夢の奴隷   作:チクワ

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東京優駿/日本ダービー

 

 落ち着かない。

 

「くぁ...... ふぅ」

 

 ポッケが立ち直ってからしばらくが経ち、俺もタナベトレーナーも、出来うる限りのことをした。

 タナベトレーナーはこれから行う予定だったトレーニングの更なるブラッシュアップを。そして俺は、歴代ダービーウマ娘とポッケの並走を取り付けたり、利用できそうな思考があれば先輩トレーナー達に教えを乞うたり。

 そこまで多くのウマ娘と並走させてあげられたわけではないが、アドマイヤベガやスペシャルウィーク、サニーブライアンとの走りはポッケにいい影響を与えたようで、すっかり彼女の走りは元の形を取り戻していた。

 

「すっげー調子良いんだよ! いろいろ手ェ回してくれてありがとな、相棒!」

 

 やはりポッケには明るい笑顔が似合う。

 そんなこんなで最終調整を終えた日の夜、自分は家から近所の体育館を借りて、久しぶりにボールに触れていた。

 オーバーハンドとアンダーハンドで交互にボールをレシーブして1時間が経っただろうか、流石に同じことばかりやっていれば眠気も来るもので、盛大な欠伸を1人だけの体育館に吐き出す。

 考えるのは、ダービーが終わった後のこと。

 ジャングルポケットは勝つだろう。

 たとえダンツがとてつもなくハンパじゃない仕上がりで挑んできたとしても、NHKマイルカップを勝利したクロフネが完璧な走りを見せても、ポッケの勝利は確実だ。

 トレーナーとして、相棒として確信している。

 そうすると自分の願いである、兄の無念を晴らす、という夢は叶って── 夢を失った俺は宙ぶらりんになる。

 

「あ......」

 

 集中が切れ、アンダーで拾おうとしたボールがあらぬ方向へと飛んで行った。

 何、別に今に始まった事ではない。

 高校の時に託された『プロになって』という夢だって、大学中退して叶えた時にはちゅうぶらりんだったわけなのだから。

 気を取り直してボールを拾い上げ、今度は黙々とサーブの練習に入る。1番後ろから高くボールを放り投げ、ラインギリギリで踏み切って飛び上がる。

 最高到達点3メートル半にはギリギリ届かないものの、体が覚えている動きから弾き出されたボールは激しい回転と共にコートヘ突き刺さった。

 ......どうしよう。

 初めて感じる、迷子のような感覚。

 まさかレースに対する不安ではなく、これからの自分に対して落ち着かない事があるとは、夢にも思っていなかった。

 

「あーっ!!!」

 

 適当に体を動かして切り上げようかとタオルで顔を拭いていれば、唐突に現れた大音声が耳をつんざく。

 振り返ればそこにはジャージを着た学生2人。

 

「あれ、秋野選手じゃねぇ?! やべえサインしてください!」

 

 忘れ物を取りに来たのだろう。

 左手にはシューズを持っていて、元気いっぱいな方を冷静な方が宥めていた。

 

「おいバカ、失礼だろうが!

 お前失礼だからサインもらうのは俺の後!」

 

 どっちも元気いっぱいだった、訂正。

 

「いやサインくらいならするけど、引退したオッサンのサインなんて嬉しいの?」

「「はい!」」

 

 ......なんだか、どうでも良くなってきちゃったな。

 メッセージアプリを開いて兄さんに連絡をし、2人のサインを適当に書く。

 トーク画面には『兄さんの夢を叶える』とだけ。

 

 

「──っていうことがあってね?」

「別にいいんじゃねえの? 人気あるってことだろ?」

 

 快晴、とまでは行かなかった東京レース場の控え室、先日の出来事を着替え中のポッケと話す。

 なんだか緊張感が薄れるような会話だが、皐月の時みたく肩に力が入りすぎるよりは、こっちの方が幾分いいだろう。

 着替えを終えたポッケがカーテンを開き、ん、と胸を張ってリボンを結ぶ様に突き出してくる。

 いつもならフジキセキのやっていた仕事、俺がやっていいのかと視線を向ければ、帰ってきたのは肯定の微笑み。丁寧に結び、凛々しい顔つきのポッケと目を合わせた。

 

「俺は...... 君に託す。兄さんの無念を」

「任せとけ。

 考えとけよ、新しい夢!」

 

 拳を突き合わせて── そういえば、と首に掛けていたネックレスを外し、対になる指輪の片方を彼女の右手中指に通す。

 

「これで、俺もポッケと一緒に走れるかな?」

「──おう! 借りるぜ、相棒のお守り!」

 

 心は一つ。

 もう片方の指輪を左中指にはめて、タナベトレーナーやフジキセキと共に観客席へ向かう。

 どうか楽しく走れますように。

 どうか、無事に帰って来れますように。

 それだけを願って。

 

 

 ──心が凪いでいる。

 確かな熱があるのに、めちゃくちゃ冷静で、まるで自分じゃないような感覚。でも不思議と不快じゃない心を噛み締めながらコースへの道を歩いていれば、柱の影から笑顔を見せ、ダンツフレームがこちらに手を振っていた。

