夢の奴隷   作:チクワ

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お友達とダービー

 

「はい。落ち着いて飲んでね」

「......ありがとう、ございます」

 

 トレセンに来る道すがら、コンビニに寄って買っておいたスポーツドリンクを手渡せば、マンハッタンカフェは汗として出て行った電解質と水分の平衡を保つ為に喉を鳴らして飲み込んでいく。

 走った後のウマ娘はかなりの熱を溜め込む、それならば冷たく冷やされた水分でその熱を落ち着かせる手もあっただろうが、今は冬だ。吹き抜ける風は痛いほどに冷たく、上着と体の間に作られた暖かさすら一瞬で奪い去る。

 その風があるのならば、水分を吸収率の高い常温で渡すという行為も悪くは無いはずだ。

 

 ──しかし、気になるのは彼女の体調。

 

「ふぅ......」

 

 ペットボトルの中から聞こえてくる水音と共に平行に戻った彼女の視線、その横顔からは、おおよそ練習をするべきでは無いような顔の白さと疲労の色が見える。

 そんな目に見えてわかる体調で、何故休む事なく走ろうとするのか。やはりそこには、先程アグネスタキオンが言った『目に見えない存在に追いつこうとする』という意思があるのだろう。

 彼女のトレーナーではない手前、その辺りのプライベート的な空間に入り込むのは尻込みするが、ここは意を決して聞いてみることにした。

 

「君はその...... 何を、追いかけているの?」

 

 その質問に対して、彼女は一瞬だけこちらに怪訝な視線を送ると、すぐに意図を理解したのか、目をターフの上へともう一度向ける。お互いに初対面というわけでは無いが、かと言ってよく話すような関係でも無い。  

 そんな繋がりが、2人の間に奇妙な緊張感を生んでいた。

 

「......()()()、です」

「お友達?」

「アナタにも、みんなにも見えないだけ...... どんなに目を凝らしても。

 だから、気にしないでください。私以外の誰にも認知されない、遠い...... 遠い向こう側に、いるだけだから」

 

 タキオンの言ったイマジナリーフレンドとは、つまりこういう事なのだろう。

 確かにカフェの言う通り、彼女以外には見ることも認知することもできない存在ならば、現実に存在しない架空の友人という扱いを受けても仕方がないのかもしれない。

 しかしカフェの目にはそのお友達が本当に見えているのだろう。時折視線をターフから外して、何かを目で追っているのだ。

 

「もしかして昨日、夜にここを走ってた?」

「......ええ、走っていましたが......?」

「そっか。それじゃあ本当に、君にしか見えない友達なんだね」

 

 つい、その言葉が口から漏れる。

 昨日の走っていたウマ娘、それが目の前にいるマンハッタンカフェならば、彼女にとってそのお友達は非常に大きな存在である事は明白だ。

 だってお友達と競い合う彼女の顔には、体調不良の辛さではなく走れる事の楽しさがあったのだから。それをイマジナリーフレンド、と呼ぶ気には到底なれない。

 自分がそう考える一方、カフェの表情はどこか暗いものがある。恐らくこれまで何度も同じ説明をしてきて、その都度信じられなかったり、怖がられたりしたのだろう。

 

「......気味が悪いですか?」

 

 そう言った彼女に対して首を振る事に躊躇いはない。そりゃあ知らない事は怖いし、気味が悪いとも思う。しかし一度知ったならそれは理解の範疇、恐れも吹っ飛ぶというものだ。

 

「いいや、全く。

 それどころかもっと知りたいな、そのお友達の事」

「──それは。

 ......それは、どうして......? アナタには見えないのに......」

「見えないから()()なんだよ」

 

 ひとつの好奇心だ。

 どうやってスタートするのか? 

 脚質は?

 得意な距離は?

 コーナリングのキレは?

 ストレートでの伸びは?

 彼女の言うお友達が、追いつきたいという情熱をぶつけられるそのウマ娘が、どれだけ速いのか。

 1人のトレーナーとして知りたくてたまらない。

 しかし流石に唐突だっただろうか、信頼も関係も固まっていないカフェとの間には溝があり、教えてくれたお友達の情報はたったのひとつ。

 

「......速い、です。

 お友達は私よりも、ずっと」

「......そっかぁ、速いかぁ」

 

 うーん、と首を捻る。

 カフェもついこの間行われたデビュー戦で掲示板に入っている以上、決して遅いウマ娘では無い。だがそれだけの情報でお友達の全貌を計ることなど難しい、ほぼ不可能だと言える。

 それ以上を知りたいという自分と、踏み込み過ぎだと踏みとどまろうとする自分。その両方が頭の中で渦巻く。

 結局前面に出てきたのは知りたいと言う自分だったわけだが。

 

「──それじゃあ、少しだけ練習を見てもいいかな?

