1週間後に皐月賞を控えた春の中、トレセン学園内のコース上を走るウマ娘が2人。
並走トレーニング中の彼女たちはめいいっぱいの力を振り絞り、既に何周もしたコースの最後の直線で、勝負関係無しの楽しむ様な加速を見せてくれる。
「うぉぉぉお!!」
「はぁぁぁあ!!」
気合いの入った雄叫びと共にほんの少しだけ前に出たのはジャングルポケット。そして並走相手のダンツフレームも、2着とはいえコンマ何秒の差しか離されていない。並走時点でかなりハイレベルだ。
「やるじゃねえかダンツ、それでこそだ!」
「えへへ...... 私だって勝ちたいから!」
まだまだ走り足りない、と言った様子で笑顔を交わす2人の間へ笛の音を鳴らして止めに入り、クーラーボックスから取り出した冷え冷えの水筒を頬にくっ付ければ、両者共にピンと尻尾を立てて目を見開く。
「休憩、ね?」
「......うぃー」
「はーい」
春の陽気、と言うには、いささか今日の気温は高すぎる。湿度が少ない分過ごしやすいが、それだけ汗をかきづらく体内の熱が逃げにくい。
追加で走りたそうだったポッケは軽く耳を絞って不満げだが、今回は機嫌が良かったのだろう、特に文句を言うことなくベンチに座って水分を喉に通す。
ダンツもまた、少しだけジャージの前を開けて美味しそうに水筒の中身を飲み込んでいた。
「タイムは、と」
小脇に抱えていたバインダーを左手に、ジャングルポケットの一周タイムを書き記す。
本来ならここにいるべきはタナベトレーナーの筈だが、残念なことに急遽書類仕事を受けて欠席。こういう時にはサブトレーナーが一時的に指導に入り、結果などを書き残すわけだが、驚いたのはポッケの成長速度。
アグネスタキオン、ダンツフレームという明確なライバルが存在するためか、数日前よりも目に見えてタイムが良くなっている。区間ごとのブレもホープフルステークスの頃とは見違え、ほぼ完璧だ。
つい笑みが溢れ、ペンを操る右手に力が入る。
どんな指導者であれ教えている相手の成長は打ち震えてしまうほどに嬉しいものだ。一通り書き終えて自分も水分を取ろうとした時、不意に光の反射が目を刺す。
傾けようとしたペットボトルを真っ直ぐに戻して目を細めた先はポッケの手のひら。
ネックレスの紐がカチカチと擦れる音と共に光を放つのは、ガラスの玉......というには少しカクカクとしたカットが成されている物。虹色の光を放つソレに何か既視感のようなものを感じて見つめていれば、放り投げて掴んでを繰り返す手の動きが止まり、ポッケの身体がこちらを向く。
その表情はわかりやすく疑問符が浮かんでいた。
「どした、相棒?」
「いや...... それ何?」
『ああ、これか』と疑問符が納得に変わると、ポッケはそのガラス玉をこちらに向けて放り投げる。緩やかな放物線を描きながら手に収まったそれをまじまじと見てみれば、放つ光は太陽光の反射である事がすぐに分かった。
鋭いカットの施された表面が、まるでプリズムのように虹色の光を見せる、なんとも不思議な物だ。ざらりとした小さな傷が無数にあるあたり、かなり年季が入っているネックレスだろう。
「面白いね、綺麗だし」
消えるように小さな声で呟けば、『だろ?』と目を細めて笑うポッケの声。
しかし気になるのは...... いささかガラス部分が大きすぎるのでは、という点だ。手のひらに収まるサイズとはいえゴルフボールと同程度の大きさ、揺れる度に骨に当たるのでは?
そんな疑問を持ち始めた頃、ダンツフレームが少し身を乗り出して語った言葉が、その疑問を緩やかな解決へと導く。
「タキオンちゃんの部屋にも置いてあったよね!
確か、サンキャッチャー、って名前だったかな?」
「あーそんな名前だったっけか?
兄貴に貰ったやつだけどよ、随分前で忘れちまったなー」
「え、インテリアをネックレスにしてるの?
