ハードボイルド美少女桃太郎   作:島ハブ

18 / 18
第18話

 

 

 

 

 

 道中では何もなかった。犬の領地を出てからは斥候を頻繁に出したが、何の情報もないままいくつかの隘路を越えた。奇襲があるならここだろう、と目を付けていた場所だ。

 

「どうやら、鬼の一族も肚を据えたようですな。元々、犬の領地からそれほど遠いという訳ではないのです。奇襲をかけられる場所ももうないでしょう」

 

「待ち構えていますね」

 

「恐らくは。がっぷり四つのぶつかり合いになりそうですな」

 

 頷いて、桃は足を速めた。大将のためにと馬が一頭曳かれていたが、桃は騎乗せずに矢翠の荷物だけを背に括り付けた。

 置いて行かれることなどまるで考えなかったのか、矢翠はあれこれと詰め込んだ大きな袋を二つに、行李を一つ用意していた。行李の中は様々な小物で、袋には野営に役立つ道具がいくつか入っているようだ。

 日が落ち、足を止めてからは矢翠の独壇場だった。桃達の食事は自分の手で作りつつ、兵の調理も補佐する。いくつか火にかけられた鍋が、全て同じ味に仕上がっていた。寝床の用意に関してもあれこれと指示を出していたようだ。

 実績も何もない女に率いられた軍である。多少の乱れは覚悟していたが、矢翠の奮闘と戌童の睨みで想定よりもずっと穏やかな夜になった。申は特に若い兵に声をかけていて、色々と話をしていたようだ。分別くさいことは言わず、かといって変に強がったり大言を放つ訳でもない。等身大の言動は不思議に信望を集めているようだった。

 しばらく眠ってから、寝床を抜け出して延寿国村を構えた。剣の先。ただ闇が広がっている。今まで幾度となく、こうやって剣を構えてきた。なんのために、ということはあまり考えなかった。あるいは母の血が、桃を剣に向かわせたのか。

 日が昇っていた。矢翠はもう起きだし、朝餉を準備している。

 

「桃様、朝食にいたしましょう」

 

 軍中とは思えぬ朗らかさで矢翠が呼んだ。桃が向かうと、戌童と申も待っていた。

 静かな食事だった。四人で黙々と糧食を口に運ぶ。

 夜には全員死んでいる、ということもありえなくはなかった。それでも箸を動かし、味わいながら咀嚼する。腹が膨れれば満ち足りたような気分にもなる。

 全ての物事が、今この瞬間だけは遠かった。戦も使命も、薄膜の向こうにある些事でしかなかった。例え錯覚であっても、あるがままの安穏に包まれていた。穏やかな旅の一幕であるかのように。

 最初に申が食べ終え、静かに立ち上がった。次いで矢翠、桃、戌童の順に食事を終える。言葉もないまま、洗い終えた食器だけを重ねた。

 軍中は朝食を終え活気だっていた。隊列を整え、二刻ほど進んだ。畑や猟師小屋がいくつか見えたが人の姿はなかった。斥候を出しながら山を迂回する。戻ってきた斥候の表情が緊張に固まっていた。

 見えた。鬼の一族の屋敷。その前に、水田や民家を避けるようにして一軍が布陣していた。数は想定していたよりもずっと少なく見えた。

 近付いた。先頭に二人の男が立っている。初老と若い男だ。初老の方を見た時、全身が粟立つのを桃は感じた。魅志磨よりも上かもしれない、と思わせる気配をその男は放っている。

 

「柴の娘か」

 

 初老の男が細い目の奥からそう言った。その後ろでは、兵達が桃の姿を指差しながら狼狽えている。

 

「よく似ている。忌々しいほどだ」

 

 誰に、ということを男は言わなかった。束の間、母の姿を桃は探した。それらしい人物は見えない。

 初老の男が前に出る。その足を遮るように、戌童が立ち塞がった。

 

「鬼の一族は排他的だが、それでも優れた剣客の名はたびたび耳にする。魏蒙の名は、天賦の剣としてよく聞くぞ」

 

「そういうそちらは戌童か。都への武者修行で剣を極めたとか」

 

「極めるなどということがこの道にないことはお主も知っていよう。一介の武芸者として相手しよう、魏蒙」

 

 戌童が軽く太刀の柄に手を添えた。魏蒙の目が細められた。

 

