「ポッケちゃん、駅前に美味しいニンジンオッチャホイを出すお店があるんだけど、一緒に行かない?」
授業終わりの教室。生徒たちがトレーニングや放課後の遊びに向かう中、ジャングルポケットは同期であるダンツフレームからの誘いを受けていた。
「悪いダンツ、このあと用事があんだよ!」
しかしジャングルポケットは鞄を持って立ち上がると、申し訳無さそうに謝罪の言葉を放ち、教室の出口からするりと出て行ったもう1人の同期、アグネスタキオンに視線を移す。
その『用事』に対してどこか楽しそうなポッケを不思議に思ったのだろう。ダンツフレームは『用事って?』と首を傾げて聞いてみれば、待ってましたと言わんばかりにポッケはその口を開いた。
「これからタキオンの奴、ドヤしに行くのさ!」
「ど、ドヤ......?」
「宣戦布告だよ!」
テンションが上がったのか、鋭いシャドーボクシングを始めたポッケに驚いてダンツフレームがその身をのけぞらせる。
宣戦布告。
年が明け、クラシック期に突入したジャングルポケットにとって、アグネスタキオンは越えなければならない壁だ。
圧倒的な実力、速さ──
フリーの時代から幾度となく格上と戦ってきた彼女にとって、宣戦布告とはそういう相手に対する文字通りの意味であり、同時に自分を奮い立たせる行為でもある。
「んじゃ行ってくる!」
「ええっ、ちょっと待ってよー!」
そんな意義を持った宣戦布告をジャングルポケットが行う一方で、サブトレーナーである秋野春樹は小綺麗なトレーナー室に招かれていた。
いつも腰を据えてトレーニングを考える畳の上とは違う白いテーブル。尻を優しく包む椅子。マグカップに入れられた紅茶はいい匂いではあるが、苦手ゆえに一度も手を付けていないのが現状。
対して自分を招いた相手は、対面の椅子に座ってエナジードリンクにストローを突き刺し、絶え間なくそのカフェインで脳を覚醒させている形。
アンバランスな光景であるが、招かれた本人にとっては学生時代から見飽きた光景でもあった。
「はぁ...... わたしって信頼されてないのかな?」
「また、どうして?」
「だってさぁ、わたしだって中央トレセンのトレーナーだよ? 狭き門を通ってきた人間なのに、
タキオン。アグネスタキオン。
その名前が出てきたことから察せられるように、目の前に座る長髪の女性── 長浜 まどかはアグネスタキオンの担当トレーナーであり、学生時代の同期である。
学友として相談に乗った回数は数知れず。
優秀なトレーナーであることに間違いは無いが、それはそれとして精神的に未成長なところがあるのも確か。
同期の中で唯一サブトレーナーを経由せずにウマ娘を担当する彼女ではあるが── 今回の悩みは、トレーニングとはまた違うもの。
「え、やってないの?!」
「そう、メニューは毎回持って行くんだけどね。こっちの方が良いって言われてそのまま...... レースもそう。
ホープフルステークスをスルーしてもう一度二度、少し下の重賞で慣らそうって言っても、聞いてくれなくて」
なかなか難儀なものだと、目を伏せながら首を上下に動かす。
トレーナー間に流れたウワサがある。
アグネスタキオンのトレーナーは、実力度外視で逆スカウトされたのだと。まどかの話を聞く限りではそのウワサの信憑性は増す一方で、もはやウワサというよりも事実の一つという事になりかねない。
相談をしたいと呼び出された以上、この事実に対して危機感を持っているのは確か。
しかし他人の関係性に、更に他人の自分ができることはなんだろうか。送れるのは当たり障りのない言葉だけだ。
「とりあえず、真摯に接していくしか無いんじゃないか? そうしていけばいずれは相手の嫌なこと、嫌じゃないことを理解できて、話も進めやすくなると思うけど」
「......私なりにやってきたつもりだよ?」
「ウマ娘も広く見れば人間だからね。どれだけ寄り添っても、どこかがズレてしまえば溝は埋まらない。
そうなったらもう割り切るしかない」
割り切る、とはつまり諦めるということ。
自分で自分を管理し、トレセンにおいて結果を出している以上、ウマ娘の手助けをするトレーナーとして
しかし── その道を自分達が受け入れられるか、と言われると、難しいものがあるが。
プライド。誇り。
挫折を知らない彼女にとって、自分の指導はウマ娘の為になるという自信は少なからずあるはずだ。もちろん自分の中にもそういう心はあるが、その心をどうやって変化させ、自己満足で終わらせないようにするか。
タナベトレーナーの指導はそれを学べる最高の見本だ。
さて、話にひとつの区切りが出来て『んー......』とまどかが頭を抱え始めた頃、時計を見てみれば時間は昼を少し過ぎた頃。
食べるのを忘れていた弁当を取り出して口に入れようとすれば、最早叩き壊そうとしているんじゃないかという勢いで、トレーナー室の扉が開かれる。何が起きたのかと眼を丸くしてまどかと顔を合わせれば、開かれた扉から現れたのはジャングルポケットとアグネスタキオン。
その後ろに続いて来たのは、デビューからオープンまで2着以内をキープしたままジュニア期を終えたウマ娘のダンツフレーム。そして、どこか暗い雰囲気を思わせる顔色の優れないウマ娘は、ポッケと同学年のマンハッタンカフェだろう。
少し視線を部屋の中に散らしてからポッケは目をこちらにやり、自分の手に収まっている弁当を見て『うげ』と言いたげな表情。
「なんだよ、またサラダチキン食ってんのか?
