零 ~イヌツキの少女達~   作:もふもふたぬきねこ

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本話は千恋*万花の根幹設定がベースなので、
オリジナリティ感が薄く零要素もオマケです。

なのに一話に詰め込んでしまったので、長めになります。

今回もよろしくお願いします。


CHAPTER 6.5 生み出される歴史の中で
59. 千恋(せんれん)はじまりの時


「………………うん?」

 

多分だけど、ムラサメ様がいらっしゃるレナさんの夢に飛べたんですよね?

 

不来方さんの夢とは違って、普通の青い空が広がるどこか。

眼下には、街とすらいえないくらいまばらに建物がぽつぽつと広がって……?

 

 

 

眼下!?

 

「えっちょっ私浮いてるの!?」

 

 

 

夢の中とはいえ、空を飛ぶ事になるだなんて!

なんとなく身体のふわふわ感もしてきた。

茉子みたいに高所恐怖症ではないけれど、そうじゃなくてもこの状態は流石に怖い。

 

とはいえ、身体が落ちる様子もない。一旦ここは落ち着きましょう。

 

「ここは……昔の穂織、なの?」

 

目に映る集落に見覚えは全くない。だけど山の形には見覚えがある。

武実乃山だ。つまりあの集落は、今の穂織になるずっと前の姿って事。

 

そこで行われているのは――

 

 

 

「そっちに逃げたぞ!」

 

「仕留める!」

 

 

 

たくさんの馬に乗った武士のような人達。そしてたくさんの犬。

囲われた柵の中で犬が馬に乗った人に追い回されている。

騎手の弓に(つが)えられているのは……鏑矢(かぶらや)? 普通の(やじり)ではないみたい。

その矢で逃げ回る犬を射かけていく。死んではいないものの、痛いのに変わりはなさそう。

 

授業で習った。確かこれは。

 

犬追物(いぬおうもの)、だったっけ。鎌倉時代の弓術鍛錬って習ったから……ここは鎌倉時代なの?」

 

予想外の時代の夢。昔の夢を見る事になるとしても、てっきり戦国時代だと思っていたのに。

一体誰の夢だというの?

 

そんな事を思っている間に犬たちは射かけられ、徐々に退場していく。

だけど――数が少なくなった犬の一部が。

 

 

グオゥ!!

 

 

「ぬぅ!?」

 

「嚙みつかれるぞ!」

 

一気に狂暴になった。窮鼠猫を噛むと言ったところなのかしら。

それにしてもなんだか統率が取れているような……。

 

あっ!

 

「ぐわっ」

 

落馬した! 狂暴化した犬の一頭が猛スピードで落馬した男性の顔に接近する。

 

 

ガアッ!

 

 

「っ!」

 

 

ザシュッ!

 

 

思わず目を瞑ってしまって、その瞬間を目にしなかった。

襲い掛かった犬は、他の武士の刀で討たれていた。他の狂暴化した犬たちも、今度は尖った切っ先の鏃で射かけられていく。

 

「これが昔の穂織の日常ですか。にしても、これは一体誰の夢で……うん?」

 

鍛錬場からは遠く離れた山の方で、僅かに光が反射したように見えた。

本来なら見えるはずもない距離なのに、目を凝らすとその正体がはっきり見えた。

 

 

 

白い身体の、大きな犬。本当にも○○け姫に出てきそうな。

私も僅かな間だけあの姿を見た事がある。あれが……。

 

 

ザザッ

 

 

ラジオの選局が変わったかのようなノイズ音が耳に入り、目に映る場面が変わった。

今度は……山の中? 地面に立ててる。

 

「コマ!!」

 

聞き覚えのある声! レナさん!?

