変な夢を見た。
芝の上を走る誰かの見た景色を追体験させられているような夢。
いつもより視線は低く、時折目に入ってくる四肢の姿は華奢で細く、何かが変だなと理解しながらも確かな納得がある── 正直なところその感覚が初めてで、つい笑いたくなる程に心地良かった。
それはきっとウマ娘の視点か何かだろう、直線のコースで最後方から追い上げるが、それでも前には届かない。
前に出ようと体を動かしても足がワンテンポ遅れ、一着はどんどん先へと消えて行く。その事実を受け入れるようにゆっくりと、目にカーテンが降りてきて、次に光が入った時には、また同じコース、同じ区間を走っていた。
だが、少し違う。
夢というフィールドにありながら、拭いきれない違和感。
目線はいつもの俺が見ている高さよりもずっと上で、レースの最中だと言うのにウマ娘の姿は1人も見えない。代わりに走っているのは四足歩行の...... なんという動物だろう? 首が長くて四足歩行だからキリンみたいなヤツだろうか。
たてがみと尻尾を揺らすその背中には人が乗っていて、動物が走って人がコントロールする、そんな感じ。
不思議だな、そういうものか、と納得する方向へ思考が舵を切った時、足元に何か不安の塊のようなものがぶつかる。
不快な痛みと思うように動かない足。
じわじわと離れていく先頭に視線を向けながらまたも視界が暗転すると、今度はあるウマ娘がこちらに背を向け、凛とした姿で虚空を見つめている。
「......うん。きっと、追いつくよ」
彼女は見慣れた様子でその虚空に向けて話しかけ、優しい微笑みは情報として目には映らない何かが確かにいる事を常々こちらに思わせる。
カフェ、と声をかけようとするが、声は出ない。
いや、声が出ないというよりも
彼女がこちらに近づいて来れば、その小さな背丈に合わせるように首を下ろし、広い視野全体をカフェで覆うような距離まで近づく。手袋越しの暖かな手が首筋を撫でた。
「アナタは......? 見たことが無い、けれどなんだか......」
思わず目を細めてしまう感触を楽しんでいれば、不意に背中から声が聞こえる。ほぼ背後でありながら広い視野に映ったその姿はカフェに酷似しており、ノイズのかかった声で小さく囁いた。
彼女を連れて行け、と。
「アノ場所ヘ──
完全なる明転。
知っている天井、閉め忘れたカーテン、そしてすっかり低くなった視線。それらが夢の時間から自分の体を覚ました事に気付き、もう少しあの感覚を味わっていたかったという気持ちと、自分の体への安心感の板挟みに悶々とする。
まあ、初めて寝てる最中に夢を見た、という事実は変わらない。ともかく今はその事実をコーヒーで喉奥に流し込み、準備を整えてサッサとトレセンへ向かう事にした。
「あれ...... 開かないんだけど。
......
しかしさあ行こうと手を掛けたドアノブはビクともせず、押しても引いても捻っても動こうとはしない。
そう、またなのだ。
マンハッタンカフェと関わってから数月が経ったが、いまだにこのような現象が起きる。これでも最初の頃よりは慣れてきたが、それはそれとして面倒という気持ちは変わらない。
そうやって鉄の扉と化したドアと格闘していれば、バスがけたたましいエンジン音と共にバス停を通過する音が耳に触れ、途端に扉の重さが吹き飛んだ。
姿が見えずともやっている事を楽しんでいる、という事が、お友達が俺に起こすアクションに一貫したものだ。前までは間に合うギリギリで解放してくれたり、イタズラした翌日には起こしてくれたりとこんなに意地悪じゃあ無かった筈なのだが...... 何かしらの心の変化だろうか?
とはいえ焦ることは無い。
幸いにも2本目のバスは数分後に来る、それまではまたソファでゆっくりしていよう──
「早ヨ行ケ!!」
「いっっだぁ!?」
そんな生ぬるい考えは許さないとばかりに、ソファヘ狙いをつけて落下した尻が蹴り上げられ、痛みと驚きにピンと背筋が伸びた。その勢いのまま連行され、玄関から放り投げられ、ガチャリと鍵が閉められた音と共にお隣さんと目が合う。
どうやら掃除当番だったみたいだ。
「コワ......」
「あはは......」
その反応をしながら当番に向かうのも無理はないか、成人男性が家から吹っ飛ばされてくるなんて誰が想像するものか。
......まあ、たまには走って行くのもいい。
マンションのエレベーターに乗って下がる身体は、なんだかいつもより重く感じた。それこそ、人1人がのしかかっているくらいに。
「──あら秋野さん、元気ねえ」
「おはようございます!」
「ああちょっと待って、いつも来てくれるお礼に、ほら!」
さあ、どうしようかな。
駅までの道、商店街の前を走っていたら貰った小袋を手に、電車に揺られながら贈り物の処理方法へ思考能力を割く。
少し前、それこそトレセンに就職してからちょこちょこ行っていたカフェの店主に貰ったこの紙袋、中身は恐らくコーヒー豆か何かだろう。何よりも香ばしい匂いがその存在を主張してきて、そこそこ人のいる車内ではなんだか申し訳ない気持ちになる。
匂いに釣られてこちらを見る視線から逃げるようにホームに降り、改札を通ってバス停へ行こうとすれば、朝一番よりもいくらか手加減した衝撃が尻へ。
......まあ、流石に人がいるところでブッ飛ばしはしないか。
それはそれとして痛い腰を引きずってトレセンまでのルートを歩いていれば、道路に併設されたウマ娘専用レーンに見覚えのあるシルエットが現れ、走り抜ける直前でこちらに気づいて足を緩めた。
向こうからすれば今日初めて、俺からすれば今日2度目の対面になる、マンハッタンカフェだ。
「おはようございます。
......随分と疲れた様子ですが?」
「ああ、ちょっとお友達にね。それはそうと──」
朝練に精を出していたのか、少し赤らんだ頬と熱を持った息使いが聞こえてくるが、何より目を引いたのは肉体的な面だ。
夏合宿後、こうやってまじまじと彼女を見るのは初めてになるが、腰から足にかけてトモと呼ばれる部分の肉付きが以前とはまるで違う。
彼女特有のしなやかさは残しながら、溢れんばかりの力強さが備わったその脚からは暴力的なスピードと繊細なコーナリングの両立が見えてくる。
予想通り、これからのレースにおいてジャングルポケットの強力なライバルとなるだろう。
「その......」
見事さに目を奪われていれば、見上げた先にいるカフェがなんとも言えない顔で視線を外しながら、小さく呟く。
「往来、ですので......」
「ん、ああ、ごめん!」
咄嗟に立ち上がり、素早く頭を下げる。
よく考えてみれば嫌がるのも当然な話だ、人が沢山歩いている道で脚のチェックなんてするものではないし、たとえ魅力的に見えたとしてもある程度の自制はするべきだった。
しかし、こういう事になればそれこそいの一番に蹴り飛ばして来そうなお友達からのアクションが無いのを見るに、まだ誠意の見せようはあるはず。
どうしようか考えていれば、彼女の黄色い瞳があるものを写していることに気づく。
──そういえば、ウマ娘の嗅覚は人の数倍も敏感なんだったか。それこそ微量な体臭の違いも嗅ぎ分けられるくらいに。
「お詫びついでに...... 貰ってきたコーヒー、一緒に飲まないかな、なんて......」
「......ええ、是非」
「ほんと?!」
朝から濃い一日だが...... よくやった、と言わんばかりにお友達から叩かれた背中は、少しだけ軽くなった気がする。
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