ハードボイルド美少女桃太郎   作:島ハブ

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第12話

 

 

 

 

 

 夜明けを待つつもりはなかった。

 矢翠に荷造りの仕上げを頼み、自分の荷物を整理した。申も急いで出立の準備をしたようだ。

 なおも壮行会に拘る猿の当主には、猩々一家に襲撃されたことを伝えた。近年関係が遠ざかりつつあるとはいえ、元々猩々一家は猿の一族とも交流のあるやくざ者である。それが桃とその一行を襲うというのは見方によっては柴の家、その背後にいる朝廷に弓を引く行為になりかねない。流石に、猿の当主も意見を取り下げざるを得なかったようだ。

 

「戌童殿はどこに行かれたのだろう。やはり、屋敷の者を使って探した方がいいんじゃないか?」

 

 申が門の辺りを落ち着きなく動き回りながら言った。たまに首を伸ばしては、外の通りに目を凝らしている。

 

「戌童殿の方にも何か奸計があったのかもしれん」

 

「ならばなおさら、人を向かわせるべきではないな。足手まといにしかならない」

 

「それはわかるが、しかし」

 

 言葉を詰まらせた申が、門柱に背を預けて頭を掻いた。

 

「どうにも考えすぎるのかな、俺は。桃みたいに泰然と構えることができん」

 

「泰然など。私はただ、時を待っているだけだ。それまでは何もすることがないのさ。いや、できることがないのか」

 

「何の時だ?」

 

「刀を抜くべき時を」

 

 戌童は刀を抜いただろうか、と桃は考えた。

 猿の領地に着いてから戌童はほとんど屋敷にいなかった。気が付くと街へと繰り出していて、桃たちも所在を把握していないことがほとんどだったのだ。恐らくは、敵側の逸葛たちも戌童を補足することは難しかっただろう。

 飄々とした振る舞いもあって申は遊興の外出としか考えなかったようだが、桃は別の思惑を感じていた。伏兵。敵はおろか味方からすらも見えないその役に、戌童は自然と自分を落とし込んでいったように見えた。

 逸葛は、自ら罠に飛び込んだようなものだった。

 

「これは興味本位なんだが」

 

 そう前置きしてから、申がこちらを窺った。

 

「戌童殿と桃はどちらが上手(うわて)なんだ?」

 

「真剣で立合ったら、ということか?」

 

 申が頷いた。桃は腕を組んで塀に背を預けた。

 

「引き分けるだけなら難しくない、と思う。居合の間合いに踏み込まなければ良い。それで立合いは硬直する」

 

「勝とうとすれば?」

 

「先の先で押し切るのは無理だろう。抜き撃ちを躱せるかどうかは時の運だな。つまりはわからんということだが」

 

「戌童殿は、桃の剣を怪物だと言っていた。俺はそうは思わんのだが」

 

「怪物だから斬れない、とは言わなかっただろう」

 

「確かにな」

 

 納得したように頷いて、申はまた外の通りを眺め始めた。

 本当に訊きたいことが別にあるだろうことは、難なく想像できた。内容も見当がつく。

 戌童と魅志摩ではどちらが強いのか。二人が立合ったとして、戌童が無事に帰ってこられるのか。そんなところだろう。流石に、戌童が戻らぬことの意味を申も悟ったようだ。

 勝敗はわからないとしか言えなかった。魅志摩の剣は尋常ではないが、戌童も居合以外の奥の手を残している気配はある。居合だけに対処するつもりでやり合えば魅志摩といえどどうなるかはわからなかった。

 手練れ同士の立合いは、死を潜り抜けられるか否か、というところがあった。勝敗はただの結果でしかない。強い者が生き残るのではなく、生き残った方が強かったとされるだけだ。

 

「おい、あれは」

 

 懲りずに外へ目を向けていた申が、嬉しそうな声をあげた。まだ遠いが、月を背負うようにして大柄の影が見える。間違いなく戌童だった。

 

「揃ってのお出迎えとは、お待たせしてしまったかな」

 

「ご無事なようで何よりです。敵は?」

 

