ハードボイルド美少女桃太郎   作:島ハブ

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第5話

 

 

 

 

 そこまで急いでいるつもりはなかった。

 それでも、常人が一刻かけて降りるところをほぼ四半刻で通り抜けた。鬼の一族の領地には険しい山が多く、そこで子供の頃から生傷を作りながら遊び回っていたのだ。

 獣道や灌木の茂みでも通れると思えば通る。木から木へ跳び移ることもある。昔馴染には無謀だと呆れられることが多かったが、道を誤ったことはなかった。

 その昔馴染は、柴の屋敷に斬り込むなどというもっと無謀なことをやって死んだ。

 山裾に着く頃には頭上に朝日が照っていた。いくつかの林を突っ切り、間道をしばらく行くと街道が見えてきた。早くに宿を出たらしい旅人や行商が、荷物を負いながら歩いている。

 紛れ込むように歩いていた魅志磨に、一人の男が並んできた。萎びたような老人だが、印象とは違って歩調はしっかりしている。

 

「惜しい勝負でありましたな。しかしこれではっきりしました。柴の娘は斬れます、魅志磨様なら」

 

「ほう。どこで見ていたのだ?逸葛(いつくず)

 

「斜向かいにある山の斜面から。視界の広く取れる場所でして、我々のような者は重宝しとります」

 

「隠密の知恵か。なるほどな」

 

「常から果島の地を歩き回っております。山を征く速さでいえば魅志磨様の足には追いつけませんが、抜け道を使えば我々も中々のものですよ」

 

「つまらん野盗を使おうとしたのもお主か?」

 

「あれは部下の独断でした。無駄どころか、逆手に取られて斬られるとは。ああいう手駒が残っていれば、決着まで戌童を足止めできましたものを」

 

「見通しの甘いのは上司譲りか」

 

 逸葛が物言いたげにこちらを盗み見たが、魅志磨は取り合わなかった。

 

「念の為言っておくが余計な手出しはしないことだ。戌童は武者修行を重ね、都でも五指に入る腕前と言われたらしい。隠密だろうが野盗だろうが、立ち塞がれば一太刀だろう」

 

「肝に銘じておきます。ただ、我々の仕事は魅志磨様に柴の娘を斬っていただくことだと思い定めておりますので。必要な手は模索いたします」

 

「勝手にしろ」

 

「魅志磨様にとっても苦しいことかと思いますが」

 

 街道から少し逸れたところに畑と小屋を見つけて、魅志磨は足を向けた。猟師かなにかが物置に使っているものらしく、今はもぬけの殻だった。

 

「少々休まれますか。食料などを手に入れてきましょう」

 

「いらん。手伝ってもらうことがあるからそのまま居ろ」

 

「私にできることでしたらなんなりと」

 

 小屋の真ん中に腰を下ろすと、魅志磨は諸肌を脱いだ。何事かと困惑していた逸葛が息を呑んだ。

 右の脇腹に大きな痣ができていた。それはまだ赤黒く、柘榴の実のような生々しさがあった。何日か経てば青褪めたようになり、やがて黒い跡になっていくだろう。

 今はまだ、動かすだけでも鋭い痛みが走る。

 

「何事です、これは」

 

「あの娘の横薙ぎさ」

 

「見切ったのかと思いましたが」

 

「見切ったとも。奴の刀は袖を斬っていっただけだ。しかし、凄まじい剣気と刃風だった。俺の躰が斬られたと錯覚するほどに」

 

「錯覚?錯覚なのですか、これが?」

 

「錯覚だ。間違いなく躱したのだからな」

 

 そして、確実に両断したと思った魅志磨の斬撃は、肩を浅く斬るに留まった。なぜそうなったのか、何度思い返しても魅志磨には理解できなかった。

 

「魁鉄がかすり傷すら付けられずに斬られたというのも、あながち誇張ではないな。あの娘ならやりかねん」

 

