「ふぁ...... はよっす」
「ああおはよう、ご飯出来てるよ」
目に見えない何かから背中に付けられた手形が消えた朝。
朝ごはんを机に並べていると、寝室からタンクトップ姿の隆二が目を擦りながら現れる。骨をゴキゴキと鳴らしながら伸びをしてパッチリと目を開ける姿から見るに、昨日は熟睡できたのだろう。
ベッドの上に男2人は少々狭かったような気がするが、ちゃんとした寝具はそんな事を無視して良質な睡眠をくれる。かくいう自分も高校生の修学旅行を思い出してかなり気分が良かった。風邪ひいて行けなかったが。
「今日仕事だっけ?」
「いいや、ポッケは練習休み。久しぶりに遠出してみてもいいけど...... ちょっと気分じゃないかな」
「ま、ウチも今日は練習休みだし、トレセンの図書室にでも篭るわ。なんだかんだで資料多いしな、あそこ」
隆二の言動を見ればわかる、誰かの担当になるということの大変さと彼の実直さが。
結局のところ、トレーナーに休日などないのかもしれない。日々の時間をトレーニングと担当ウマ娘の為に費やし、隙あらば頭の隅々にまでレースの傾向や担当ウマ娘の調子、体力の把握をして敷き詰める。
その上で関わるもの、レースやウマ娘の事が好きでなければ務まらない仕事。
仕事に誇りを持つというのはこういう事なのだろう。
「いただきっ」
「あっ」
その姿勢に感心していれば、そんな彼の箸がこちらの皿に乗った鳥ささみを突き刺し、持ち主の口の中へとそれを運んでいく。
隆二に出した皿の上には目玉焼きとほうれん草、茹でたじゃがいも。皿の外には茶碗によそった白ご飯とオーソドックスな雰囲気。本当はベーコンエッグにしてあげたかったが、ベーコンが無かったのは自分の不覚である。
そんな朝ごはん事情から察するに肉が欲しかったのだろう。奪い取ったささみを口に入れた隆二は笑顔だ。
しかしその笑顔はだんだんと崩れていき、終いには『なぜこんなものを食べているんだろう』と言わんばかりの表情で、ソースのかかった目玉焼きの切れはしをこちらの皿に乗せてきた。
まさか、とこちらの顔も強張る。
「うっっっっすい...... 不毛な味がする......」
「えー? ......するじゃん、塩の味!」
言われてすぐにささみを口へと突っ込むが、別に塩の味はする。別に薄いと言われるようなものでは無いと反論するが、隆二はなんだか悲しげな顔を崩さずに首を振った。
「なんか俺、悲しくなってきたわ...... 今度ちゃんとした飯屋に連れてってやるからな......」
「......そんなに?」
「正直言ってクソまずい」
「えー!?」
──それが朝の話。
昼時、レース場に訪れてベンチに体を預ける。
天気は今の所快晴ではあるが、校舎の向こう側には既に雷を鳴らさんとする黒雲がゆらめきながらこちらに近づいてきている形。
少しずつ撤収するウマ娘も増えてきている中、暗雲なんのそのと走り続けるウマ娘が1人と、すぐ隣でパソコンを見続けるウマ娘が1人。
「まったく、カフェは頑張るねぇ。
常に走り続けないと気が済まないのがウマ娘の本能とは言え、見えないものに
「追いつくって、前に誰もいないけど?」
パソコンを見ていたアグネスタキオンは珍しくジャージを着ていて、軽くキーボードを叩くとそれをベンチに置き、立ち上がる。
「すぐに戻ってくるんだ、本人に聞いたらどうだい? それこそ、彼女のイマジナリーフレンドがどんな存在なのかは彼女しか知らないワケだからねえ」
文字通りの他人事。
多少なり事情は知っているのだろうが、タキオンはあくまでも自分で聞けというスタンスを崩さない。もちろん気になった事はすぐに聞く性分、言われるまでも無いが、それ以上に気になるのは深くじっくりと柔軟を行うタキオンを見るトレーナーがいないこと。
周りを見渡してもトレーナー、まどかがいない。
「トレーナー君ならいないよ。
いたとしても口出しすることが無いんだ、それならば室内で書類仕事をしていた方が無駄が無いだろう?」
聞く前にタキオンが口を開く。
確かにトレーナーではなくウマ娘がメニューを考えているなら、そのトレーニングの意図と効果を1番よく知っているのはウマ娘本人。
理にかなっているが、それはそれとしてその行為にはリスクもあるはずだ。
「でも、トレーナーがいれば事前に怪我をさせないように止めることも出来るかもしれないよ? ストッパーがいないとそうなる前に止められない」
「それならば── 何故、タガノテイオーの怪我は止められなかったのだろうね?」
流し目で送られてきた視線がぶつかり合う。
つまるところ、トレーナーがいてもいなくても怪我をする可能性は減らないと。
確かにそうかもしれないと、反論しようと開いた口を閉じた。
ウマ娘の力は驚異的だ。それこそ、自分の体を破壊してしまうような脚力を持っていた結果、レース中に怪我をして選手生命を絶たれたウマ娘は星の数ほどいるだろう。
残念そうなジェスチャーをして柔軟を切り上げたタキオンは、トントンとシューズの先を地面に当ててからターフへと歩き出す。その後ろ姿には何故か、タガノテイオーのラストランで感じた様な不快感を感じてしまう。
「彼女もウマ娘の可能性を広げる候補の1人だったんだがねぇ...... 居なくなってしまったのは仕方がないが」
「可能性?」
「ああ、そうだとも。ウマ娘の可能性──
何故幼少から人間と同一の見た目で、人間を遥かに凌ぐ力を持つのか? 何故
このロマンを追求する事! 可能性の探究こそが私の求めるものであり── その為ならば、レースの勝敗は二の次だとも」
ああ、確かにこういうウマ娘ならば、まどかとの相性は悪い。
彼女は勝敗を重視するタイプだ。じゃんけんひとつの勝ち負けでも大きく引きずるし、その競争心があったからこそ学校でも好成績を見せた。
それに対してアグネスタキオンはどうだ?
彼女が求めるのはウマ娘の可能性という夢だ、勝利では無い。ともすれば、そこの主張がズレてしまうのは必然だろう。
しかし俺は、アグネスタキオンの夢に賞賛を送りたい。
「目の眩むような話だね。でも...... 俺はその可能性を見てみたいと思う。アグネスタキオンの到達点として」
「......ふぅン?」
「だって、素敵な夢じゃないか」
可能性という漠然としたものを追うことは、何処がゴールなのかわからないマラソンを続けるようなもの。道中にどんな障害があっだとしても、その夢を何がなんでも掴もうとする── そんな決意が、振り返ってこちらを見るタキオンの目から滲み出ていた。
彼女は少し考えるそぶりを見せ、クク、と堪えるような笑みを浮かべてターフへ向かう足をもう一度動かし始める。
「ならば皐月賞── 君たちに
何を見せつけるのか?
決まっている。彼女が研究してきた可能性の、一つの中間地点。その時点で導き出せるスピード。
走り出したタキオンの美しいフォームを背中に悪寒を走らせながら見ていれば、いつのまにかベンチの隣に座っていた女性の髪が手に触れる。
さらりとした感触。驚いて視線をやれば、そこにあるのは深く暗い黒色の髪。
その隙間からは黄色い目が覗いている。
「......こんにちは...... ゲホッ、ケホケホ!」
同期の中では最もデビューの遅いウマ娘──
マンハッタンカフェが、青白い顔を携えてそこにいた。
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