ハードボイルド美少女桃太郎   作:島ハブ

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第6話

 

 

 

 

 

 舟が、ぐらりと揺れた。

 川幅の狭くなってくるところだった。上流で雨が降ったのか、水量は普段より多い。

 (しん)は這うようにして、舳先の右側へ行った。船頭は艫の左側で棹を遣っているのである。反対の方へ位置取れば均衡が取れると思ったのだ。

 船頭が苦笑した。

 

「真ん中にいておくんなせえ、坊っちゃん」

 

 今年、十七になった。もう一人前の大人だと思ったが、付き合いの長い船頭は坊っちゃんと呼んでくる。侮りではなく親しみがそうさせているのはわかっていたが、口惜しい気持ちもあった。

 

「こっちの方が偏りがなくなるんじゃないか?」

 

「停まってりゃそん通りです。だけど、動けば必ず波や風を受けます。偏りがないってことは右にも左にも揺れちまうってことで、船頭はひっきりなしに棹遣うことになっちまいまさあ。そんなら、最初っから傾いてた方がやり易い」

 

「そういうことか」

 

「積み荷が多けりゃ別です。どっしり安定して、多少の波は食らっちまっても気になりませんから」

 

「俺が乗る時は大抵積み荷も多いな」

 

「ご当主様が呼ばれる時は、荷も人も多い。有り難いことに」

 

 船頭が細かく棹を遣った。ぐんと加速しながら、狭いところを抜けていた。ここからは難しい地形などしばらくないので気が楽だと、この船頭に教えられたことがある。一見緩やかだが、底が浅く岩が船底を擦るという場所も聞いた。申が知りたがったからだ。

 猿の領地を北から南へ貫くように、一本の河が流れているのだ。広く緩やかなこの流れが水運となって領地の発展を支えてきた。河岸にはところどころに船着場が築かれ、そこから東西に延びる道路が水運の恵みを陸へ行き渡らせる。

 父が、猿の一族の当主である。自分にはこの、一族を支えてきた路を知る責任があると、申は子供の頃から心に刻み込んでいた。

 それでも、舟についてなどまだ知らないことの方がずっと多く、この船頭には度々それを教えられる。

 

「しかし、坊っちゃんお一人ですかい?」

 

「ああ」

 

「坊っちゃんが武芸をなさるってのは知ってますが」

 

 船頭はそれだけ言って口を噤んだ。

 大した腕ではないのは、自分でもわかっていた。それでも、猿の一族で自分より遣える者はいない。武芸など齧ったことすらない人間の方が多いのだ。

 商いでは腕力など必要ない。それは理屈としては正しいが、世の中が正しいことばかりな筈もなかった。自ら戦わなければならないこともあるだろう。そう言って稽古を始めた申を、両親や親戚連中は奇特な者でも見るように遠巻きにしていた。

 それでも、申がそこそこ遣えるようになると距離は縮まっていった。つまり、武力に商いとしての価値を見出したのだ。

 用心棒代が浮くというだけの、小さな価値だった。

 

「俺を降ろしたら帰っていいぞ」

 

「そんな薄情な真似はできやせんぜ。猩々一家が相手でもいざとなりゃ」

 

「やめてくれ。あんたに怪我されたら俺の面子が潰れちまうよ」

 

「面子だなんて。あっしの間抜けで坊っちゃんの面子が潰れることなんかありません」

 

 船頭が棹を力強く遣った。舟が加速する。

 坊っちゃんではない、などと言っても仕方がなかった。この船頭に怪我をさせることなく場を収める。それができるかどうかだ。できなければ、それこそ坊っちゃんでしかなかったということになる。

 風が頬を打った。船べりに置いていた木槍を、申は軽く撫でた。

 荷が動くということは利益が生じるということだった。当然、人も善悪を問わず集まってくる。

 取りまとめているのは猿の一族だが、目の届く範囲には限りがあった。人の出入りが激しい水運の現場には、余所で行き場を失くした破落戸(ごろつき)も集まってくる。日陰を彷徨く彼らにまで目を配るのは不可能だった。自然と、猿の一族とは別にそちらを取り仕切る連中が現れた。

