ハードボイルド美少女桃太郎   作:島ハブ

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第11話

 

 

 

 

 

「魅志摩様、起きてくだされ」

 

 戸が開き、夕陽と共に逸葛が飛び込んできた。走り続けてきたのか、息があがっている。

 寝床は敷いたままだが、魅志摩は眠ってはいなかった。眠れる訳もない。ずっと前から、気配が近づいてくるのはわかっていた。

 

「今こそ、柴の娘を討ち取る好機です」

 

「ほう。どういうことだ?」

 

「猩々一家を使って女中の方を人質として抑えました。これであの娘は刀を抜けますまい」

 

「それで?」

 

「あの娘とて無策にやられはしないでしょう。時間を稼ごうとするはずです。しかしここで魅志摩様が出れば」

 

「疲弊した柴の娘を斬れと、そういう訳か」

 

「あるいはもう、猩々一家の手にかかったか。とにかく、これで全てが終わります」

 

 逸葛は本気で言っているようだった。いや、本気だと思い込もうとしているだけだろうか。何もかもが見当違いなことを、勢い込んで喋り続けている。

 魅志摩は刀を抜き、懐紙を取り出してそっと当てた。刀身に曇りがある訳ではない。自身の気持ちを澄ませるためにそうしたのだ。

 自分の言葉が聞き流されていることに、逸葛はようやく気付いたようだった。

 

「何をぼんやりとしておられるのです。今こそ刀を振るう時です」

 

「ああ、どうやらそうらしいな」

 

「では」

 

「お前は柴の娘が絡むととことん駄目だな、逸葛。まるで(めしい)だ」

 

「何をおっしゃいます」

 

「あれが人質程度で刀を抜けなくなると思うか。斬ろうと思えば斬るさ。奴はそういう剣客だ。猩々一家とやらは今頃据え物斬りにされたか、それとも気紛れで生かされたか。まあ五体満足ではあるまいな」

 

「あの娘は心優しき者です」

 

「人間としてはそうかもしれん。人間としてはな」

 

「人ではないと申されますか?」

 

「お前はあれが小柄で大猪を倒すところを見なかったのか。人ではないさ。刀を差した瞬間から、技量や腕力ではなく、在りようが人ではないのだ。だからあの大猪も生を諦め消えていった」

 

「わかりませぬ、私には」

 

「理解しろとは言わぬ。ただ、お前の奸計など全て斬り捨てられるとだけ覚えておけばいい。さて」

 

 刀身に一度自分を映してから、静かに立ち上がった。心気は澄んでいる。刀を差せば人でなくなる。魅志摩は苦笑した。こんな言葉を、自らを棚に上げてよく言えたものだ。

 

「絶対に手を出すなよ、逸葛。この前のような手合いとは訳が違う。瞬きの間に死ぬるぞ」

 

「なんです?一体なにが」

 

「お前が連れてきた客さ。あれも、人ではないな」

 

 外に出た。小屋の前の拓けた空間に、一人の男が佇んでいた。大男だ。刃長三尺*1近くある太刀が、なんの違和感もなく立ち姿に調和している。抜けば、ただの打刀でも扱うように取り回すだろう。

 

「鬼の一族の魅志摩殿とお見受けする」

 

「犬の一族の戌童に名を知られているとは思わなかったな。武名はかねがね」

 

「なんの。都への憧憬が生み出した、ただの虚名よ」

 

「そうかな。大変な荒稽古を積んだそうじゃないか」

 

 戌童はちょっと笑ったようだった。

 体躯を除けばどこにでもいる平凡な男のように思えた。武芸者が無意識に湛えてしまうような気まで、鞘内に収められてしまっている。優れた居合という噂は聞いていた。優れた、などという表現が陳腐なものだということが、魅志摩にはよくわかった。

 構えることで心気を研ぎ澄ます、という剣客は多い。だがこの男は、構える必要すらないのだろう。抜いたその瞬間に心気は澄んでいるのだ。

 

