ハードボイルド美少女桃太郎   作:島ハブ

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第13話

 

 

 

 

 

 旅は、申が想像していたよりもずっと穏やかに進んだ。

 急いだのは猿の街を離れる時だけで、それ以降は物見遊山かと思うほど緩やかとした歩調が続いている。人通りを避けることだけが、帯びている使命を一応は思い起こさせた。

 申も最初こそは体調を万全にし不意の戦闘に備えていたが、今では空いた時間で汗を掻くほど槍を振るうようになった。躰がなまっていくような感覚に耐えられなくなったのだ。それに、槍を構えることが不思議に快くなっている。

 

「精が出るな」

 

「戌童殿、これは」

 

「咎めている訳ではない。長閑な日和だ。鍛錬にはもってこいであろう。桃殿たちが戻るまですべきこともないしな」

 

 矢翠は近くの村に食料を購いに行っている。桃はその付き添いだった。求めているのは多少の米と塩で、必要に駆られてというほどのことはなく、気晴らしにでも行くように連れ立って出かけていった。

 

「枯れ木をいくつか手折ってきた。充分な薪になるだろう。もう少し、日に晒した方が良いかも知れぬが」

 

「俺がやります」

 

「いや、構わず続けるといい。お主は今、一度の鍛錬で一つ強くなれる時期だ。僅かでも暇があれば槍を振るうべきだろう」

 

「暇、ですか」

 

 何を呑気な。喉元でなんとか止めた言葉を、戌童は察したようだった。目を細め、おかしそうに笑っている。申は黙って枯れ枝を奪い取り、日差しを受けやすいよう均等に並べた。

 

「死闘の途切れぬ旅と思っていたのか?」

 

「覚悟として、そういう肚ではありました」

 

「立派なものだが、それでは命がいくつあっても足りぬな」

 

「以前は度々刺客に襲われたと聞きました」

 

「あの逸葛という老人はそういう手を用いたがる節があった。もっとも、桃殿が全て斬ってしまわれたが。今は桃殿と魅志摩の睨み合いといったところだ」

 

「睨み合い?」

 

「剣客の嗅覚、とでもいうべきか。もうそれほど遠くないところまで魅志摩は来ている。今は機を窺っているのだろう」

 

 申は思わず周囲を見回した。見晴らしの良い野原の真ん中で、人が隠れられるような場所は遠くに見える山々ぐらいだ。

 あんな遠くの気配を読めるとは思えなかったが、戌童は確信を持って言っているようだった。

 

「本当ならば、桃が危険ではないですか」

 

「桃殿もとうに気付いているとも。そして機を窺っている。だから睨み合いだ。互いの機が熟した時に立合は始まるであろう」

 

「勝敗は」

 

「さて、どうなるかな。剣腕では僅かに魅志摩が上と見たが」

 

「では戌童殿が加勢すれば桃が勝てますね」

 

「私はせぬ。二人の立合をただ見守ろうと思っている」

 

「何を仰るのです」

 

 立ち上がった拍子に枯れ枝が数本転がっていった。それを気にかける余裕もなく、申は戌童に詰め寄った。

 

「桃と戌童殿が共に戦えば確実に勝てる。そうでしょう」

 

「そのような状況では魅志摩は姿を現さぬだろうがな。なにより、あの二人はそうする因果だったのだろうと、そう思うようになった」

 

「魅志摩に何か言われたのですか?それで加勢をしないとは」

 

「私なりに考えた結果だ。お主の行動まで縛るつもりはない。惚れた女子(おなご)のために斬り込むならばそれも良かろう」

 

「惚れたなど」

 

 申は不意の言葉に狼狽え、言い返そうとした口は続かなかった。

 尊敬や憧れの気持ちは当然ある。どこか掴みようのない、しかし優しさや親身なところのある人柄も好ましく思っていた。

 だがその気持ちが男女のそれなのかと言われると、申には答えが見出だせなかった。

 

「浮ついた感情で言っている訳ではありません。私はこの戦いに参加する一人として、当たり前のことを述べただけです」

 

「お主のその生真面目さは美点だな。己を見つめることができるようになればなお良いのだが、しかしそれも若さか」

 

 視界の隅に人影が見えた。荷を担いだ桃が矢翠と並ぶようになだらかな丘を登ってくる。

 

「鍛錬は続けておけ、申。お主の為になる」

 

 さっき申が乱した枯れ枝を綺麗に並べ直してから、戌童は一つ伸びをして桃を出迎えに行った。

 しばらく空を仰ぎ、一度頭を掻いてから残っていた枝を丁寧に並べた。矢翠と戌童が話す声が近づいてくる。

 いくらなんでも、三人に見られながら鍛錬というのでは集中しようもない。申は槍を担ぎ、野営から離れる方へ足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 延寿国村を構えた。構えただけで、鍛錬と言えるものではなかった。