 魁鉄は飛び抜けた手練れという訳ではないが、優れた投擲の技と、相討ちと心を決められるだけの胆力を持っていた。魅志磨の知る限り、魁鉄を無傷で倒せるような遣い手は魅志磨の師ぐらいだ。

 

「晒を巻くのを手伝ってくれ。きつく締めたいのだが片手ではな」

 

 頷いて、逸葛が晒を受け取った。

 

「容易くはないということですな、柴の娘は」

 

「ああ」

 

「しかし。しかし、魅志磨様に託すしかないのです」

 

 逸葛が自身に言い聞かせるように呟いた。魅志磨は目を閉じた。

 魁鉄とその友人二人が、突然姿を消したのだった。魅志磨も含めて、奔放な気儘暮らしをしている若い衆と思われていたこともあって数日姿が見えなくても誰も気にしなかった。

 俄に騒ぎになったのは、柴に天誅を下すという書き置きが見つかったからだ。

 族長初めとした老人たちは狼狽えたが、魅志磨はむしろ面白がっていた。柴を除きたいという考えは一族ならば誰もが持っていたし、あの三人ならばあるいは、という期待もあったのだ。

 しかし、しばらくすると望み薄らしいことがわかってきた。犬の一族が戌童を動かしたのである。あの三人でどうにかなる相手ではなかった。そして、あんな書き置きを残した三人が挑みもせずにおめおめと帰ってくる訳がないこともわかっていた。

 魁鉄たちを連れ戻すことが決まり、説得役として魅志磨が選ばれた。それとは別に、族長に課せられた仕事もある。どちらも急を要していた。

 不眠不休で歩き続けた魅志磨の耳に訃報が届いたのは、猿の領地に達しようかという頃だった。

 三人とも、あっさりと死んでいた。しかも戌童ではなく、柴の娘に斬られたということもわかった。そして、そのまま鬼の一族討伐のために密かに出発したという。

 全てが計算されていた、としか思えなかった。三人は、恐らく誘い出されたのだろう。

 

「柴を斬ってやりたいな、俺は」

 

「皆が同じ気持ちでございます」

 

「あの娘、桃というのだったな。邪を祓う果実という訳か」

 

 逸葛が怒りで顔を真っ赤にした。この老爺は隠密の癖に感情は豊かで、どこか愛嬌があった。気に食わぬことを気に食わぬと直言するところなど、若々しくさえある。

 

「我々が(よこしま)ですか。ならば、柴など邪悪の権化でありましょう」

 

「さて、どうかな。果島の地を守る上では、確かに柴が最善手を採っている。愚かなのはこちらだろう」

 

「何を言われます。魅志磨様ともあろう方が」

 

「理屈を言っただけだ。あまりかっかするな」

 

「しておりませぬ。ただ、正しいことを言っているまでで」

 

「わかったから早く晒を巻いてくれ」

 

 一つ鼻息を鳴らして、逸葛が手早く晒を躰に巻き付けて留めた。不満を隠そうともしない態度だが、手先の動きは滑らかだ。魅志磨は肩を軽く動かして、それから抜き撃ちの動作をした。まだ痛みは走るがだいぶ薄ぼんやりとした感じにはなっている。

 

「腹が減った。さっきはああ言ったが、やはり食料を購ってきてくれぬか?酒もな」

 

「わかりました」

 

「酒は」

 

「なるべく多く、でしょう。鬼の一族は大酒飲みが揃っていますが、御家は特にそうですな」

 

「血筋だな。すまんが、よろしく頼む。俺はしばらく回復に努める」

 

「柴の娘の一行はどうされます?」

 

「猿の領地までに止めるのは不可能だな。犬の領地までで、なんとか斬り込もう」

 

「猿の一族が手勢を出すのでは?」

 

「小賢しい連中の集まりさ、猿の一族は。精々が物資を供出するぐらいで手勢など出すまい。しかし犬の一族は兵を出すだろう。そこまで行くと、隙はないな」

 