「話しに聞いた魅志摩でした。もっとも、色々な策を練ったのは逸葛という老人のようでしたが」

 

「魅志摩を斬ったのですか?」

 

「いや。互いに相討ちを避けた、ということになるのでしょうな。私は負けたと思っておりますが」

 

「つまり、魅志摩は相討ちと読んだのですね」

 

 それならば、戌童の技は魅志摩に届き得るということだ。

 以前の桃の斬撃は魅志摩の袖を掠めただけだった。相討ちと思い定めてなお届かなかったのだ。拭い切れぬほどに差がある、と思わざるを得なかった。

 

「それで桃殿、今後のことは?」

 

「すぐにでも発とうと考えています。これ以上、奸計でやくざ者に狙われたりするのも面倒ですから。猿のご当主にも同意をいただいています」

 

「そうですか。まあ、あの老人はもうなにもできぬとは思いますが」

 

「そもそも、長く留まりすぎたのだと思っています」

 

「少しばかり時間を頂きたい。すぐに荷をまとめましょう」

 

「俺も、最後に顔を見せてくるかな」

 

 戌童の背が屋敷の中へと消えていった。申も安心したのか、今更に呑気なことを言いながらその後ろに付き添っていく。矢翠は野暮用とやらでまだ炊事場にいる筈だ。

 風のない夜だった。人々が一日の営みを終えた街に、弦月の光だけが静かに降り注いでいる。桃は潜り戸を抜け、通りの先へと目を向けた。そこを抜けてさらに進むと小川があり、その先に昼間見た炭焼きの小屋がある。

 二年前に辻斬りを斬った場所もそうだった。静かな夜の、道沿いを外れた小屋。辻斬りの男は言葉もなく小屋の隅に蹲り、敵意を漲らせた桃をただの客人を迎えるように微笑みながら受け入れた。

 酒でも振る舞いたいところだが、生憎水すらなくてな。そう言って笑う姿からは窶れた痩身の男という印象しか受けなかった。外へと誘う桃の言葉にもあっさりと従った。所々が破れた着物から覗く晒は血に染まっていたが、身のこなしからは僅かの痛痒すらも感じない。

 歩き疲れてひと休憩していたただの旅人。見た目から想起されるのは精々そんなものだった。

 小屋を出て、互いに刀を抜いた。相正眼。自分が死ぬということが、桃にははっきりとわかった。

 腕の差は歴然としていた。男が勝負を急げば実際に桃は死んでいただろう。しかし、男はどこまでも静かに佇み続けるだけだった。死しか感じないような不吉な姿。辛うじて構えを取ることで、桃はなんとかその不吉さに拮抗しようとし続けた。

 男の気が時折、不規則に揺れた。動けば死。自分に言い聞かせ続けた。待つことに勝機を見出した訳ではない。他にできることがなかったのだ。一瞬でも生き長らえるためにはただ待つしかなかった。

 男が酷く出血していることに気付いたのは、夜が明けてからだ。朝日を受けながら流れる血はその不穏さと逆しまに、生命の輝きに満ち溢れて見えた。

 血溜まりの上で男は崩折れるように一度微笑み、はっきりと気を乱した。何も考えられぬまま、桃は跳んだ。刹那の交錯の後、男は呆気なく死んでいた。

 あの立合いはなんだったのか。今でも、時々それを考える。

 

「すまん、待たせたか」

 

「矢翠や戌童殿もまだだ」

 

「戌童殿は父に捕まってな。すぐに来ると思うが。矢翠殿は」

 

「こちらに。お待たせしました、桃様」

 

 申の言葉も終わらぬうちに、行李と風呂敷包みを背負った矢翠が潜り戸から顔を出した。

 

「野営の飯炊きで使う道具などは一通り詰め込みました。お着替えなどは大丈夫ですか?」

 

「お前、私を子供だと思っているな」

 

「まさかそんな。ただ、着替えを横着して着たきり雀で二日過ごされたこともありましたから」

 

 いつの話だと言い返しそうになって、咄嗟に口を噤んだ。答えはわかりきっている。矢翠の口癖のようなものだ。

 