 

「一体どうされたのですか、姉君。それと幼名で呼ばれるのはいい加減お止めいただきたい」

 

こっちも知ってる声! じゃあやっぱりさっき見たのは。

 

「また犬の子達を使って、人の子達を傷つけに走らせたのですか?」

 

「私は我が子達の力添えをしてやったまでの事。人間共に怨みを抱いたのは、子供達自身の念でございますれば」

 

「貴方が手を出さなければ、あの子達も命を落とさずに済んだのですよ?」

 

「傷つけられる事に変わりないではありませぬか。人間共に害される事を、白犬の獣より生じた私が黙ってみていろと? 人間に肩入れされる姉君には分かりますまい、あの子達の無念が! 何故こんな目に遭わねばならんのだという心が」

 

「だからといって、私達が彼らに手を出していい事にはなりません。人の子にとって、あれは営みの一つなのですから。それに私とて、(ぎょく)を求めて我が身を削る人の子達の行為に思わぬところがないわけではないのですよ」

 

木の影からこそっと顔を出して見れば。

 

白い犬の姿である犬神様と、どう見ても天女のコスプレのレナさんにしか見えない姉君様。

当時の姉君様がこの御姿(おんすがた)なんだとしたら、レナさんを姉と見なすのも分かる気がします。

 

 

 

そんな事を思っていたら、ふとその姉君様と目があったような気がして。

 

「……おお! ヨシノではありませんか!」

 

「ええっ!?」

 

 

 

今度はいつものレナさんの様なトーンで話しかけられた――こんな急に!?

気配もさっきまでの神々しい感じがなくなっています。姿かたち服装は変わってないのに。

とにかくこちらも確認を。

 

「本当にレナさんなんですか!? 無事だったんですね!」

 

「無事……? わたしに何かあったのですか? というか、なぜヨシノがわたしの夢でお話を?」

 

レナさんは外の状況も知らなければ、今まで夢の中でも特に危険な状況になっていない?

話す時間はあるでしょうか。とりあえず説明させてもらいましょう。

 

「ええっと……レナさんのご相談に乗る形で深羽さんがレナさんの夢に入られて、そのままお二人とも目が覚められなくなっているんです。お二人を起こすために私と茉子、有地さん、不来方さん、ムラサメ様がレナさんと深羽さんの夢に入られています」

 

「そんな事に!? それは何と申し訳ない事をと言いますか……ミウさんはご無事なのですか!?」

 

『あの夜泉子が簡単にくたばるはずもありませぬ。夜泉の匪すら抉じ開けるバケモノですぞ』

 

「っ!? 犬神様も……()の犬神様なんですか?」

 

『一度堕ちたとはいえ我も神の端くれ、今も昔もありはしない。姉君の器は御身を宿している、故に常世にも馴染む。異物は貴様だけだ、朝武芳乃』

 

レナさんの姿をした姉君様だけでなく、犬神様も現世の記憶があるみたいですね。

 

こちらの二柱は元々この時代の存在、あるいはこの時代のものを身につけている。

だけど私だけは非関係者だから世界観が分かっていない感じ、なのかしら?

この状況だと、今もしっかり持っている射影機がより異物に見えてきます。

 

とにかく現状を確認しよう。

 

「レナさんはこれまでこちらで何を?」

 

「今のこの人の目線に合った形で世界を見ていた感じですね。ほとんどは遠目から観察している感じで、思う所はありつつもそれが人の世か~みたいな感じでした……けど」

 

「けど?」

 

「山の中の沢の近くで、サムライブレードの練習をされている男の人がいるのですけど。最近はその人を見ている事が結構多かったですね。その人がマサオミに結構似てるのですよ!」

 

この頃は鎌倉近辺の時代なんですよね? 鞍馬家関連のお話は戦国の世のはず。

なのに、有地さんに似た人が?

 

『姉君がこの夢を貴様に見せているという事は、「理解しろ」という事だ。黙って成り行きを見届けろ』

 

相変わらず言葉足らずの神様ですね……一体何を理解しろと?