「噂もなかなか侮れぬな。さっさと柴の娘を斬ろうと思ったが、そうもいかぬか。隗洪」

 

 隗洪と呼ばれた若い男が、桃を見た。魏蒙よりはいくらか劣るだろう。しかし、それでも充分な手練れだ。止めるべきか思案して、やめた。任せると決めたのだ。

 申が、槍を構えた。隗洪の目がそちらに向く。申は額に汗を搔きながらも、その剣気を一身で受け止めていた。槍の穂先もぴたりと定まったまま動いていない。魏蒙が頭を掻いた。

 

「なるほど、流石に人材がいるようだ。上手くいかぬな」

 

「投降ならば受け入れるぞ」

 

「冗談はよせ。朝廷の連中も柴も、そんなことを許すかよ。あとは殺し合うだけだろうさ」

 

 魏蒙が右手を挙げた。桃は咄嗟に前進の合図を兵に送った。

 無人と思われた民家の戸が開き、敵兵が飛び出してきた。挟撃。こちらの兵に動揺が走った。桃は前に跳んだ。魏蒙と隗洪の間を抜け、斬り込んだ。後ろは見ない。それぞれの気が高まるのだけを背に感じた。

 鬼の兵。斬るほどもなかった。桃が飛び込んだだけで、戸惑ったように散っていく。反射のように槍を向けてきた三人だけを桃は一太刀で断ち切った。残った敵兵は一度下がり、桃を囲むように広がった。

 挟撃に走ろうとした兵の出足は挫いたが、奇襲自体はまともに喰らった格好だった。立て直せるほどの統率は桃にはない。ただ、初めから乱戦と決めていたのが功を奏したのかこちらの兵も逡巡なく応戦したようだ。戦場は初手から陣形などない混戦になった。

 

「桃殿、行かれよっ」

 

 後方で戌童が吠えるのと同時に、一団の兵が突っ込んで来た。味方だ。桃を囲んでいた敵兵に遮二無二斬り込んでいく。勢いはあったが、それはそのまま無謀さでもあった。僅かに足の鈍ったところで押し包まれそうになった。

 跳躍した。包囲しようとした敵兵を真っ二つに斬り下ろす。血飛沫があがった。延寿国村は、まったく血を寄せ付けていなかった。再び跳躍する。包囲は破れていた。後方の乱戦を抜け出した兵達も前に出てきたようだ。まとまることすらせぬまま、ぶつかった。闘争の気配はそこら中に溢れ、敵も味方も部隊という体を成していなかった。

 鬼の屋敷が、すぐ先に見えた。門は開いている。そこに、いるのだろうか。

 足を進めようとして、咄嗟に桃は振り返った。後方で剣気が燃えていた。隗洪。その肩の向こうに、申が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪くないが、未熟だな」

 

 隗洪が呟いた言葉に、申は内心で同意した。

 手練れだった。それも朝廷の隠密などとは違う、真っ向から戦うことに慣れた手練れだ。

 得物の間合いを活かして繰り出した突きは事も無げに躱され、返す太刀で二の腕を斬られた。軽傷で済んだのは桃との鍛錬のおかげだろう。あれがなければ、今頃腕を飛ばされていた筈だ。

 戌童と魏蒙は兵の波間に姿を消していた。どの道容易く終わる立合ではないだろう。助けが来ることは期待できない。

 ここで死ぬのか。桃は何かを見出して申を手練れの前に立たせた筈だ。しかしその何かが、申自身にはわからなかった。あるいは相手が強すぎるのか。

 魏蒙と比べれば、隗洪は数段落ちるだろう。そして、申よりは何枚も上手である。

 強すぎる、とは言えなかった。自分が弱いのだ。だから今、死地に立っている。

 

「捨て駒か。流石に柴の娘は悪辣な手を遣う」

 

「あれはそんな女じゃない」

 

「ほう。捨て駒がまだ吠えるか。篭絡も得手らしいな」

 

「お前が、桃に相手にされなかったというだけさ」

 

 隗洪の顔に朱が走った。まだ若い。申よりもさらに歳下だろう。技量程には、精神が成熟できていない。

 斬撃がきた。薄皮一枚で躱した。見切ったのではなく、ぎりぎりでしか躱せなかったのだ。次の斬撃はただ転がるようにして躱した。起き上がりに槍を払ったことで、辛うじて追撃を受けずに済んだ。

