共同通信杯。
ジャングルポケットが皐月賞に挑むため、賞金を上乗せするために選んだレース。その出走日、ポッケは珍しくレース以外のことを考えている様子だった。
「あいつ、出てくるんだろうな......
「ああ── 弥生賞、勝ちにくるだろうね」
さて、GⅠレースとは、限られた舞台である。
皐月賞やダービーに限らず、GⅠに出たいウマ娘は星の数ほどいることは子供でも分かること。そんな彼女たちの中から誰を、どういった基準で選んでいるのかと言えば── 抽選、もしくは賞金の順だ。
賞金、と一言に言っても、別にウン百万やウン千万の数字が、そのまま勝ったウマ娘の懐に入るわけでは無い。あくまでもポイントのような扱いなのだ。
さて、ポッケはここまで一着を3度、二着を1度と勝ち取って来た。正直に言ってクラシックレースに挑むだけの地盤は確立されているような気もするが、今回のレースに挑む理由は賞金確保だけでは無い。
小回りコースに対応する為行ってきた練習が上手くいかず、結局直線勝負の今まで通りのスタイルに戻した彼女を慣らさせる為のレース、という側面もあった。
つまり彼女に自信をつけさせる為の前哨戦。
事実、このレースに彼女以上のウマ娘はいないだろうが── しかしそれでも、もしもという事はある。油断しないに越したことはない。
「んじゃまあ、行ってくるっす!」
「頑張ってね!」
ゼッケンの紐を調節し、肩から落ちないようにすれば、ポッケはリードから解放された犬のように控え室を出ていく。もちろんフジキセキ達への挨拶は忘れない。
きっと今すぐにでも気持ちのいい走りがしたいのだろう。それだけ苦手を克服する事が難しく、彼女にフラストレーションを溜めてしまったわけだ。
加えて先ほどの問答。
ここまで2戦のみの出走でとどまっているアグネスタキオンは、皐月賞を含めたクラシックレースに殴り込みをかけるため、トライアル競走である弥生賞に現れるだろう。
一部GⅠは賞金や抽選による出走だけでなく、直結する重賞の上位に入る事で優先出走権を獲得することができる。皐月賞は弥生賞が対象であり、そこに現れるタキオンに喰らいつくウマ娘は現れるのか──
レースファンの中でもっぱらの話題だ。
無いとは思うが、ポッケの心がそっちにヨレれば、もしもはありうる。
今はただ、この滑走路を無事走り切ってくれるよう祈るしか無いだろう。
「ふぅー......」
その心配をよそに、ゲートに入ったジャングルポケットの表情、心は平静そのもの。
その脳裏に浮かんできたのは、1ヶ月前に行った宣戦布告のこと。
「──怒んないでポッケちゃん......!」
『邪魔するぜ』と勢いよく理科準備室の扉を開ければ、ジャングルポケットの顔を刺すのはアグネスタキオンの視線。
メッシュ生地が使われているリラックス出来そうなオフィスチェアの上にこじんまりと座っており、ブツブツと独り言を言いながら瞳孔のみをポッケに向ける。
しかしすぐさまその視線をパソコンの画面に戻す様子は、言葉に表さずとも『興味が無い』と伝えているに等しい。そんな対応に若干引きながらも、顔を強張らせて青筋を立てるポッケを諌められるダンツフレームは大人だと言える。
「......連戦無敗のタキオン
「はぁ...... カフェ、君のお客だよ」
押さえ込んだ怒りを滲ませながら大きな歩幅で侵入してくるポッケに、タキオンは面倒ごとを押し付けるようにして部屋をシェアするウマ娘、マンハッタンカフェの名前を出した。
両者ともその表情は心底面倒臭そうに見える。
「アナタの客でしょう......」
「わひゃあ!? そこにいたんだ!?」
ダンツが驚くのも無理はない。