なんにしても今私が出来る事はなさそう。今の様子を見守るしかないですか。

 

 

ザザッ

 

 

またノイズが走った。場面が切り替わる。

ここは……。

 

「……今とほとんど変わらないんですね。あそこの沢ですか」

 

「みんなで遊んだ場所でありますね。ここを見ると、本当に穂織なんだと実感できます」

 

『…………あの罪人め』

 

私とレナさんが現実と照合している中、犬神様からは重い声が。

 

 

 

目線の先、50メートルくらい離れた所で一心不乱に刀を振るわれる男性。

たしかにお顔立ちは有地さんに似てる。もう少しワイルドで、背を低くした感じですか。

すごい身体、マッチョとは言わずとも筋肉ムキムキですね。この頃の武士というのは皆さんこういったお身体だったんでしょうか。服装はなんだか最初の怨霊を思わせるボロボロの布ですが。

 

持っているのは木刀。竹刀は戦国時代以降に開発されたんでしたっけ。

それをブレずに延々と振っている。凄まじい集中力と体力が僅かな時間からでも感じ取れます。

 

その男の人を、私よりも何か感情を含んだ感じで見つめられるレナさん……? いや、これは。

 

 

 

(それがし)に何か御用でございましょうか?」

 

 

 

「……っ!?」

 

男性が木刀を振るう腕を止め、こちらを向かれて声を掛けられた。

私たちが見えている、わけじゃないんですよね? 少なくとも私のはずがない。

後ろにいる犬神様は完全不干渉のご様子、恐らく犬神様も関係がない。

 

反応したのはレナさん……姉君様が姿を隠そうとするように身体を少し動かされる。

何だか虚無僧(こむそう)が被られている編み笠がダブって見えますね。これが本来の状況ですか。

 

「毎回こうなのですよ。あの男の人に話しかけられると隠れてしまうのです……おおぅ?」

 

今度はレナさんの意識なんですか? ややこしいですね……。

ですが今回は諦められたのか、思う所があるのか、表に出られました。

 

「いつもいつもこのような場所で……飽きずに何をなさっているのですか?」

 

「剣術の稽古にございます」

 

「それは見れば分かります。何故剣術の稽古をしているのかと聞いているのです」

 

何だかムッとしているような姉君様の声ですね。

それに対して、有地さんより少し声の渋い武士だろう男性は淡々と返事をされる。

 

「某は清和(せいわ)が白旗を戴くギチュウ殿が郎党(ろうとう)。一度主命が下らば、如何なる時でも(いくさ)働きが出来るようにと鍛錬をしております」

 

 

 

ええっと……。

 

清和が白旗。清和は……清和源氏? 確か御旗(みはた)は白旗なんですよね。

対する平氏が赤旗だから「紅白」で対を成す概念が出来たと勉強した。

ならばギチュウ殿は……まさかあの漢字を当てればいいの? 確かに土地は合うけど。

その郎党なんだから、侍ほど(くらい)は高くないにしても凡そ武士と認められている人。

この男性はかなり強い勢力に仕えている従者という事になりそう。

 

この考えが合っているなら、記録上主君は鎌倉時代を迎える寸前に亡くなっている。

今は平安時代末期という事ですか。なんにしても千年近く前のお話。

 

 

 

「恐れながら、貴女様はやんごとなき家柄の姫君とお見受け致します。(とも)の者も無くこのような山中は……某で宜しければお送り致します故、お帰りになられるべきかと存じまする」

 

あの武士の男性から今のレナさんが実際にどのような姿に見えているかは分からないけれど、少なくとも高貴な出身の姿には見えるようです。

この時代のそんな人が、一人で山の中に入るなんてあり得ない事。申し出も当然と言えそう。

 

「結構」

 

それを、レナさんの姿をした姉君様はプイッとした感じで断られる。

 

『何故そこでつまらぬ意地を張られるのですか……』

 

思わず犬神様からツッコミが入った。神様的にもそれが普通だろ、と。

 

