ハードボイルド美少女桃太郎   作:島ハブ

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第19話

 

 

 

 

 

 門を通り抜けると、殺風景な庭が目に飛び込んできた。

 彩るような庭木や花はほとんどなく、その代わり開けた空間に弓の的や稽古用の巻藁などが並んでいる。人の姿は見えなかった。外で行われている激しい戦からは切り離されたような静謐がそこにあった。まやかしの静謐だ。

 屋敷の縁側は戸が閉められていた。近づく。そのまま、延寿国村で横に薙いだ。両断された戸の裏手から、三人の兵が同時に飛び出してきた。

 鋭い斬撃は、しかし見覚えのあるものだった。以前、柴の屋敷を襲撃してきた三人とまったく同じ流派だ。ただ腕はあの三人よりずっと落ちる。

 躱し、斬り返すと見せかけて、屋敷へ踏み込もうとした。三人が慌てたように追ってくる。振り向きざまに薙いだ。先頭の男の胴体を斬り飛ばしていた。後ろの二人はそれであっさりと気を乱した。跳躍し、斬り下ろす。頭蓋を割られた躰が二つ、折り重なるように倒れた。

 追ってきた味方の兵が門を抜け、隊列を整えようとしていた。屋敷からも敵兵が飛び出してくる。睨み合いになった。味方は桃の指示を待ち、敵は桃の顔を見て驚愕の表情を浮かべている。

 祖父と鬼の一族との関係は、やはり一部にしか知らされていなかったのだろう。少なくとも、子供がいることは知らなかった筈だ。今思えば、柴の屋敷を襲撃した者も桃の顔を見た瞬間に動きを止めていた。

 秘密を守ることは、そのまま祖父を守ることでもある。朝廷がこのことを知ればすぐにでも祖父は罷免され、埋伏の毒として扱われただろう。身内にすら知らせなかった鬼の一族は、祖父と道を違えてなおその身を案じたのだろうか。

 驚愕に足を止めた敵兵が頻りに後ろ振り返っていた。それは後方の誰かへの指示か、あるいは説明を求めての動きだろうか。

 誰かが、両断した縁側の戸から歩みだしてきた。女。喪服のような、まっさらの白装束の帯に、重厚だが優雅な刀を差している。母。間違いないだろう。桃よりもずっと小柄だが、顔は歳を取った自分そのものに見えた。

 魅志磨から託された書状を読みながら、幾度か母を想像した。近いような気もするし、まったく見当外れだったとも思う。どこか掴みどころのない、蜃気楼のような立ち姿だ。

 

「退がりなさい。その子の相手は私がしましょう」

 

 声は、高く澄んでいた。桃の声は低く沈んでいる。そこは祖父の血を受けたようだ。

 踏み出してくる。敵兵は道を開け、呆けるように事の成り行きを見守っている。

 桃や魅志磨の年齢を考えれば四十に迫る歳の頃だろうが、見た目には三十とも、あるいは二十数歳とも見えた。躰のどこにも衰えの気配はない。冷静に観察できたのはそこまでだった。なにか、異様な剣気を母は放っている。

 足が止まった。間合いには遥かに遠いが、既に桃は息苦しさを覚えていた。

 

「魅志磨を斬ったそうですね」

 

「立ち塞がりました。逸葛も」

 

「能力こそ高いものの、あまり組ませていい二人ではありませんでした。優しさと諦念が互いの邪魔をしますから。それでも、あの子を斬る手練れは果島の地にはもういないと思っていましたが」

 

「刀に差があった、と私は思っています」

 

「延寿国村ですか。因果な刀を持ってきたものです」

 

 桃の手元に目をやりながら母が言った。延寿国村が因果だとは、魅志磨も言っていた。

 

「私が見出し、祖父が買い与えてくれた刀です。父と言うべきかもしれませんが」

 

「どうでもよいことでしょう、もはや。貴女にとって、父母という言葉は意味を成さない。私はただ、剣を振るうだけです」

 