 外から見ている人がいた方が、自分じゃあわからないところのアドバイスとかもできると思うからさ。

 それに色んなウマ娘の走り方を知っておきたいし」

「......そこまで言うのなら......」

 

 彼女は案外押しに弱いのかもしれない。

 そう思いながらポケットよりメモ帳とペンを取り出したこちらから視線を外し、マンハッタンカフェはゆらりとベンチから立ち上がってコースのスタート地点へと向かう。

 ところどころ足元はふらついていて、やはり体調面での心配は大きい。しかし本人は慣れっこと言わんばかりにそれを気にすることなく、深く姿勢を落としてから小さく息を吐いたかと思うと、力強く芝を踏み込んで走り出した。

 そのペースは緩やかで、大きくスタミナを消費しない立ち回り。

 1月29日に行われたデビュー戦、そこでの走り方に似た立ち上がりだ。そのレースでの通過は9、8、7で、そこから怒涛の追い上げで3着に収まったところを見るに、典型的な差し追い込みを得意とする脚を持っている。

 加えてコーナーでの動きも悪く無い。

 足回りの柔軟さがターフを逃さずにしっかりと蹴れていて、本来ならスピードが落ちても仕方ないカーブを加速する場として使えているところは、彼女の大きな武器だ。

 しかし── その一方で、あまり良いとは言えない箇所も見えてきた。

 

「──はあっ、はあっ......!」

 

 まず、走り方の問題だ。

 クラシック期のウマ娘はまだ身体が万全とは言えない。無理をして怪我をする子も多く見られる。そんな子たちに共通するのは、自分のキャパシティ以上の力や方法で走ってしまうという事だ。

 マンハッタンカフェもその例に漏れない。

 先程良いところとして上げた柔軟なコーナリングも、もっと行けるはずだと限界値を超えた方法で曲がろうとして逆に失速してしまっているし、ストレートでも本来なら出せるであろう力を出しきれていない。

 加えて── ()()()()()()()だ。

 

「ゲホッ、ゲホッゴホ、ケホっ!」

「落ち着いて深呼吸して。

 ......息が整ってきたら、これ飲んでね」

 

 一周、2000メートルを走り終えた彼女に駆け寄り、前傾姿勢で苦しそうにするカフェの背中をさすりながら2本目のドリンクを渡す。

 やはり、と言っては失礼かもしれないが、見た目通りの絶不調に陥っているのだ、彼女の体は。

 一度二度と深い呼吸をさせれば咳は落ち着いて、目に涙を溜めた彼女は受け取ったドリンクの蓋を開いて喉に流し込む。とりあえずベンチに座らせ、早々に中身の無くなったペットボトルを受け取り、その走りから見えてきた課題をカフェへと突きつける。

 

「本当に、君より速いんだね、お友達は。

 その背中を追おうという気持ちが強いからこそ、ペースを崩して、更に差をつけられる」

「......!」

「この時期から練習するって事は、次に目指すレースは弥生賞でしょ? 

 ......弥生賞は8人でのレースだ、出走数が少ない分ブロックされることも少なく、少しくらいならペースの乱れもリカバリできるだろうけど、今の体調でどうにか出来るとは思えない」

 

 弥生賞だけではない。もし何かの間違いで弥生賞で上位に入ることが出来れば有線出走権が得られ、彼女は迷う事なく皐月賞に出走するだろう。

 彼女たちは当たり前のように走っているが、元来レースとはタフな競技。練習段階で激しく息を切らして咳き込んでしまうような内臓ではGⅠ級のレースに耐えれるはずもないし、もし運が悪ければ──

 

「──取り返しのつかないケガになるよ」

 

 冷たい言葉だとは自覚している。

 これはつまり『一生に一度のクラシックレースを、休養のために見送れ』と言っているに等しい。

 しかし同時に純然たる事実でもあることは、反論のひとつも言わず、ただその言葉を噛み締めて視線を落としたマンハッタンカフェが1番理解していた。

 その表情に居た堪れなくなって、何様という立場でありながら、ひとつの提案をする。

 

「じゃあひとつだけ。ひとつだけ心に留めといてほしい。

 もし本当に足が駄目になりそうになったら、レースの状況に関わらずスピードを緩めてくれ。そうすれば怪我のリスクは格段に減るはずだから」

「......なんで、そこまで?」

「危ない状況のウマ娘を放っておくトレーナーがいるかい?」

 

 そう返せば、マンハッタンカフェはキョトンとした顔をして、まだ少しだけ残っているスポーツドリンクを飲み干す。そしてまた走っていく後ろ姿を見送れば、彼女の足取りは先ほどより少しだけ軽く見えた。

 

 ──家に帰って少しすると、不思議なことに気づく。

 消し忘れたはずの風呂の電源が消えていたのだ。

 隆二がやってくれたのかとも思ったが、彼は今日風呂場を使っていない。ともすれば誰が?

 そう思ったと同時に、机の上に置いておいたコップがカラカラと倒れる。不可思議な現象── ああ、とすぐさま腑に落ちた。

 

「......お友達ってわかれば、怖く無いものなんだね── って痛ってぇ!?」

 

 調子に乗りすぎるな、と言わんばかりの打撃が頭を襲う。やっぱり、まだ信頼されていないみたいだ。

 

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