「日がな一日、一人黙々と鍛錬する様な剛の者がいるのです。危険などありますか?」

 

「某が鍛錬を続けるのは未熟な身の上なればこそ」

 

素人目にも玄十郎さん並みに強そうですが……実際に命のやり取りをされている時代の方。

常に鍛え続けなければ戦場に立てないのは本当の事なのでしょう。

 

その言葉を返されても動かない姉君様をよそに、男性は再び木刀を握られはするものの。

 

「……姫君、本当にお帰りになられないおつもりですか?」

 

「見ていると心が揺らぎますか?」

 

「いや……いえ。ですが、お気を付け下さいませ」

 

その言葉を最後に男性は鍛錬に戻られて、姉君様も動かれる事はなかった。

 

 

 

つまりこれが……昼間に深紅さんから伺った、山の娘と人の悲恋の始まり、なんですか。

 

 

 

『全く……私に子達へ手を出すなと言っておきながら、ご自分は直接あの罪人と言葉を交わされるなど。何を考えておられるのか』

 

「それは姉君様も思っているようですね。なんでここまで心を引き付けられるんだろうと思っているようです」

 

「レナさんは姉君様のお気持ちが分かるんですか?」

 

「なんとなくですよ? でも、ある程度はそうみたいです」

 

姉君様の御心が分からない今の状況で、レナさんの体質は重要なキーになりそう。

そして、あの郎党の男性こそが本当の「罪人(つみびと)」。つまり鞍馬家のご先祖様ですか。

 

……あれ? でも鞍馬家の主君は朝武家なわけで、鞍馬を名乗るのは戦国時代のはずで。

 

 

ザザッ

 

 

場面が変わった。少し季節が巡ったでしょうか? 一旦頭を切り替えましょう。

相変わらず、あの男性は鍛錬を続けていて姉君様はそっと見守られている。

 

そんな中。

 

「貴方が……戦に出ると?」

 

「然り。この地を脅かす賊を討たれる事、我が主から出陣の命が下されますれば」

 

戦争……とまではいかなさそうですけれど、明らかに真っ当な武士の装備を持っているようには思えない。当時の賊と言えば野武士、相手は主君がいないとはいえ戦士には違いないですよね。

この時代の人達は皆生きるのに必死。だからこの男性と同じように皆鍛錬している。

 

そんな戦地に赴こうものなら。

 

 

ブーーーーーーン

 

 

まさかこんなタイミングで耳にするだなんて。

 

「ヨシノ? どうかしたのですか?」

 

男性とお話されていた姉君様兼レナさんがこちらを向かれる。

レナさんも私と一緒でシーンが飛んでいた? それともここまでリアルタイムに?

これ、途中で口を挟んでいいんでしょうか?

 

「……射影機から、呼び戻しの音が聞こえてくるんですよ。多分ここで撮影すると何かを見る事になります」

 

「ミウさんから聞いた『霊視(れいし)』というのでありますか? すごいんですね、シャエイキというのは。霊○弾(ショッ○ガン)を撃てるだけでもビックリですのに」

 

隠されていたものが見えるのか、あるいは過去視か、それとも霊関係なのか。纏めて霊視と。

とにかく、目で見えていないものが写されるのは確実でしょう。

 

思わず、後ろに居る犬神様の方を向く。

 

『自身で選べ』

 

短くそう帰って来た。つまり「ダメ」ではないけど、必須でもない。

ここは姉君様の記憶と言える世界。神の世界での行動が許されているなら、撮る意味もあるでしょう。なんだか夢自体も止まっているかのような。

 

 

 

射影機を構える。一体これは何処に反応しているんでしょう?

周辺をぐるりとファインダーに収め……

 

「えっ?」

 

「ヨシノ?」

 

射影機が反応したのは、まさかのあの男性。彼が何かをお持ちなんでしょうか。

まさかの対象ではありますけど……撮ってこっちに気付くとかないですよね?

