夢の奴隷   作:チクワ

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変わらないモノとダービー

 

「よし、行こうか」

 

 未だ日の上がらない午前のこと。

 プロとして現役だった頃に使っていたジャージを引っ張り出し、秋野春樹── つまり自分は冷え込む空の下、歩行者のいない歩道の上で入念な屈伸を行って足の筋を伸ばしていた。

 なにも日課の運動をしようというのでは無い。

 果たして、自分の用意しているトレーニングメニューが効果のあるものなのか── その検証を行おうというのだ。

 

「ふっ、ふっ......」

 

 自分を追い越していくトラック、吐き出される白い息、微かに溜まっていく足の疲労。そして専用レーンを走る、配達物を持ったウマ娘。

 それらは視界には映っていない。ただ自分が走るべき場所と走る距離だけがある。

 何故アグネスタキオンは強いのか?

 ジャングルポケットの行った宣戦布告以降、春樹の思考はその答えを導き出さなければと躍起になっていた。全てはダービー、並びにジャングルポケットが見る最強という夢の為。

 溢れ出る才能? 勝利に執着しない性格?

 確かにそれらは、彼女をアグネスタキオンたらしめる要素で間違いはない。しかしトレーニングに利用できる要素でも無い。ともすれば、やはり自分でトレーニングを考える、という部分にたどり着く。

 

 トレーナー達が専門学校で学ぶ指導は基本、何かしらの型に当てはめた教科書然とした、凝り固まったオーソドックスな練習法だ。

 そこから担当ウマ娘に合った練習へと変化させていくのが一人前の第一歩だが、もしこの行為をタキオンが行い、トレーニングメニューを考えているとしたら?

 

「──ぜっ、ぜえ、はあ......!」

 

 2000メートルをノンストップで走り抜け、一度足を緩めてスマホを取り出す。経過時間は6分半というところ。もし隣でウマ娘が並走しようものなら余裕でトリプルスコアをつけられてしまうだろう。

 人生で2番目に『ウマ娘になりたい』と考えてしまうような結果だが、スマホのメモ帳に手早くその結果を記入すると、少しの休憩を挟んで2本目に突入する。

 2本目を終えて3本目、3本目の半ばというところ。

 

「うっ......! ぇぇ、うぇっ」

 

 川沿いのフリーコースに入ると同時に身体が限界を迎え、胃から先日の夕飯が混じった胃液が喉を焼きながら水面に向けて吐き出された。

 1時間でおおよそ30キロ。

 以前のトレーニングでポッケが限界を訴えたのがこのぐらいだと考えると、人とウマ娘のスタミナは一定のペースで走る長距離の上では同一であり、ポッケ自身が追い込めるのはこの距離まで。

 吐き出せるものを全て吐き出してから口元を拭き、涙の滲む目を空に向けて口角を上げる。

 

「......次は、坂路トレーニングの見直しだな」

 

 川に映るその顔は、オーバーワーク一歩手前で踏みとどまった男の顔では無い。

 誰かの夢に協力し、叶えようとしているのだ。

 どれだけ時間がかかろうとも、自分が苦しもうとも、()()こそが自分の役割であり役なのだと、その目に特有の圧をたたえて立ち上がった。

 

 ──翌日。

 トレーニングメニューに従ってターフを走るポッケを見ながら、ぼんやりと考える。

 クラシック3冠の初戦である皐月賞は、主要4場の中で最も直線が短く、小回りが重要視される中山で行われるレース。

 正直言って、力を貯めて長い直線で差し切るスタイルを得意とするポッケには不利な戦場だ。阪神で行われたホープフルステークスや札幌でのデビュー戦では緩いカーブ故にスピードを殺さずに直線勝負を仕掛けられたものの、中山の直線(310メートル)で今までのように行くかと言われれば、つい首を振りたくなってしまう。

 

「ポッケ、外側の足をもっと踏み込め! タイムを測るまでもなくペースが落ちてきているぞ!」

「わかってるっつーの......!」

 

 タナベトレーナーからの激に応える形でポッケの足に力が入る。しかし頭では理解しても体がついてこないのだろう、先程まで綺麗な形で連動し、大地を蹴っていた足の動きがギクシャクとし始めた。

 気持ちよく走ることだけがレースでは無いと言えど、思うようにいかないその姿には少し苦しいものがある。

 それは彼女の友人であるルー、シマ、メイも同様。

 坂路トレーニングから帰ってきた彼女たちにドリンクを渡すと、喉を潤しながら神妙な表情を浮かべ、ポッケのトレーニングに目を向けた。

 

「昔っから苦手だったもんな、コーナーがきついコース」

「やっぱりそうなんだ?」

「まあ、フリーの時から何処が苦手、得意って自分では言って無かったっすけど、見てればわかるしさ。

 ......それでも1番速かったけど」

「そうっスよ、ポッケさんは最強なんスから!」

 