カフェが座っていたのは、彼女にとって死角の左後方。あまりの驚きように尻尾を逆立ててしまうのは仕方のない事で、その反応がダンツの巻き込まれ体質を表している。その一方でカフェは表情を変えず、慣れた様子で香り高いコーヒーを口に含んでいた。
どこか平和を感じさせる2人の一幕。しかしその一方で、ホープフルステークスでぶつかり合った2人の間には巨大な溝が見える。
「おや、誰かと思えば
ちょうどよかった、ここに漢方をベースとしてアーユルヴェーダの理論を落とし込んだ結果、パーをペーしてポーする栄養ドリンクが──」
「んなこたどうでもいいんだよ、タキオン。
──宣戦布告しに来たんだ」
『宣戦布告?』そう口に出して一瞬考え込んだのち、タキオンは小さく笑って再び視線をパソコンへと戻す。
「負けた相手にかい? 悪いが、君が勝敗に強い関心を持っていたところで、私までそうというわけじゃ無い」
「んだと?」
「勝敗など、私にとっては研究の二の次さ。
さあ、わかったなら早く帰るといい。これでも私は忙しくて──」
ガン、と椅子にポッケの手が叩きつけられ、回転した椅子は上に乗っていたタキオンをポッケの正面に向かせる。
勝敗など二の次。
その言葉がポッケに火をつけた。
「次のGⅠ、皐月賞。そこでお前に勝ってやるよ。
──最強になるのは、俺だ」
真っ直ぐに見つめてくる目。
その目をタキオンは覚えている。GⅠ、ホープフルステークスの最終コーナー。後ろから追い抜こうとした刹那に見えた、虹に輝くジャングルポケットの瞳。
ありうるかもしれない、自分の研究を完成させる可能性。
その可能性を一つのプランとする、その思考が出来上がった瞬間、タキオンは頭を抱えて唸るように笑いをこぼした。
「......いいとも。
受けようじゃないか、その挑戦......!」
「──3、4コーナー曲がりまして、エイシンスペーサーとカチケンザンが前でペースを作り続ける形」
タキオンは挑戦を受けた。
どんな思惑があれ、受けたのならば挑むのが宣戦布告した者の定め。
レースは既に中盤を過ぎて3コーナー終わり際、前が作り出すペースに呑まれず、ジャングルポケットは自分のレースを貫く。
その順番は前から5番手、その末脚ならば既に先頭のウマ娘すら射程圏内と言ったところ。
「後方集団ひとまとめになって4コーナーカーブ、メジロキルデアと、ちょっと下がってチアズブライトリー! さあ600を切ってここから直線だ、誰が抜け出す!」
「「はぁぁぁぁぁあ!!!」」
初めに抜け出したのは先頭のエイシンスペーサー、そしてその差を追ってメイショウドウサン。
横一列並んだ形。ほとんど着差のない最終展開の中、ジャングルポケットは大外までコースを広く使って自分の通る道を作り出して追い込んでくる。
「1番人気ジャングルポケット、大外振り回して追い込むがその内にはスィートゥンビター! 後ろから足に鞭打ってプレジオも3番手に上がってきますが、しかし上がってくる上がってくるジャングルポケット!!」
「悪りぃな── ここで負けてられねぇんだよ!!」
残り200という距離で後方から差し切り、ジャングルポケットは先頭に立った。
怒涛の追い上げはレース場に訪れたファンの熱気をさらに高め、同時にクラシックレースに向けて調子を上げてきたことに歓喜の声をあげる者もちらほらと見えた。
──今年はクラシックから、最強が現れると。
「さあグングンとその差を広げ今、ジャングルポケット先頭でゴールイン!
2着にはプレジオ、後は大きく差が開きました!!」
ゴール板から少し歩き、ジャングルポケットはその顔に余裕の笑みを湛えて観客席を見た。
その最前列には不適な微笑みと、不気味な視線を崩さないアグネスタキオンの姿。
そんな彼女に突き出した拳は、さらに笑みを大きくさせる。
「ああ、実に素晴らしいとも......!」
次なる前哨戦は中山芝2000メートル── 弥生賞。