普通に無理かもしれない。
最強、とは。
ある人には称号、ある人には居場所、そしてある人にとっては個人。
捉えようは様々だが、俺はその全てを得てこそ、初めて最強を名乗れるのだと思う。
「どうだい、久しぶりの練習漬けは?」
「......まあ、ボチボチってとこ、すかね」
合宿最終日、長い階段を上がった先に広がる縁日の景色は夢のようにぼやけていて、下駄を鳴らすたびにテーピングだらけの足が軋んだ。
そろそろ花火が上がる。狭い往来はすっかり人だらけになっていて、誘ってくれたフジキセキの手を握らなければ、一瞬で互いを見失ってしまうだろう。
少し耳が痛いほどに賑わっている。
長くて、遠い時間だった。
ダービーを勝って数週間は予定が詰まっていて練習する時間も、好きなファミレスのパフェを食べる時間も無く、都心部へ行けばあるのは自分の顔ばかり。
こうして水の滴るラムネを片手に、座って夜空を見上げることなど、あの時期には到底無理だった。
「──ありがとう」
「え...... どうしたんすか、フジさん?」
「いや、そういえばちゃんとお礼をしていなかったと思ってね。ナベさんにダービーを取らせてくれたこと、本当に感謝しているから。
終わってしまった、私の代わりに」
「そんなことないっすよ」
礼に対する謙遜と、卑下に対する否定。
絞り出すように溢した声は、ラムネの開封にかき消される。
「フジさんは終わってなんかいない。
......ずっとカッケーままっスから!」
「そう言ってくれると嬉しいな。
......でも、それでも時代の終わりは来るものだから。どれだけ否定したくても、『ああ、過ぎてしまったんだ』って感じる瞬間はある。
その度に逃げたくなって── その度に、ポッケみたいなすごい走りを見て、本能が『まだやりたい』って叫ぶんだ」
少しの風に提灯が揺れて、暖かい光が横顔を照らした。
瞳に星を映した彼女の瞼には少し力が入って、苦々しい思い出に心馳せている事を言葉も無く理解させた。ウマ娘の本能── それがフジさんのような人すらも動かすというのなら、走らないと世間に言い放った
頭に残り続ける残光が煌めくと同時に、周りに広がっていた人々が一斉に空を見上げ、スマホを掲げる。
ウマ娘の耳には少し痛い轟音と共に小さな蕾が花開き、鮮やかな色で次々と空を彩っていく。花火という名前に負けない、美しい姿と光に── また、目の前を走る姿がフラッシュバックした。
ダービー最後の数百メートル、ダンツをぶっちぎって勝利の景色。ゴール板への道の先に居たのは、やはりアグネスタキオンで。
「追いついてやる! お前に、俺は勝って!」
自分の成長を感じたレースだった。
皐月賞の頃とは天と地ほども違う速さを手に入れた自信があった。
じわりじわりとその背中に追いつき始めて、それでも最初にゴールラインを割ったのは、俺の先を走り続けるタキオンで。
「──っ、うぉぉぉぉぉぉお!!!」
自分を奮い立たせたかった。
どんなに努力しても勝てない、なんてことはあり得ないと、止まり掛けのゼンマイをもう一度回すように叫んで叫んで叫び続ける。
もう一度、ここで走れ。
一対一でもいい、他の誰もいない模擬レースみたいなものでも構わない。俺はお前に勝つために、それが最強の証明であると信じて努力を続けてきた。
もしお前にも、フジさんと同じような本能が備わっていて、叫び続けているのならば、俺と走ってくれ。
そうしないと── 俺はお前に勝てないじゃないか。
そうだ。
そう感じてから、俺の足は止まった。
「あんまり気を落とさないで、次の菊花賞までにはしっかり合わせていこう!」
「......あぁ、ワリィ......」
GⅡ札幌記念、3着。
ずっと自分の前に立ち、走ろうとする俺を止めるのは、もう1人の自分。
どれだけ前に行きたくても、勝ちたくても、最強になりたくても、頭を掴んで囁いてくる。
お前は勝てない、と。
世間が世代最強の称号を俺にくれた。
ダービー1着という居場所が、俺を最強であると言ってくれる。
それでも、アグネスタキオンという個人がいる限りは、俺は最強になれない。
「んじゃ、行ってくるわ」
「ああ! ......あ、ポッケ、忘れもの」
菊花賞へ向かう雨の中、控え室から投げ渡されたサンキャッチャーを受け取り、握りしめる。
指の隙間から見えたガラス玉の表面には鋭い傷が入っていて、綺麗な光の反射はそこでプッツリと途切れていた。
──合宿から日にちが経ち、相棒はどこか吹っ切れた様子だ。
何があったかは知らないが、最近は今まで以上にトレーナーという立場から放たれる指導が鋭さを増していて、もはや俺自身よりも俺の体を知っている可能性すらある。
......何だ、少し気持ち悪い言い方になったな。
ブンブンと雑念を払って薄暗いターフへと向かえば、黒い影がすぐ横を過ぎていく。まるで残像を残すように靡いた黒髪は漆黒と言い表すのに相応しく、ミステリアスと言うには生ぬるい圧をその背中から放っている。
「お前とやり合うのは初めてか。 ──カフェ」
レース前だというのに弱まっていた胸の炎。
そこに燃料を投下するべく、その背中を見据えて口角を吊り上げた。
振り返り、届いたのは静かに闘争心を燃やす月のような瞳。
「私は...... 追いつくだけ。
アナタにも、タキオンさんにも」
「言ってくれるぜ。んじゃまあ、真っ向から叩き潰してやるよ」
カフェがこちらから目を背けると同時に、胸の炎が少しだけ大きく燃える。
......まだ、俺は走れる。そう、走れるんだ。
「──イヤだぁぁぁぁ!!」
先頭を逃げ続けていたウマ娘の悲鳴が聞こえて、差し切った先頭── マンハッタンカフェがゴール板を半バ身ほどの差で通過する。
その光景を後ろから見ることしか出来なくて、一歩、二歩、とグズグズになった芝を感じながら、観客席の方を見た。
「......あ」
相棒が見ている。
フジさんも、ナベさんも、みんな俺が最強であると思って、みている。
歯を食いしばって、天に吠えた。
「──俺は、最強じゃねえっ......!!」
ポケットから落ちたプリズムには、二つ目の傷が入っている。