 さっきまでフラフラだったのに、ポッケの話となるや否やピョコピョコと飛び跳ねながら喜ぶシマを座らせ、3人のタイムをノートに記入する。

 やはり経験値の差は大きいのか、同じコースを走っていた他のウマ娘達と比べても、ルーとメイは分かりやすく格上の走りをしていた。

 シマはこれからに期待と言うところだが、ポッケに並んでGⅠを狙えるポテンシャルは確かにあると言える。

 

「ルーもメイも速いね。この調子なら、今年か来年にはデビューしても闘えるよ!」

「っしゃあ! やってやんぞ!」

「ポッケにばっかメンツ張らせる訳にはいかねぇからな!」

 

 今にも走り出しそうな勢いで喜ぶ彼女たちもまた椅子に座らせ、冬場特有の湯気が出る身体を適度に冷まさせる。脱水症状による熱中症は夏場だけでなく冬でも起こり得ること。

 ゆっくりしっかり水分補給の時間を作ることもまた大切だ。

 とはいえ、ただ座っているだけでは暇だろう。

 ここは大人として一つ、話の話題を提供してみる。

 

「3人はさ、こう、夢とかあるの?

 ポッケみたいに」

 

 トレーニングのレポートを書く手を止めずにそう質問してみれば、3人は三者三様の動きで悩み始めた。

 メイは無言で顎に手を当て、ルーは『うーん』と唸りながら。シマに関しては既に思考を完結させ、大きな声で『あるっスよ!』と元気な返事を返してくる。

 続いて他の2人も考えついたようで、まずはルーが少し気恥ずかしそうに語ってくれた。

 

「うちの家、母親が外国人で。それでひとりっ子だったから甘やかされてきて、どっかでグレてケンカしては逃げるようにフリーで走ってたんすよ。

 んで、いざポッケについてくってトレセン受験決めた時、めちゃくちゃ反対されるだろうなって思ってたら...... 今まで見たことねえ顔で応援されて。

 『どれだけ遅くなっても、勝ちを待ってる』なんて言われたら引き下がれねえ。

 だから、どれだけ時間がかかろうと、G Iを勝つ。

 それが俺の夢っす」

 

 『おおおー!』と声を上げたシマに拳骨を落としたルーの耳は少し赤い。

 彼女の母親が放った言葉は激励でもあり、ある種の脅迫でもあるのだろうが── 少なくとも、ルー自身にとっては青天の霹靂。辛い時も背中を押す言葉となって彼女の中に残っている。

 その一方でメイはいつも通りの表情を崩さず、淡々と言葉を連ねていく。

 

「GⅠも勝つ、海外行っても勝つ!」

「大きく出たねえ」

 

 つい口から驚きの言葉を漏らす。

 海外のレースに出るのは苦難の道だ。

 向こうの環境、ターフの違いや言語の壁、そして完全なアウェーになるレース。それら全ての逆境を乗り越えてようやく辿り着ける勝利を求めるのだ。『ポッケにばかりメンツを張らせられない』というのは、そこに辿り着く自分の思いも込めた言葉だったのだろう。

 

 オウケンブ()()スリ。

 5月(メイ)に咲く花、トールポピー。

 愛称ではない彼女らの名が表す別世界の存在がその想いを抱かせるのだとしても、今この瞬間は確かに2人が願う夢。

 それを叶える手伝いをするのがトレーナーだ。

 

 そしてシマ── オマタセシマシタも、また夢を持つウマ娘の1人。

 

「重賞勝って勝って勝ちまくるっス! そんで、おとーさんとテレビで共演してやりますよ!」

 

 なんだか微笑ましい。

 これもまた、素敵な夢だ。

 

 そろそろ休憩を終えて次のトレーニングに入ろうかというところ、ベンチから立ち上がったメイが今度はこちらに問いかけてくる。

 

「トレーナーさんの夢って、ダービーっすよね?」

「ああ、そうだよ。 兄さんの代わりにダービーを獲る、そのためにトレーナーになったから」

「じゃあ、誰かのためじゃ無い、トレーナーさん自身の夢ってなんなんすか?」

 

 自分自身の夢。

 トレーナーを目指し始めた時から変わらないのは、兄の為にダービーを獲る、と言うところであるが──

 あれから数年、誰かの為ではない物を夢見れていただろうか。ペンを握っていた右腕を腰に当て、空を見上げて── 少ししてから、ピンと伸ばした指を3人に見せて口に出す。

 

「──次のトレーニングが終わったあと、3人が俺に聞いたのを覚えてたら教えてあげるよ」

「は? ずりーっすよトレーナー!」

「大人だからね。さ、行ってらっしゃい!」

 

 ブツクサと文句を言いながらトレーニングに戻って行く3人の背を見ながら、煙に巻いてしまった事に対して『ごめんね』と小さく謝罪を述べる。

 嘘を吐く気にはなれなかった。

 結局のところ、どこまでもその(みち)の先に自分はいない。そんなに早く人は変わらないということか。

 ダービーの先。夢を勝ち獲ったその後、自分はこの熱をどこに持っていけばいいのだろう。

 

「さて、どうしようかな」

 

 心には確かな焦りが芽生えていた。

 

 

 

 

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