零 ~イヌツキの少女達~   作:もふもふたぬきねこ

83 / 86
82. 「愛」なる感情

 

 

 

「昨日の気配でも十分すごかったけど、ここまでとは思わなかったよ。常世の影響の実態である『散曄』がこういうものだったとは」

 

「ワシは穂織が怨霊塗れになるのかと思っておりましたが……文字通り、規模が違うようですな」

 

「単に霧に包まれてる……だけじゃないよね……」

 

「不来方達の道具や芳乃の射影機で祓えておる以上、現世の物ではないだろう。これが市井にどう影響を与えておるかだの。民達への干渉が気になる」

 

「ワタシ達も獣耳こそ出ていますけど、怨霊は目撃していませんからね」

 

「今まで居ないのが普通だったのにね……」

 

 

 

神楽殿にて待つ事30分。時刻は朝6時。

既に日が昇ってきているはずだけど、明るさが変わった気がしない。

こちらに変化はなし。それがいいのか悪いのか。

 

 

 

「芳乃達が戦国で見た散曄とは違うのかい?」

 

「あの時は霧……というよりは薄暗い靄みたいだったわ。煙に覆われたみたいに、太陽の輪郭が簡単に見えて。住民の方々はあちら側に「あてられた」感じだった。射影機で祓う事は出来たんだけど」

 

「隣国の兵もあてられていましたね。こちらでの最初のマヨイガに入った時の山、及び最後に戦国の山に入った時がこれに近い状況でした。白山狛男神様が黄泉の瘴気は吸って下さったようですが、霧は残りましたね。終息したのは恐らく叢雨丸を刺した後かと」

 

「その神様って……出て来てくれたりしないんでしょうか?」

 

「今巫女姫様と常陸さんに出ておられる耳が、正に神様の証だ。安心しなさい小春、こちらを見て頂いておる」

 

神格を取り戻した事で、今まで以上に表に出にくくなったとは聞いています。現世では特に。でも今の環境だとどうなんでしょう。

 

 

 

「あーやっと着いた」

 

 

 

外から声が聞こえ、小さな火と電気的な灯りで霧が照らされ、人影が見えた。

いらっしゃいましたね。電気の灯りは不来方さんのマウンテンバイクの前照灯かな。よかった。

 

「深羽さん、みなさ、ん、も……?」

 

「……一体どういう事なんでしょう?」

 

「私達側も確認を取りたい心持なんです……」

 

 

 

喫茶・こずかたに泊まられていたらしい6人全員いた。

そこはとても安心できた。

 

問題だったのは。

 

 

 

「私もまさか、この歳になって犬耳付ける事になるなんて、って所よ。誰かのお人形になるのは辞めたってのに」

 

 

 

深羽さんにも、獣耳が生えてる。

こう言ってはなんだけど、すごく似合ってる。

 

 

 

「えっと……何処からお話をしたらよろしいでしょう?」

 

「まずはこちらが知る穂織の状況を共有しましょう」

 

皆さんも神楽殿に入っていただいて。お父さんから話を切りだし放生さんが返される。

 

「恐らくですけど……私達を除いて、住民の方が何処にも居ません」

 

「霧を警戒して、表に出て来ていらっしゃらない……という事は?」

 

「ここに来る前に、田心屋と駒川先生の診療所にも寄ったのよ。だけど」

 

「お父さんも、お母さんも……誰も居ませんでした」

 

既に見て回っていただいていましたか……。

馬庭さんのご確認内容は重い。ご両親がいらっしゃらないだなんて。

 

「じゃあ……もうここは、あの世、なの? 廉兄も……きえちゃったの?」

 

「そうとも言えますけど、飲み込まれたわけではないのだと」

 

深紅さんは様々な体験をされているはず。どれかに該当する例が?

 

「深紅さんから伺ったお話と私達の経験をまとめた限り、現世の穂織は別にあるのだと。恐らくそちらではいつもの穂織の生活が営まれている――建実神社はムラサメさんのお身体を除いて無人だと思われますが。隠世の要素だけこちらに切り離されている、とでもお考え下さい」

 

「成程、戦国で吾輩が芳乃と茉子に会った時の状態に近いな。現世と常世が、重なってはおるが独立しておる感じか」

 

「ですが……何故私共だけがこちら側に? しかも混じる形でなく独立しておるのでしょう?」

 

「多分ですけど、ソレと、コレのせいですよ」

 

深羽さんが指を指されたのは、私が手に持っている射影機と、自身に生えている獣耳。

 

