ヒナ「お腹空いた…」 作:ひよりん
「…ふう……」
今日の仕事はそろそろひと段落、まだ12時にもなっていない、最近は夜食を食べる余裕も無かった
その理由は万魔殿が企画した豪華なパーティー、シャーレの先生を歓待する為のもの
ちなみに先生は“今更そんな…”と困惑していたし、そもそもパーティーなんてこの前したばかり
でもミレニアムやトリニティの要人に招待状まで出したらしく、もう今更取り下げられないそうだ
先生も止むを得ず参加するらしいし、私はその会場の警備の仕事がある
「そもそも、招待客のリスト作成なんてウチの仕事じゃ……いや、これで任せて適当な仕事をされたら…」
そう思って引き受けたのが3日前、思えば自分で自分の時間を潰していた
その事実に深いため息をつき、チャリチャリと鍵をいじりながら食堂に向かう
「……あれ」
…おかしい、まだ電気が…
「…何を、してるの?」
「……」
食堂に入ると厨房のフウカと目が合う、あの何かを軽蔑するような目が一瞬丸くなり、そして大きく見開いて…
「ヒナ……!…ヒナ!ちょっと助けて!!」
「…えっと…どういう事?」
「つまり、パーティー料理の下拵えでこんな時間まで…?」
フウカは小さく頷く、ジュリはと辺りを見渡すと椅子を並べてそこに眠っていた
交代で仮眠をとりながら用意しているらしい、だが…
「後2日はあるでしょう?」
「…煮込みとか、その辺の仕込みはもう始めないと…揚げ物とかも、切り分けるとかは既にしておかないと」
「……」
思わず頭を抱える、これは、酷い…フウカがここまで弱っているのは初めて見た
マコトを叩きのめせばどうにかなる話でもないし、きっとフウカのプライドも許さない
こんな無理難題を受けてなおそれをやるのは責任感やプライドがそうさせているのだろう
なら、それを邪魔してはいけない…となると
「何を手伝えばいいの?」
「…じゃあ…!」
フウカの指示で食材を切り分け、冷蔵庫や冷凍庫に入れたり、鍋に沈めたり
自身のために夜食を作ってきたからか、前よりは形になっている気がする
だけど、終わりが見えない作業は心にくるものがある…
「フウカ、とりあえず寝てなさい、言われた分が終わったら私も休むから」
「……ごめん、ヒナ…」
「これが終わったら一緒にマコトを叩きのめしましょう」
冗談半分の約束を交わし、言われた通りの仕事をし続ける
ザクザクザクッ…野菜を切り分けたり…
ポチャポチャポチャ…鍋に食材を入れてかき混ぜたり…
「……はぁ…」
今は下拵えの段階、まだまだ美味しい料理には遠い、だけどこれほどの食材が並んでいる…
「…お腹、へった…」
一口、味見だけ…そうはいかない、それをしたらきっと止まらない…
それにやる事はまだまだある…仕事が、待ってくれない…
「……」
黙々と食材を切り、鍋をかき混ぜる、これは何を作っているのだろうか?
