中身は分かりません……」
「何もかもが灰になってしまった中で見つけた唯一の物なの。遺品として渡せるものがこれしか残ってなくて……」
申し訳なさそうに言う迅鯨とフーミイの格好は、雨と空襲時の煤と埃で大分汚くなっていた。彼女達の私物も焼失したので、着替えも無く、着の身着のまま呉鎮守府の後処理をしていた。
そっと二人が古鷹達に差し出して来た耐火金庫のドアを、古鷹が開けた。
ギィー、と言う蝶番が軋む音を立てて開く金庫の扉の中は、その耐火金庫の役目をしっかり果たされたお陰で、何もかもが無傷のまま残っていた。
きっと呉軍港へ大空襲が来るその日、悪い予感を悟ったのか、それとも常日頃耐火金庫の中に保管していたのか、青葉が記録し続けて来た呉鎮守府の艦娘達やソロモン戦線だけでなく、中部太平洋での艦娘達の戦いや日常、そしてレイテ島に追い込まれ、その後呉鎮守府へ戻るまでの間に綴られた艦娘艦隊の記録、写真が詰まったアルバムやノートが沢山出て来た。
「青葉が遺してくれたあたしたちや、皆の記憶だ」
アルバムの一つのページを捲りながら、加古がそこに貼られた艦娘艦隊の在りし日の写真の数々を見て、呟く。
古鷹がノートの一冊を開いてみると、ページ一杯に青葉が綴った手記、記録がびっしり書き込まれていた。
「見える全ての日常を、風景を、思い出を、青葉は綴っていたのね」
文章を読みながら古鷹は言う。昔の、まだ陽気でお惚けた性格だった頃の青葉の書いた文面とは思えない程の几帳面な文章には、戦闘詳報と見間違う程に書き込まれた艦娘艦隊の戦いの記録や、日常でどのような生活を送っていたか、当時の提督や司令部がどの様な決断、判断を下していたかが書かれていた。
「これ、カメラ屋さんに持っていけば、写真現像出来るわね」
金庫から取り出したフィルムの数々を見て衣笠は言う。曲がりなりにもカメラを持って艦娘達の風景を収めていた青葉の妹、多少なりともカメラの知識はあった。
フィルム、手記、アルバムの山を一つ一つ見て行った古鷹達と迅鯨、フーミイは当面の間、これを一緒に管理して行くことで意見が一致した。呉鎮守府が失われた今、呉を我が家として来た艦娘達や、今亡き艦娘達の軌跡を記録したこれらの記憶を守って行けるのは自分達しかいないと、記憶の数々を受け継ぎ、語り継いで行く事が出来るのは自分達だと。青葉が遺してくれたこれらの思い出を継いでいくのは自分たちなのだと。
今の戦争がどの様な形で終わるのかは古鷹達にも分からない。ただ一つ言える事は、記憶は受け継がれ、語り継がれて行く限り、忘却の彼方へ消える事は無い、と言う事だった。
人の意思が、記憶を受け継いでいくのだ。
形がどうあれ、受け継がれ、語り継がれる限り、在りし日の記憶は決して消える事は無い。
青葉は記憶達の礎となったのだ。
史実の青葉が最期を遂げた7月28日に投稿するべきか迷いましたが、そもそもアニメでの呉軍港大空襲の時系列が不明なので、敢えて「七月中投稿」と曖昧な形で投稿しました。
前編に続き後編も読了していただいた方々、お付き合いいただきありがとうございました。