「私の経験則でしかありませんが。隠世からの侵蝕というのは、本来はこうハッキリと分かれる物ではないと思います」

 

「深紅さんのご経験では、どちらに居るのか分からなかったと?」

 

「少しは明確でしょうか。怜さんの家が眠りの家に取り込まれ始めた時、家の中を怨霊が出歩くようにはなりましたけど……私と怜さんはそこから更に夢を見ていますし、私も調査で外との行き来は可能で。侵蝕が進んだ状態でも、螢さんは外からいらっしゃいました。現世との繋がりはまだあったんです」

 

「密花の店も同じだろう。あの晩は怨霊が千客万来だったが、夜が明けてから外に出たら日常だった。徐々に染まるという表現が正しい」

 

「けどそうなると、現実の穂織は昨日より酷い状況が表向きに分かるようになるでしょ? 下手をすると怨霊の影響も受け始める。瘴気の発生を抑える事は出来ないから、現世と重なる形で瘴気に満たされた隠世を生じさせて、帳尻を合わせたんだと思うわ。目印の近くにいる人間だけこちらに巻き込む形で」

 

目印……射影機、ですか。

 

深紅さんの祖母である雛咲美琴さんは、射影機を持っていたから完全には常世に巻き込まれずに済んだ。今回は逆で、射影機があったから常世に巻き込まれたという感じ、なんでしょうか。

 

にしても……。

 

「そんな事を、誰がどうやって?」

 

「それは本人……と言っていいやら。ア(・)イ(・)ツ(・)に聞くとしましょう。夕莉さん、出来そうです?」

 

「やるだけやってみます。芳乃さんと常陸さん、それからムラサメ様。深羽さんの傍に」

 

不来方さんのご指示で、深羽さんの傍に。

当の不来方さんはこちらに射影機を構えられる――という事は。

 

 

パシャッ

 

 

 

 

 

 

『――まさか穢れそのものが個(己)を持つとはな。流石は夜泉の子よ』 

 

 

 

 

 

 

神楽殿の出口側を向いていた私たちの背中側、殺生石の方から最近聞きなれた声。

 

振りむいた先には、白い身体に戻った犬神――白山狛男神様。

現世、というか現代でこの姿を見るのは初めてですね。

 

「……貴方様が」

 

「この地の、穂織の御神の一柱であられますか」

 

「「おっきい……」」

 

お父さんと玄十郎さんは、犬型の姿を見るのすら初めて。ビックリよね。

それでも落ち着いてる。普通は馬庭さんと小春さんみたいな反応になりそうだけど。

 

「神の姿をも呼び戻せるとはな。麻生博士もとんでもない物を作ったもんだ」

 

「夕莉さん、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫です。私はこの方が堕ちる現場を、既に直接看取っていますから」

 

「夜泉子と呼ぶのはやめろと言ったはずよね? 犬。話してもらうわよ」

 

『貴様を呼称するには雛咲深羽という人間の名より、夜泉子という在り方が正しいだけの事。此度をしくじれば、姉君の御身が戻る事は永劫叶わん。我が名も失われよう。そこの人間共の信仰の駄賃として語ってやる』

 

お父さんと玄十郎さんは、正しく穂織の神様を信仰されていた第一人者。その心に免じて、という所ですか……その辺に思考を回すのは後ですね。

 

 

 

まずは。

 

 

 

「レナさんが何処に行かれたか、ご存じですか?」

 

『門へ向かっている』

 

最悪の答えが返ってきた。なんで一人で……。

 

『御身は引かれ合う。器に宿った姉君の玉石は未だ揃わず。分け身を探し求められる中、変化に気付かれた』

 

「変化……残った欠片は有地さんの魂と、バカ父上の骨の口の中。あり得そうなのは、それが一つに戻ったという所でしょうか?」

 

『罪人の魂は縁ゆえに姉君の御力を受け入れられた。が、器の容量は白児の貴様や朝武芳乃ほど広くない。姉君の分け身が合わされば、より常世の影響を受ける。その上に芽吹きおったあの愚物の呪詛も合わされば、有地将臣という個体の崩壊まで時がない。故に姉君はその下へ向かわれた』

 

「……確かにご主人に神力を与えた際は、3日も目覚めぬほど負担が大きかった。その神力は、本来吾輩が永久花としてあり続けるために授けて頂いていた御力の一部でしかない。それよりも遥かに多くの御力を、今代ではあくまで一般人でしかないご主人が受けてしまえば……」

 

「まー坊の、心が……壊れる?」

 

多分その程度じゃ済まない。

 

 