…ぐぅ…と腹の音が鳴るが、最早それを抑える気力も無い
「……いつ終わるのかしら、これ」
作業を始めてそろそろ3時間、眠気と空腹で体が言うことを聞かなくなり始めた頃
「あ、あれ…?」
「ジュリ…おはよう…」
「お、おはようございます風紀委員長…あ、もしかして…」
「うん、フウカの代わり、そこで寝てるでしょ…」
「か、代わります!」
「……お願い」
もう考える気力も湧かず、ジュリに全てを任せて私も椅子のベッドに横たわる
最早空腹を気にする気も起きなかった
「……ん…んん…?」
…いい匂いがする…すごく、美味しそうな匂い…
パチリと目が覚める、身体を起こし、周りを見る
「おはよう、ヒナ」
「フウカ…もう4時間も経ってるのね」
いつもより長く寝てしまったからか、目覚めも悪く無い気がする、ベッドは最悪だけど
「ジュリ、ヒナも起きたし、ごはんにしない?」
「わかりました!」
「……元気ね、あなたたち」
「このくらいじゃないと、給食部なんてやってられないから」
そう言って笑うフウカはどこか頼もしい、だけど…目は笑っていないのを私は見てしまった
…しかし、さっきからずっと気になってる
この、甘い、だけど醤油の混じったなんとも言い難いあの和食特有の香り…
…ぐぅ…ぎゅるるるる…寝起きなのに胃は早く食べたいと急かしてくる
「……私、ものすごくお腹が減ってるの」
「奇遇ね、私たちもぺこぺこ」
「はい!」
もう直ぐ7時、朝食を求めて生徒たちがやってくる時間…早く食べないと、邪魔が入る
「ヒナ、取りに来てくれる?」
トレーを取り、配膳を受ける
「……!」
先ほどからの香りの正体は、これか…
「肉じゃが、いいわね…」
朝には少しヘビーだろうが…今の私には全く微塵も関係ない、とにかく少しでもたくさん食べたい
後はご飯とおひたし、お味噌汁、それからめざし…どうやら本来の朝食はこれらしい
早く食べたくて1人で席に着く、少ししてフウカ達が来て、ようやく食べられる
「「「いただきます」」」
ずずず…味噌汁を含む、いつもの食堂らしい安い顆粒出汁と合成味噌の味
だけどそれすら今はご馳走でしかない、めざしを口に運び、すかさずご飯を食べる
「うん…」
空腹が最高のスパイスというのは古来から言われてきたが、今ほど頷きたい時もない
(……さて)
ここで主役の肉じゃがだ、箸を大きく開き、肉とにんじん、糸蒟蒻、玉ねぎ、一度に掴めるのはこんなものか
「はむ……うん…!」
甘めの味付け、だけど濃い、しっかりめの味付けにほのかに香る鰹出汁、肉の旨みや玉ねぎの甘みが溶け出している…
ぎゅっ、と肉を噛み締めるとじんわりと広がる旨み、ニンジンも火がしっかり通っていて柔らかいのに特有の食感がある
味が消える前にご飯を口に詰め込む、ああ、美味しい…
「…あれ、これは?」
四角い銀の包みが皿の影に隠れていた、キャラメルだろうか?
「あ、バター?今朝は和食なのに間違えたみたい」
「昨日がトーストだったからでしょうか…」
「……バター…」
包をぺりぺりと剥がす、やっぱりバターだ
「嘘なんてついてないわよ」
そう、バターだ、これはバター、牛の乳の脂を固めたもの…それを私は…
「え、ちょっと!?」
「な、なんで肉じゃがに…?」
バターを肉じゃがに乗せた、じわりと熱が入り、溶け始めたバターを絡め、一口
「……あぁ…」
ご飯を口に放り込む、いい…実に、良い…
「…それ、美味しいの?」
「美味しいわ」
「えぇ…?」
フウカとジュリが疑うような表情でコチラを見る、だけどたまらなく美味しいのだ
牛肉に絡まったバターが牛そのものの香りと相待って、まるで良く脂を含んだ牛肉を噛んだような錯覚を起こす
それにこの濃厚な脂はお米に合う、甘じょっぱい肉じゃがの汁とバターを乗せるだけで白飯がご馳走になるだろう
それにニンジン、じゃがいも、玉ねぎ、どれもバターとよく合わせられる食材、相性は言わずもがな
唯一危惧した糸こんにゃくも喧嘩せずに受け入れてくれた
「…嘘、美味しい…!」
「そうですね、安いお肉なのにコクが出るっていうか…!」
ご飯が止まらない、おひたしやめざし、お味噌汁で一息入れ、口の中の脂を落ち着かせるとまた欲しくなる
「……ふぅ…」
気づけばすっかり食べ切ってしまった、満腹感と落ち着いた空気にすっかり私の気持ちは緩み切ってしまった
「…今日、もう何もしたくないわ」
「わかる…」
「もう帰りたいです…」
3人分の悲痛な呟きは誰に届くこともなく、食堂に消えてしまった