 タキオンの一件以来会っていなかったが、その背からは強いオーラを感じる。並びたって歩けば、その圧がさらに強く感じられた。

 

「タキオンちゃんは、勝敗なんて関係ないって言った。でも私は勝ちたい。

 可能性とかどうでも良くて、ただ── 真ん中に立ちたいから。だから今日は負けないよ、ポッケちゃん」

「......おう」

 

 クロフネ、ルゼル、テンゼンセイザ、ボーンキング。それ以外のウマ娘も俺たちも、誰もが皆勝利を求め、真ん中を求め、最強を求め、同じ道を行く。

 ただ、勝ちたい奴らの宴が始まる。

 

 東京レース場が人でごった返す中、後方の席では白衣に身を包んだアグネスタキオンが興味深そうにターフへと視線を向ける。

 対してマンハッタンカフェは、耳を絞りながらその姿を流し目で見ていた。

 

「レースは、見に来るんですね」

「勿論だとも! やはりモルモットと研究材料は多い方がいいからねえ! それに...... あの2人は、私の代わりになり得るのだから」

「......変な人」

 

 多くの人が観にくる中── 俺は、隆二と共に最前列に立っている。

 タナベトレーナーとフジキセキには、2人だけで喜んで欲しい。あの頃の後悔と、ポッケに対する期待を共有できるのは2人と兄だけだ。

 

「毎年ダービーは見にきてるけどよ、今日はまた、一段と人が多いな!」

()()()が解放されて初めてのダービーだからね。

 そこのあたり、気になって来た人も多いんじゃないかな?」

 

 マル外とは、所謂外国生まれのウマ娘。

 これまではGⅠに出ることを許されなかったそれらウマ娘が、大舞台で戦うことを許されて初めての最強を決める舞台、東京優駿。

 話題にならない方が無理というものだ。

 

 さあ、ターフに出走するウマ娘が出てくれば、更なる熱気が観客席に充満する。

 アグネスタキオンが欠場し、主役不在という人間もいるこのダービー。しかして、これほどまで期待を込めて歓声を送るファンたちがいる以上、主役不在などではない。

 皆が主役なのだと再認識した。

 

 やはり目を引くのはツヤのある芦毛が特徴的なクロフネ。マル外筆頭、殴り込みをかけて来たウマ娘だ。

 ここまでのレースで1、2、3着以外を取ったことがないと言えば、それだけで強さを理解でき、戦慄する。

 無論注目のウマ娘はクロフネだけにとどまらない。

 この場に来ているウマ娘、全てが重賞で好成績を上げたからこそ立てている、強い者たち。

 それでも信じる心は変わらず、左手の指輪が教えてくれる。勝つのはジャングルポケットだと。

 

 割れんばかり響く大歓声と共にファンファーレが奏でられ、段々と心音が高鳴る。

 全ウマ娘がゲートに入り、あとはスタートを待つだけ。

 秒針が動いて── 夢のゲートが開く。

 

「ゲートが開いてスタートが切られました!!

 ジャングルポケットも好スタート!」

 

 耳をつんざく歓声も、隣で楽しそうに観戦する隆二も入ってこない。

 今はただ、このレースを。

 

「戦闘争い誰が行く?! 内から内から、キタサンチャンネルが押し上げて── 外からはテイエムサウスポーも行こうとしている!

 サウスポーがハナを叩いたァ!」

 

 先頭を奪い取ったのはテイエムサウスポー、その後ろをキタサンチャンネルとルゼルが追う形になる。これによりキタサンチャンネルの逃げは潰され、ペースを作る権限はテイエムサウスポーの手に渡った。

 芦毛のクロフネ、ジャングルポケットは並んで中団。クロフネがポッケの背中を見るように後ろへとピッタリ着いている。

 ダンツフレームはさらにその前。

 

 各々がポジションにつき、向こう正面へと18人のウマ娘が雪崩れ込んでいく。

 おそらく最終直線、仕掛けが最も早いのはクロフネだ。これまでのレースでも先へ行こうとする強い意志があったわけで、そうなるとダンツ、ポッケはその背中を追う形でぶち抜かなければならない。

 直線での真っ向勝負、考えるだけでも胸が煮えたぎるように熱くなってくる。

 

「さあテイエムサウスポー、2番手との差は6から7バ身とかなり大きな開きを生み、大逃げの真価を見せています! 1000メートルを通過して59秒、ちょっと速いかもしれません!」

 

 しかし予想外はテイエムの大逃げ。

 ここまでの差があればペース云々を言っている場合ではなく、何処かで均衡を破る必要がある。

 並びはテイエム、ルゼル、キタサンと少し変わりはしたものの、大きな動きはない。

 ジャングルポケットはダンツフレーム、クロフネと並んでいたが──ここでクロフネが仕掛けた。

 

「──いくらなんでも速いだろ、そこからの仕掛け?!」

()()()()()()()()んだ、差が大き過ぎるから!」

 

 これまでの勝ちパターンと似てるようで違うクロフネの仕掛け。大きく違うのは、仕掛けざるを得なかった、と言うところ。

 大逃げという戦法をとった以上スタミナは優位だが、距離は? いつも通りの場所から仕掛けて距離が足りるのか?