 数日前から魅志摩の気配はあった。決して近くはないが、振り切って犬の領地に駆け込むのは難しいだろう。

 どこかで斬り結ぶしかない。それはわかっていたが、立合を何度想像しても最後には桃が両断された。

 下段から徐に持ち上げられた剣が、信じられない速度で降ってくる。以前対峙した時にどうやって躱したのかさえ、今の桃には判然としなかった。

 なにも思い浮かばず、無心に剣を構えてみたのだ。光明はない。両断される自分だけを繰り返し幻視した。

 日が沈む。矢翠の呼ぶ声がして、桃は延寿国村を鞘に納めた。

 夕餉の粥を、一息で啜った。

 柴の屋敷でこんな食べ方をしたことはない。女中たちの目も冷たかったが、何より祖父の前でそういう無作法をする気にならなかったのだ。そういう自分を不思議に思ったこともなかった。

 粥の中に肉が一切れあった。何の肉なのか区別がつかなかったが、桃は躊躇うことなく口に運んだ。獣肉にも旅の中で慣れた。鶏だった。申だけが、箸に摘んだまま動きを止めている。戌童までも迷わず食べたのを確認してから、意を決すように掻き込んでいた。

 碗を片付け、熾火だけを残して横になった。

 隣で矢翠が眠り、少し離れた場所で戌童と申が並んでいた。できるだけ火に近いところで眠る方が良いだろうと思ったが、男女で茵を並べる訳にはいかぬと申が固辞したのだ。

 考えてみれば、桃の身の回りに歳の近い男はいなかった。町道場へ通っていた時期もあったが、剣を構えれば男も女もなかった。斬るべき相手。それだけだ。

 目が覚めた。まだ夜は深かったが、桃は寝床を出てしばらく歩いた。底冷えする闇の中から風を切る音が聞こえる。

 

「冷えるな」

 

「桃か。すまん、起こしてしまったな」

 

「昼間もやっていたというのに、大した気力だ」

 

「足手まといになる訳にはいかんからな。疲労は残らないようにするよ」

 

 そう言って、申は闇へ向けて槍を構えた。そのまま、深く呼吸を整えている。

 無心の素振りではなかった。構えからは明らかに対峙の気配が漂っている。申が闇の中に何を見ているのか、桃にはよくわかった。

 静止。束の間だった。気合の籠もった踏み込みとともに申が突きを繰り出した。即座に横へ跳ぶ。転がり、起き上がりながら空を撃つような突き。その途中で、申はぱたりと動きを止めた。額から汗が噴き出している。

 

「悪くない動きだったが躱せなかったな。低く躱せば私も低く刀を遣うさ」

 

「わかるのか?」

 

「自分の太刀筋ぐらいはな。お前、私を突けるようになりたいのか」

 

「そんな思い上がりは抱いていない。ただ、俺の知っている一番の手練れというとお前になるだけさ。お前の剣を躱せるようになればそこらの剣客には斬られないだろう、とも思っている」

 

「知っている太刀筋を百回躱そうと、知らない一太刀は躱せないぞ」

 

「お前ならそんな時はどうするんだ?」

 

「先の先で斬るか、剣気を読んで避ける。私ならな。しかしお前は槍だ。間合いが違う」

 

「つまり先手で突くべきか?」

 

「ところが、相手もそう考える」

 

 申が肩を竦めて座り込んだ。鍛錬に真剣であるからこそ、疲労は少なくないだろう。

 月がまだ高かった。降り注ぐ光が灌木に影を落として闇を作り出している。今まで、幾度となく向き合ってきた闇だ。闇を斬ろうとしたこともあれば、闇の先を見ようと剣を構え続けたこともある。

 無意識に腰へ手を回したが、帯にはなにも差さっていなかった。延寿国村は寝床に置いたままだ。

 

「座ったらどうだ?」

 

 こちらを見上げている申の言葉に、桃は少し考えて適当な石に腰を下ろした。眠気は覚めてしまっている。

 

「良いものだな、武芸というのは」

 

 疲労を確かめるように躰の節々を順番に動かしながら、申がそう呟いた。

 

「槍を構えている時、色々なことが頭に浮かぶ。家のこと、父や弟のこと、将来のこと。どれも俺にとっては悩ましい話だ」

 

「考えすぎるのさ、お前は」

 

「俺もそう思う。しかし性分というやつはどうしようもないと諦めていた。悩みながら生き続けるしかないと。それがな、槍を構えているとふっと消える時があるんだ」

 

 申は桃から視線を外し、空のどこかを見ながら続けた。

 

「屋敷で稽古をしていた頃はこんなことはなかった。将来はどうなるのか、そこで武芸はどう役立つのか。稽古の間もそんなことばかりを考えていた気がする。それが最近は変わってしまった」

 

「嫌なのか?」

 

「嫌ではないから困っている。自分が無責任になったようでな」

 

「死人がどうやって責任を取る気だ?」

 

「死人?」

 

「斬り合えばどちらかが死ぬ。当たり前だがな。私は今生きているが、いつかは死ぬ順番も来るだろう」

 