 

私ですら、御身を預かっていない身にもかかわらず死を残り4回避けられるほどの御力。叢雲様の器と呼ばれるほど相性のいいレナさん以外の人が、神の御身なんてものをいくつも宿そうものなら……。

 

 

 

「人間も八百万の神々より真名を頂いている身。言わば、僕達も最下級の神と見なす事が出来る。即ち将臣君の行いは、意図せずだけど神の理を侵している状況に近い」

 

「つまり叢雲様と同じく、真名を……魂すら失われる?」

 

「魂を失うって……お兄ちゃんは、どうなるんですか?」

 

『全ての世から名が消える。姉君の一件で学んだであろう? 貴様らに加護を与え、この地を御守りになられている姉君ですら御隠れになられて、その御名は貴様らの記憶と記録からほぼ消えた。残られていたのは……姉弟の片割れである我が信仰していた影響などの偶然が重なった結果』

 

「神ですら、世の理には逆らえぬ。叢雲様の一件は姉弟神であったが故の奇跡。その奇跡が有ってですら、吾輩達は一度御名を忘れた」

 

『故に人間の名など過去から未来まで永劫失われ、その魂は個を持たねば輪廻にも戻るまい。如何なる存在からも認知されぬ塵になろう』

 

神が御隠れになられるのは、「名を失われる」事。

それが人に起きればどうなるか。

 

有地さんは名を失い、個を失い、私たちの記憶から消え、過去の記録からも消え、未来に何かが残る事もなく。その魂は、ただ存在するだけで誰からも認知されない永久の孤独という罰を与えられる。

 

レナさんは玉石のほとんどを身に宿された状態。だから残りの欠片の状態を把握され、有地さんの下へ向かわれたんですか。恐らくほぼ叢雲様の状態で。だからこそ茉子すら気づけなかった。

 

 

 

有地さんの存在を……彼(か)の男性の魂を護る為に。

 

 

 

『レナ・リヒテナウアーという器の中で、姉君の意識は目覚められつつある。だがあの器に宿ったまま完全に目覚められれば、それは受肉。現世における姉君の御姿は玉石、さすれば心はあれどお言葉を持てぬ存在に成り果てる。故に常世の影響を強く受けたもののみで構築した穂織を、我が力で写した』

 

深羽さんの予想通りですね。鏡の国みたい。

 

『散曄によって常世に呑まれつつある穂織の要素のみであれば、一時現世から離れても理には触れぬ。直接手は出せぬが、貴様らが望んだ事で顕現も語る事も可能。隠し通すにも維持するにも限度があるが』

 

「芳乃様のお話では、レナさんは平安時代に叢雲様と共存できていた、という事でしたね? つまり常世で叢雲様が目覚められる分には、レナさんも叢雲様も同時に存在出来るわけですか」

 

「こちらの……隠世と化した穂織を、犬神様が維持できるお時間は?」

 

『逢魔ヶ時、次の常世の刻が訪れるまで』

 

残り、およそ半日。

 

『その時は現世に戻して我が去った穂織で常世からの侵蝕を待つか、常世の要素を完全に切り離して全ての魂を失った穂織の地を残すか。不来方夕莉ほどの濡鴉ノ巫女ならば、穂織の人間の数程度の看取りは一人で行えよう。選ばせてやる』

 

神は常世の存在、人間と違って実体は人とは異なる。

叢雲様なら穂織であり玉石。あり得てはならない受肉によって叢雲様がレナさんを憑代に本当に現世の存在になってしまえば、レナさんの御姿をした神ではなく文字通りの玉石と化すわけですか。それは止めにも入るはずです。

 

そして。

 

現世に戻されれば、それは黄泉の門を閉じるのに失敗したケースがそのまま起きる。散曄によって穂織は瘴気に沈み、戦国の時より酷い事になる。

 

常世の要素を全て切り離してしまえば、散曄は起こらないかもしれないけど。自然に宿る八百万の神々の恩恵を全て失い、人も魂を失い、現世には「死んだ穂織」が残る。そして不来方さんは、第二の黒澤逢世さん――看取りを続ける本柱になってしまう。

 

 

 

そんなもの。

 

「それまでに朝武義和を祓い、叢雲様の御身を元に戻し、花守の儀で黄泉の門を閉じればいいんですよね?」

 

どっちも起こさせてたまるものですか。

 

 

 

「元よりその選択肢しか私達は選ばないわよね。そっちは大体分かった――で、コレは何でなの?」

 

今度は深羽さんが自身の獣耳を指さす。こんな状況で何だけど、やっぱりとてもよく似合う。

 