角度は今のままでよさそう。フィルムをちゃんと〇七式にしてっと。

 

 

バシャッ

 

 

「!!?? げほっげほっ!」

 

「ヨシノ!? 大丈夫でありますか!?」

 

『ひ弱な頭だ』

 

夢の中だというのに、胃液が喉の寸前までせりあがる。

 

ファインダーに写されていた男性は……ダメだ。思い出したら私が壊れる。

これは姉君様がご覧になっている景色? 未来の光景という事ですか?

それは心配するはずです。あんなものがお見えになっていたというのなら。

 

射影機はこんなものまで写しだすんですか。ありえないものには違いありませんけど。

 

「ご心配には及びませぬ。賊共を蹴散らせば姫君も心安く暮らせましょうぞ」

 

淡々と男性は語られる。どんな結末だったとしてもそれが当然とでもいうように。

このまま戦地に赴けば、訪れる未来は恐らく先ほどの光景。それを姉君様は理解している。

 

だから――

 

「……少し、ここでお待ちいただけませんか?」

 

「構いませぬが……?」

 

「…………ええっ!? 一体何を!? 死んでしまいますよ!?」

 

姉君様の考えを知っているレナさんが、今度はパニックになったような状態に。

でも、もう私にはその先の予想がついている。

 

 

 

神が自らの意志を以て、直接人の世界に干渉するする事は許されない。

けれど神の力を下賜し、それを与えられた人間がどう使うかは人の営みの結果でしかない。

姉君様のお身体は……骨は鉄でできている。有地さんのご先祖様は罪人と呼ばれる。

 

出された結論は。

 

 

 

『……まこと、愚かな事を』

 

犬神様が、哀しそうにそう呟かれた――直後。

 

「…………ぐぅ」「あわあわあわ! 何をしているのですか!?」

 

木陰に隠れた姉君様は、自らの胸を貫手で刺し貫かれ……肋骨を引き抜かれた。

本来凄惨な光景であるはずだけれど、不思議とそうは思わなかった。魅かれるものすらある。

さっき見た「ありえないもの」がショッキング過ぎたのかもしれない。

 

 

 

抜かれた骨は、刀の形をしていた。

 

 

 

鍔の形に見覚えがある。だけど……多分私がよく知っている物より少し大きい?

この時代の刀は「太刀」なんでしたか。だけど、現代の姿は……。

 

何事もなかったかのように、姉君様は木陰から男性の下に向かい。

 

「これをお持ちなさい、私の護身用の剣です。数打ちのナマクラよりはマシでしょう」

 

それを男性に手渡そうとする。

 

「なっ……このようなお品物、某が受け取るわけには!」

 

「何故ですか?」

 

意に介していないように、姉君様は平然と言葉を返される。

 

「やせ我慢にも程があるでしょう!?」

 

途中でレナさんの言葉が挟まれるとコミカルなんですが、実際の心の内が分かる。

神様にとってすら、相当な痛みを伴う行為なんですよね。

 

「一介の郎党に過ぎぬ某にすら逸品と分かりまする! かような物を某が頂くなど」

 

「差し上げると言いましたか? 勘違いなさらぬ様、貸すだけです。未熟者なのであれば、せめて得物くらい真っ当でなければ直ぐに討たれてしまうでしょう? 但し……必ず返しに戻りなさい」

 

必ず生きて戻れ、と。神の力を与えてまでもそれを願われたんですか。

そうでもしなければ、あの未来を回避できないと。

 

 

 

武器を与えられた男性は、手渡された太刀の刀身を見つめられる。

そして、意を決したように顔を上げられた。

 

 

 

「――無礼を承知で申し上げまする。姫君、貴女様の御名(みな)をお伺いしても?」

 

『本当に無礼極まりない。我がこの場に居たら噛み砕いてやったものを』

 

当時の女性の本名はほとんど後世に残っていない。精々誰々の女とか娘とか、有名な人でもペンネーム程度なんですよね。歴史を動かした、真に高貴な血筋しか表に知られていない。

何故なら、この時代は夫となる人以外に本名を教えないのが通例だから。

 

無論この男性もそれは分かっている。女性に、それも目上に尋ねる事が如何に無礼か。

神である姉君様もその慣習を理解している。つまり、この時既に心は――

 

 

 

 お  むらくも め、と」

 

 

 

「えっ?」

 

何? 今の不自然に飛んだ音は。多分姉君様の名が出たのよね?