「では」

 

「犬の領地までにあの娘を斬る。それしかあるまい」

 

 逸葛がじっと魅志磨を見つめた。

 桃を斬ったとして、上手く撤収できるとは思えない。戌童と連戦となれば魅志磨もただでは済まないだろう。

 死ぬだろうな、と魅志磨は思っていた。仕方がなかった。そもそもが負け戦なのだ。例え今回の討伐隊を全滅させたとて先はない。鬼の一族は、どう考えても詰んでいた。

 桃という柴の娘を斬る。それだけが責務と思い定めるだけだ。

 逸葛はまだ勝てると思っているのだろう。師の剣を思い出すと、逸葛が縋りたくなる気持ちもわかる。

 師を斬れる人間がいるとは思えない。しかし、一個人の力でどうにかなる状況を超えてしまっているのも確かだ。

 

「少し休む」

 

「連中はどうします?」

 

「放っておけ。どうせ、猿の領地で捕捉できる」

 

「そうですな」

 

 逸葛が腰をあげた。魅志磨は、脇腹の痣を晒の上から軽く擦った。

 両断した筈だ。もう一度、そう考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 考えた末、街道に出ることに決めた。

 あの魅志磨という男は、山中において桃たちよりも優れた技を持っている。でなければ、あそこまで易々と接近される筈がなかった。

 血は止まったが、肩の傷はまだ疼いている。

 戌童が来なければいったいどうなったのか。魅志磨に膾切りにされるというのも、あり得ないことではなかった。それだけの腕の差があったのだ。

 朝夕を問わず、空いた時間には刀を構えるようになった。小柄の技は、ほとんど無意識に繰り出せるようになっている。それでも野兎などを見つけると、桃はその姿を目で追った。

 穿てる。そして、多分ただ命を消すだけになる。

 食すことが供養だとは思わなかった。子供の猪を喰い、その母親も喰った。その時から浅ましいとも、浅ましくないとも感じなくなっていた。考えなくなったのかもしれない。命が消えただけなのだ、と今は思っている。

 生きていれば、他の命を消す。それだけのことだった。

 剣の意味など、祖父が考えればいい。その気持ちは変わっていない。

 

「明日には、猿の領地に入れますな」

 

「そうなのですか。私にはあまり」

 

「旅には慣れておりますので。そう間違いはないでしょう」

 

「私もそう思いますよ」

 

 矢翠にまでそう言われると、桃は頷くしかなかった。旅の経験はない。おまけに、今回の行程はかなり不規則だった。位置を見失っても仕方がないところはある。

 

「桃殿と立合ったという男は、機を見ることにしたようですな。ここまで来ないということは、我々が猿の領地に入るのは致し方なしと考えたのでしょう」

 

「勝負は猿の領地の先で、ということでしょうか。しかしなぜ」

 

「あまりに容易く捕捉された、という気がします。あるいは、向こうもここぞという渾身の勝負だったのやも知れません。ということは、生き残っただけでも桃殿に分がありますな」

 

「しかし、私は一太刀も浴びせてはいません」

 

「立合にはそういうこともありましょう。桃殿は、ご自身で考えてもおられるよりも大きな一撃を躱したのかもしれませんよ」

 

 戌童が慰めでそう言っているのか、あるいは本心なのか桃には読めなかった。

 あのまま立合が続けば斬られていた。そのことだけが、頭の中を繰り返し過っていく。

 

「そういえば、桃様は剣で誰かに負けたことがなかったのではないですか?」

 

 矢翠が思い出したように言った。ほう、と戌童が興味深そうにこちらを見た。

 

「道場で打たれたことなら幾度も。真剣を執っての戦いは、数えるほどしかありませんので」

 

「そして勝たれている」

 

「それは」

 

 負ければ死ぬではないか、と続けようとした桃を戌童が遮った。

 