『常世の日上山にて貴様の中に捨てた穢れ、それが夜泉に触れて己(おのれ)を成した。穢れそのものには個性がない。己を成したのは貴様らが「犬神と呼ぶ要素」のみ。雛咲深羽は現世の存在だが、夜泉子は凡そ黄泉の存在。故に常世の要素も、常世ならば表に出よう』

 

「うーわ、最悪」

 

「深羽、あなた夢の中で一体何を?」

 

「犬を洗って垂れた泥をトイレに流したのよ。浄化槽で分解できなくて、バクテリアから雑菌の塊に成長して逆流してきたらしいわ。汚いわね」

 

「お主の魂は変幻自在、故に神の姿すら形成されて表に出てきたのか」

 

「深羽さん、その例えはちょっと……」

 

鏡宮さんの感想通りすごい例えだけど、犬神様の説明より分かりやすい。

形は何であれ、流石は神。簡単には消化できなかったようです。

 

とはいえ……流石に深羽さんであっても。

 

 

 

「雑菌から病は全身に回り、やがて私も犬神モドキになる感じか。何かに使えればいいんだけど」

 

「深羽から、あなたの呪詛を取り除く方法は無いんですか?」

 

『娘に貴様自身の拘束を解かせるといい。さすれば貴様は柊(ひいらぎ)*1として穢れを引継ぎ、涯(はたて)に去るだろう? 雛咲深紅』

 

 

 

 

 

 

『殺す』

 

 

 

 

 

 

猛烈な殺気が神楽殿を支配した。

壮絶なプレッシャーが、暴風のように吹き荒れる。

 

絶対霊は地獄の恐怖そのものだったけど、殺意じゃなかった。

死が近づいてくる感覚はあったけど、生き物の感情を向けられた感じじゃなかった。

 

 

 

「殺してやる」という激情が、私の傍にいた深羽さんだ(・)っ(・)た(・)はずの「ソレ」から発せられている。

 

ヒトカタの、犬神。祟り神。

 

 

 

「っ! 芳乃様! 皆様もお下がりを!!」

 

茉子の目つきが一気に鋭くなる。

戦国の茉莉さんの時と同じソレに――今の茉子だと、とある決断を躊躇なく取りかねない。

 

「だけどっ!」

 

「巻き添えを食いかねません!」

 

言い分は分かるけど、それじゃあ深羽さんが!

 

「これは……一体どうしたら……」

 

「俺や夕莉が撮ったとして、どうにかなるものか……?」

 

「駄目ですよ! この状態の深羽さんに射影機を使ってしまえば、先生達にも深羽さんにも何らかの影響が出ますっ!」

 

手をこまねいている間にも侵蝕は進んでいく。ヒトカタは黒く染まっていく。

でも手を出してしまえば、双方に悪影響が出る可能性は大。

 

どうすれば……

 

 

 

 

 

 

「深羽」

 

 

 

 

 

 

暴風吹き荒れる神楽殿に、何故がはっきりと、静かに響いた。

優しい「母」の言葉が。

 

 

 

犬神と化しつつあった深羽さんを、深紅さんが後ろから抱きしめられる。

そこに恐れは全くなく、愛する子を守る親の暖かい感情だけがあった。

 

 

 

「そんな怖い言葉を使ってはだめよ」

 

『…………』

 

「あなたは優しい子。私の事をいつも考えてくれている、親思いの娘でしょう?」

 

『…………』

 

「大丈夫。もう深羽を置いていったりしないわ。今の私は、兄さんじゃなくて絶対に深羽を選ぶ。心配しないで」

 

『………………おかあ、さん』

 

「うん、お母さんよ。もう何処にも行かないから」

 

『…………ほんとう、に?』

 

「ええ、本当に。ずっと一緒だから。さあ、目を瞑って」

 

『…………うん」

 

 

 

何事でもないように、深紅さんが黒い感情に染まった深羽さんを宥める。

 

風は収まり、プレッシャーは薄れ、徐々に姿が元に戻って。そこには愛娘を抱きしめる母親と、抱きしめられて安心している娘がいただけ。

 

よかった……。

 

 

 

『大したものだな。これが人間の、親と子の「愛」というものか』

 

 

 

意外な事に、犬神様が感心したかのように口を開いた。

とはいえ、言うべき事は言わせてもらいます。平然と済ますものじゃないですよ。

 

「どういうおつもりだったんですか? あんな怒らせるような事を口にして」

 

