討伐隊などといえば勇ましいが、大したことはなかった。桃と戌童と矢翠の三人だけなのだ。
犬と猿の領地まで行けば手勢となる者たちが待っている筈だ。それらと合流するまではただの旅のようなものだった。
もっとも、不穏な旅である。柴の屋敷を出て二日目で一度襲撃を受け、その翌日にも寝込みを襲われた。どちらも斬ったが、遠巻きに見られているような気配はずっと付き纏っている。
「我らのことは、どうやら既に相手の知るところとなったようですな」
焚き火に小枝を焚べながら戌童が言った。軽い世間話でもするような、何気ない口調だ。森の中で僅かに拓けた空間を見つけ腰を降ろし、火を点けたところだった。襲撃を受けるとわかってからは、人を避けて寝床を定めるようになったのだ。
柴の屋敷を襲った連中と比べると、ここ数日の襲撃者は数段腕が落ちた。野盗か何かを雇ったものだろう。合わせて十五人ほどを、桃と戌童でほぼ半分ずつ斬った。
戌童の剣はやはり居合が本質のようだったが、抜いてからの技もしっかりと持っていた。抜き撃ちで倒したのは最初の二人だけで、残りは袈裟に斬ったり胴を抜いたりしていた。
まだ何か技を隠している。そう思ったが、訊ねはしなかった。
焚き火の中で、小枝が音を立てながら弾けた。矢翠が、火の傍に吊るしておいた小さな鍋を持ち上げ、蓋を取った。干し飯と少量の水を容れてある。塩といくつかの野草が足され、再びしばらく火に掛けてから茶碗に盛られた。
道具や調味料は全て矢翠の行李に収められている。話を聞いた矢翠は、ほんの四半刻の間で必要な物を詰め込んで出てきたのだ。桃も戌童も剣さえあればと考えている質で、矢翠がいなければ今頃蛙でも食べているところだっただろう。
渡された粥を、桃は冷ましながらゆっくりと食べた。しっかり火が通った野草はえぐ味が抜けていて、塩の効いた粥とよく合った。
「味噌があればもっと良かったのですが」
「何を言われる、矢翠殿。旅の野宿でこんな旨い物を食えるなど、私は期待しておりませんでしたぞ」
桃も頷いて、それから残った粥を搔きこんだ。
明日には小さな宿場に出られる。そこを過ぎ、さらにもう一つ宿場を越えた先に猿の一族の領地があった。
猿の一族が出す手勢というのがどれほどのものかはわからない。元々、商いで成り上がった一族だという。鬼の一族の討伐が急務とはいえ、あまり期待できるとは思えなかった。
犬の一族の方が尚武の気風は強いようだ。少なくとも戌童のような男を輩出し、早々に討伐隊に加わらせてもいる。
「鬼の一族というのは、どういう氏族なのでしょう?」
小枝を足しながら桃は聞いた。焚き火はかなり小さくなっている。昼間はいいが、夜更けから朝方はまだ冷える日も多い。
「戦場で名を挙げた一族ですな。ここが果島の地と呼ばれるようになる遥か昔から、ただただ戦い続けた者どもと聞いております。
「では、果島の地は元々彼らの領地ということですか?」
「いや、そうではない。その時その時で治める者はいて、鬼の一族はその下で力を振るっていたと聞く。彼らはまさしく武力なのですよ、桃殿。統治への野心はないのだろう」
「しかし今、反逆の意思を見せています」
「彼らが最も旧い一族というのはつまりそういうことです。統治者に従いながらも心の底から心服することはなく、やがて治める者に牙を剥く。そうして治める者を次々と代えてきたのですよ。鬼の一族の蔵には、代々破ってきた統治者の財が唸るほど積み上がっていると言われております」
下剋上を繰り返してきた一族、ということになるのか。いや、あるいは鬼の一族に下剋上という意識はないのかもしれない。本当の意味での忠誠を持たないのなら、彼らにとって統治者とは都合の良い傘でしかないのだろう。
そうやって生きてこられたのは、まだ世の中が混沌としていたからだ。今の朝廷は過去にない勢力を築きあげ、やがては日の本を一つの国に纏め上げる勢いだという。そんな勢力に反逆しようというのは、現実的に可能なこととは思えなかった。
もう一本小枝を火に焚べて、桃は木に凭れかかった。
どうでも良いことだ、という気分が不意に湧き上がってきたのだ。斬れと言われたから斬り、討てと言われたから討つ。考えるべきはその手段で、意味などというものは祖父が決めれば良いのだ。
眠り、気付くと朝になっていた。焚き火はとうに燃え尽きている。戌童はまだ眠っていた。指先に息を吹きかけて、桃は立ち上がった。