ここんとこ毎日じゃ味気ねえだろ?」
「今日は味付きだし。ほら、試しに食べてみなよ、割と美味しいよ?」
サラダチキンの何が悪いというのか。
低脂質ながら高タンパク。いつもは塩を全然入れていないから味なんて無いに等しいが、今日はめんつゆで味付けをしてきたので美味さの次元が違う。
一緒に持ってきた野菜を食べながらサラダチキンを千切ってポッケに渡すと、彼女はそれをおずおずと小さく一口食べ、なんとも言えない表情で顎を動かした。
「うっっっす......」
「ええー?!」
いや、そんなはずはない。
いくら淡白な鳥の胸肉とはいえ、かの最強調味料であるめんつゆで調理したのだ。すごい美味いとまでは行かずとも、まあ美味いくらいの感想はもらっても罰当たりでは無いはず。
ポッケに差し出された切れ端を受け取って口に運んだダンツフレームに期待の視線を送るが、彼女も2、3度噛んで口を抑える。
「薄いです......」
「ええー!?!?」
2人して『それ以上言うことがない』みたいな顔をしなくてもいいじゃないか。
なんだか不憫になってきた自作のサラダチキンをさっさと胃袋に詰め、勢揃いで現れた彼女たちに要件を問う。
「ああ、並走すっから相棒もコースまで来てくれよ。ナベさんにも連絡はしたけど、来るまで待ってたら時間が減るからな」
「わかった。それじゃあまたそのうちね、まどか」
「ありがとねー」
席を立ち、トレーナー室を出て玄関へ向かう。
『先に行っていてくれたまえ』と視線を向けずに言い放ったタキオンに軽い返事を返すポッケは嬉しそうで、レース前に見せるようなワクワクとした感情が溢れているようだ。
いったい何があったのか。プライベートなことなら答えなくていいからと前置いて聞いてみると、答えは足早に歩く本人ではなく、少し後ろを歩く黒髪のウマ娘から吐き出される。
「......タキオンさんに宣戦布告をしたからでしょう。皐月賞で、どちらが最速か決めると」
宣戦布告。ポッケのやりそうなことだ。
小さく『ふふ』と笑い、プレゼントを買いに行く子供のようなはしゃぎようのポッケの背中を見て、小さく呟く。
「なら、
トレーナーとして、少しの焦燥も無いわけでは無い。自分にだってちっぽけなプライドはある。
トレーナーの手を借りず、1人だけで戦うタキオンに、自分とポッケ、タナベトレーナーが3対1で負けるわけにはいかないのだから。
変わって、トレーナー室。
ガサゴソと収納を開いて何かを探すタキオンに対し、まどかは恐る恐る声をかける。
「ねえ、タキオン。ジャングルポケットと並走するなら、私も見に──」
「いいや、必要ないとも。
並走するといっても、別に私が走るわけでは無いからねえ。ここに寄ったのも...... おお、あった。
パソコン用のwebカメラを取りに来ただけのことさ」
提案は容易く押しのけられ、タキオンは客人に出したまだぬるい紅茶に角砂糖を入れると、軽く混ぜて一気に飲み干し、トレーナー室の扉へ向かう。
自分でも言うべきでない事はわかっている。最低なことだとわかっている。
それでも、その言葉はまどかの口の中から出てきてしまった。
一種の脅迫として。
「──それじゃあ、ジャングルポケットにいつか負けちゃうよ」
その言葉に対して、アグネスタキオンが即答する事はない。
ホープフルステークスでの直線立ち上がり、追い越し様に見たジャングルポケットの目を思い出して── 笑ってみせた。
「負けたら負けたさ、私にとって勝敗はまるで意味をなさない。むしろトレーナー君、勝敗が大事なのは君だろう?
それに、物事は得てして消去法さ。もしジャングルポケット君が私よりも先にウマ娘の可能性に到達する、というのなら、実験対象を変更するだけだとも」
ただ可能性を見る為だけに。
そう言って部屋を出て行ったタキオンの背を追わず、まどかは椅子に座って顔を覆う。
「......わたし、最低だ」
カルストンライトオ引けませんでした