「桃様がまだ私より小さかった頃です」

 

 訊かれてもいないことを口にして、矢翠は愉快そうに笑った。

 

「今際の際でも同じことを言っていそうだ、お前は」

 

「あら、素敵じゃありませんか。桃様の幼い頃を思い出しながら眠れるなんて」

 

「背を追い越したのも昨日今日ではないんだがな」

 

「二年前。桃様が私を越した日ははっきり憶えています」

 

 桃の記憶には残っていなかった。気付いたら矢翠を見下ろすような高さに目線があった。いや、自分を見上げる矢翠に気付いたのだったか。

 

「あの頃の桃様はよく難しい顔をして剣を構えておられました。なにかを思い詰めるように」

 

「どうだったかな」

 

 辻斬りの男と立合う姿を想像しながら延寿国村を構えていたのだ。脳裏で何度斬られたかすら思い出せない。初めの頃は相正眼に構えた途端に上から両断されていた。一太刀を躱し、二の太刀を潜り抜けられるようになった時にはもう矢翠の背を抜いていた。

 今ならばあの男を斬れるだろうか。ふと考えた。恐らく斬れる。斬れるが、意味のないことだった。桃の想像に浮かぶあの男は何一つとして過去と変わらないのだ。見飽きるほどに向き合った記憶の残影ならば、斬れない方がおかしかった。

 魅志摩を斬るしかない、と思った。鍛錬の時、桃の剣先には常に何かがいた。見えそうで見えないそれは、あるいは魅志摩を打ち倒すことで斬れるのかもしれない。

 剣しか知らないのだ。切っ先の前にあるものは、全て斬る。自分の為すことはそれだけでいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 桃から見ても、申はなかなかの健脚だった。矢翠からいくつか荷を預かってなお速い。果島の地の中では一等栄えている猿の街も、抜けるのにそれほどの時間は要さなかった。

 

「お前と戌童殿は速すぎるぞ。なんだ、その歩き方は」

 

「歩法というやつだ。動きながら刀を振るおうと思えば自然と足捌きは似通ってくる。走りでなら、お前ともそれほど変わらないだろう」

 

「俺もできるだろうか?」

 

「槍には槍の足捌きがある筈だ。自分で試せ」

 

 今のうちに街からできるだけ離れておきたかった。逸葛の計略はもちろんだが、それ以上に猿の当主が面倒だ。近場で夜を越すとまたぞろ余計な恩を着せてこないとも限らない。猿と繋がりのある農村や集落なども避けて進んだ。

 自分一人なら夜を徹して歩き通したかもしれない。しかし、矢翠にそれを強いるのはどう考えても無茶だった。

 

「夜通しは流石に厳しい。この辺りで野営にしないか?」

 

 最初に音を上げたのは申だった。もっとも、本気で言っているのではないだろう。矢翠を慮って足を止めた、という感じが強かった。

 

「桃の懸念はわかるが、父もそこまで野暮ではないさ」

 

「だといいが」

 

「無理やり恩に着せるやり方は下品なんだ、商人の世界では。恩の押し売りなぞ横紙破りも同然で、例え成功しても冷笑を貰う。だからこそ父はやらんよ。あの人は商いの道から踏み外せない」

 

「矜持というやつか」

 

「いや、ただの未練さ」

 

 おどけたようにそう言って、申は荷物を降ろした。街道に向けて視界の開けた場所で、すぐ側に林立した木々が雨風を凌ぐにも丁度いい。野営の場所はしっかり選んでいたようだ。戌童も周囲を確認して頷いている。

 

「今宵の足を止めるには良い場所かと思います」

 

「そのようですね」

 

「仮に猿殿が何か手配しようとしても追いつけはしますまい。桃殿はそれぐらいの速さで進まれた」

 

「どうにも、面倒事を感じると足が急ぎがちになるようです。煩わしいのでしょうね」

 

「すぐに休んで朝一で発てばまず問題ないでしょう。申もよいな?」

 

