ヒナ「お腹空いた…」 作:ひよりん
「…失礼するわ」
「お待ちしておりました、ゲヘナ風紀委員会、委員長の空崎ヒナさんですね?」
「ええ」
ここは陽の光が眩しい庭園、トリニティの敷地
これは過去の話、エデン条約の少し前の話…そう、目の前にいるのは
「あなたが、桐藤ナギサ」
「はい、初めまして」
トリニティの生徒が挨拶とは言え軽く頭を下げたことについ驚いてしまう
周りの護衛の生徒もややどよめきが感じられる、そう、周りにはティーパーティーの護衛がいる、私は1人なのに
(どれだけ警戒してるのかしら、銃まで預けさせられたのに)
「…みなさん、ここからは護衛は不要です」
「で、ですがナギサ様…」
「ヒナさんはたった1人で銃すら預けてここまで来てくれました、私はその信頼に報いたいのです」
至って普通の言葉、だけどそれを一言一言をはっきり伝えている、それを聞いた周りの護衛はおずおずと下がっていく…
(なるほど、そういう動かし方もあるのね)
「気にする必要無かったのに」
「先ほど言った通りです、私は貴女の信頼に報いたい、その歩み寄りがエデン条約に必要なものだと思っています」
「…そうかもしれないけど、果たして全員がそうできるの?」
「その為の、話し合いの場です、どうぞこちらへ」
庭園を散歩しながら話し合いは続く、頭を使う話が続いてしばらくした頃…
(…お腹、空いたわね……)
ああ…思えば、お昼を食べ損ねてしまった…
それを思い出したらもうダメだ、空腹が頭の中を占有しようとしている
「…という事で、これが…」
この話は終わる気配はない、トリニティの成り立ちの話なんて聞かなくても知っている
けど、気分よく喋らせておかなくては後々に禍根を残すかもしれない…
「……退屈な話だったでしょうか?」
態度に出したつもりはなかったけど、ちゃんと聞いてなかったことに気づかれたかもしれない
「…いいえ、教科書の内容を書き換えるのは骨が折れそうだと思ってただけ」
「風紀委員会が頭を悩ませる内容ではないと思いますけれど」
そう言ってお淑やかに笑う姿はまさにトリニティのお嬢様…今の私が空腹に苦しんでいるのに気付けば、見下すのだろうか?
「…さて、第一回公会議に倣って」
いつの間にか、庭園の奥の小さな屋根のあるスペースへと案内されていた
「お茶会などいかがでしょうか?」
椅子とテーブル、日除けの屋根だけでは無い、わざわざ一方向だけ取り付けられた壁に美しいステンドグラスまで
壁のない方向を見れば庭園が一望できる、計算された作り、美しさ、ゲヘナにはない物
チリン、とテーブルに置かれたベルが鳴る
「どうぞ、かけてください」
その言葉通り椅子に腰掛け、ぼんやりと待つ
少しするとティーセットを乗せた台車を先程の護衛たちが押してくる
小気味よく食器やカトラリーが奏でる音を楽しむのがマナーなのだろう
だけど私の頭の中は早く食べたい、その一言で埋まっていた
「給仕は必要ありません、内内の話をしますので」
今度は意見も無く、護衛が下がる、桐藤ナギサは自ら席を立ち、私のカップにまで紅茶を注ぐ
「…人に見られたら、誤解をされるんじゃ」
「だから下がってもらったのです」
…何を考えているのか、よくわからない
「何から食べましょうか?サンドイッチなんて、如何ですか?」
「いただくわ」
目の前に置かれた小皿に並べられたサンドイッチを手に取る、こういうお茶会に出るサンドイッチは質素だと聞いていた
でも、レタスやトマト、ハムまで挟まった、素直に美味しそうなサンドイッチ…
「…いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
「あむ……はぐ…」
瑞々しいトマト、シャキシャキとしたレタス、食感を楽しんでいるとパンの甘味、トマトの酸味、そしてハムの塩気…
クラシックな、それでいて洗練されたというべきか…なんと言えば良いかわからないけど、これが高級なサンドイッチ…
気づけば手に取ったサンドイッチはどこかへと消え、次のものを手に取っていた
(…流石に、はしたないかしら)
「お気になさらず、召し上がってください」
こちらのためらいに気づいたのか、にこやかにそう語りかけられる
「実は私も空腹でして」
そう言ってサンドイッチを食べる姿から、私は安心感と好感を感じている
優雅な立ち振る舞い、というのはこういうものを言うのだろう、ウチのトップにも教えてやりたい
「…ありがとう、すごく美味しいわ」
「…!」
その言葉に驚いた様に桐藤ナギサは目を丸くする、そして顔を綻ばせ…
「そう言っていただけて嬉しいです、こういう場でそんな感想を下さる方はあまり居ませんから」
「…?…そう、それは、良かった…?」
何を喜んでいるのかはわからないけど、と困惑しながら次のサンドイッチを食べる、黄色いペーストだから卵だと思ったけど
「……これは…」
潰したゆで卵をマヨネーズとマスタードで和えたものが挟んである、そう、予想通り、だけど完全なペースト状
滑らかな食味がバターの様で、パンが口で解けるのと一緒に消えていく、そして最後に胡椒の香り…
「……お口にあいませんでしたか…?」
「いいえ、こんな卵サンドがあるなんて思わなくて、これもすごく美味しい…」
「良かったです、頑張って作った甲斐がありました」
「……?…作った?」
「はい」
…てっきりお抱えの料理人でもいるのかと思っていた、だけど、これを自分で?