攻めるなぁ......」
通りで、とガラスの大きさに合点がいった。
確かにインテリアとして部屋に置くものをネックレスにしたら大きく見えるだろうが、何より驚きなのはそうやってアクセサリーにしようという発想の出る破天荒ぶり。
落とさないように前屈みになり、ネックレスをポッケの手のひらに返せば、優しく触れた彼女の手から熱いほどの温もりが伝わる。
ウマ娘の基礎体温の高さを感じていれば、不意に手がこちらの首元に伸びた。
「相棒も着けてんじゃん、見せてくれよ!」
伸びた手の先にあるのは革紐。
驚く暇もなくシャツと身体の隙間にしまわれた物が引き抜かれると、金属音と共に紐で結ばれた2対のペアリングが重力に従って、地面と直角に首から垂れる。
白と銀の色が螺旋になっているソレを見て、ダンツは口を抑えて目を丸くした。
「トレーナーさんって結婚してたんですか?!」
「してないよ!?」
まあ、もちろん結婚などしてない。
プロ時代ならともかく学生に戻ってトレーナーになってから、女性とのそういう関係は全く持って存在していない。友人である隆二のそういう話は聞いたことがあるが。
「じゃ、なんで指輪着けてんだ?」
「お守りみたいなものかな。これがあるだけで、こう...... 少しだけ安心できるんだ」
子供の頃に母親から貰った2つの指輪は、ずっと肌身離さず着けている。
祖母の代から続けている習慣みたいなもので、特にそれ以上の意味があるわけでは無いし、お守りとして何かやんごとなき素材を使っている、というわけでも無い。
本当に普通の指輪だ。
プロ時代は試合に臨む前に片割れを兄に渡して、無事に勝てるよう祈ったり、なんて事もしていたが。
「親の結婚指輪はコレを元にして作ったらしいから、そういう思いも多少あるかもしれないけどね」
「へえー......! なんだが素敵な感じがしますね!」
「そうかな?」
ダンツの言う素敵な話、という言葉に少し首を傾げながら苦笑する。
しかし今気になるのは、その指輪を手に取ってから一言も発さずにジロジロと見続けているポッケ。そろそろ前屈みでいるのも疲れてきた、首を上げて体をまっすぐにしようとすれば、ふとポッケと視線がぶつかり合う。
息がふれあう様な距離。
黄色の澄んだ瞳がこちらを見つめていた。
「......んだよ?」
眉を八の字にして問う彼女の目は綺麗だ。
純粋というか、混じり気のないというか、ポッケが持っている夢への実直さが現れたような透き通った瞳。
ちょっと羨ましい。
「いや、綺麗だなって」
そう答えれば、彼女は掴んでいた指輪を強引にシャツと体の間にねじ込み、立ち上がってダンツの方へ身体を向ける。ざり、と革紐の感触が肌を勢いよく擦って少し痛い。
『いてて』とシャツ越しに擦れた部分をさすりながらポッケの方を見れば、耳を小刻みに、忙しなく動かしていた。
「ダンツ、もっかい並走すんぞ!」
「え、あ、うん!」
コースに向けて歩き出した2人を見送り、椅子の上に置いておいたストップウォッチのリセットボタンを押して、記録開始の準備をする。
ダンツフレームとジャングルポケット、広く言えばアグネスタキオンとマンハッタンカフェに深く紐づいたライバル関係というのは、二十代後半に入ろうかという自分にとってはとても羨ましく、同時に脆いとボタンを押しながら考える。
特にポッケはそうだろう。
走り始めた2人をそこそこにスマホに届いたレース結果を見れば、アザレア賞に出走したマンハッタンカフェが11着の惨敗。彼女がこれ程までにやられるウマ娘では無いことは知っている、恐らくは怪我か── 言ったことを守って、そうなる前にスピードを緩めてくれたか。
タガノテイオーは再起不能、カフェはおそらく数日から数ヶ月の休養に入る可能性がある。
1人2人と競う相手が減っていく中で、少し引っ掛かっているのは、弥生賞前に見たタキオンの背中に感じたゾワゾワとした感覚。
アレが弾けたタガノは再起不能のケガをしたと考えると、タキオンにもその可能性が......
「......やめとこ」
そこまで行ったら『もしも』というよりタチの悪い妄想だ。
頭を振り、目の前の事に集中する。
そうだ。
今はただ、ライバルの存在がジャングルポケットを高めくれていると思えばいい。その高めた力を爆発させるのは皐月賞、彼女の勝利を目に焼き付ける準備はもう出来ている。
評価とかよろしくお願いします