「柴の娘は囮だったか。襲ったつもりが尾行られるとは、謀られたな逸葛」

 

「いや、これは私の独断だ。鬼の一族が狙うとすれば桃殿への奇襲だろうと思っていた。人質とは少々意外な手であったが」

 

「奇襲にもならん。年寄りが空回ったのさ」

 

「桃殿はあれで年頃の娘らしいところもある。それに絆されたのかと思ったが、どうにも後ろの御仁には違う想いがありそうだ」

 

「よさないか、人を暴くような問答は」

 

「そうだな。どのような事情も、斬れば刀の錆だ」

 

 事も無げに言った戌童が、左手を鞘に回した。剣気も発さず、鯉口すら切っていないその立ち姿でさえ、不可視の圧力を放っている。魅志摩はゆっくりと下段に構えた。

 

「一度だけ言っておこう。止めにせぬか。柴の求めるままに動いても、果島の地に未来はないぞ。あの狡猾な爺の為にお主が剣を振るうこともないだろう」

 

「そうかもしれぬな。ならばここは、桃殿の為に剣を抜こう」

 

「絆されたのは逸葛ではなくお主か。色恋で若い娘に狂う歳でもあるまい」

 

「色恋も悪くはないが、この身が狂うは剣のみよ。桃殿は生きるべき剣だ。そして私が若人にしてやれることは、精々道を拓くだけであろう」

 

「意見が合わんな、戌童。あれは死ぬべき剣だ」

 

 戌童が眼を閉じた。その眼が開かれた時、既に鯉口は切られていた。魅志摩は半歩だけ足を前に出したが、それ以上は踏み込めなかった。

 固着した。夕陽が、互いの横顔に影を落としている。どこか遠くで川蟬が鳴いていた。鳴き声はしばらく続き、そして何も聞こえなくなった。

 あの刃長が居合に向く訳がない。鞘走りの間に懐に飛び込むことも、あるいは後ろに退いて居合を躱すこともできる。理屈の上ではだ。死闘は、理屈で成り立っているものではなかった。

 何度か、魅志摩は剣気を叩きつけた。そうすることで相手の剣気をも引き出そうとしたのだ。戌童は誘いに応じず、ただ巨像のように聳え立ったままだった。

 息を吸い込んだ。微かに風が吹き始めている。追い風。呼吸を止め、もう一歩踏み込んだ。まだ間合いには遠い。しかし既に、死線の気配が漂い出している。

 さらに一歩。呼吸が荒くなってきた。戌童が大きく肩を揺らして息を吐いた。

 もう一度剣気を叩きつけた。初めて、戌童が反応した。力んだ右手が柄に添えられ、僅かだが剣気が引き出された。魅志摩はそれ以上押さず、また固着した。

 気を内に秘めていられるような間合いはとっくに過ぎている。それでもまだ、戌童の剣気は漂うような淡さだ。太刀筋は読めない。

 大きく息を吸い、吐いた。戌童も同じようにしている。肩が上下する。背後の小屋から、逸葛が座り込むような音が聞こえた。それが潮合となった。

 地を這うように踏み込み、下から刀を跳ね上げた。刀だけだ。剣気。全身が粟立った。戌童の抜刀はほとんど光にしか見えなかった。刀を跳ね上げたまま、躰だけさらに深く沈み込む。際どく躱していた。跳ね上げた柄を握り、刀を振り下ろそうとした。

 異様な気配が魅志摩を襲った。戌童。剣気ではないなにかを放っている。抜き撃った太刀を手放した左手が魅志摩に向けられた。刀を振り下ろしながら魅志摩は前に跳んだ。

 交錯した。傷はない。互いに、最後の最後で身を躱したのだ。魅志摩が構え直した時、戌童も太刀を拾い鞘に納めていた。鯉口は切られたままだ。立ち位置だけが入れ替わった格好になった。

