ハードボイルド美少女桃太郎   作:島ハブ

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第14話

 

 

 

 

 

 街道の近くを通ると、野花が道の脇に目立ち始めた。冬の名残りもようやく過ぎ去ろうとしている。風だけが行き場を失いつつある寒気を乗せて、躰へと吹き付けていた。

 街はまだ遠かったが、犬の領地には二日もあれば入れるだろう。領地に入れば迎えの兵が来る、と戌童は言っていた。尚武の気風を尊ぶ犬の一族では平時でも警邏を欠かさないらしい。

 

「領内にさえ入ればまず安心でしょう」

 

「入れば、ですね」

 

「兵達はよく躾けられておりますからな。縄張りの内には敏感で、外には無関心です。猟犬とはかくあるものかと感心しますよ」

 

 自分の一族の話であるのに、戌童の物言いには皮肉な響きがあった。単身で都に上って剣を磨いてきた戌童からすれば、外に目を向けない親族に対して思うことがあるのかもしれない。冗談のように語っていた一族内で冷遇されているという話も、あながち誇大ではなさそうだ。

 昼餉は干し飯だった。塩も心許なくなっているが、矢翠はふんだんに使ったようだ。桃は指先を二、三度舐めて、それから水で濯いだ。塩気が取れたのを確認してから、水筒を口に運ぶ。一口で充分喉は潤った。

 何事もなく犬の領地に入れるとは誰も考えていなかった。不穏とも緊張感とも言い難い空気がどこからともなく流れている。申もここしばらくは鍛錬を控えているようだ。それは戦いに備えているようにも、逃げ足を温存しているようにも見えた。

 魅志磨を斬るしかない。そう思った。仮に犬の領地に駆け込めるとしても、足を止めてあの男を斬っておくべきだ。斬らなければ進めないという予感のようなものが、桃にはあった。

 日が落ちると、誰からともなく野営の準備を始めた。大したことはしない。火を焚き、寝床を設えるだけだ。夕餉は昼に調理したものの余りで、流し込むように腹に収めるとそのまま眠った。夜半に申が起きだし、槍を振るでもなく辺りをうろついてから寝床に戻る気配がした。動きこそないが戌童も意識を張り巡らせているようだ。矢翠だけが桃のすぐ隣で柔らかな寝息を立てている。

 桃ももう一度眠りに戻った。どれぐらい眠れたのかはよくわからなかった。日の出前。桃と戌童はほとんど同時に目を覚まし、刀を身に帯びた。気配。遠くない。手練れだが、しかし魅志磨ではなかった。

 

「これは」

 

 現れた男達の姿を見て、戌童が声をあげた。三人。一人は逸葛だが、あとの二人には見覚えがなかった。桃よりいくらか年上という程度の若い男だ。小袖に野袴で、紐で襷をかけている。腰元には太刀を佩いていた。立ち姿は静かだが、刺すような剣気を放っている。

 

「あの老人を甘く見ておりました。まさか、我が一族の若い衆を誑かすとは」

 

「では、あれは」

 

「犬の一族の者です。お恥ずかしい話ですが」

 

「恥ずかしいのはこちらです、戌童殿」

 

 右の男ががなり立てるように声を張り上げた。

 

「都で剣を学んでやることが柴の孫娘の従者ですか。女の尻を追って、まったく好い気なものだ。一族の矜持を失われたか」

 

「果島の地の命運を期す戦いで、男だ女だのと愚かなことを」

 

「一族の名を背負いながらの放蕩、もはや我慢がならぬ。柴もだ。鬼の一族を武力で除くというなら、まず我々犬の一族が請け負うが必定。古来果島の地の武力を司った我々こそが」

 

「下らぬな。朝廷の下で二番手争いでもするつもりか」

 

「そもそも柴などの下風に立つのが間違いだというのだ。よりにもよって、家を蔑ろにした貴方のような者が率先してそれを為すなど言語道断。大人しく裁を受けられよ」

 

「いつから裁を下せる立場になった、暁犬(ぎょうけん)。理想を持つのは良いが、身の丈を過ぎたれば自身を滅ぼすぞ」

 

「戌童殿」

 

 憤怒に顔を膨らませた男を制して、静観していたもう一人が戌童へ向けて一歩踏み出した。口数の多い方よりも、ずっと腕が立つ。桃達など目に入らぬというように、その視線は戌童だけを真っ直ぐに射抜いていた。

 

「立合を所望いたします」

 

「お主も同じような考えか、狗捷(いしょう)

 

「いえ。私には考えなどありませぬ。斬れと言われれば、斬ります」

 