しばらく歩き、拓けた場所を見つけて延寿国村を構えた。剣の鍛錬だけは変わらず続けている。
まだ日も昇らぬ中で、空だけが青々しい色合いを取り戻していた。まだ、辛うじて星が見える。空気は肌を刺すような冷たさを保っている。そういうことも、剣を振っている内に忘れた。
素振りを終えると、桃は小柄を手に取った。
屋敷を襲ってきた連中の動きで、もう一度は躱せないかもしれない、と感じたのが小柄だった。新月の夜だったのがむしろ桃に幸いしたのだ。音だけで動けた。眼で見て躱そうと思えば、どこかに傷を受けただろう。
五間*1離れた木を目当てにして、小柄を構えた。一呼吸だけ気を込めて、放つ。小柄は過たずに幹を捉えたが、刺さることなく地に落ちた。
桃は近寄って、木に付いた傷跡を眺めた。表面だけを抉っている。力が足りない、という訳ではなかった。剣では、太刀筋が狂っているとこういう斬撃になるのだ。小柄もそうなのだろう。
気に乱れがあったとは思えない。五間先の斬撃。目の前を突くように、五間先を穿つことはできないのか。
もう一度構えて、小柄を撃った。五間は遠いということが再確認できただけだった。木に届く時には小柄の刃は僅かに乱れている。
「桃様、朝餉の用意ができましたよ」
矢翠の声が聞こえた。日はいつの間にか昇っている。木々と土が、照り返して瑞々しい色をしていた。
◇
宿場には留まらず、矢翠が必要な物を買い込むのを待ってから街道へ出た。今はあまり足を止めない方が良いだろう。
音を上げるかと思ったが、矢翠は意外な健脚を見せて平然と歩いていた。重さを増した行李も難なく背負っている。
しばらく街道を行き、途中で間道へ逸れた。追われている気配は絶えずある。
「追手は中々の腕ですな。直接襲ってくれば楽なのですが」
「野盗などをぶつけてくるのは消耗を待っているのでしょうか」
「そこがいまいちわからないところです。あの程度の連中では気休めみたいなもので、いっそ使わない方が良いとも思えるのですが」
確かにそうだった。見張っている気配だけが続けば、桃ももっと消耗しただろう。影も形もない敵というのはそれだけで厄介なのだ。
野盗のような小物ならば、現れた時に斬ればいいだけだ。
「いっそのこと、こちらから仕掛けましょうか」
「ほう」
「猿の領地まで連れて行ってしまうのも先方に迷惑でしょう。斬れるならば斬っておきたい」
「しかし見つかりますかな」
「追手はともかく、野盗どもならば」
「なるほど。桃殿はどちらを?」
「斬り込む役を頂きましょうか」
「では、私が追手ですな。承知しました。夕餉の辺りが頃合いでしょう」
「山へ入りましょうか」
戌童が頷いて道を逸れた。矢翠がちょっと首を傾げたが、何も言わずに付いてくる。旅の道筋は桃と戌童に任せると決めてしまっているようだ。
深入りはしなかった。追手が山に入ってくれば充分なのだ。
夕方まで歩いて、適当なところに寝床を定めた。桃と戌童が腰を降ろすと、水を得たとばかりに矢翠が張り切り始める。
「夕餉の仕度をいたしますね。それから寝床も」
ちょっと迷って、桃は曖昧に頷いた。落ち着いて夕餉を食べる暇は恐らくない。しかし、矢翠には普段通りの働きをさせておいた方が良いだろう。
いくらか戻ったところに湧水があった。意気揚々と汲みに行く矢翠を見送りながら、桃は立ち上がった。鍛錬へ向かうというのも、いつも通りの動きだ。戌童は焚き火にするための小枝を組み始めている。
しばらく歩いて、鞘を払った。構える。旅の最中でなら何かが見えるかもしれない、という桃の期待は空振りに終わっていた。月があり、剣があり、自分がある。そして、剣先に何かが見えそうになる。それだけだった。私は何を斬ろうとしているのだ。問いかけてもその何かは姿を現すことはなかった。ただただ、木漏れ日のように差し込む月光を延寿国村が集めている。
気が満ちるまで構えてから、剣を納め、小柄を抜いた。
気を発する。それを小柄に込め、撃つ。小柄に関して余計なことは考えなかった。五間先の木を穿てるのか。ただそれだけである。
二度、三度と投げていく。木に突き立つこともあったが、それはおよそ闘争の中で活きるような技ではなかった。浮くのである。浮いた小柄が落下の力で突き刺さる。幼子でも躱せるような投擲だった。