 

「止めようか、戌童。剣では俺が勝るが、そちらも奇妙な技を持っていそうだ。続ければ相討ちと見た」

 

「今さら、相討ちを恐れることもない」

 

「柴の娘はこれから犬の領地へ向かい手勢を集うのだろう。お主が死んでは都合が悪いのではないか?」

 

 これは方便ではなく、本心からの助言だった。当人達がどう考えようと、ここで戌童が死ねば犬の一族は頑なにならざるを得ない筈だ。戌童が考え込むように眉を寄せた。

 

「俺を斬ったとて鬼の一族にはまだ手練れがいるぞ。犬の一族の助力を得られぬまま戦えば、柴の娘といえどどうにもなるまい」

 

「わからぬな。何故、私を見逃そうとする?」

 

「柴の娘とならともかく、お主と相討ちは御免だ」

 

 これも本心だった。戌童はしばらく沈黙し、それから刀を納めた。魅志摩も構えを解き、小屋に入った。鞘は抜き捨てたままにしてある。呆けていた逸葛が慌てて鞘を拾い上げ差し出した。

 

「二つ、訊きたいことがある。此度の騒動の裏側は、どうも私の想像よりずっと複雑なようでな」

 

 外に立ったまま、戌童が言った。戦意は感じられない。もっとも、この男の居合なら戦意もないまま抜き撃つぐらいはできそうだ。

 

「言ってみろ」

 

「柴殿とお主等にはどういう因果があるのだ。朝廷への対応で対立しただけにしては憎しみの根が深すぎる。何やら、互いに相手の存在を否定しているように思えるが」

 

「柴か。まあ、お主なら教えても良いか」

 

「魅志摩様、それは」

 

 魅志摩は逸葛に目をやった。逸葛は息を呑み、それから静かに俯いた。

 

「友だった、と聞いている。俺の祖父がだ」

 

「ほう、それは初耳だ。しかしなるほど、朝廷の襲来をきっかけとした対立はただの反目ではなく友との仲違いだったという訳か」

 

「違う。祖父と柴は、朝廷への対応で一致していた」

 

「なに?」

 

「勝ち目はない。しかし無抵抗で恭順してしまえば朝廷は果島の地に入り込んでどこまでも喰い物にするだろう。朝廷を躊躇させる存在が必要だった。いざとなれば決死の覚悟で朝廷に出血を強いる存在、それが鬼の一族さ」

 

「では、柴殿と鬼の一族は」

 

「表向きは抗戦と恭順で対立したが、裏では繋がっていた。朝廷の影響力をできるだけ排除するという意志を共有していたのさ」

 

「わからぬ。それならばなぜ今、鬼の一族が殺気立つのだ?」

 

「朝廷に赴く度に柴はおかしくなっていった。鬼の一族を遠ざけ、朝廷が果島の地に権力を持とうとするのを受け入れ始めたのさ。祖父は柴を庇い、何かの計略だろうと信じて静観したが、柴の振る舞いはますます露骨になっていったという。痺れを切らした祖父は朝廷の目を避け密かに使者を送り、柴の意思を質そうとした」

 

「それで?」

 

「なにも。使者はあらぬ罪を着せられ、斬り捨てられた。二年前のことだ」

 

 戌童が腕を組み、唸った。

 

「取り込まれたか」

 

「そう思わざるを得ないだろう。朝廷は魑魅魍魎の匣だ。田舎の知恵者ぐらい、簡単に狂わせるのかもしれん」

 

 祖父はまだ、柴を信じているのだろうか。数日前に逸葛が言った言葉が、魅志摩の頭を過った。使者が斬られてなお、一族内の過激派を抑え込もうとしていたのだ。

 魅志摩が帯びているのは、祖父から柴へ宛てた文だった。内容は見ていない。祖父の無様な未練が書き込まれているかもしれないと思うと、開く気にもならなかった。

 