 か細い幸運だけを掴みながら生き延びている。いつまでも続く筈はなかった。どこかで、突くしかない。

 隗洪が上段に構えた。突けるならば突け、という格好である。安い挑発に、申はあえて乗った。

 突き。当然見切られているだろう。しかしそれが、三段ならばどうなのか。

 一段目。余裕を持って躱された。しかし申も槍を引いていた。二段目。一段目よりもずっと近いが、しかし当たらなかった。ただ、隗洪も姿勢を崩している。

 三段目を繰り出そうとして、足が引けた。隗洪が凄まじい剣気を放ったと思ったのだ。それが斬撃を伴わない、剣気だけの幻惑だと気付いた時には申の槍は乱れていた。突くとも躱すともいえない中途半端な動きになった。当然、隗洪の躰を掠めもしない。

 隗洪の剣。躱せないことがわかっていながら申は地面に倒れ込んだ。ただ生きるために、そうしていた。

 何かが光った。跳ね起きた申の目の前で、隗洪が左手を抑えながら蹲っていた。小柄。深く突き刺さったそれを、隗洪は苛立たし気に引き抜いた。

 

「魁鉄殿の投擲か。よりによって柴の娘が我が一族の技を遣うなどっ」

 

 よほど深く刺さったのか、隗洪の左腕からはかなりの血が流れ続けている。剣を握る力は残っていないだろう。

 遠目に見える桃の背は、もうこちらを振り返ろうとはしなかった。やるべきことはやった、後はなんとかしてみせろ。背が、そう語っているように見えた。

 槍を構えた。隗洪が向き合うように片手で剣を持ち上げる。有利とは言えなかった。ようやく五分になった程度だろう。

 

「強いな、お前は。俺よりずっと強い」

 

「貴様、もう勝った気でいるのか?」

 

「俺はお前には勝てんよ。ただ、生き延びると決めている」

 

「それは勝つということではないか」

 

「違うと俺は思っている。死なずに済んだだけだとな。それが、勝ったと言われたりするんだろうが」

 

「言葉を弄するな。俺は貴様に勝つ」

 

 隗洪が強く剣気を発した。申ははっきり気圧された。気圧されながら、槍だけはしっかりと構えている。得物を投げれば死だと、桃がいつだか言っていた。その意味が、今の申にはよくわかった。

 相手との向き合いを放棄することなのだ。仮にその投げ槍が当たって事態を解決したとしても、そこに申の意思はない。運を天に任せるような在り方は、生きるということではなかった。

 生き延びたいと強く思う。だから、槍を投げ出したりはしない。

 片手で支えているとは思えないほど、隗洪の剣は微動だにせず申の丹田に向けられていた。間違いなく、技量では勝てない。生きるための道はもっと別のものだ。

 槍を構えたまま向き合い続けた。そうしている限り生きていられる。その先のことは、何も考えられなかった。

 

「臆病者だ、貴様は」

 

「それは誰よりも俺が知っている。俺は剣客でも戦士でもないんだ」

 

「ならば死ね。戦場で、貴様のような奴の居場所は死にしかない」

 

「違うな。剣客は戦って生き、戦って死ぬ。そうじゃないからこそ、俺は生きるんだ」

 

「もうよい」

 

 隗洪が口を噤んだ。間合い。槍の方がずっと有利だ。だからこそ、隗洪が飛び込んでくる時は尋常じゃない斬撃になるだろう。

 待った。周囲では兵達が入り乱れて斬り結んでいる。誰も彼もが命を削り合っている。昨夜の食事の時に名乗り合った若い兵士もいたような気がしたが、見分けがつかなかった。土埃と鍔迫り合いの音が、全ての命に薄く靄をかけ、いつでも見失ってしまえるものにしている。

 槍を強く握った。槍の穂先と、隗洪以外が見えなくなった。

 潮合。斬撃。申は極限まで深く躰を沈みこませた。剣。左の脇腹を抉られた。しかし、浅い筈だ。片手の剣なのだ。振り切った隗洪が姿勢を崩しかけていた。

 渾身の力で突き上げた。三段。隗洪が転がるように躱していく。息が途切れた。躰が急速に動きを止めようとする。

 息もなにも必要ない、と思った。今生きるために必要なことは一つだけだ。

 途切れたまま、四段目を突き出した。起き上がりかけた隗洪の真ん中を、槍が貫いていた。

 

