小さな街の中で彼を写した二枚の赤と青の幻燈です。
白いTシャツ。
白いズボン。
全く同じ色の服に走るたびにしわが増えていくが、暑い日に降る雨が何事も無かったかのように全て消していく。
赤い痣が滲んで痛い。
そのまま街の中に入るのは気が引けるけれど、ここから山の方に行くには結構な距離があったはず。
そもそも何でこんなこと知っているんだ?
ここに来たのはいつの話だ? 何日、何ヶ月、何年前? それとも何分とかそのくらいの単位?
微かに痛む
そもそも自分は誰だ?
俺? 私? どっちが
ただ強いて言うなら、確か透明な何かが俺と私を襲ったような気がする。
けど
どうでも良いか。現に一応今命からがら生き延びて歩いて喘いで死にそうなことに変わりはない。
ていうか、それが歩いている今より昔なのか、それとも後に起こったことなのか、そのことだけはせめて教えて欲しい。でもそれを教えてくれる人なんてここにはいないし、いたとしても何も思い出せない。
どうでも良いか、と取り敢えず前を向く。
けど視界の中に映る世界は雨が映しちゃいけないものみたいに扱っているし、何処が上か何処が下かの区別がまるでつかなくなっている。
雨の振り付ける音が耳を刺激して痛くなってしまうような時が最後に、意識は途切れてしまった。
うなじに当たる雨がやけに冷たく感じて、貴重な最後が終わった。
私の幻燈はこれでおしまいであります。
食料品。
本。
家電。
薬。
玩具。
スポーツ用品。
車。
ありとあらゆる物がこのサイトには溢れている。
存在しない物質の渦に飲み込まれながら、何度かの操作で目的地へ辿り着いた。
【QUICK VALUE限定】加藤園 日本のりんごジュース 岩手 ふじ ラベルレス 2L×8本
確か頼まれたのは1箱だったはずだ。
「すぐに注文」のボタンを押せば、彼の役目は終わりだ。明日の午前8時から12時の間に到着するらしい。在庫はまだ僅かに残っているので、早急に必要というわけではないが、これだけ速く着いてくれるのは本当に有り難い。
「ホセ? できた?」
「うん。明日には着くって」
「オッケー」
隣の部屋から女性の快活な声が聞こえたので、彼はそれに応じる。
二人の距離はかなり離れていて、彼女のいる部屋はそれなりの広さを誇っている。そのため、耳に明瞭に入ってくるというのは、彼女の持ち前の声だけではなく気の大きさまでも表しているようだった。
「毎回こうやってやるの面倒だからさ、ボタン買おうよ。そっちの方が楽でしょ」
「それはそうなんだけどさぁ、押し間違いとか怖いからさぁ」
「別に良いでしょ。そんなボケてないだろうからさ」
距離を詰めることなどせず、二人は他愛の無い話に花を咲かせている。
咲いた花は山に四方を囲まれたこの街によく似合っていて、綺麗に溶け込んでいる。
役目を終えてため画面を閉じようとしたその時、注文の完了を知らせる表示が変わった。
『おめでとうございます! スペシャルキャンペーンに応募できます!』
このサイトでこれまで見たことの無い文字列だった。
それにテレビ番組やニュースサイト、SNSの投稿でもイベントの類があるなんてことは、一切見かけたことが無い。
急遽開催されたものだろうか。ならばホーム画面でその旨が知らされるはずだ。
バグの類か。それとも──。
『次のうち、あなたの好きなもの・興味のあるものを3つまで選んでください!』
文言の下には商品の写真とカテゴリーの名称が添付されている。
魚。
ナイフ。
おもちゃの銃。
運動靴。
くも。
スポンジ。
ゲーム。
果たしてこれが何の意味を成しているのか、彼には一切の見当がつかなかった。
答えるのも面倒なので、プラウザバックをして何事も無かったかのようにまた日常を送る選択肢もあった。
だが、何故か、それは許されないような気がした。
ここで何も選ばず戻ることは、二度と取り返しのつかないことを意味するのではないか。失ってはいけないものを、また失うのではないか。
そもそも自分は今まで、何を失ってきたのか。それすらも分からないままで終わってしまうのではないか。
全ては杞憂だろう。だが杞憂であって欲しいと願う気持ちばかりが強まって、彼の右手を動かしていく。
要望の通り、スクロールしていく中で気になったものを、熟考することなく全て直感で選んだ。
くも。
ナイフ。
ホッピング。
何も意味はない。意味がないことに意味がある。
そして一番下にある「送信」と書かれた横に長い大きなボタンを押した。
時間をかけて答えは咀嚼され、飲み込まれて知らない向こう側へと送り出される。
ご協力ありがとうございました!
自分は何に協力したんだろう。
何に対して感謝されているんだろう。
考えを巡らせても答えには辿り着かない。というより、辿り着くまで頭を働かせてはいなかった。奥から「ホセ」と呼びかけられたので、意識を完全に元の方へと戻し、アンケートのことは片隅にも置かなくなった。
群青の空に白い雲が混じり合って、燻むように変色していくような夏の日のことだった。