「猟犬の生き方だな」

 

「他に物を知りませんので」

 

「一応尋ねておくが、一族の総意ではなかろうな」

 

「総意は柴との協調でしょう。暁犬様は不服を唱えておられますが」

 

「それがわかっていてなお斬り合うなど馬鹿げた話だが、猟犬ではやむを得ぬか」

 

 狗捷と呼ばれた男が刀を抜いた。もとより雰囲気は漂わせていたが、構えた正眼の剣先からははっとするほど強い気配が滲んでいる。

 不意に、逸葛が身を翻した。走り去っていく背は、しかし速いとはいえなかった。誘い。わかっていても、桃はその背に向けて足を踏み出した。

 

「追いますか」

 

「はい」

 

「こちらもすぐに追いつく、とは言えませんな。頭は固いが手練れです」

 

「矢翠をお願いします」

 

「あれに本気で柴殿と事を構える度量などないでしょう。私を斬って終わりです。もっとも、斬られるつもりもありませんが」

 

「ならば、ご武運を」

 

「こちらの台詞です、それは。魅志磨は難敵ですぞ」

 

「わかっています」

 

 走り出す。逸葛の背はだいぶ小さくなっていたが、まだ視界の先にあった。

 

「待て女」

 

「お止めください、暁犬様。行かせた方が良い」

 

「何を言っている」

 

「戌童殿と遜色ない腕です。それ以上近づいてはなりません。間合いに入ればまず斬られます」

 

 暁犬が顔色を変えた。もう二尺、近ければ斬れただろう。考えても仕方のないことだった。

 横を駆け抜ける。手出しはしてこなかった。戌童が静かに鯉口を切ったのが、視界の端に見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 獣のように駆けていた逸葛が、足を止めた。林の中だ。人の気配はない。桃は刀の柄に手もかけぬまま、振り向いた逸葛と向き合うように立った。

 

「もう逃げぬのですか?」

 

「貴女はここで死ぬのです、桃様」

 

「魅志磨を呼んだ方が良い、と思いますが」

 

「貴女は私の手にかかる。魅志磨様に会うことなくです。そうでなければならない」

 

 どこか自分に言い聞かせるように逸葛はそう呟いた。手元にはいつの間にか苦無が握られている。今までのやり方を考えれば、罠の一つもあるだろう。それでもまだ、桃は延寿国村を抜かなかった。

 

「なんとなく、あなたのことは嫌いではない。好きにもなれませんが」

 

 逸葛が表情を歪ませた。はっきりとは読み取れないような深い色が皺の刻まれた顔を横切って流れていく。

 

「この世はすなわち地獄だ。これが宿業であるならば、地獄でしかない」

 

「仏問答かなにかですか」

 

「私にとっての事実を述べたまでです。この世は地獄。死すら、どこか甘美に見えるほど」

 

「死を望むならば止めはしませんよ」

 

「自裁するのはすべてが終わってからにしましょう。この老骨の役目がすべて終わってから。貴女を殺してから」

 

 どこか苦し気な表情のまま逸葛がゆっくりと腰を落とした。地に手をつけた、四足の獣が跳び上がる直前のような姿勢。

 なにかが動いた。後ろ。逸葛が縄のようなものを引くと同時に、木のしなる音がした。桃は前に出て、それから横に跳んだ。苦無よりももっと細長い、大きな針のようなものが横切った。それから糸。ようやく差してきた朝日に浮かぶそれは、木と木を繋ぐようにあちこちに配置されているようだった。全貌は見えない。

 咄嗟に呼吸を止めた。音。耳をそばだてる。視界に映るものはすべて虚と思った方が良さそうだ。

 目の前で糸が弾け、木が左右にしなった。しかし、音は上だった。なにが降ってくるのかも確認しないまま桃は身を躱した。苦無。もう一度横に跳ぶ。顔をあげたところに逸葛が跳躍してきた。小刀の白い光を、桃は躱すともなく躱していた。逸葛の姿が木々に消えようとする。

 初めて、延寿国村を抜いた。

 逆一文字に薙いだ。人の腰ほどの太さの木を三本、一太刀で両断した。住処を追われた獣のように逸葛の影が飛び出した。跳躍する。もう二本を袈裟に吹き飛ばし、さらに斬り上げた。木と糸と葉が朝焼けの中に舞い上がり、土埃が足元に垂れ込めた。それらが治まると不意に明るくなったように感じた。林の中にぽっかりと空間が拓けている。

