ウマ娘世界において有馬記念の『馬』は下の点が2つなのですが、都合上普通の馬の漢字で書いています。
ご理解ください。
「ふっ、ふっ......!」
12月24日。
レースファンに鮮烈な記憶を植え付けたホープフルステークスから一夜が明け、タナベトレーナーの家では腹筋用の椅子が軋む音が響く。
開かれた新聞には、一面に広がるアグネスタキオンの写真。ポッケとタキオン、その間に確かな明暗が別れた事を嫌でも思い知らされる。
「あのレース内容、おそらくクラシック戦線はタキオンの話題で持ち切りになるじゃろうな」
「う......」
「しかもレース後の様子的に、全力でなくてもあの速さ...... 規格外という言葉しか出てきませんよ」
「うう......!」
事実、アグネスタキオンの速さはずば抜けていた。
これからのレースはタキオンがいるかいないか、それによって作戦を変えざるを得ないほど、彼女の存在は大きい。勿論トレーニングも、今までのように全体の底上げばかりでは世代の中で埋もれてしまうことは明白。
どのようなトレーニングメニューがポッケに1番良い影響をもたらすのか考えようとすれば、その思考を乱すように椅子の軋みが大きくなり、その勢いは少しずつ椅子がズレるほど。
その上に座っていたジャングルポケットは、悔しそうな表情を浮かべながら加速度的にその腹筋を早めていた。
「タキオンばっか褒めて、ナベさんも相棒も俺のトレーナーだろ!?」
「こーら、ポッケ。そう焦らないよ」
年頃の女子特有のワガママに見えたそれを止めたのはフジキセキ。
ポン、とポッケの頭に手のひらを乗せると、優しい声でその感情を鎮め、トレーニング後の身体をクールダウンさせる冷たい飲み物を手渡す。しかし、それでも初めての敗北はポッケにとって深いものだったのか、その表情は晴れない。
俯いた表情を、コップに張られた水面が反射する。
「でも、フジさんは負けなかったじゃないすか......」
憧れの存在と同じ道を行きたい。
物事ではなく人に夢を見ると、そう考えてしまう者は多い。
事実フジキセキは負けなかった。
デビューも重賞もGⅠも、最後の出走となった弥生賞も。負け無しの最強という夢を与えたのが自分だからこそ、フジキセキも『一度の負けでへこたれるな』なんて言葉をかけることもできず、意識を別の方向に向けさせることしかできない。
「......そういえば
「ああ、そうだったそうだった」
いまの今まで忘れていた存在をその言葉で思い出し、タナベトレーナーからは少し遠い場所に置かれたリモコンを手に取ってテレビを起動する。
ちょうど各ウマ娘がゲートインしようかというところ、実況による紹介が始まっていた。
有馬記念は国民からの投票を受け、期待を背負ったウマ娘達が最強を決める場──
そのように認識しているのだろう、ポッケはドタドタと椅子から降り、すぐさまテレビの前へと陣取る。何度目かの『目を悪くする』というタナベトレーナーの注意も聞きなれてきて、この光景に微笑む自分がいた。
「さあ1番人気はテイエムオペラオー。
前人未到の
テレビに視線を戻せば、やはり注目せざるを得ないのはテイエムオペラオー。
去年は皐月賞に勝利しながらもダービーや菊花賞、有馬記念で2着や3着に沈んだが──今年、圧倒的な強さと共に帰ってきた。自他ともに認める世紀末覇王として。
「トゥインクルシリーズ最強...... 世紀末覇王の名前は伊達じゃねえな」
「それだけにマークはかなりキツくなるだろうね。
......だけど、何があってもテイエムオペラオーが勝つと思う」
何故そこまで断言できるのかという怪訝な目線を向けられるが、その視線に答えを返す事はなく、手元にあるスマホの通知欄を見る。
5分前に来ていた『見てろよ』というメッセージ。今画面の向こうにいるテイエムオペラオーのトレーナーからであり、歳の差を超えたかけがえのない友人からの決意だ。
「レース場に押し寄せたファンの期待を足に込め、有馬記念、今── スタートしました!」
今年最後の大舞台、その幕が上がる。
まず先頭に躍り出ようかというのは好スタートを切ったダイワテキサス、ジョービッグバンにゴーイングスズカ。無難な立ち上がりかと思わされるが、有馬記念はそれぞれの背負うものの為にぶつかり合う場。
勝つ為の一手。その先手を打ったのはジョービッグバンだ。
「各ウマ娘様子を伺っているというカタチですが、ここでジョービッグバン! ジョービッグバンが前に出ました! 2番手にはゴーイングスズカ、すぐ後ろにマチカネキンノホシ!」
極端な先行策ではあるが、これが吉と出るか凶と出るか。コーナーを回ってスタンド側に集団が迫ると、カメラが拾い上げたのは空を割るような歓声。
テレビ越しでも分かるほどの熱を受け、ポッケの耳がピコピコと小さく揺れ動く。
「2コーナーカーブから向こう正面、4番手にはマチカネキンノホシとナリタトップロードが競り合う形で、そこにダイワテキサスが迫っている!
