夢の奴隷   作:チクワ

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Report『瞳の中』

 

 最初に出会った時は、さしたる興味も湧かなかった。

 

「──あれ? こんなところにウマ娘?

 しかもやたら生活感のある部屋......」

 

 薬品同士の調合を実行しようかとビーカーを傾けた瞬間、なかなかの勢いで引き戸を開けたのは、部屋をシェアするマンハッタンカフェではなくスーツ姿の人間。

 誰もいないと思っていたのだろうか、私を見るなりびくりと背中を震わせたかと思えば、すぐさま研究資料やカフェのスペースに視線を移し始める。

 ノックも無しに入って来た彼女の様子からすぐに分かったのは、理科準備室と理科室を間違えたのだろうということ。

 でなければ薬品とコーヒーの匂いが染みついた部屋に来ることもないし、顔をぎゅっと顰めてマヌケな表情を見せることもないはずだ。

 

「誰だかは知らないが、ここは理科準備室だ。

 理科室ならばふたつ隣にある、今は忙しいからさっさと出ていってくれたまえ」

「はぁ、すみません......?」

 

 存外素直に言うことを聞いて出て行こうとする彼女の顔には疑問符が映る。

 カラカラ、と扉が優しく閉められると共に実験を再開し、何分経った頃だろうか。

 試験管に出来た品を流し、コルクの蓋で閉めてスタンドに立てかけると思い切り伸びをした。なかなか集中力を要した実験、すっかり頭に糖分が不足してしまっていることに気づいて立ち上がり、棚の中からティーポットを取り出す。

 購入してから何度も使ってきたポットの取手は白衣の袖越しに掴んでも滑らず、不意に落として割れることのないお気に入りの品。

 とはいえ経年劣化も目立ってきて買い替えも視野だな、なんて考えながら茶葉と砂糖を取り出そうとした時、先程よりも強い力で扉が開けられる。

 同時に甲高い音も響いた。

 

「あ......あのその、紅茶が好きだって、諸先生方から聞きましてぇ......」

「ふむ。

 謝罪の粗品を先に用意しておくとは、君もなかなか特異だねえ?」

 

 徐々にか細くなる扉を開けた女性の声に対し、少し笑みながら食い気味に問いかけ、掴むものの無くなった右手を袖から出して下を指差す。

 そこには砕け散ったティーポットが無惨な姿を晒していた。

 

「──いやあ本当ごめんね!? そんなに驚くと思ってなくて!」

「どうせ買い換えようと思っていた物だからね、構わないとも。  

 それよりも、だ。

 その試験管の中身を飲み干して、何か感じることはあるかい?」

 

 袋に詰められたティーポットの欠片をゴミ箱に叩き込み、温かな香りを放つ紅茶が入ったカップへ角砂糖をひとつふたつと落とし入れる。

 白い島の浮かぶ茶色の水面を吸い込み、香り、水分、そして糖分を喉から補給してパソコンの画面を開けば、目の前にいる被験体の情報を素早くタイピングし始める手が動き出した。

 

「この青色のヤツ? 飲んだけど、別に変な事はないかな。少し口の中がさっぱりしたくらい」

 

 親指と人差し指でヒラヒラとつまんでいる試験管を見せる彼女は長浜まどか。

 性別は女、年齢は二十代前半で新人トレーナー。

 正直に言って仕舞えばありふれた被験体でしか無い。

 何せトレセン学園に出入りする成人の人間など、そのほとんどが女性なのだ。生徒はもちろん、教師もその例に漏れない。

 そんなわけでこちらとしては彼女に対する興味は薄いが、どうやら彼女の側はそういうわけでもなさそうだ。興味津々にキラキラとこちらを見つめる目の奥にあるのは、同じウマ娘でも私、アグネスタキオンのシルエットではなさそうだ。

 『疲労回復の副作用に強いミントの清涼感が残る液体』のモニタリングを一旦辞め、パソコンを閉じ、彼女が実家から貰ったという紅茶をもう一度喉に通して潤した。

 

「何か聞きに来たのだろう?

 実験に協力してくれたお礼だ、私の知ることであれば答えようじゃないか」

 

 少し考えれば、長浜まどかがただ紅茶を持ってきてただこの部屋で飲みたかった、なんて理由でもう一度扉を開けたわけでは無いことは分かる。

 自分で言うことでも無いが、私の事は皆変人として認識しているだろう。隙あらばウマ娘にも、人間にも、実験と称して液体を飲ませようとしたりデータを取ろうとする癖に、レースには半年経っても出てこないのだから文句も無いが。

 そんな私を機嫌取りの紅茶を持って訪ねてきたのだから、おおよそ何かの目的がある筈だ。

 

 その言葉に対して彼女は目を細めて優しい笑みを見せると、手に持っていたカップをソーサーの上に置いて口を開く。

 ここまでの彼女からは見えてこなかった美しい所作、流れるような無駄のない動きで。

 

「私、心が折れそうになったことがあってね?