これが「名を失われた」という事?

 

「ありがとうございまする……こちらの剣に、銘はございますか?」

 

「ありません。言ったでしょう? 私の護身用程度のものですから。貴方が名付けても構いませんよ。そんなはずないじゃないですかぁ……」

 

淡々と語られる姉君様の声の後に、泣きそうになっているレナさんの声が続く。

自らの身を削ってまで贈ったものが、そんなに軽いわけがないですよね。

 

「この剣からは、まるで姫君ご自身のような気配を感じられまする」

 

「…………そう、ですか」

 

「故に貴女様の名に因んで、むらくもより生じたもの――「叢雨(むらさめ)」と名付けとうござりまする。お許し頂けますか?」

 

「……好きになさい」

 

その言葉を最後に、姉君様はその場を立ち去られた。

しかもレナさんと別れましたね。

 

 

 

姉君様の名は私には聞こえなかった。だけどヒントは十分にもらえた。

 

姉君様から有地さんに似たお侍さんに送られた太刀は、やっぱり未来の「叢雨丸」なんだ。

最初はあの姿だった。銘の由来は神の名にあったと。まさか人が名付けていたとは。

 

叢雨が何から生じるか、すなわち雲。つまり姉君様の御名は――

 

 

 

「…………叢雲(むらくも)、様?」

 

 

 

途端に全身に力が漲り、一気に視界が広がり、感覚が研ぎ澄まされていく。

これは?

 

『漸くとは罰当たりにも程がある。姉君もお優しすぎるのではないですか』

 

犬神様が不貞腐れるかのように呟かれる。お名前は間違っていなさそう。

 

「行ってしまいましたね……ヨシノは何かあったんですか? なんだかさっきまでとは少し違う感じがしますが」

 

「姉君様の名を理解したら、なんだか力が漲るような感じになったんですけど……」

 

『それが貴様に与えられた姉君の加護の本来の御力だ。貴様から姉君への信仰の形が正しく成った事で、馴染んだのだと思え。無礼な真似はするなよ?』

 

今まで「穂織の土地神様」「山の神の娘」という漠然とした認識だったのが明確になった事で、使わせて頂ける加護の御力が本当の形に戻ったわけですか。

これほどの御力を分けて頂いていたなんて。

 

この場面に私が居る理由は、失われた姉君様の御名を理解する事だったのかしら。

直接知らされるのではなく、ヒントありきとはいえ自分から辿りつくなら問題ないわけですね。

 

 

ザザッ

 

 

また景色が変わった。

加護の力が発揮されているおかげか、かなり遠い距離でもはっきりと見る事が出来る。

 

あの郎党の男性だ。身なりが良くなっているし、住んでいる建物も結構立派。

正式に武士になったの? その傍には女の人が――えっ?

 

「小春さん!?」

 

「上司の方はリーダーさんの従兄弟らしくて、その人の娘さんだそうですよ。あれから頑張られ続けて、お見合い話を頂いたんです。本心は姉君様に向いていたようなんですけど……」

 

「後から拒絶なされる形を取られて傷つかれるなら、何故最初からお止めにならなかったのですか?」

 

「不思議ね……自ら拒んで、あの男の在り方は元の形に戻って、何故か以前より心穏やかにいられる。貴方も愛する存在を成せば分かるわ、コマ」

 

いつの間にか、レナさんは再び姉君様に。犬神様も当時の御心境ですか。

私だけ時系列が飛んだみたいですね。

 