 いわゆるやくざ者だが、彼らがその無法な腕力で睨みを効かせることで水運が円滑に回るようになったことは猿の一族としても否定し難く、一定の距離を取っての共存が暗黙のうちに成り立った。

 猩々一家はそのうちの一つで、父とも最低限の付き合いはある。ただ、代替りしてからの評判は悪かった。かなり阿漕なことをやっている気配は、申も感じていた。

 

「陸に上ってらあ。しかしありゃあ、二、三人じゃありませんぜ」

 

 船頭が声をあげた。猩々一家の若い衆三人が一艘の舟を囲んでいる、というのが申が聞いた話だった。しかし今、ぱっと見えるだけでも五人の背中があり、その向こう側にも人がいる気配だ。

 

「着けてくれ」

 

「しかし坊っちゃん、こりゃ」

 

「頼む。あんたは舟で待っててくれ。分が悪そうなら逃げていい」

 

「そんな肝ならここまで来ちゃいません。そら、着けますぜ」

 

 桟橋が近付いてきた。すぐそばに、囲まれていたという船頭と若い衆が乗っていただろう舟が繋がれている。船頭の舟には少なくない荷が積み込まれているようだ。申は木槍を手に取って桟橋へと跳び移り、段差を駆け上がった。

 

「何事だ、これは」

 

「こりゃ、猿の当主のとこの坊っちゃんですかい」

 

 振り返った男が、へらへらと笑みを浮かべながら挨拶をした。十人。その真ん中でしゃがみこんでいる中年の男があの舟の船頭だろう。塀の側には、折れた棹が落ちていた。

 

「どういうつもりだ、猩々一家。棹を叩き折って陸に上がらせたのか」

 

「お助けください、申様。私はなにも」

 

 船頭が何かを言いかけた時、若い衆の一人が横から蹴りを飛ばした。船頭が蹲る。丸めた躰が、小刻みに震えていた。

 

「よせ。その男が何をしたというんだ」

 

「盗っ人ですよ、坊っちゃん」

 

「盗っ人?」

 

「うちの蔵から、いくつか荷が消えましてね。調べたら、野郎の舟が蔵の辺りを彷徨いてるのを見たやつがいたんですよ」

 

「無茶苦茶だ。本人はやっていないと言っているのだろう?」

 

「口ではどうとでも言えまさぁ。積荷を改めさせて貰わなきゃね」

 

「馬鹿な」

 

 荷はあくまでも客から預かっているものだった。それをやくざ者に脅されたからと開けてしまえば、船頭の信用は地に墜ちる。できる筈がなかった。

 不可能なことを迫り、盗まれたという荷の補填を船頭にさせる。恐らくはそんなところだろう。

 

「猩々一家は恥も失くしたか」

 

「坊っちゃん、聞き捨てなりませんぜそりゃあ」

 

「窃盗なら父に申し出れば良い。蔵の荷が無くなったというのは当然報告したんだろうな?」

 

「下手人が目の前にいるんだ。こいつを締め上げた後に、報告でもなんでもさせてもらいますよ」

 

「お助けを」

 

 蚊の鳴くような声が、申の耳に届いた。

 木槍を持ち上げる。船頭を囲んでいた他の若い衆たちも、こちらに向き直った。

 躰が強張ってくるのを、申は自覚した。十人を相手取るのはどう考えても無謀だった。しかし、やるしかないことだ。

 

「この件は俺が預かる。その船頭も荷も、事の正否が明らかになるまで責任を持って管理しよう。異論は許さん」

 

「坊っちゃん、冗談いけませんや」

 

 男が低く笑った。ただの破落戸だ。そう思っても、その笑みに言いしれない迫力があるような気がした。

 

「冗談を言ったつもりはない。お前らは一旦立ち去れ」

 

「駄目だな、こりゃ。餓鬼ってのは話が通じねえ」

 

 男が後ろの仲間に手招きした。申は木槍を腰だめに構え、手が震えてしまわないよう強く握った。

 やるしかない。そう信じて、肚を据えられるか。

 固着した。穂先を潰してあるとはいえ、槍である。無手のやくざ者を四、五人打ち据えるぐらいはできる筈だ。

 

「気をつけろ。そこそこやるって噂だ」

 