「魅志磨は、私が地獄を見ると言っていました。その前に私を斬ってやりたかったと」

 

 母はもう問答に応じる素振りも見せず、一度だけ呼吸を整えて、鯉口を切った。

 目に見える全てが凍り付いたような気がした。敵も味方も、いや、僅かな木々や風までも、一斉に死に絶えたように色と音を失っている。母と母の刀だけが、唯一鮮やかに空間を裂いていた。

 母の刀を見た。勇壮な幅広で、しかし野暮にはならぬようなしなやかな身幅。輪反りの刀身には直刃を基調に微かな小互の目の小乱れが、洒脱な刃文を形成している。

 延寿国村によく似ていて、しかし明らかに違う。

 

「来、国行*1

 

 刀の放つ光が、息苦しかった。目の前に立つだけで呼吸を忘れてしまいそうになる。

 母は来国行を構えるでもなく、ただぶら下げるように立っていた。隙だらけの筈だが、桃はその姿に僅かな斬り込む隙さえ見つけられなかった。

 桃が知るどの剣客よりも、圧倒的な気配。強いという気すらしなかった。僅かな動きすら躊躇われる。母の前に立つことは、すなわち死でしかない。それとも、母こそが剣客の死なのか。

 後方の兵が倒れた音がした。剣気に当てられたのだろう。その音で、桃は辛うじて自分を取り戻した。

 正眼。構えただけだ。立合のことは何一つ頭に浮かんでこない。しかし、構えてはいる。構えているという自分を、なんとか客観視できている。

 斬られずに済むのか。それだけを考えた。無理だ、としか思えなかった。斬られる。それだけの腕の差があるのだ。相討ちすらも見えてはこなかった。

 母が微かに動いた。地摺り下段。魅志磨とよく似た構えだ。いや、魅志磨が母に似ているのか。

 考えることができたのはそこまでだった。母が一歩前に出ただけで、延寿国村が何倍も重くなったような気がした。

 正眼。一晩であろうと構えていられる筈だ。しかし、重い。それほどの対峙でもないのに、桃の額を汗が流れた。

 来国行が歪んだ。咄嗟に桃は前へ跳んだ。馳せ違う。凄まじい刃風が強かに桃を打った。斬撃を返すことさえできず、桃は正眼のままただ母の横をすり抜けた。肘の辺りを浅く斬られたことに気付いたのは、向き直ってしばらくしてからだった。

 

「なるほど」

 

 母が何かを確かめるように呟いた。来国行はいつの間にか脇に構えられている。

 呼吸を整えた。潮合は満ちていない。しかし、先ほどの斬撃で母は潮合すら測らず踏み込んできた。

 また、母が動いた。無造作な踏み込み。桃は跳ぼうとする躰をぎりぎりで抑えて、低く駆け抜けた。来国行が閃く。手の甲にはっきりと熱が走った。

 向き直る。左手から血が流れ落ちていたが、力はまだ入る。あと少し深ければ、腕は使い物にならなくなっただろう。母は汗の一筋すらかいているようには見えない。

 

「あの子が斬れなかったのが、わかる気がします。貴女は自分を斬っているのですね」

 

 母が来国行を持ち上げた。相正眼。固着した。喘ぐように息を吸いながら、桃はただ剣を構えることだけを考えていた。延寿国村が重い。しかし、構えられない筈がない。剣を構えることが、生きることだったといってもいい。

 いつも、剣先に広がる闇の中に何かを見ていた。その何かを斬りたかった。だからか、母の言葉はすんなりと受け入れることができた。

 

「貴女は剣の先に自分を見て、自分を斬っている。だから自分に向けられる太刀筋を知っている。恐らく、全ての太刀筋を」

 

 風が吹いた。相変わらず、色も音も欠けているような気がする。何かが欠けたまま、自分と母は向き合っている。死後の世界なのかもしれない、と思った。何もかもが死に絶え、全てが終わってしまった世界で、自分と母は向き合っているのか。