 その疑いがクロフネを行かせた。行かせてしまった。

 そして4コーナーを曲がり、最終直線へと向かう。

 後ろでは牙を研ぐ2人の伏兵がその背中を狙っている。

 

 

 ──わたしは、ポッケちゃんみたいに綺麗に走れないし、プロポーションだって良くない。

 それでも負けないものがある。

 勝ちたいという意思。

 真ん中に立ちたいという思い。

 

 

 ──思い出す。

 お前が刻み込んだ光と、走り。

 何か伝えたいことがあったんだろう? 俺たちに求めることがあったんだろう? でもそんなの知ったこっちゃないんだ。

 何があろうとも、俺の意思は変わらない。

 目指すのはただ一つ。

 

「最強は── 俺だァァァ!!!!」

「私だってぇぇぇ!!!」

 

「ジャングルポケット来た! ジャングルポケットと後ろからダンツフレーム、ジャングルポケットとダンツフレームの追い込みィ!!

 クロフネは?! クロフネは伸びない!!」

 

 勝つんだ。 

 勝つんだ。

 勝つんだ!

 

「私だって勝ちたい── 勝ちたい!!」

「そうだよなぁダンツ、来い!!」

 

 クロフネが3番手に落ち、ダンツフレームとジャングルポケットの一騎打ちになる。

 勝利を求める意地のぶつかり合いに目が震え、口角が緩み、興奮が体の全てを包んでいく。

 もっと、もっと見たい。もっと見せてくれと体が前のめりになり、手すりを掴む力が強くなる。兄さんの無念、今だけはそれを投げ捨てて── このレースを楽しみたい。

 

「勝つのは! ──真ん中は!」

「勝つのは! ──最強は!」

 

(わたし)だぁぁぁぁあ!!!」

 

「ジャングルポケット、ダンツフレーム!

 ジャングルポケット、ダンツフレーム!

 先頭はしかしジャングルだ!! ダンツフレーム2番手! 勝ったのはジャングルポケットだぁぁぁ!!」

 

 ふっ、と力が抜ける。

 勝った。

 

「うぉぉ、すげえ!! お前のとこのジャンポケ、すげえって!!」

 

 抱きついて体を揺らす隆二を受け入れ、夢の終わりを噛み締めながら震える手を握り込んだ。

 ああ、勝てたんだ。

 

「マル外解放元年! 新時代の扉をこじ開けたのは、ジャングルポケットォ!!」

 

 虚脱感に包まれる足を奮い立たせてウイニングランを見ていれば、すぐ隣を誰かが横切った。

 見覚えのあるメガネにピアス、銀と黒の指輪が2つついたネックレス。すぐに誰かわかって、隆二を振り払いその背中を追った。

 待ってくれ、俺はやった。やったんだ。

 兄さんにもう一度笑って欲しくて、すごく頑張って、頑張って...... だから、だから。

 

「にい、さん」

 

 レース場内の通路でやっとその背中に追いつき、肩を叩く。

 振り返り、久々に見た兄さんの顔は── 笑顔とは程遠い、冷たく突き刺さるような無表情と、射殺す様な虚無の視線だった。

 なんで? 率直な疑問が頭を駆ける。

 

「昨日、夢を叶えるってメッセージで送ってきただろう?」

「ああ、だから──」

()()()()()()()()()()()?」

 

 背筋が冷える。

 聞いたことの無い冷えた声が、指先を震えさせた。

 

「お前は勝手に俺の夢を引き継いだつもりで盛り上がって、頼んでもない事をやっただけだ。

 それに、俺の夢は他のウマ娘にダービーを取ってもらうことじゃない。フジキセキがダービーに勝つこと、だ」

「でも......」

「そもそも失礼だとは思わないのか?

 一生に一度のクラシック、最大の名誉であるダービーの勝利を取らせた相手はそれを欲していなくて、他人に捧げようとしている、だなんて。

 お前はジャングルポケットに不誠実な事をしてるんだよ。

 俺は自分の夢を持てないお前が、嫌いだ」

 

 そう言い残して行ってしまう兄の背を追おうとして、でも、足が動かなくて。

 ただその場に立ち尽くし、俯く。

 心のどこかではわかっていたのかもしれない。他人の夢を自分の夢として叶えるなんて、過ぎたこと、思い上がりなのだと。

 そうだ。

 俺はずっと向き合ってこなかったんだ。

 他人の夢を盾にして、やってきた事と正面から。

 

「おーい春樹! どうしたんだよ急に出て行って......」

「──何でもないよ。何でも、ないんだ」

 

 振り返り、隆二と共に観客席へ戻る。

 

 俺は彼女に、おめでとうと言えるだろうか?

 

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