「私の初めての立合は、それはみっともないものでしたよ。互いに腰が引けていて、小手先を浅く斬ったと思ったらもう逃げ出しました。斬られた相手が逆上して凄まじい剣でも遣うのではと恐れましてね。実際は、相手も痛みに泣いて逃げていきましたが」

 

「そんなことが」

 

「人は、逃げるのですよ」

 

「剣に背を向けてですか」

 

「桃殿はその御歳で剣客の境地に踏み込まれておられるようだ」

 

 戌童はそう言って話を打ち切った。褒められたという感じはしない。むしろ、どこか憐れむような声色だった。

 しばらく歩いて、昼食をとった。街道では行商なども多く、食料はまともな物が手に入る。猿の領地に近いからか、きちんと店を構えた茶屋もいくつかあった。裏手には宿が併設してあって、戌童に呼びかける客引きもいた。この一行を見て、桃が主人とは流石に思われないようだ。

 握りと茶で食事を済ませ、すぐに発った。足を止めるのは猿の領地に着いてからでいい。

 逃げるべきだったのだろうか。ふと、そう思った。敵わないから逃げるのは当たり前だと、魅志磨も言っていた。そして、手負った桃をあっさりと見逃して、木々の向こうへ消えていったのだ。

 剣について、自分は頑ななところがある、と思った。悪いことではない筈だ。ただ、どこかで自分を狭めているのかもしれない。

 剣の在り方がそのまま自分自身の在り方だった。物心がついた頃からそうだったのだ。それは戌童が言う剣客の境地などとはまるで違って、ただそうだというだけの話だった。

 まず剣があり、その余白に自分がいた。

 

「桃様、甘味はいかがですか?」

 

 いきなりそう言って、矢翠が小さな木の棒のようなものを差し出してきた。先端が日の光を受けててらてらと光っている。

 

「行商の方が少量ですが甘葛を持っていました。多少お高かったですが」

 

「おい、買ったのか?」

 

「野宿などが続くと口が塩辛くなってしまっていけません。ご心配なく。私のお給金から出しましたから」

 

「ならお前の物だろう」

 

「そうです。だから、桃様に食べさせたいと思うのも私の勝手です」

 

「それはそうだが」

 

「お早く。もう落としてしまいそうです」

 

 木の棒がぷるぷると震え始めた。矢翠は笑っている。仕方なく桃は受け取り、口に咥えた。控えめながらしっとりとした甘さが口の中に広がった。

 

「白樺でできた棒です。染み込んでいますからゆっくりと味わってくださいね」

 

 矢翠はそう言って、どこからかもう一本取り出して自分でも咥え始めた。戌童が破顔した。

 

「私の分はありませんな?」

 

「申し訳ありません、戌童様。行商の方もこれが最後だと」

 

「いやなに、私のような歳になると甘味は胸につっかえますので。それに、中々心休まる光景を見させて頂きました」

 

「桃様は昔から行儀の良い方でしたから。私が箸で煮豆を差し出すと、やむを得ずという感じで口を開かれて」

 

「いつの話だ、それは」

 

「桃様がまだ私より小さかった頃です。もう、剣は振っておられました」

 

「物心ついた時から私は剣を振っていた。剣のような木の棒だったろうが」

 

「左様ですか。天稟を、そうやって磨いてこられたか」

 

 頷いている戌童に、矢翠が話をし始めた。桃が幼かった頃のことからだ。遮るのも面倒になり、桃はただ前を向いた。

 姉のような存在だった。時には、桃以上に桃に詳しいと思うこともあった。そして、桃の剣をもっとも長く傍で見続けている。

 

「桃様、どうぞ」

 

 甘味が口にくどく感じられるようになってきた。そう思った瞬間、矢翠が竹の水筒を差し出してきた。

 観念して、素直に受け取り口を付けた。程よく冷えた水を、桃はゆっくりと飲み込んだ。

 

 

 

 

 

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