「将来などない、ということか?」

 

「私はそのつもりで剣を構えている。恐らく、戌童殿も」

 

「わからん。それでは死ぬために武を磨いているようなものだ。理屈が合わんではないか」

 

「私の中では合うのさ。お前には合わないというなら、それもまた良いだろう」

 

「難しいな。頭がこんがらがってきた」

 

「考えすぎると言ったのは取り消そう。考えすぎるぐらいが、お前には似合っている」

 

「悩むことばかりだ、まったく」

 

 申が大の字に寝転んだ。そのまま腕を枕に空を見上げている。なんとなく、桃も視線を空へ向けた。月こそ見えているがいくらか雲が漂っているようで、星は薄墨に塗りつぶされていた。

 木々のざわめきに紛れて、獣の鳴くような声が遥か遠くの山から聞こえた。夜風は想像よりもずっと遠くまで音を乗せて運んでいく。

 

「戌童殿が言うには、俺はお前に惚れているらしい」

 

 なんでもないように呟かれた申の言葉も、風に乗って桃の耳へはっきりと届いた。

 

「武芸者としてではないぞ。男と女としてだ」

 

「そうなのか?」

 

「それがわからん」

 

「なんだそれは。自分のことだろうが」

 

「わからんものはわからんのさ。お前、恋愛というやつを知っているか?」

 

「知る訳がないだろう」

 

「俺もだ。女中以外の女子(おなご)と親しくした経験もないしな。戌童殿に言われるとそうなのかもしれん、と思うし、そんな筈はないとも思う」

 

「それを私に聞かせてどうする気だ、お前」

 

「答えが出ぬからとりあえず口にしてみたのさ。そのおかげで、やはりわからぬということがわかった」

 

「お前な」

 

「無責任というのも中々良いな」

 

 雲間から漏れる月明かりで、申が笑うのがうっすらと見えた。

 桃は足元の草を適当に引き千切り、宙に放り投げた。ひらひらと落ちていくものがほとんどだが、数本は風に上手く乗ったのか頭上へと舞い上がっていく。

 草の行く先をしばらく目で追っていたが、それらは地に降りる前に闇に飲まれて見えなくなった。顔にかかった何本かを、申がうるさそうに手で払っている。その仕草がなんとなく可笑しくて、桃は笑いを抑えながら立ち上がった。

 

「もう寝る。鍛錬はほどほどにしておけ、申」

 

「何か掴めそうな気もしているんだ。俺みたいな腕前でこんなことを言うと笑われるかもしれんが」

 

「どんな腕だろうと強くなる時はそんなものだ。止めはしないが、休息は取れよ」

 

「魅志摩という男とぶつかる時が近いのか」

 

「気付いていたのか?」

 

「これも戌童殿が言ったことさ。お前と魅志摩の睨み合いが始まっていると」

 

「そんな大層なものじゃない。少なくとも私は、どうやって立ち向かえばいいのか考えあぐねているだけだ」

 

 申が上体を起こした。視線はどこか遠い空へと向けられている。

 

「二人がかりで斬ればいい、と俺などは思うのだが」

 

「言いたいことはわかるが、そう上手くはいかないさ」

 

「そうなのだろうな。戌童殿も肩を並べて戦うつもりはないようだった」

 

「剣にも色々ある。私も戌童殿も他人に合わせて振るうような剣は持っていない」

 

「俺が槍で割り込んだらどうなる?」

 

「死にたい時はそうしろ。魅志摩の腕なら綺麗に両断してくれるだろう」

 

「やめておくか。それなりの覚悟は持っているが真っ二つにされたくはない」

 

 ふと、申がこちらに顔を向けた。真っ直ぐな目で、しかし角張った調子はなく、言葉は柔らかかった。

 

「お前が斬られるところも見たくはないぞ、俺は」

 

「ああ」

 

 頷き、それから何か言おうとして、思いつかず背を向けた。

 こういう台詞をなんの衒いもなく口にできるのは申の長所であり、面倒なところでもある。

 死ぬ時は死ぬ。そう言えば、あれこれと健全な理屈を並べたててくるだろう。疎ましさと多少の面映ゆさで、桃は寝床へ戻る足を速めた。

 矢翠は桃の剣腕に根拠のない信頼を置いていて、生死というよりも傷が残ることだけを心配している節がある。祖父から案じるような言葉をもらった記憶はない。だからこそ申の言動は新鮮だった。

 あるいはあれが、普通というものなのか。

 夜露を避けるための麻布に包まり、躰を木の根元に預けた。延寿国村を手元に引き寄せる。束の間、刀を抜きたい衝動に桃は駆られた。一度深々と柄を握り、それから抱きしめるように鍔を肩に掛けた。鞘の冷たさが躰の芯に染み込むのが、心地良かった。

 矢翠は起きている気配だったが、なにも言ってはこなかった。風だけが静かに流れ続けている。

 遠くで槍を振るう気迫を肌に感じながら、桃は目を閉じた。

 

 

 

 

 

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