 穂先を低く下げた。上体への突きは手で防げるが、脚ならばそうはいかない。躱そうとすれば、後ろの人間が立ち往生する。そうやって何人かを打ち、この場を収められないか。

 先頭の男が動いた。申は素早く木槍を走らせ、突く素振りだけ見せた。男が横っ跳びをしようとした時、初めて突く。脛を打たれた男が倒れて悶絶した。

 何かが飛んできた。石。咄嗟に払い、踏み込んできた相手を石突で打った。再び石が飛んでくる。三つ。払いきれず、後ろに下がった。複数の投石には下がるしかない。しかし、背後は川だ。

 

「猩々一家、この卑怯者がっ」

 

 舟で待っていた船頭が声をあげ陸に上ってこようとしたが、若い衆の一人がそちらに石を投げると蹲って身を躱した。当たりはしなかったようだが、いつまでも凌いではいられないだろう。

 投石。思い切って前に出た。一人の脇腹を打ったが、肩に石を食らった。左腕に鈍い痺れが走る。

 大小混じった石が五つ飛んできた。下がるしかなかった。痺れは痛みになっている。申が打った三人はもう立ち上がり、憤怒の形相を浮かべていた。

 きちんと刃の付いた槍ならば。考えても仕方がなかった。追い詰められている。そして、打開策は浮かばなかった。

 玉砕するか。ちらりと浮かんだ考えは甘美な気がした。それが無責任だとわかっていても、何かを為した気にはなれる。槍を投げ込んで、乱闘に持ち込めば数人は打ち倒せるのではないか。

 川まであと数歩もない。木槍を投げやすいよう持ち上げた。

 不意に、塀の向こうから人影が現れた。

 旅姿ではあるが、身なりの整った女中風の女だ。その後ろからは筒袖と野袴の大男。

 三人目に現れた女に、申は眼を奪われた。

 女にしてはかなりの長身で、申よりも僅かに高く見える。歳の頃も同じぐらいだろう。肩口ほどで揃えられた黒髪に、草臥れた男物の藍の着物を着流している。帯には一本の見事な打刀。

 美形だが、格好の異形さが先に目につくような女だった。父に連れられて顔を出す宴席では、もっと小綺麗な女を何人も見てきた。

 それでも、申はその女から眼を離せなかった。美しかった。理由はわからない。ただその女を、美しいと強く感じたのだ。

 猩々一家の連中も、その乱入者に気付いたようだった。ただ、申のように眼を奪われたようではない。

 

「取り込み中でね。お嬢さん、ちょっと大人しくしててくれるか」

 

 一人がそちらへ踏み出した。申ははっとした。自分のように魅了されてはいないだけで、猩々一家の目には好色の欲が浮かんでいた。

 腕の痛みも忘れて飛び出した。気付いた時、長身の女を守るようにして猩々一家と向かい合っていた。そこでまた、申は自分の勘違いに気付いた。猩々一家の視線は女中に注がれている。

 

「へえぇ。坊っちゃん、いい男っぷりじゃねえですか。猿のご当主もさぞ喜ばれるでしょう。しかし、そっちとはね。物好きなもんだ」

 

 嘲るような言葉と下卑た嗤いが辺りを包んだ。木槍を投げ込みたいのを堪えて、申は頭を回した。囲まれていた船頭だけでなく、この三人も逃さなくてはいけなくなった。

 

「猿のご当主?」

 

 ふと、女が呟いた。少し低めの、耳心地の良い声だった。美しい女は声まで美しいのか。申は一瞬、そんな間の抜けたことを考えた。

 

「猿のご当主とお知り合いで?」

 

「父です。いや、今はそれどころではない。俺がなんとか足止めしますから、貴女方はお逃げください」

 

「御子息ですか。ちょうど良かった。そちらのお屋敷へ伺おうとしていたのですが、道に迷ってしまい」

 

「だから今は」

 

「なにやら、事情がおありのようですが」

 

 女が周囲を見回した。それから前に出ようとする。申が遮るより先に、大男が声を出した。

 

「桃殿、町中ですぞ。延寿国村は」

 

「わかっています。矢翠は後ろに」

 

「はい。ご武運を」

 

 桃と呼ばれた女は苦笑して、それから折れた棹の片方を拾いあげた。

 