 その時に見たレースが凄くて、立ち直れて──

 だから私、貴女に聞きたいな。今年の日本ダービー優勝ウマ娘で、あなたのお姉さんの、アグネスフライトのこと」

 

 その名を聞くと同時に、自分の尾が音もなくペシンと座る椅子を叩く。

 アグネスフライト。

 良血と言われるアグネス家のウマ娘、いついかなる時も家や他所様の期待を受け、そんな中でも折れることなく走るトレセン生徒にしてアグネスタキオンの姉。

 そして私が生きてきた中で唯一、ほんの少しの恐れを抱いたウマ。

 

「直接話を聞こうとも思ったんだけどね、流石に宮城にまで押しかけるのはちょっとなー、って」

 

 彼女はダービー後に怪我をして、今は療養の為に宮城のどこかにいる。

 そう、ダービー。彼女はダービーという(のろい)を叶える為に──

 

「......なら、話そうか」

 

 家の名に恥じない人だった。一言で表すのならばこれしかない。

 常に品行方正、友人も多く誰彼からも慕われるような人柄と惹きつける魅力を持っていて、かつそれらを見せびらかす様な態度、行動はおくびにもしない。

 それはもちろん幼少の私にも同様で、放任主義という環境と家の圧の中で優しい彼女が、私にはどうしてもわからなかった。

 一度連れ出された社交の場、そこから抜け出したテラスのテーブルを挟んで向かい合い、月を背にして一度だけ聞いたことがある。

 どうして好きなように生きられるのに、求められる姿だけを見せ続けるのかと。

 

「それはね、タキオン。

 求められる姿こそが私だからなの。たとえそれがどんな呪いであれ、鎖であれ、誰かに求められるのならば喜んで着飾ってみせる」

「まるで()()みたいですね。

 どうして自分を捨てているのに、そこまで前向きでいられるのですか? フライト姉さんはその呪いを受け止めて、何がしたいんですか?」

()()()()夢を叶えたいのよ」

 

 雲が晴れて、月明かりが自分と瓜二つの姉を照らし出す。

 にこやかな笑顔を見せる彼女は私とは正反対で、まるで戒められているように胸が苦しい。

 可能性という独善的な夢と、皆の夢というまっすぐな善性。鬱陶しくて仕方ない。しかしそれでも姉妹だから見なければならないのだ、その曖昧な夢という物に対する本気を。

 

「タキオンは理性で夢を叶えようとしているでしょう? そして他のウマ娘達は意地で夢を叶えようとする。

 それらに比べれば私の持つみんなの夢、なんて曖昧で、バラバラで、何人が本気で見ているかわかったものじゃない。  

 そう、そうね。でもだからこそ、理性と意地を叩き潰して掴んだ時──」

 

 

「──みんなの夢は『確信』に変わるの」

 

 そしてフライトは夢を確信に変えた。

 だが私にはいまだに分からない。みんなの夢を確信に変えて、空を飛ぶような速さでレースを制した先にはアグネスフライトというウマ娘自体の夢は存在しなかったのに、どうしてそこまで前を向けたのか。

 

「走るのが好きだったからじゃないの?」

 

 思考が止まり、繋ごうとしていた推測の全てが頭から吹き飛んでポカンと口を開けてしまう。 

 走るのが好きだったから、という事は、本能?

 あの狂気的なみんなの夢への執着本能から来るものだったのか、と一瞬納得しかけるが、すぐさまその結論を否定する。

 姉はそこまで短絡的なウマ娘では無い。

 はあ、と小さなため息を吐き、得意げなように見える新人トレーナーを引っ張って部屋の外まで連れて行く。

 

「話はここまでだ、ほら帰った帰った!」

「なんかキャラ違くなってない?」

「うるさいねえ!」

 

 放り出して閉めた扉に背を向けて、机の上に置きっぱなしの茶葉類を棚にしまい、どかっとビジネスチェアの上に腰掛ける。

 しかし、背もたれに寄りかかり少しだけ思い出しながら考えてみれば、アグネスフライトへの恐怖心というのは薄らいでいる。おおよそ何が原因かといえば、さっきの彼女が言った本能の話のせいだろうが。

 理解できないが故の恐怖は、理解できれば消えてなくなる。至極単純な解決方法に微笑みながらまた息を吐けば、頭の中の空いたスペースにある情報が蘇ってきた。

 

「......そろそろ実戦のデータが必要か......」

 

 季節はすでに秋の訪れを示し、限界の追求において自分の足でただ走るだけのデータがもたらすもの、というのが目新しくなくなってきていること。

 やはりレースという型式に当てはめたデータは取っておきたい。

 もし走る中で素質のあるウマ娘がいれば、そのウマ娘にプランBを実行させる可能性も視野に入れなければならないだろう。

 ──と、なると。

 椅子から立ち上がり、扉を開いて左右を見渡せば、しょんぼりしながら帰るトレーナーの後ろ姿。

 ちょうど良いところにいるものだ、と少し笑んで、白衣の袖を振りながらその背中に声をかけた。驚いた表情がこちらを振り向く。

 

「君、私と契約を結ぶ気はあるかい?」

 

 見えた瞳の中には、姉ではなく私の姿が映っていた。

 ──そして今、皐月賞の3日前。

 

「......この足ではこの辺りか」

 

 コースを回る自分の足を止め、左足の先を浮かせて足首から下をプラプラと左右に振る。

 まあ、予想できた事だが。

 たとえレースに向けて追い込むことが出来なくても不安はない、何にしても私は前を走るだろうから。

 

「刻みつけるまでさ、その本能に」

 

 

 

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