サンドイッチだけでもわかる、洗練されたこの料理はフウカとは路線が違うだけで練度は遜色ない
「どれをたべても美味しいわ、素直に感心するしかないくらい」
「それはよかったです」
サンドイッチがもうなくなってしまった事に残念さを感じながら、他の何かをと探す
「よければこちらのパイなんていかがでしょうか?ミートパイです」
「ありがとう」
切り分けられたパイをさらにナイフで切り分け、口に含む
じわりと滲み出る肉の旨みとサクサクのパイ生地、そしてバターの香り
(流石に手掴みでかぶりついたら怒られるかな…)
紅茶を口に含むとその華やかな香りでスッと上塗りされてしまう、でもこれも良い
サクサク、パクパク、ナイフもフォークも止まらない…
(……ふふ、こんなに美味しそうに食べてくれる方、随分久し振りで、こちらまで楽しくなってしまいます)
紅茶を口に含み、飲み干す…そして庭園をながめる
(……お腹は4割ってところね…)
もう塩気のあるものは一通り食べ尽くしただろうか、でも、ここからは…
(…あとは、ケーキで埋める)
クリームたっぷりのショートケーキ、それともチョコレートがずっしりと入ったブラウニーか…選ぶ必要なんてない、両方を食べる権利があるのだから
「まずは、ブラウニーから」
フォークで切り崩し、一欠片を口に含む
(…!…てっきり、もっと甘いものと思っていたけど)
甘い、確かに甘いけど、甘すぎない…しつこく無い、だけどハッキリ甘さを感じられる、そして奥に香るこれは…
「…レモン…いや、オレンジピール?」
「はい、まさか気づいてもらえるなんて…!」
桐藤ナギサは嬉しそうに笑う、なんだか気恥ずかしくなって紅茶を口に含み、濁してしまう
(すかさずに紅茶を…!その紅茶との相性にまで気づいてくださるなんて…!)
…なんだか、より嬉しそうな顔になってる気がする…
「…さて」
次に待っているショートケーキに使われたフルーツは桃、桃のショートケーキは食べたことがない
そもそも淡白な桃がクリームと合うのか?そんな疑問を呑み込み、ケーキを口に含む
「!」
…甘い、今度は甘い、クリームが甘いのはもちろんだけど、それ以上に桃が甘い…!
甘い桃は食べたことがある、でもあれはぐずぐずに熟していて、こんなに食感のある桃は甘く無い
というかこの桃は食感があるのに今まで食べたどの桃よりも甘い…
(…それに、飲み込んでから気づいたけど、こんなにフルーティな香りがするのね…)
ハッキリと桃の香りだとわかる、まるで桃味の香料かの様に、桃の香りが存在感を示してくる
食べる前はまるでそんな気配はなかったのに、食べたことにより体温で温められ、香りが立った
「……美味しいわ」
「良かったです」
(この桃のケーキと紅茶は確かに相性は悪くありません、ですが桃の香りを楽しむためにあえて紅茶を飲まない…流石です…!)
なんだか視線が先ほどから変になってる気がする
だけど何を食べても美味しいこの状況においてはそんな些事を気にする余裕なんてない
ティーポットの紅茶を飲み尽くし、ケーキを食べ尽くし、「ふぅ…」と息を吐いて、ようやく冷静になる
(……条約の話、全然してない…)
チラリと桐藤ナギサを見ると、恍惚とした様子で「はぁ…」とため息を漏らしていた
私に呆れているならわかるけど、なんであんな表情をしているのかはよくわからない
そのまま茶会を終えた私達は元来た道を帰り、別れる
ただ、最後に「また、ぜひまたお茶会をしましょう…!」と言われたことくらいしか、今日の収穫は無かった
……即座に「喜んで」と答えた私自身にも、思うところはあったけど
(…これで良かったのかしら、まあ、美味しかったし、いいか)
…エデン条約に向けての話し合いなのだから、仕方ない、決して美味しいものに絆されたわけじゃないのだから