「家では使用人より先に起きていましたよ。市場の朝は早く、港の人足はもっと早い。俺は荷の積み下ろしにも加わったりしましたから」

 

「屋敷の寝具でなくともその意気が続くと信じよう。さて」

 

 薪を集め始めた戌童の姿に話はまとまったと見たのか、矢翠が受け取った荷物を広げ始めた。竹筒に風呂敷、風呂敷の中からは何かを包んでこんもりと膨らんだ竹皮。食べ物のようだ。申が覗き込むように首を伸ばした。

 

「皆様、今夜はまだなにも召し上がっていないでしょう。甘味などいかがですか?」

 

「甘味?」

 

「お団子です。良質な黍を粉にして混ぜ込んだ黍団子、らしいですよ」

 

 曖昧なことを言いながら矢翠は満面の笑みを浮かべている。経緯に当たりをつけて桃は呆れた。

 

「お前、さては厨房からくすねてきたな」

 

「戦場へ向おうという一行には多少の(はなむけ)があってしかるべきだと思いませんか?」

 

 会話に聞き耳を立てていた申が吹き出すように呵々と笑った。

 

「まったく、矢翠殿の言う通りだ。桃、これは受け取って当然だろう」

 

「お前の家から盗んできたものだぞ、申」

 

「ならば俺が許すさ。この黍団子は鬼退治の一行への正当な支援物資ということにしよう」

 

「団子がか。安穏な話だ」

 

「どの道、食わねば腐るだけだろう」

 

 申の言う通りではあった。もう持ってきてしまっているのだ。食べるか捨てるかなら、食べた方がましだろう。

 

「では桃様、こちらをお配りください」

 

「私がか?」

 

「こういうものは、大将が手ずから振る舞う方が良いかと」

 

「桃殿から振る舞い餅か。これはこれは、丁重に頂かなくては」

 

 火を熾した戌童が可笑しそうにそう言って、わざとらしく煤を払って居住まいを正した。申もそれに肖るようにしている。

 底冷えするような夜の冷気を爆ぜた火花が横切っていく。焚き火の熱が揺蕩う。

 躰の芯が暖まってくると、空腹まで強まってくる気がした。竹皮を開く。揺らぐ焚き火の明かりを受けて、黍団子は艷やかに照っていた。腐らせるには惜しい品だ。

 

「戌童殿、こちらを」

 

「有り難く頂戴いたす。御恩には、働きで報いましょうぞ」

 

 他家から盗んできた団子を手渡すのに御恩もなにもある訳がなかったが、真に受けたらしい申が表情を固くした。

 

「おい、変に緊張をするな。お前の家の団子だぞ」

 

「しかしだな」

 

「しかしもなにもあるか。余計なことは考えず食え」

 

 黍団子を放り投げてすぐ矢翠に向き直った。もたもたしていると申まで御恩が云々と言い出しそうだ。

 

「矢翠」

 

「はい、頂きますね」

 

「ついでにその竹筒の中身も配ってくれ。一杯ずつでいい」

 

「お酒ですが良いのですか?」

 

「そのつもりで出したんだろう。水で流し込むには勿体ない団子だ、という気がする」

 

「では一杯だけ。これもまた、上質なお酒ですよ」

 

 出処を問い質すのも面倒になり、桃は渡された酒にただ口をつけた。確かに旨い。酒精が、ほのかな熱を指先まで巡らせた。

 申が受け取った酒を片手に戌童へ教えを乞うていた。歩法について意見を訊いているようだ。戌童もまた、時折口を湿らせながらなにやら身振りを見せている。焚き火は先ほどよりも火勢を落ち着けて、思い出したように弾ける小枝だけが僅かに存在を主張していた。

 桃は木の幹に背を預け、延寿国村を肩に凭せた。ささやかな酒宴。それでも、猿の当主が開く壮行会などよりはずっと上等だ。

 鬼退治か。呟いた。喉の奥に残るものを、一息に呷った酒で胃の腑へと落とし込んだ。矢翠が微笑みながら、己の盃の中身を半分ほど桃の盃へと移した。

 

 

 

 

 

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