「貴様」

 

 隗洪が何か呟く。後半は音にならず、ただ血だけが口から噴き出してきた。そしてゆっくりと、前のめりに倒れた。

 槍が刺さったままだ。引き抜こうとして、能わず、申は大きく息を吸った。腕が震えている。しかし、生きている。勝ったとは思わなかった。ただ生き延びただけだ。 

 それで良かった。生きている。飯を食うこともできれば、旅に出ることもできる。誰かと仲を深めることもできる。

 隗洪の屍体を横にし、槍に手をかけた。引き抜いて、できることなら周囲の兵をまとめ、桃の援護に行かなくてはならない。生き延びた実感は一瞬で去り、やるべき責務が次々と頭を過った。それも、生きているからこそできることだろう。

 周りを見回した。戦場はまだ混沌としていて、誰もが自らのことで一杯になっている。兵に声をかけようとして、申は動きを止めた。

 何かが、背中から入ってきた。それは申の躰を貫き、胸から飛び出した。大きい針のようなもの。暗器の類だろうか。そこまで考えて、申の思考は急速に靄がかった。

 針の先端から鮮やかな血が滴っている。自分の血。しかし、なぜだ。

 針が引き抜かれる。思ったよりも血は出てこなかった。外側にはだ。躰の中で、何かが破れている。

 

「ご容赦くださいね、申様。こうするのが桃様のためですから」

 

 声がした。誰のものなのか、考える力もでなかった。全てが億劫になっている。気付いた時、申の躰は地に倒れていた。砂埃と鍔迫り合いの音が、覆いかぶさってくる。

 

「ご当主様は、申様の才を高く評価しておられます。申様が猿の家を継げば柴の家を超えることもそう遠くはないであろうと。だから、桃様のためにも申様はいなくなられた方が良いのだと。弟君の方へ寵愛を移すことに成功した時点で事は済んだと思っていましたが、まさか申様がここまで生き延びられるとは」

 

 声はまだ続いている。何を言っているのかはやはりよくわからなかった。だから申は、ただ一つの名前だけに反応した。

 桃が、どこかにいる筈だった。躰の中では何かが流れ続けている。顔を持ち上げるだけで息が切れた。いくら吸っても、空気が躰に入ってこないような気がした。

 右手を伸ばした。それだけで全身から気力が抜けていく。指先が地を掴む。そのまま動きを止め、息を整える。次は左手を伸ばした。そして休む。その繰り返しだった。

 

「お休みくださいませ、申様。雉の一族の技で心の臓を傷付けました。暗器でも確実に致命傷になります。動けばそれだけ、苦しむことになるかと」

 

 視界の先に、何か光っている物がある。そこを目掛けて、申は這って行った。ほんの目の前にあるそれが、今の申には遠かった。咳をした。血。鮮やかに、口から流れ出ている。視界が暗くなった。それでも申は這い続けた。

 光。手を伸ばした。掴んだ。確かに、光を掴んだ。強く握ると光が指に食い込み、手の平から血を流した。その痛みが、一瞬だけ申を引き戻した。

 どうやら、俺は死ぬようだぞ、桃。武人としてではなく、有力者の子としてというのは俺らしいかな。

 申の眼にはもう何も映らなかった。掴んでいる筈の光も見えない。闇。その先に、申は桃の姿を見た。幻影だろう。わかっていても、申はその姿に語り掛けた。

 良い旅だった。お前のお陰で、俺は一人の男として生きられたという気がする。一人の、幸福な男だ。

 幻影の桃は笑うでも聞き流すでもなく、いつも通りちょっと呆れたような表情をした。寝坊でも咎めるような、そんな表情だ。

 痛みも苦しみもいつの間にか消えていた。音もない。あとは瞼を閉じれば、全てが消えてしまうだろう。

 いつまでも桃を見ていたかった。ただ、瞼はどうしようもなく重い。桃が背を向けた。申は微笑んでその背を見送った。ここが、別れだろう。

 もう行くのか。いいさ。お前と延寿国村ならどこまでも行ける筈だ。些か名残惜しいが、さよならだ、桃。

 桃の背が闇の中へ消えていく。瞼の重さはもう抗いようがなかった。

 ゆっくりと閉じた。死。その中へ、自分が溶け込んでいくのを申は感じた。

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。