 その中で、逸葛が俯せに倒れていた。延寿国村の切っ先が脾腹を抉った感触がまだ掌に残っている。逸葛は顔だけを持ち上げて、桃を視界に捉えると微笑んだ。

 

「よく、お似合いなさる。刀を携えるとそっくりじゃ」

 

「誰と似ているのです」

 

「大きくなられた。ああ、今でも思い出す。ああ、ああ」

 

 逸葛が自分を見ていないことに、桃は遅れて気付いた。視界には入っている筈だ。しかし、逸葛の目は今この場ではないどこかを見ている。

 死の間際とはこんなものなのだろうか。桃はぼんやりと逸葛を眺めた。戦う前よりも、むしろ安らかな表情をしている。死相だけがそこに陰を落としていた。

 延寿国村には一片の曇りすらなかった。鞘に納め、桃は逸葛のすぐ横に膝をついた。死相が一層濃くなったが、それに相反するように顔から強張りが抜けていき、どこか無邪気ですらあった。

 

「まだ、小さかった。しかしその頃から刀剣に目を向けられた。目を離した隙に、姫様の来国行に手を伸ばされた時は、寿命が縮む思いだった」

 

「幼子を見ておられるのですね」

 

「姫様、こちらに。こちらにおられます。私は、死んでも。良い。良いのです、姫様。こちらに」

 

 言葉が途切れた。しばらく待ったが、続く言葉はいつまでも零れ落ちてこなかった。逸葛の息はすでに止まっている。眠るように、死んでいた。

 桃は少し考えて、さっき斬り倒した木のところへ向かった。できるだけ葉の残っている枝を選んで小柄で切り落としていく。一抱えほど集めると、それを遺骸の上に被せた。それで終わりだった。墓石も酒もない。重ねた枝も大した意味はないだろう。そのうちに朽ちて消えていく筈だ。

 嫌いではない老人の墓。やがて消え行くぐらいで丁度いい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝日が、ようようとその輝きを増してきた。

 潜り込んだ猟師小屋は造りが雑なのか、光も隙間風も好き放題に通している。魅志磨は寝床から起きだし、握りを頬張った。前日に逸葛が拵えていったものだ。薄い味だった。歳を取ってから、逸葛の味付けは極端に薄くなった。

 鬼の一族の中でも隠密を取りまとめる家系の生まれだが、気性は向いていなかった。だからか、子守り紛いのこともたびたびしていたのだ。幼い頃に逸葛と昼餉を食べた記憶が、魅志磨には何度かあった。

 その逸葛は、昨日の昼に握りを拵えてから出て行ったきりだった。暗躍している、と思っているのは本人だけで、魅志磨からは藻掻いているようにしか見えなかった。それも、死に向けて藻掻いているのだ。

 隠密としての才は持ち合わせているので、一つ二つぐらいの小細工は為すだろう。大して意味のあることではないが、ただじっと待つことは苦痛でしかない筈だ。好きなようにやればいい、と魅志磨は思っていた。

 酒があった。逸葛が手に入れてきたどぶろくだ。碗に注いで、一息に呷った。もう一度なみなみと注ぐ。それには手をつけないまま、魅志磨は片膝を立てて握りを食った。

 

「死ねたか、逸葛」

 

 朝方に気がぶつかり合うのを魅志磨は感じ取っていた。片方は柴の娘で、もう一方は逸葛である。無謀なことをしていた。やがて柴の娘が一際強い気を発し、逸葛の気配は消え去った。

 闇に生きる隠密としては上等な死に方かもしれない。そう考えて、魅志磨は苦笑した。上等な死に方などというものが自分達にあるとは思えなかったのだ。

 一族の命運がどこから狂ったのか、よくわからなかった。柴の裏切りを認めきれず手をこまねいていた時か。あるいは、朝廷に立ち向かおうと柴と手を組んだ時か。祖父と柴が友誼を結んだ時か。鬼の一族の在り方に、そもそも無理があったのか。

 夫を亡くした母を支えた時の柴は真実真心のみをもって振舞っていたという。むしろ母の方が執心を募らせて柴に迫っていたというのだ。やがて母は柴の子を孕み、果島の地は朝廷に恭順を受け入れられた。

 鬼の一族という刃を朝廷に向けながらの恭順である。朝廷も方々に敵を作りすぎていて、全面降伏を強いる余力はなかったのだ。しかし、柴と鬼の一族は表向き政治的に対立せざるを得なくなった。時勢が果島の地を救い、母と柴を引き裂いた。