『何故貴様が怒りを宿す? 朝武芳乃。無関係だろう』

 

「詳細は知りませんけど、親を害させるような言葉を耳にしたら、芳乃様でも深羽さんでなくても子が怒るのは当たり前でしょう?」

 

『問いに対して答えをくれてやっただけだ。それが此度は雛咲深羽の逆鱗に触れ、穢れも方向性を持って形を成そうとしたに過ぎん。が……たったあれだけの言葉で憎悪を慰撫せるか。姉君が仰られた「愛」という感情の力は、確かに我の理解を超えるものらしい』

 

何だか犬神様が「愛」と口にすると変な感じがする。

でも、間違いなく真面目に考えられているようで。

 

「貴方が叢雲様にお持ちの感情は、愛ではないんですか?」

 

『そうであるならば、我は穂織の人間共に祟りなどと呼ばれるモノに堕ちていない。我が子らが持つ親の愛情なら我も理解できる。が……姉君をお慕いする感情で、たとえそれが姉君の願いによるものであっても、己を変質させる怒りや憎しみを捨て去る事など我には出来なかった』

 

「つまり愛があれば、犬神様も別の姿でお残りになったと?」

 

『あの地の瘴気を吸い、首を落とした姿で居続けただけだ。姉君は人間共に身を削られ、自ら骨を引き抜かれても、何一つ変わられなかった。それが答えだ』

 

少々極端な結果の気がしますが……。

でも叢雲様はその通りなんですよね。そして、それを崩したのもまた愛で。

今なら犬神様の「姉君を狂わせた」という言葉の真意が分からなくもない。

 

『荒ぶる感情は高位の神にも宿り、ただ破壊をしつくし、それを鎮めるには只々長き時を要する。現に雛咲深羽は親への愛に則り穢れをも己が物にしようとした……が、雛咲深紅はそれを物ともしなかった。お前達濡鴉ノ巫女が魂を削って看取りに従事したのも、信仰ではなく「愛」によるものか?』

 

「私は濡鴉ノ巫女ではないんですが……どちらでもあって、どちらも違うのかもしれません。あの山の信仰は、ある意味魂を宥めるという人への愛かもしれませんけど……禍津陽に至った最後の一手は、同じく人への愛でしたから」

 

『巫女にも分らぬか。ますます不思議なものだ』

 

逢世さんは……一緒に、生きたかったんですね。

それが最後の未練になったと。愛してしまったが故に。

 

そういえばこの神様、叢雲様にこう言われていましたか――「いつか誰かを好きなったら、きっとわかる」と。そして犬神様自身も「何故姉君が人を守られるのか分からない」と口にしていた。

 

今現在もあくまで叢雲様の名代であり、叢雲様が守っていたからそれに従っているスタンス。

 

『我の言葉一つで、雛咲深羽は親への愛から感情を荒ぶらせ変質すら起こした。雛咲深紅はそれを一切恐れず、愛した。結果、あれほど僅かな言葉だけで強大な怒りは即刻制された。「愛」とはこれほどの変容と許容の力を持つ物なのだろう? 理解を超える』

 

 

 

「愛する」という感情を理解できないとは、こういう事なんでしょうか?

本能的に愛情という概念を知っている私たちには、その感覚は逆に難しいのかもしれない。

あれかな? コンピューターに「愛とはこうですよ」ってキチンと説明できるかどうかかしら。

 

自身の愛情どころか、恋愛すらした事のない私に言語化は難しそうだけど。

 

 

 

『とっとと別に目を向けた方が良いぞ、朝武芳乃。床の染みが増える』

 

「へっ?」

 

「……ああっ!? マズいですよコレ!」

 

「蓮さん! 累さん! 手伝って下さい!」

 

 

 

「小春! 小春、しっかりするんだ! もう済んだ!」

 

「ムラサメ様! 芦花君! ゆっくり! ゆっくり呼吸を!」

 

 

 

元に戻った深羽さんの傍に日上山の皆さんが集まられていた一方、お父さんと玄十郎さんは介抱に必死の状況だった。

 

血の気が引き切って真っ白なお顔で固まっている小春さん。

それよりはマシだろう真っ青なお顔で、過呼吸を起こされ始めている馬庭さん。

そしてお顔は見えないけれど、うつ伏せに倒れてヒクヒク痙攣しているムラサメ様。

 

あっちは良かったけど、こっちが大惨事!

*1:
心痛を引き継ぐために彫られる刺青。かつて深紅や怜、螢は全身を支配され、灰になりかけた




まだ先に進まない……。
下準備は次話までです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。