この時代、上からの縁談なんて断れるわけがない。主君の血縁だなんて尚更。

それを知ってか知らずか、姉君様も男性を拒絶した――自分の心を殺して。

 

 

 

これが……人と山の娘の、悲恋の真実、ですか。

 

 

 

「しかしビックリですね。大昔にマサオミとコハルのそっくりさんが結婚していたとは」

 

「そうですね。つまりあのお二人が鞍馬家の祖先なんでしょうか?」

 

と口にしつつ。

 

 

 

確か鞍馬の名の由来は、戦国時代に朝武家から褒賞として渡された刀「法眼丸」。

つまりはまだ鞍馬姓にならないはずで、でも褒賞の理由になっている叢雨丸をお持ちで。

今は平安末期なんでしょうけど、それを戦国時代まで守られた上で朝武に?

 

更にもう一つ。

この悲恋の結末。深紅さんと鏡宮さんが聞き集めて下さったお話。

経緯はいくつかあるようでしたけど、その結末は一致して――

 

 

 

ザザッ

 

 

景色がまた飛んだ。

ただ……あまり芳しくない状況のようですね。

 

「まだ生まれぬというのか。このままでは……」

 

「だい、じょう、ぶ。きっと、げんきな、こが……」

 

「手を放すでないぞ。必ず、必ずや何とかしてみせる」

 

小春さんに似たお姫様が、お腹を抱えて息を切らしている。

理由は想像に難くないですね――赤ちゃんが生まれてこないんだ。

 

親になるどころかお付き合いすらした事のないこの身ですけど、出産が非常に辛いものであるという事は本能的に理解できている。文字通り命懸けなのだと。

 

「……人の身で、黄泉の呼び声を払えるつもりですか」

 

レナさんの口調が姉君様に戻った。

その顔は厳しそうに、少し寂しそうに、そして決意されたかのように。

 

「どういう事ですか?」

 

「コハルの赤ちゃんは逆子(さかご)らしいんですけど……死神様に見初められているせいなんだそうです。だから普通の方法では助けられないみたいで――黄泉への鎖を断ち切れば、子も生まれましょう」

 

「姉君! お止めください! 何を言っておられるのか分かっているのですか!? 魑魅魍魎(すだまみずは)の類に手を出されるなど!」

 

ああ、これが悲恋の果てだったのか。

 

 

 

七つまでは神の子、なんて言葉がある。

昔は本当に出生率が低くて、七歳まで生きてくれる子も少なかった。

そのくらい「あちら側」に近い存在であり、即ち人となれるのは七歳を過ぎてからだと。

七歳までは、いつ神の(もと)に行ってしまうか分からない儚い存在なのだと。

 

この言葉が本当かどうかなんて分からない。

だけど、あのお腹の子は本当に「黄泉の神の子」となってしまっている。

 

助かる唯一の術は、神の言葉を伝える事。神としての介入、つまりは事実上の略奪。

「黄泉の神」だなんて最高神の母にあたる存在もいるくらい。極めて高位なはず。

 

そんな存在の邪魔をすればどうなるか。加えて現世への関与、神の理を侵す事。

 

 

 

これが……罰、という事だったんですか。

 

 

 

『何故、姉君がそのような道を選ばねばならなかったのか』

 

犬神様から悲しみに満ちた言葉が漏れた。これは今の犬神様の言葉なんでしょうか。

 

 

 

「白山狛男神」

 

「……っ」

 

姉君様が初めて犬神様を真名(まな)で呼んだ。

その声は少し厳しく、だけどとてもやさしく、満ち足りたような笑顔で。

 

「貴方には心配ばかりかけてしまったわね」

 

『もう……お止め下さい。姉君……』

 

これは今の犬神様だ。もう止められないんですね。

 

 

 

「貴方もいつか誰かを好きになったら、きっとわかるわ」

 

 

 