 幼い娘を柴に託した母は、(かすがい)のつもりなのかもしれなかった。そして今、その娘が鬼の一族に連なる者を次々に斬り殺している。

 斬ってやるしかなかった。生まれたことが間違いのようなものだったのだ。何も知らぬまま死なせてやることだけが、同じ胎から生まれた兄として魅志磨にできる唯一のことだった。

 酒が余っている。少し迷ったが、そのままにして外へ出た。気配はもう、しばらく前からそこに佇んでいる。

 

「逸葛を斬ったか」

 

「ああ」

 

 衒いもなく柴の娘は答えた。外傷は見受けられない。逸葛はやはり、なにも意味を為せぬまま死んでいったのだろう。

 

「腕を上げたようだな。向き合うだけでそれがわかる。しかし、足りんな」

 

「腕前だけで勝敗は決まらないだろう」

 

「負け犬の言い草だな。勝てぬと思っているからそんな言葉が出る」

 

「多弁じゃないか、魅志摩。口が動きたがっているようだ」

 

 図星だった。言い返す言葉が思いつかず、魅志磨は苦笑した。まったく必要のないことまで口にしてしまっている。

 言葉で測れるようなものはもうない。あとは斬り結んで、生死を別けるだけだ。

 自分とこの妹の間に残っているものが死闘だけだというのが、魅志磨にはどこか不思議なことのように思われた。物心ついた時にはもういなかった妹であり、魅志磨もその存在を意識することはほとんどなかった。それが今、互いに剣だけを介在した時間に踏み込もうとしている。

 先に妹が、桃が刀を抜いた。延寿国村。正眼に構えられた瞬間、以前に立合った時とはまったく違う新鮮な驚きが魅志磨を包んだ。

 母にしか見えない。そんな筈はなかった。顔立ちこそよく似ているが、桃の身長は女としては群を抜いて高かった。母は人並みの体躯でしかないのだ。それでも、刀を構えた姿は瓜二つだった。若返った母としか思えない。おまけに差料は延寿国村ときている。

 血か。口の中で呟いた。消しえぬ呪いのように、血が繋がっている。

 

「本当に、腕を上げた」

 

 魅志磨も鞘を払った。相正眼。朝の陽光を受けて、切っ先が硬質に煌めいた。潮合がすぐに満ちてくる。機。構えたまま、静かにやり過ごした。桃も微動だにしていない。

 前回、絶好の機を捉えて斬撃を送った筈だった。それは肩を浅く裂くに留まり、返しの太刀で腹を割られそうになった。この娘を相手に、機は機ではない。

 固着した。気もそれほど強くは発していない。容易くは斬れぬ相手だ。一刻でも二刻でも向かい合うしかないだろう。

 まだ、母には及ばない。腕だけならば魅志磨の方が上だろう。しかし、どこか不気味だった。あるいはそれが、自分にはなくて桃にはあるもの、つまり柴の血なのかもしれない。

 柴を斬ってしまいたかった。そうなれば朝廷の軍が果島の地へ雪崩れ込む。それがわかっていても、柴を斬りたかった。

 潮合。踏み込んでいた。鎖骨の下辺りを斬った。浅い。返しに飛んできた唐竹は凄まじかった。頭頂から両断しようという剣だ。辛うじて躱し、転がり起きた。向き合う。互いの距離はほとんど変わっていない。ただ、桃の胸元に血が染みていた。

 相討ちの剣。肚は据わっているようだ。

 

「俺と相討ちで良いのか?」

 

 桃は答えなかった。ただ、正眼は先ほどよりやや低くなっている。

 風が吹いては止んでいる。山鳩かなにかが二人を大きく迂回するようにして通り過ぎた。潮合は満ちては弾け、また少しずつ高まることを繰り返している。それでも互いに微動だにしなかった。機は、捉えるものではなくなってしまっている。

 風が不意に向きを変えた。向かい風。桃が跳躍した。魅志磨は横に跳び、斬撃を送った。二の腕。浅い。桃が踏み込む。魅志磨も前に出た。馳せ違う。薄皮一枚で躱し、どこかを斬った。しかしこれも浅傷だ。

 向き合った。いくつか手傷を負わせたが、失血でどうにかなるほどの深さではない。小手先の剣ではない筈だが、桃はそのすべてを辛うじて躱していた。

 相正眼が続いた。日差しはもう朝の硬質さを失っている。

 渾身の気合とともに、魅志磨は構えを下段にした。額から汗がとめどなく流れ出ていく。桃も浅い呼吸を繰り返していた。

 斬り上げ、斬り下ろす。魅志磨がもっとも得意とする剣だ。しかし、放てるのか。桃は呼吸を荒げていたが、その構えには一寸の乱れもなかった。感嘆するほどに端正な剣だ。人間を斬るという目的だけが具現化したような、非人間的な端正さだった。