「言い分はわかった。もう一つだけ訊きたい」

 

「なんだ」

 

「桃殿は、関係するのか?」

 

「それは」

 

 逸葛が、訳のわからぬことを口走りながら小屋を飛び出した。森の方へと駆けていく。戌童は呆気に取られたようにその姿を見送っていた。

 魅志摩も止めはしなかった。残酷な話だ。長らく一族に仕えた逸葛にとっては、特にそうだろう。

 

「妹だ。種違いだが」

 

「なんだと」

 

「父は俺が生まれてすぐ病で死んだ。傷心の母を慰めたのが柴だったという。しかし、対立を演じる中で鬼の姫と柴が子を成したなど(おおやけ)にできる訳もない。生まれた娘は密かに柴が引き取ったそうだ」

 

「馬鹿な。柴殿は桃殿に鬼の一族討伐を命じたのだぞ」

 

「だから、奴は狂っているのさ。奴は自分の娘に親殺しを、いや、母方の親族の族滅をさせようというのだ。あるいは、あの娘が矢面に立てば鬼の一族の手が緩むと計算したのかもしれん」

 

「馬鹿な」

 

 しばらくしてからもう一度馬鹿なと呟いて、戌童は口を閉ざした。

 尋常な精神ではない。柴の娘が出立したと聞いた時、魅志摩もそう思った。それから、魁鉄達が何も知らぬまま死んだことを願った。

 柴の娘が鬼の一族に連なる者であることは一族内でも秘されていた。しかし、母の面影は隠しようがなかった。刀を構えた姿など瓜二つと言ってもいい。

 柴の娘を斬るしかない、と思った。そして、できれば柴をも斬る。それで全ては終わりだった。反逆と見做した朝廷は、今度こそ武力の限りを尽くして果島の地を蹂躙するだろう。

 それでも、母に娘を斬らせるよりはましだと思うしかなかった。魅志摩に剣を教えたのは母である。自分以外で柴の娘を斬れるとしたら、母が刀を抜くしかなくなるだろう。

 母娘で斬り合うことと兄妹で斬り合うことのどちらも馬鹿げていた。ただ、娘を斬った後の母を見たくなかったのだ。だから、自分で斬ろうと決めた。

 

「もうよかろう。柴の娘に告げるかはお主に任せる。知っても残酷なことにしかならん、と思うが」

 

「訊くべきではなかったかもしれぬと思っているところだ」

 

「そんなものだろう」

 

「お主、妹を斬れるのか」

 

「剣客に問うことではないな、それは」

 

「あの老人は」

 

「逸葛か。あれは心を引き裂かれているだろうな。あいつにとっては自分が死ぬ方がずっと楽だろう」

 

(むご)いことをさせる」

 

「そういう巡り合わせだった、というだけさ」

 

 逸葛が死を選ばないのは、やはり母娘で斬り結ぶことを避けたいからだろう。祖父の代から一族に仕え、母のことは生まれる前から知っている。自分の娘のように想ったこともあるかもしれない。

 その面影を重ねながら、柴の娘を死に追いやろうとしている。盲になっても仕方のないことではあった。

 

「もう行け、戌童。これ以上言うことは何もない。聞きたくもないだろう」

 

「そうだな。私は、私にできることを為すしかないのであろうな」

 

「柴の娘を生かすか。まあ、それも良い」

 

「兄妹の間に立ち入る気はない、とだけ言っておこう」

 

 戌童が踵を返した。既に陽は沈んでいる。戌童の大きな背中が、木々の暗がりの中へ静かに消えていった。

 魅志摩は刀を立て掛け、囲炉裏の前に腰を下ろした。火は興していない。風が吹き込み、板の床を冷気が舐めていた。明かりのない室内は、外よりも早く闇に覆われようとしている。

 闇へと、魅志摩は眼を向け続けた。

 

 

 

 

 

*1
約90センチ

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