「何を」

 

 している。出かかった言葉を、申は飲み込んだ。構えるでもなく突っ立っている女から、異様な気配が漂い出している。

 

「剛毅じゃねえかお嬢さん。しかし、そんな木の棒じゃあね。そんなんで大人に歯向かっちゃいけねえよ」

 

 若い衆がそう言って懐に手を突っ込んだ。匕首。鞘を払い、見せびらかすように女の前で振っている。

 

「よく見りゃ、中々良い顔をしてるじゃねえか。俺の匕首はよく斬れる。女の傷は一生ものだぜ」

 

 もう我慢がならない。そう思い木槍を構えた瞬間、女が動いた。

 何かが高く宙を舞った。白い光。匕首が弾き飛ばされたのだ。思わず、申はその光を目で追った。

 匕首が地に落ちた時、若い衆の半分が倒れていた。何が起きたのか申にはわからなかった。女が跳躍する。また二人、倒れた。白昼夢でも見ているようだった。

 女が再び動いた。裾が割れて、白い脹脛が覗いた。見てはいけないものを見てしまったような気分に襲われて、申は顔を伏せた。再び顔をあげたのは、匕首を抜こうとした三人が一息のうちに打ち据えられた時だった。そこかしこから漏れる呻き声の中で、女は棹を検分していた。中ほどに罅が入り、今にも折れそうだった。

 

「危ないところでした。あと一人でもいたら、折れてしまったかもしれません」

 

 何でもないことのように女はそう言った。折れたら、女は刀を抜いただろう。そして、猩々一家を斬った筈だ。

 矢翠と呼ばれていた女中が、蹲っている船頭のところへ近付いた。容態を確認しているようだ。そこでようやく申は我に返った。当主の子として為すべきことが、まだいくらでもある。

 

「猿の一族の申と申します。ご助力、感謝いたします」

 

「柴の家の桃です。祖父から話が届いていると思いますが」

 

「では、鬼の?」

 

「そうです。あちらは、犬の一族の戌童殿です」

 

 申は頷いて、川に目をやった。ここまで乗せて貰った船頭が所在なさげに船縁を掴んでいる。この船頭も、最後まで申を待っていてくれたのだ。

 もしも桃たちが通りがからなかったら、どうなっていたのか。坊っちゃんだな。束の間自嘲して、申は頭を切り替えた。

 

「御客人を屋敷へ連れて行く。頼めるか?」

 

「そりゃあもう。しかしそいつの舟はどうします?」

 

 甚振られていた船頭は、とても舟を操れそうにはない。申は猩々一家の舟に飛び込んで棹だけを拝借した。蹲っている船頭を舟に運ぶ。左腕はまだ痛むが、この船頭よりはましだろう。

 

「坊っちゃんがやりますか。こりゃ面白えや」

 

「申殿」

 

 桃が声をかけてきた。なんとなく気後れして、申はもやいを外すのに手間取っている振りをしながら返答した。

 

「殿などと。桃殿は総大将でしょう。歳の頃もそう離れてはいない」

 

「そうか。ならば、申と。私も桃でいい」

 

「十七です、俺は」

 

「一つ下だな。確かに歳は近い」

 

 十八か、と申は思った。自分が十八になった時、あれほどの武芸を身に付けていることはまずないだろう。

 

「礼を言っておこうと思って」

 

「礼?」

 

「庇ってくれただろう?正直、面食らったという気持ちもあるが」

 

「余計なことをしたな、俺は」

 

「そうでもない。お前がいなかったら咄嗟に斬っていたかもしれん」

 

「斬っても良かったのだが」

 

「自分の意志で斬れるようになりたいのさ。どうも、人を斬ることについて私は無頓着なところがある。とにかく、助かった」

 

 剣客の持つ、宿痾のようなものだろうか。なんと答えていいかわからず、申はただ頷いた。桃は小さく笑って、前の舟に跳び乗った。

 舟が動き出す。遡上する形になるので、流れが穏やかといっても棹は重かった。それも、何度か押すうちに勢いに乗って軽くなっていく。

 助かった。不意に桃の言葉が頭の中に蘇り、申は棹を手元まで水に突っ込んで川底を強く叩いた。

 

 

 

 

 

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