メイショウの2人は少し後ろ、いくらかメイショウドトウが前かというところですが、テイエムオペラオーはさらにその後ろ、3番手の位置!」
「マジかよ、これじゃあ前にも出られねえじゃねぇか......!」
ポッケが漏らしたように、テイエムオペラオーの位置は後方、バ群のど真ん中。これではスパートをかけることも難しく、かと言って大外に向けて逃げることも出来ない。
まさかここまで徹底的にマークされるとは。
手に汗が滲み、スマホを持つ手に力が入ってしまう。
「さあテイエムはどうする、テイエムはどうする!
残り310メートルしかありません!」
最終直線に入ろうかというところ、石が当たったのか、テイエムオペラオーが一瞬たじろぐが、また前を向く。
その目の中には炎がまだ揺らめいている。
──まだ、終わりではない。
「ダイワテキサスが来る! ナリタトップロードも来る! テキサスがトップロードか、残り200を切った!
テイエムは来ないのか、テイエムは来ないのか!!」
瞬間。
思わず息を呑む。
恐ろしいほどの加速、冷静な視野、直線での爆発力。その全てを兼ね備えた覇王が、包囲網を真正面から打ち破る姿に。
「──テイエム来たテイエム来た! テイエム来た!! 抜け出すかメイショウドトウとテイエム!
テイエムか、テイエムだー!!!」
やはり、やはり勝ったのはテイエムオペラオー。
全てを打ち破る覇王が掲げた右手は輝いて見え、正真正銘の最強としてURA史に名を刻んだ。
その姿を見て感化されたか、ジャングルポケットは拳を固く握り、笑みを浮かべて呟く。
「すげえ......! すげえ奴ばっかりじゃねえか、タキオンもオペラオーも!
やるぜ相棒、アイツらに追いつくぞ!!」
「ああ! ......でも、今日はもうオーバーワークだから、また明日ね」
『んだよー』と頬を膨らませたポッケを背に、玄関を出て外へ出た。
少し肌寒い空の下、
一度二度とコールが鳴った頃、画面の向こう側から優しげな声が聞こえてきた。
「おっす、見てたか?」
「見てた見てた、興奮しっぱなしだったよ!」
「そりゃあ良かった。オペラオーもいつもの様子で喜ぶよ、マジで」
年だけ見れば隆二と自分は先輩後輩、こんなに砕けた会話をするような関係には見えないだろう。
初めて会ったのはトレセン学園への見学だった。
当時の隆二はオペラオーの担当になったばかりで、溢れる才能を活かしきれない自分に嫌気がさしているようだったのを覚えている。
今思えば彼の味方はオペラオー以外にいなかったのだろう。菊花賞後の彼はトレーナーを降りるか降りないか、というところまで行っていた。
そんな彼が今、こんな名誉の中にいる。友人としてこれを喜ばずにいられるだろうか。
「ま、凄いのはオペラオーだけど、俺もほんの少しくらいは役に立てたかなってさ。
ダービー狙ってるならお前も頑張れよ、俺たちは獲れなかった場所だからな」
「もちろん。言われなくてもそのつもり──」
「ハーッハッハッハ!!! トレーナー君、氷嚢がくっついた!! 瞼に!!!」
......耳が弾け飛ぶかと思った。
通話の向こう側からは『いたたたた』と呻くようなテイエムオペラオーの声が漏れてきている。
「改めておめでとう、隆二」
通話終了のマークに触れ、空を見上げて地べたに座り込んだ。
上を見上げることの、なんと清々しいことだろう。