何かが足りなかった。桃は小柄も納め、木に寄りかかった。いくつか傷が付いている。それだけだ。屋敷を襲った連中の小柄は、こんなものではなかった。
なんとなく木を撫でていた桃の肌が、山中を動く気配を捉えた。
追手はともかく、野盗連中は気配を消す術も心得ていない。恐らく、食事でもしているのだろう。どこか稚ささえ感じるその気配へ向けて、桃はゆっくりと歩いていった。
八人いた。焚き火を中心にして思い思いに寛いでいるようだ。焚き火では、何かの獣の肉が枝に刺して炙ってあった。
延寿国村を抜いた。おざなりに見張りをしていた男が、桃に気付いて目を見開いた。
「敵だっ。こいつ、例の」
言葉を続けようとした男の首が、宙に舞い上がった。その首が地に落ちた時、抜き合わせてきたのは二人だけだった。そちらへ向かう振りをしながら、桃は横へ飛んだ。まだ呆然としている男を唐竹に割り、跳ねながら近場のもう一人へ斬撃を飛ばす。肩口から胴へと深く斬り抜いた。遅れて剣を抜いた一人が斬りかかってくるのを躱しながら、最初に抜いた二人へ剣を向けた。
躰を寄せ合いながら構えている。二人で一人、というように見えた。手堅い構えではある。
渾身の気合を発しながら、左一文字に薙いだ。野盗たちの表情が束の間凍りついた。延寿国村は、二人同時に胴体を両断していた。分かたれた半身から、縄のような臓物が地へ溢れ落ちた。
「ば、化け物」
言い捨てて踵を返そうとした男の背中を斬り下げ、腰を抜かした二人を袈裟に両断した。それで終わりだった。
桃は延寿国村の刀身を確かめ、軽く血を拭ってから鞘に納めた。斬れ味は凄まじく、脂は全く巻いていない。もう数人斬ってから打ち粉を使えばいいだろう。脂を取るというより、刀を休めるための打ち粉だ。
焚き火の肉が焼けていた。子供の猪のようだ。近くに捨てられた頭が落ちていた。小振りな肉に火はしっかりと通っている。一本を手にとって桃はかぶりついた。
味は良くなかった。調理も、恐らくは血抜きもまともにされていない。生臭さと血の味の中に、辛うじて脂が旨味をつけている。周囲を見回し、野盗の物らしき竹筒から水を飲んだ。一本を完食するだけでも時間がかかった。それが、まだ二本ある。
二本目に取りかかった。周囲には野盗たちの臓物が血とともに散乱している。足元に、伸ばされた手が力なく横たわっている。肉はやはり生臭かった。えずきながら、桃は二本目を完食した。
獣肉を食べたのは初めてだった。こんなものか、という気がしてくる。
三本目も不味かった。ただ肉が不味いのではなく、野盗たちの仕立てが悪かったのだろうということも、なんとなくわかった。三本とも、脂の旨味はやはりあるのだ。矢翠に調理させれば、舌鼓を打つような料理になったに違いない。
命を喰らうとはこんなものなのか。そう思った。坊主が言うほど忌避感のあることではなく、噂に聞くほど旨いものでもなかった。獣も、死ねば物になる。そう思っただけだ。そして、調理人の腕次第で旨いとか不味いとか言われるのだろう。
残った肉を口へ押し込み、水を飲んだ。
争闘の気配があった。立ち上がろうとして、肉を吐き出しそうになった。蹲ったまま桃はしばらく耐えた。野盗たちの屍骸が腐臭のようなものを立ち昇らせている。それはたぶん、この猪も立てていた臭いだ。
肉だった。死ねば、全てが肉なのだ。
今度こそ立ち上がって、桃は歩いていった。争闘の気配はもう消えている。
俯せになった屍体の横で、戌童が懐紙を使っていた。
「鬼の一族の隠密ですな。流石に、闘争に生きた氏族は深いところがあります」
「やはり出てきましたか」
「こやつは桃殿が野盗へ向かった時、随分と焦ったようですな。気配の消し方が荒かった。見つけ出すのは造作もないことでしたよ」
「私と戌童殿が二手に分かれると思ったのかもしれません。そうなれば追いきれないでしょうから」
「狩ると思っている者は、狩られる側に回ると弱いものです」
戌童が太刀を軽く検分して鞘に納めた。血が巻くほどのことはなかったに違いない。見る限り、一太刀で倒している。居合を極めた者の一太刀に、血が巻くことはないだろう。
「矢翠のもとへ、戻りましょうか」
「野盗どもは」
「斬りました。一人残らず」
戌童が頷いて立ち上がった。
腹が重かった。それでも、矢翠の夕餉は全て食べきろう、と桃は思った。米と、塩がある筈だ。屋敷で食べていたものと比べれば、随分と貧相な食事である。
今は、それが恋しかった。