その一言を最後に、姉君様の姿は今のレナさんの姿になった――御隠れになってしまった。

足元には、方解石の球体。玉石……叢雲様の御神体。

そしてレナさんは泣き崩れてしまった。

 

『おいたわしや、姉君…………理解したか? 朝武芳乃。貴様らの愚行の一部を』

 

「…………はい」

 

 

つまりあの時生まれた赤子は、鞍馬ではなくて朝武()の一族の始まり。

姉君様……叢雲様は、朝武を生かすために身を裂かれ、名さえ失われ。

 

『姉君は貴様らの血を生かすと決められた。その御心は、我が忘れぬ限り那由多(なゆた)の彼方に消える事はない。故に我が名代(みょうだい)を遂行したのだ』

 

「そのご加護を私は頂いていて……今になるまで、感謝の一つも正しく出来ていなかったんですね」

 

それでも、私達を守って下さっていた。

 

『貴様らの血から、姉君の力を色濃く継ぐ者が現れるのではないかという望みもあった。まさか御身の欠片と共に彼方の地に移られるとは思わなかったが』

 

「それが……あなたがわたしを「姉」と呼ぶ理由だったんですね」

 

レナさんも落ち着かれたみたい。しゃがまれたまま、玉石を見つめられている。

今まで見る事が叶なっていない、玉石の完全な御姿。

 

なんとしても、この形にお戻ししなければならないですね。

 

「マサオミとコハルが、ヨシノたちのご先祖様だったんですね。じゃあ……あれ?」

 

レナさんの仰りたい事は分かる。順番が逆ってお話ですね。

 

「多分ですけど……後に朝武から分かれた、平民にもなられた分家がいくつもいらっしゃって、その一つが「鞍馬」を名乗る事になったんだと思います」

 

「わたしの大々おばあちゃんもトモタケじゃありませんでしたからね。そういう事でしたか」

 

あくまでお顔立ちから想像するしかありませんが、多分そういう事ですよね。

 

 

 

『あの罪人の魂が、せめて姉君への感謝を正しく守っていたならば。あのような事も起こらなかったのだ』

 

 

 

静かな怒りの感情を宿された犬神様が、静かにそう仰られて玉石を咥えられる。

 

私が叢雲様の加護を継いでいる経緯は分かりましたけど……多分有地さんもずっと昔は私と同じ血筋なんですよね? つまりは私と同じく加護をお持ちでもおかしくない。

魂が朝武の始祖に近いものであり、それが犬神様にとって怒りの対象であっても守られ続けてきた……はずの末裔であるわけで。

 

私たち巫女姫が山に入った時に攻撃を受けていたのは()()()()()()()()()()()で、祟り神と化されて尚守られる立場にあった。事実、祟り神に殺された巫女姫はいない。全員が呪詛によるもの。

 

一方で有地さんは、犬神様の意識が戻った際明確に殺意を向けられていた。

玉石の保有者、叢雨丸の使い手、姉に愛されつつも死の遠因になった魂に近しいなど、私よりも有地さんには要素が多いですが。叢雲様の想いを破ってまで襲おうと?

 

それに加えて、「巫女姫は銀髪」の話がここまで全くない。そも巫女姫がまだ居ない。

 

経緯や叢雨丸の件はありますが――犬神様のお話も含め、この後一体何が?




平安時代はこのお話だけです。
ちょっとだけ要素を加えていますが、特に弄れないんですよね……。
芳乃がここに居る時点で十分原作とズレていますが。

真面目に調べたんですが、この設定の限り穂織って信濃辺り前提なんですかね?
ギチュウという言い方も、そういう名のお寺があるそうで。
ちなみに「朝武(ともたけ)」という姓は、関東周辺の結構珍しい苗字だそうですよ。

次も引き続き過去編です。ここから大半はオリジナルになるのかな?
想像の倍くらい長くなりました。

次回も楽しんでいただけたら嬉しいです。
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