 死が満ちている。それは気の高まり合いである潮合とは違う、脆く儚いものの積み重ねだった。

 弾けた、という感じはなかった。飲み込まれたのとも違う。死の中で、ただ踏み込んだ。

 斬られた。背中。浅いのか深いのかもわからなかった。延寿国村はただ沈黙している。母が初めて息を乱していた。反対に桃は、息苦しさから解放されていた。

 自分が今生きているのか、よくわからなかった。手の中の延寿国村だけが酷く生々しい。

 跳んだ。斬撃。来国行が脇腹を抉っていった。深ければ臓物がまろび出るだろう。その時は、満ちている死の一部になる。そうでなければ、生きているということだ。

 血が流れ続けていた。しかし、死んではいない。刀を携えた母も見える。

 

「相討ちしか、ないようですね。無傷で貴女を斬ることはできない。あるいは、そうするべきではないのかもしれません」

 

 母が零しながら、来国行を下段に構えた。

 言われてみれば、鍛錬の時は常に格上の存在を相手取るつもりで構えていた。相討ちを狙ってくる剣は技量差であしらえると思っていたのだ。

 魅志磨の時は刀が凌いだ。しかし、来国行が相手では延寿国村も分が悪いだろう。

 静謐。母が地摺りに一歩踏み込んだ。桃はただ、正眼に構えて切っ先を見据えた。躰のあちこちから血が流れ続けている。皮膚を撫でるように、自身の死が揺蕩っているような気がした。

 斬れる。そう思った。母に、斬撃を浴びせることができる。しかし恐らく、命を絶つところまではいかないだろう。逆に母の剣は、桃を頭頂から両断する筈だ。確信を持ちながらも、桃は流れに逆らわなかった。

 踏み込んだ。風。来国行。延寿国村。全てが絡み合い、交錯した。跳ね上げた来国行を、母が袈裟に振り下ろす。渾身の気迫で、左一文字に薙いだ。それが自分の剣なのだ。だから、死ぬならば横薙ぎで死ぬべきだった。

 光が通り抜けた。頭から血が噴き出た。いや、違う。血は、母の躰から降り注いでいた。通り抜け、振り返った。

 横に両断された母の屍体が、血の海に沈んでいた。不出来な赤い花のように、日差しの中で不格好に頽れている。

 桃は自分の額に手を当てた。ほんの僅かだけ、切り傷ができている。来国行の切っ先だけが、撫でるように触れていったのだ。

 

「なぜ」

 

 問い掛けても母は答えなかった。死んでいる。他ならぬ桃自身の手が、死の感触を覚えていた。

 屋敷から老齢の男が出てきた。桃を、それから母を見て、しばらく目を閉じた。

 

「負けだな、我々の。そもそも勝ちなどなかったのであろうが」

 

 男が顔をあげ、兵になにか手振りをした。鬼の兵達が次々と、戦場を脱する方へ駆け出した。

 

「儂の首はくれてやろう。他の者は逃がしてもらうが」

 

「お爺様、ですね」

 

「赤の他人でいい。お主は、他人の首を斬るだけだ」

 

「降伏なら受け入れます。逃亡となればどれだけ生き残れるか」

 

「降伏も死だろう。朝廷も、あやつも甘くない」

 

 そうかもしれない、と桃も思った。朝廷は鬼の一族を許さないだろう。その意を受けた祖父も、族滅に動く筈だ。

 こちらの兵も、取りまとめる犬の一族の者の指揮に従って追撃を始めた。僅かな兵に囲まれながら、鬼の族長と母、それから桃だけが戦場から取り残されたように向き合っていた。

 

「夢を見ることがある。ただの夢だが、それが未来だと信じていたこともあった」

 

「祖父は、果島の地を守りました」

 

「儂もそう思っていた。あやつが本心から、果島の地のために鬼の一族を切り捨てるならそれも仕方ないとな。だが、そうではない。あれはもう変わってしまった。朝廷が変えたのだ」