 相討ちで良いか。ふと、そんな気持ちになった。剣には人を死なせる力しかない。自分も桃も、死んだ方が良い人間だった。できるなら柴や朝廷の連中も斬ってやりたいが、それは望みすぎというものだろう。

 切っ先に気を集めた。桃の表情がはっきり強張っている。

 日差し。風。鳥。それらのすべてが意識から消えていた。あるいは自分自身さえ消えていたかもしれない。目の前の妹。斬ってやることしかできぬ妹。そして延寿国村。母と似ているとも、もう思わなかった。

 踏み込んだ。ほとんど同時に桃が前に出た。斬撃。刀同士が一瞬重なり、弾けた。桃が横薙ぎに転じる。それよりも先に、斬り下ろせる。斬った。そう思った。

 なにかがずれた。束の間、すべてのことが噛み合いを失った。

 白い光が魅志磨の躰を通り抜けた。どこまでも鮮やかに、それは魅志磨の中からなにかを拭い去って消していった。

 

 

 

 

 

 

 

 延寿国村を地に刺し、膝を着いた。倒れこまないだけで精いっぱいだった。躰が無限に空気を欲しているように、呼吸がいつまでも静まらなかった。

 顔だけをなんとか持ち上げる。魅志磨は仰向けに倒れこんでいた。昼寝でもしているような恰好だ。しかしその脇腹はぱっくりと口を開け、強烈な赤と臓物を吐き出していた。

 

「大したものだ」

 

 呟くような声がした。

 

「俺を、上回ったか」

 

「刀の、差だ」

 

 荒い呼吸のままそれだけを答え、桃は魅志磨の傍に転がっている刀へ目を向けた。輪反りの丁度真ん中に、小さな罅が入っている。打ち合った時にできたものだ。この小さな罅が、魅志磨の斬撃を致命的に狂わせた。

 延寿国村を見た。激しい闘争の後とは思えないほど、静謐を湛えている。刀身にも一片の曇りすらなかった。

 

「刀が逆なら、私は頭から両断されていた」

 

「いや。俺の刀は、無銘だが、柔ではない。お前が勝ったのさ、桃」

 

 魅志磨が咳き込んだ。笑ったようだった。

 

「俺の刀」

 

「なんだ?」

 

「握らせてくれぬか。今更、抵抗しようとは思わん」

 

「左側にある」

 

「躰がまともに動かん。お前、やはり碌でもない剣だ。一太刀で、俺を殺し切った」

 

 桃は魅志磨の刀を拾い、手の平に乗せてやった。指が一度だけ柄を握りこみ、力を使い果たしたように開いた。その間も、魅志磨の腹からは血が流れ続けている。

 

「お前は、地獄を見る。ここで、斬ってやりたかったがな」

 

「逸葛という老人も似たようなことを言っていた。この世は地獄だと」

 

「だろうな。俺は、何もしてやれなかった」

 

 また、魅志磨が咳き込んだ。喋る言葉にも苦し気な喘ぎが混ざっている。外から見える以上に、躰の中でも血が流れているのだろう。

 介錯すべきか。桃の考えを見抜いたように、魅志磨がにやりと笑った。

 

「焦るなよ。今、死に逝く自分を、愉しんでるんだ」

 

「苦しませる趣味はない。見たくもないな」

 

「なら、必要なことだけ、済ませるか」

 

 魅志磨が懐に手を入れた。出てきた手が、書簡を握っている。

 

「持っていけ。俺の祖父、族長が、柴に宛てたものだ」

 

「お祖父様に?」

 

「捨てても良いが、奪われるな。朝廷の者が狙っている。果島の地を攻める口実に、なりかねない」

 

「なんなのだ、この書状は」

 

「知りたければ、読め。俺は、見る気にもならん。後は、戌童に聞け」

 

 魅志磨が息をついた。不意に、その顔が死相に包まれた。目を閉じた顔は、はっとするほど若い。桃と比べても歳の差はほとんどないだろう。

 顔立ちに、どこか見覚えがある気がする。それがなんなのかわからぬまま、魅志磨がまた目を開いた。人を食ったような表情が、引っ掛かりを曖昧にする。

 

「眠いな。俺は、もう寝る」

 

 目が合った。魅志磨が束の間、微笑んだような気がした。

 血が匂う。天気は良かった。陰惨さが、どこか場違いのようだった。

 魅志磨の手から、刀が落ちた。

 

 

 

 

 

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