 

 鬼の族長はどこまでも憂鬱そうにそう語り、縁側に腰を降ろした。偉丈夫だが、そうしていると相応の老人に見える。桃は一歩踏み出した。延寿国村は血に巻かれていたが、首一つ飛ばすだけなら問題ない。

 

「お主は魅志磨に斬られておくべきだった。そうすれば、身内の醜さに触れずにいられたろうに」

 

「清廉な者がどこかにいますか?」

 

「いないな。我々の生き方を綺麗事で彩っても仕方ないだろう。ただ、お主はあやつを許せなくなる。その延寿国村を、遠からずあやつに向けるであろうよ。それが儂は、無念なのだ」

 

「共犯者だったからですか」

 

「友だった。それ以外に理由はない」

 

「友」

 

「お主にも、いつか友ができるだろう。その時わかる」

 

 鬼の族長の目が、桃を貫いた。一切の偽りや衒いはそこにはなかった。この男はただ、祖父の行く末を憂いているだけだ。

 申の姿が頭に浮かんだ。一夜の関係を持ったが、それでも桃にとっては男女よりも友という印象が強かった。

 

「立合を見ていた。お主の剣は随分と惨いものだ。まったく正しい剣だな。情緒もなにも介さない、正しい剣だ」

 

「私が死ぬものと思っていました。相討ちで、私だけが一方的に死ぬだろうと」

 

「儂もそう見ていた。だが、そうはならなかったな」

 

「なぜでしょう?」

 

「あれの剣に逡巡はなかった、と思う。お主がなにかで上回った。儂はそれが惨いと思ったのさ。惨たらしいほどの正しさで、母を斬った。そして次は、儂を斬るだろう」

 

 鬼の族長は、憂鬱そうにそう言った。自分が死ぬことを厭うているのではないだろう。桃のその先を見て、憐れむようにそう口にしている。

 

「苦しませはしません」

 

「残酷だのう。苦しみもまた生なのだが、お主は命を消すことに適しすぎて、苦しみすらその剣で消そうとする。まあ良い。儂の命を消してみろ、桃」

 

 延寿国村を構えた。鬼の族長が静かな瞳で見上げてくる。桃は無感動に刀を一閃した。転がっていった首は、既に目が閉じられていた。

 静まり返った屋敷の庭へ、首のない躰が倒れた。兵の誰かが勝ち鬨をあげ、それは屋敷の外、戦場中へ広がっていった。

 懐紙で延寿国村の血を拭って、外に出る。まだ踏み堪えていた鬼の兵達も総崩れになったようだ。桃は動き続ける戦場に目をやった。

 申も、戌童も、矢翠も見つからなかった。当たり前だ。百人に満たない程度とはいえ、砂埃の中で人が入り乱れ動き続けているのだ。

 母の顔をしっかり見ていない。ふとそう思った。見なくてもいい、と思い直した。桃にとって父母は意味を成さないと、その母が言っていたのだ。

 名も知らぬ屍体が二つ、転がっている。顔を見て、(みなもと)のわからぬ感傷に浸ったところで確かに意味はない。斬るべき相手を、斬っただけのことだ。

 しばらくすると、追撃に出ていた兵達も少しずつ戻ってきた。戦勝である。血と疲労に塗れながらも、どこか浮ついたような雰囲気で戦友と語らっているのが見えた。あちらこちらで人が交わり、集団ができている。もっとも近い集団へ向けて桃は歩き出した。

 まだ日は高く、剣戟と砂埃の去った戦場に柔らかく日が差し込んでいた。微睡んでしまいそうな昼下がりだ。

 旅が終わるのだ、と思った。

 

 

 

 

 

*1
らいくにゆき。京で活躍した刀工、およびその作刀。来派と呼ばれる一門の事実上の祖。延寿国村は来国行の娘婿あるいは外孫とされ、作風にも多くの共通点がある

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